7470 Emma Watson_22
ウクライナの問題で更に顕在化しただけで、問題はそれ以前からあった。コロナ禍での物流の滞り、脱炭素化の動き、だ。
ちょっと詳しめのニュースを見ていたら、このことは目にしたこと、耳にしたことはあるだろう。2014年のクリミア併合の時に、すでにロシアに依存しているリスクについて警告はなされてきたようだが、これも、ちょっと詳しくニュースを見ていた人は、ドイツ経済がこのことで相当のダメージを負ったのだという話。現地に住む日本人による文章である。
統制経済を押しのけて市場経済が世界中に広がることで、大枠において世界は安定するというのが1990年代の楽観であったが、最初はイスラム圏起点のテロリズム、そして今回のロシアによる蛮行である。
市場経済によってロシアや中国を縛ることができると見込んでいたのが、逆にエネルギーで身動き取れなくなった形。しかし、ウラジミール・プーチンはそのような計算だったが、そのようなロシアの目論見に従うことを、身を切ることになっても良しとしなかった、といことがあるだろうし、そもそも、ロシアのやる事が酷すぎて許せなかった、というところにプーチンの計算間違いがあったようだ。
いずれにしろ、ヨーロッパ中心ではあるが、日本もそれを逃れることはできない、エネルギーの逼迫。問題はウクライナの件だけではないので、話がとても複雑に見える。
自動車をはじめ、生活、一般産業の熱源を電力に一本化しようとする動きが、ひどく胡散臭く思える。誰かが(何となく顔ぶれが思い浮かびはする)電力という巨大な利権構造を構築しようとしているような気がして仕方ない。
COP-XXで、いつの間にやら、森林保護、植林を寧ろ促進する、ということが話し合われなくなったのは、なぜだろう? バイオマスは、何も電力に変換しなくても、熱源にはなり得る。太陽はあまねくすべての地上に降り注ぎ、それを個々に生かせば、エネルギーの逼迫はかなりのところで抑えられるはず。また別に電力に変換してもいいのだ。しかし、なぜ、それがメガソーラー、巨大風力発電プラント、そして原子力発電に集約されようとする? インディーズのあらゆる方式の小規模発電施設を許さないということではないか? 蓄電池の問題もあるだろう。しかし、思いのほかその進歩の歩みが遅い。研究者は必死にやっているのだろうが、未来への貢献度に比して、予算をひどく抑えられていることはないか?
まず、エネルギーの逼迫を見せて、その辺の可能性をずっとばして、利権構造にかなった大規模発電インフラに集約させる、そういう意図が全く存在しないと言えるだろうか?
何やら陰謀論っぽくなってしまったが、ことの重要度に比して、ウクライナの件以前から、何やら不明瞭なことは多い。
いずれにしろ、今後熱源の選択肢はぐっと減り、価格から生活様式に至るまで、電力供給者とその周辺の言いなりとなる社会になっていく可能性は結構ある。
そこに公正さを求めるのはどれだけ可能か? 水資源の状況を見てみるに、そういったもののひな型というのはないに等しく。資本主義の市場原理をそこで許していいものか、供給需要、効率、すべてを詳らかにして、全くの公共財として、使った正価だけの負担で済むのか?