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2025年8月14日木曜日

プレスコードと戦後言論空間の歪み、その継承

 


0.プレスコードという見えない鎖

 敗戦の年、1945年の秋。焦土と化した街に、アメリカ軍のジープが土埃をあげて走る光景があった。空襲で黒焦げになったビルの残骸を背景に、占領軍の兵士たちは軽い口笛を吹きながら通りを歩く。その背後で、日本人は焼け跡に腰をおろし、瓦礫の中から鍋や茶碗を掘り出していた。

「日本は自由になった」——そう新聞は書いた。だが、その紙面の裏側では、まだ知られていない規則が息をひそめていた。
 GHQが日本の新聞社や放送局に配布した「プレスコード(新聞発表用規程)」である。そこには31項目にわたり、報道してはならない事項が並んでいた。占領軍批判、連合国批判、原爆被害の詳細、戦前の戦争責任の追及に触れることも許されない。

 江藤淳は、この時期を「言語空間の占領」と呼んだ。彼は著書『閉ざされた言語空間』でこう述べている。
「占領期の日本人は、自らの母語で、自らの現実を語ることを禁じられた。」
 それは単なる検閲ではなく、思考の土台そのものを組み替える作業だった。


 この「組み替えられた土台」は、占領が終わった後も日本人の中に残った。一見すると自由な言論空間だが、そこには“見えない線引き”が存在する。そして人々は、気づかぬうちにその線を避けて言葉を選ぶようになった。それは現在にも継承されている。どういう訳かノイジ―マイノリティーに弱い報道。

 原爆の被爆者差別は、その典型的な副産物だろう。広島・長崎の惨状は、長く断片的にしか報じられなかった。瓦礫の街でケロイドを負った子供を抱く母の姿も、内部被曝に苦しむ人々の証言も、
 占領下では“国民に見せてはならない”ものとされた。そのため、国民全体の理解が遅れ、やがて「被爆者=不健康で危険な存在」という偏見が根付く。

 西部邁は、晩年の講演でこう語っている。
「言論統制とは、単に言葉を封じることではない。それは人々の沈黙を習慣に変えることだ。」

 プレスコードは、まさに沈黙を習慣化させた。それは、戦後の保守も革新も等しくその上に立ち、思考を育てることになった「見えない鎖」だった。


1.右翼も左翼も、大間違い

 保守であれ革新であれ、政治的立場を持つことは悪くない。むしろ、思想は立場を持ってこそ鍛えられる。
 だが、現代日本の右翼と左翼の多くは、その立場を論理的に組み立てる力を失っている。ネット上で飛び交う罵倒は、論理ではなく感情の応酬だ。

 ネトウヨと呼ばれる右派の一部は、「日本は素晴らしい国だ」と叫ぶが、その理由づけは歴史的検証よりも感情の昂ぶりに依存している。
 一方で、パヨクと呼ばれる左派の一部もまた、「権力は悪だ」という反射的な姿勢に固執し、現実的な解決策を提示できない。


 渡部昇一は、かつてこう指摘している。
「自分が正しいと確信する者ほど、相手の正しさを想像できなくなる。」

 この想像力の欠如こそ、議論を分断へと導く。論破を目的とすれば、相手は敵でしかなくなる。
 だが、説得や合意形成を目的とすれば、相手は「引きつけるべき他者」に変わる。

 百地章は、憲法学の立場からこう述べた。


「立憲主義とは、異なる立場の間に“争える共通基盤”を維持することだ。その基盤が失われれば、言論はもはや共存を目指さない。」

 しかし、現代の保守も革新も、この「共通基盤」を育てようとしない。相手を「無知」か「悪意」と断じるのは容易だ。だが、その瞬間に言葉は届かなくなる。


 プレスコードによって制限された言論空間で育った世代が、「自分の立場の正しさ」だけを磨き続け、「他者の立場とどう向き合うか」という思考をあまりにも鍛えられなかったのではないか?
 それは世代を超えて受け継がれ、今日のSNS上で、奇妙に過剰で、かつ浅い議論として現れている。


2.鎖が外れても、足は前に出なかった

 1952年、サンフランシスコ講和条約の発効とともに、占領軍による直接的な検閲は終わった。
 新聞は再び自由に記事を書けるはずだったし、ラジオも自由に放送できるはずだった。

 だが、江藤淳は『閉ざされた言語空間』で、こう述べている。
「言論統制は解除された。しかし、解除されたことを自覚できる人間は少なかった。自由を行使する習慣が、すでに失われていたからである。」

 この「習慣の喪失」が、戦後日本の革新陣営に深く染みついていた。戦前、共産党や社会主義者は激しい弾圧にさらされ、獄中で歳月を過ごした者も多かった。だからこそ、占領期のプレスコード下でも、彼らは「また抑圧されるかもしれない」という予感を捨てきれなかったのかもしれない。

