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2026年4月17日金曜日

吉岡里帆と「Q」の記憶

 


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吉岡氏について、前回私はこう書いた。
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個人的な印象だが、有村氏は王道の恋愛ドラマを軸足に置くことが多い気がする。言ってみれば、王道の“国民的ヒロイン”路線。だからこそ、ご本人が役を掴みかねていたという『ちひろさん』のような異色の役どころが、オレは好きだ。のん氏は決してコメディエンヌではないが、『幸せカナコの殺し屋生活』などジャンルに縛られない軽やかさが面白い。独自の表現領域を切り開いた“孤高の存在”であることが、ある種の凄みになり得る。 対して吉岡氏。彼女は、心の奥底にあるドロドロとした情念を滲ませる役がよく似合う。“役の奥にある暗い水脈”を掘り当てるタイプの女優になってきた。『ハケンアニメ!』のラスト、ベランダで見せたあの表情は、今も強く印象に残っている。 
(中略)
 三人のなかで今、最も「ヒリヒリするような芝居」を見せてくれるのは、そんな情念と繊細さを併せ持つ“内圧型の女優”である吉岡氏なのかもしれない。
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この「情念を滲ませる」「“役の奥にある暗い水脈”を掘り当てる」「ヒリヒリするような芝居」といった彼女の特質は、一体どこから来るのだろう。そう考えた時、ふと思い出した。彼女がメジャーデビュー前、京都の小劇場で初舞台を踏んでいたというエピソードを。

彼女は特定の劇団に属さず、当時の京都学生演劇の熱量の中に身を投じていたようだが、その原点となったのは**同志社大学の「演劇集団Q」によるプロデュース公演、演目は唐十郎の『吸血姫』**だった。

「Q」か。そして「唐」か。 

事実に触れた瞬間、思わず天井を仰いでしまった。

吉岡氏の初舞台は2012年。そこから遡ること二十数年、オレもまた同じ場所にいた。 当時、ちらっと付き合っていた演劇女がいた。観に行ったのは、同じく唐十郎の**『ジャガーの眼』**。彼女はすでに、六代目三遊亭円楽師匠と若き日の瀬古俊彦氏を足して二で割ったような顔立ちの先輩(この二人、円楽師匠が自らネタにするほど似ていたが、つまりそれ系の顔)と付き合っていたが、オレは未練がましく、彼女が主演を務めるその舞台を観に行ったのだ。振られた後も、彼女の影響で一人、学生演劇の迷宮を彷徨うように通った時期がある。


『吸血姫』と『ジャガーの眼』。どちらも唐十郎という巨星の、そしてアングラ演劇の真骨頂とも言える傑作だ。

『吸血姫』は、精神病院の地下で老婆が美少女に自らの血と記憶を継承させようとする、残酷で幻想的な物語。戦後日本の闇や肉体の変容を、圧倒的な詩的言語で描き出す。ラスト、少女が「吸血姫」として覚醒していく様は、演じる者の剥き出しの生命力を試す。
 一方の『ジャガーの眼』は、亡き主人の眼球を巡るスペクタクル。盲目の少女・サラが、絶望的な闇の中で純粋な生を叫ぶ。どちらも、観る者を「ここではないどこか」へ引きずり込む、狂気と美しさが同居する世界だ。

「演劇集団Q」と唐作品の組み合わせには、伝統的な強度があった。 Qに限らず、同志社小劇場や第三劇場といった当時の京都の拠点は、かつての「テント芝居」の熱量を正しく継承していた。肉体を酷使し、精神を削り、単なる「お芝居」を超えた情念を叩きつける演出。それが「Q」という劇団の矜持だったはずだ。


里帆ちゃんもまた、新町別館小ホールのあの舞台に立っていたのか。 二十年以上の時を経て、あの場所の熱気は変わっていなかったのだろうか。コンクリートの床に敷かれた茣蓙(ござ)の上に座り、手の届きそうな距離で演じられる情念に没入する。異様に火照りながら、体の芯は冷えていくような、あの奇妙な感覚。
「特権的肉体」の行使。二十数年前の彼女と同じように、吉岡氏もあの場所で同じ熱量を体現していたのだろうか。

そんなことを考えていると、吉岡氏の芝居が、同世代、同じ関西出身の女優の中でも、「暗い水脈”を掘り当てる」芝居になるのも納得だ。芝居の質は、小劇場と、映画やドラマとでは随分と違うが、特権的肉体の裏にある、それを押し出してくる、情念と言えばいいのだろうか、ある種の熱は、小劇場ならではのものではないかと思ってしまうのだ。そんな熱をひそやかにドラマや映画に持ち込んだら? まぁ、観ていただけの門外漢だから良くはわからないのだが。


その後、いくつか他劇団の舞台も観たが、やがて足は遠のき、オレにとっての小劇場はそれきりとなった。


今月、Qは発足約50年で活動を終了したという。Instagramのお知らせを見て、沈黙。桜が散り始めた夜に、ふとあの小さなホールの匂いが蘇る。かつての劇場の熱気と、ゴムまりのジャガーの眼、その他諸々が渦を巻く。 ……これ以上、何かを語るべきか、語らざるべきか。