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2025年8月13日水曜日

ハザードマップを越える水

7231 211121 氷見 久目 (再掲)


はじめに

 以下の文は、何ら学術的権威もない、土木建設の現場を極めたわけでもない、20数年、地質関係から何となく土木業界の末席にいただけだが、それでも、それなりに本等では勉強はしたオレが、ここ数年、特に今月に入ってからの大雨災害について思うことを書きしたためたものである。

 この関係の仕事、正直、もう体力的にきついと思い、ほかのしごとを探してはいるのだが、しかし持っている知識では、ここ最近の降雨土砂災害に対し、特に土木としてもうやれることはないのではないか? と、ちょっと辛くなったりした。もう一度だけ、その関係の本を開いたりしたのだが、例えば、大地震に対して建築というものは、耐震基準を厳しくすることで、それに準拠すれば、いくらかマシなんじゃないか、と言うことになっているが、降雨災害に対して、特に今年8月の洪水災害に対しては、土木でやれることの余地というものはほとんど残されていないのではないかと、改めて思ってしまった。

 そのような結論は、単にオレの浅学故のものであって、ちゃんと処方は用意されうるのかもしれない。それはそれとして、今わかること、考え得ることを綴ってみた。 
 「九州の豪雨」というのは、現地の方々には大変申し訳ないのだが、まぁ、起きがちな所だよね、という印象をそれ以外の地域の人間は思いがちだ。しかし、2025年8月の豪雨というのは、その程度の認識では済まされないものであると思わされた。

 それは只の「大雨」ではなかった。気象庁は早々に線状降水帯の発生を発表し、レーダー画像には九州北部から南部まで、太く青黒い帯が居座り続けた。熊本県玉名市では、6時間で370ミリ、24時間で400ミリを超える雨が降ったと記録されている。数値を並べれば一見ただの統計のようだが、現地に暮らす人にとってはそれが現実であり、生活を破壊する力となった。

 問題は、その被害の範囲だった。冠水や浸水は、かつてハザードマップで「安全」とされてきた区域にも及んだ。多くの住民は驚きを隠せなかった。「ここは浸水区域じゃないはずだった」と嘆く声は、SNSやテレビ報道で繰り返し流れた。
 これは、ハザードマップの信頼性の問題ではない。むしろ、マップは与えられた条件下では正しく機能している。しかし、条件そのものが変わってしまったのである。過去の降雨データをもとに作られた想定を、近年の極端な降雨は容易に飛び越える。
 この現象は九州だけではない。日本各地で「マップ外浸水」が現れ始めている。これまで“安全”とされた場所が、安全ではなくなる。そんな事態が年々増えている。

 本論では、この現象の背景にある「ハザードマップの限界」「都市構造の弱点」「土木技術の物理的・社会的限界」を掘り下げ、今後求められる方向性を探る。

1:ハザードマップと現実の乖離

 ハザードマップは、行政が住民に「どこが危険で、どこが比較的安全か」を示すために作られる。国交省や自治体は河川の流域ごとに、過去の降雨記録や流量データをもとにシミュレーションを行い、浸水想定区域を色分けして地図に落とし込む。基準となるのは「○年に一度」という確率降雨量だ。
 多くの場合、その設定は50年確率や100年確率降雨量。つまり「100年に一度クラスの雨が降ったとき、どうなるか」という想定だ。
 しかし、気候変動の進行とともに、その「100年に一度」が数年おきに発生してしまっている。これがマップの機能不全を招く。
 昨年2024年の能登の豪雨災害は記憶に生々しいが、その前2019年の石川県豪雨では、マップの浸水区域外で広範囲の冠水が発生し、行政は被害把握と支援の遅れを余儀なくされた。今回の九州豪雨も同じだ。マップは過去の統計の上に成り立っているため、統計を飛び越える雨には対応できない。

 もう一つの問題は、マップが多くの場合、河川氾濫(外水氾濫)に特化していることだ。都市部の多くの浸水は内水氾濫、つまり下水道や排水路の能力を超えた雨水が街に溢れる現象だが、このリスクはマップに十分反映されていない。


 結果として、住民は「マップ外だから大丈夫」という誤った安心感を抱きやすくなる。だが、降る雨はマップの境界線を考慮してくれない。

2:マップ外の浸水リスク

 都市部におけるマップ外浸水の最大の原因は内水氾濫だ。
 下水道の排水能力は、多くの自治体で時間雨量50〜75mm程度を想定して設計されている。これを超える雨が降れば、マンホールから水が噴き出し、道路が川になる。特に市街地の低地や地下街は危険だ。

 さらに、河川の支流や暗渠化された水路が氾濫するケースもある。こうした小規模水系は管理が後回しにされやすく、浸水想定の解析が行われていないことも多い。
 加えて、山間部では豪雨が地盤を緩ませ、土砂崩れが発生し、その土砂が排水路や橋梁を塞いで水をせき止める二次被害が発生する。

 マップの整備状況も課題だ。国の方針で全ての河川について浸水想定を作ることになっているが、予算と人員の制約で進捗は遅い。未整備区域は事実上「空白地帯」となり、今回のような被害が発生しても事前周知は難しい。

3:九州豪雨から見える“盲点”

 今回の九州豪雨では、報道映像やSNSの投稿からも、従来の想定を超える浸水の構図が浮かび上がった。
 熊本県内のある市街地では、わずか30分で道路が膝まで冠水し、駐車中の車のナンバープレートが水に隠れた。鹿児島県の中小都市では、河川の氾濫がなくても市中心部が完全に冠水し、商店街のアーケードを水が流れていった。
 これらの場所は、自治体のハザードマップ上では「安全域」に色分けされていた。

 特に顕著だったのは、内水氾濫と外水氾濫の複合だ。
 市街地の排水路が豪雨で処理能力を失ったところに、上流の河川が氾濫し、水が逆流する。こうなると、通常の排水計画は全く役に立たない。ポンプ場は稼働していても流し先の河川があふれていれば、水を送り出せないからだ。

 被害は物的損壊にとどまらなかった。
 広域避難指示が出され、九州全体で300万人以上が対象となったが、実は避難所の数とキャパシティは全く足りなかったらしい。避難所そのものが浸水リスク区域にあった例もあり、住民は「どこに行けばいいのか」分からず、避難を断念した人も少なくないとのことだが、そもそも、避難所に避難する以前に被災すると言うことが圧倒的だったのではないかという印象がある。

 こうした事例は、ハザードマップの想定の枠を大きく超える現実を示している。そして、その背景にあるのが次章で述べる「土木技術の限界」だ。

4:土木の限界 — 洪水ゼロは幻想か

 日本の治水は戦後、世界的に見ても高いレベルの成果を挙げてきた。ダムの建設、堤防の強化、河川改修、遊水地整備など、数十年かけて築かれたインフラは、確かに多くの洪水被害を防いできた。
 しかし、近年の気候変動がもたらす豪雨は、その設計思想そのものを揺さぶっている。

①. 設計降雨量と現実の乖離

 従来の多くの河川計画は、100年確率降雨量を基準にしてきた。戦後の統計では、時間雨量50〜80mm、日雨量200〜250mm程度が目安だった。
 ところが、ここ10年で、時間雨量100mm超、日雨量300〜400mm超の雨が毎年のように観測されている。設計基準の倍近い降雨が現実になりつつあるのだ。

②. 物理的限界

 堤防をいくら高くしても、必ず「設計を超える雨」が降る可能性は残る。高さを上げればコストも上がり、構造的安定性の確保が難しくなる。また、川幅の拡張や遊水地の増設も、都市の土地利用や住民移転の問題で簡単には進まない。

③. 経済的・社会的制約

 仮に全国の都市部を「時間雨量150mm対応」に改造しようとすれば、兆単位の予算と数十年の工期が必要になる。その間に気候変動がさらに進めば、また想定を見直す必要が出る。「いたちごっこ」からは抜け出せない。

④. 洪水ゼロから“共存”へ

 洪水を完全になくすのは現実的に不可能である。必要なのは、被害を減らす構造と運用への転換だ。たとえば、堤防や排水設備は被害を遅らせる「時間稼ぎ」として設計し、その間に避難を完了させる。
 また、住宅や公共施設は一定の浸水を前提にした構造(高床化、防水壁)に変える。こうした発想は、オランダやドイツなど洪水常襲国で広く採用されている。

 結論として、「現在の土木知見だけで洪水をなくす」のは幻想だ。むしろ、土木は「水と共に生きるための環境を整える」方向で進化すべきだろう。

⑤:未来の治水と都市デザイン — 水と共に暮らす社会へ

 これからの日本の治水は、「防ぐ」から「耐える・逃げる・回復する」へと発想を変えなければならない。
 そのためには、ハードとソフトの両面での改革が必要になる。


①. ハード面の方向性

1⃣多層防御の発想
 一つの施設や計画に依存せず、堤防、遊水地、雨水貯留施設、地下放水路などを組み合わせて被害を分散させる。都市部では、大規模地下空間(東京外郭環状放水路のような構造)を増設し、雨水の一時滞留機能を強化する。

2⃣グリーンインフラの導入
 コンクリートによる排水一辺倒ではなく、雨水を浸透させ、地表で遅らせる仕組みを都市に組み込む。透水性舗装、雨庭(レインガーデン)、屋上緑化など、小規模だが面的に広げることで効果が出る。

3⃣水害耐性住宅の普及
 住宅地は高床化や1階非居住化、防水性の高い開口部、電気設備の高所設置など、被害を最小化する仕様を標準化する。新築だけでなく改修支援も不可欠だ。

4⃣危険区域の撤退と転換
 河川氾濫常襲地や土砂災害危険地帯からは、段階的に居住を撤退させる「移転促進政策」を実施し、その跡地を公園や遊水地として利用する。これには長期の住民合意形成が不可欠だが、海外では既に事例がある。



②. ソフト面の改革

 1⃣ハザードマップの高度化
 現在の「静的マップ」から、降雨予測やリアルタイム河川データを反映した「動的ハザードマップ」へ。スマートフォンアプリやデジタルサイネージで住民に随時更新情報を提供する。

 2⃣避難行動計画(タイムライン)の普及
 自治体ごとに、雨量予測に応じた避難開始時刻を明確化し、住民が自分の家のリスクに応じて先手で避難できる体制を整える。

 3⃣訓練と地域ネットワーク
 年1回の避難訓練だけでなく、地域単位での避難経路確認や高齢者支援の仕組みづくりを常態化する。特に高齢化率が高い地域では、物理的インフラよりも人的ネットワークのほうが被害軽減に寄与する場合が多い。

 4⃣情報伝達の多重化
 防災行政無線だけでなく、スマホ通知、SNS、地域放送、ボランティアの戸別訪問など、複数の手段を同時に活用することで「情報の取りこぼし」を防ぐ。



③. 法制度の課題と展望

 現在の日本の都市計画や土地利用制度は、基本的に「被害を受けないこと」を前提に作られている。しかし、現実には被害ゼロは達成できない。したがって、法制度の思想そのものを転換する必要がある。

・水害常襲地での新規建築制限:現行の都市計画法や建築基準法を改正し、一定リスク以上の区域では新築住宅や公共施設の建設を制限する。

・災害適応型都市計画:洪水や高潮に適応した街区構造(高台移転、空間利用の変更)を長期計画に組み込む。

・補償と移転支援制度の拡充:住民が安心して危険地から移転できるよう、土地買い上げや補償を制度化する。


 これらは財政負担や住民の合意形成という難題を伴う。洪水災害に限らず地震災害を考えた時でも液状化リクすの大変高い土地、津波被害が予測される沿岸地域に対して、指定を厳しくし移住を促す法案が出そうになっても、土地所有者や不動産業者などが猛反発し立ち消えになったことが何度あったことか。しかしこれは、気候変動の影響が確実に強まる今、避けては通れない議論である。

 今回の九州豪雨というものは、雨量そのものの想定も然ることながら、都市機能が如何に歯が立たないか思い知らされた。
 ハザードマップは万能ではなく、土木構造物も無敵ではない。
 100年に一度の雨が数年おきに来る時代、私たちは水害を完全に防ぐことはできない。それは敗北ではなく、自然の規模に対する現実認識だ。

 これから必要なのは、被害を受けても命を守り、迅速に回復できる社会の構築だ。水を敵視するのではなく、共に暮らし、その力を受け流す都市と暮らしの形を探らざるを得ない。
 オランダのことわざに「神は世界を創ったが、オランダを創ったのはオランダ人だ」というものがある。彼らは水を完全に防ごうとはせず、水と折り合いをつける文化を築いてきた。日本もまた、その道を歩む時が来ているのではあるまいか?

 治水はもはや土木技術者だけの仕事ではない。政治家、都市計画家、建築家、地域住民、そして私たち一人ひとりが、その形を決める当事者だ。土木工学、英語ではcivil engineering、よくいったものだ。
 洪水ゼロという幻想は手放さざるを得ない。水と共にある未来を設計する覚悟こそ、これからの防災社会の出発点になるのではあるまいか?


 なんかふわっとした結論ですみません。