 西部邁は、戦後左派の体質をこう評している。
「彼らは戦前の抑圧に対するルサンチマンを、未来への理念に昇華できなかった。その結果、戦争反対と反権力が自己目的化し、時代が変わっても身動きが取れなかった。」

 プレスコード解除は、思想を鍛え直す絶好の機会だったはずだ。戦前の記憶を踏まえつつ、新しい現実に合った論法や政策を模索できた。 だが、実際には旧来の「闘争の文法」にしがみつき、保守との間に新しい対話の形式を築くことはなかった。

 その背景には、もうひとつの心理的な要因があったように思う。長年「被害者」としての自己像を支えにしてきた人々にとって、相手と対等に議論するという行為は、その自己像を手放す危険をはらんでいるとかんじていたのではないか? だからこそ、ルサンチマンは次の世代へも受け継がれてしまった。
 結果として、革新は自らの支持基盤を拡大できず、むしろ社会の中で孤立を深めていった。それはこの何年か顕著だが、共産党や社民党の縮小として表面化し、「もう店をたたむべきでは」という声すら出る事態につながっていく。


3.受け継がれた怨念という遺産

 戦後の革新陣営が、戦前の弾圧の記憶に囚われたまま動けなくなったことはすでに触れた。だが、より奇妙なのは、その怨念が世代を超えて受け継がれたという事実である。
 戦争を直接知らない世代が、あたかも自らが被害者であるかのように語り、同じ怒りや不信感を、血の中に溶け込ませるかのように継承してしまう。それは教育現場や文化サークル、労働組合、学生運動などの場で、繰り返し語り直され、情念として保存された。

 渡部昇一は、この現象を「歴史的現場の記憶の擬似相続」と呼んでいる。
「自分が体験していない出来事に、体験者の感情をそのまま借りて加担する。それは本来、冷静な歴史理解を阻む危険な行為である。」

 これは保守側にも同じことが言える。
 明治や昭和初期の“栄光”を、体験してもいないのに自分のものとして誇り、その輝きにふさわしい日本を取り戻せと叫ぶ。いずれも現実から遊離した感情の継承であり、論理的な組み立てを欠く。

 百地章は、戦後思想史を論じる中でこう述べている。
「自由な言論空間を持ちながらも、感情的な歴史解釈を温存するのは、言論の自立を放棄するに等しい。」

 ここに、プレスコードの影はありはしないか?
 占領期の日本人は、「本当のことを言っても仕方ない」という沈黙を習慣化させられた。その習慣は、真実を検証する努力よりも、感情の物語を維持することに傾きやすくする。

 そして、それは保守にも革新にも等しく作用した。


 世代が変わっても、怨念の火種だけが形を変えて残る。もはや戦争体験者がほとんどいない時代になっても、右も左も、それぞれの物語に沿った「敵像」を守り続けている。それは、未来のために過去を使うのではなく、過去のために未来を犠牲にする姿だ。


4.歪みの増幅と、出口を探す試み

 今生きている社会は、戦後の言論空間が抱えた歪みを、より複雑に、より激しく増幅させた場所である。
 SNSのタイムラインは、一見すると自由闊達な討論の場のように見える。しかし実際には、同じ意見の者同士が集まり、相手を攻撃することで仲間意識を確認する空間になっていることが多い。

 江藤淳が指摘した「解除されたことを自覚できない言論空間の住人」は、今では検閲のないネットの世界でも、自ら検閲に似たバイアスをかけている。都合の悪い情報を見ない、見ても信じない、信じても発信しない。その代わり、感情を刺激するフレーズや画像が共有され、拡散される。

 西部邁は、生前こう警告した。
「自由とは、好き勝手に叫ぶことではなく、他者の自由を守るために自分を制御する技である。」
 この制御の欠如が、現代の言論の質を著しく下げている。右派は左派を、左派は右派を「論破」しようとし、説得ではなく撃破を目指す。その結果、議論は分断を深め、本来の目的である「共に社会を改善する」という視点を失う。

 百地章が言う「争える共通基盤」を再構築するには、自分と異なる立場の人を“倒すべき敵”ではなく、“引きつけるべき他者”と見なす習慣が必要だ。
 そのためには、プレスコード時代に培われた「沈黙と物語優先」の癖を、世代のどこかで断ち切らねばならない。

 渡部昇一の言葉を借りれば、
「相手の正しさを想像できる者だけが、自らの正しさを確かめられる。」
 この単純だが難しい姿勢を取り戻せれば、保守も革新も、今よりはるかに深い議論を交わせるはずだ。

 共産党や社民党が店をたたむべきかどうかは、単に党勢の問題ではない。「古い物語を引きずったままの言論空間」を続けるか、それとも新しい論法と関係性を築くか——その選択を迫られているのは、実は日本社会全体なのだ。
 もし出口があるとすれば、それは相手を引きつける論法を学び直すことだろう。そして、そのためには自分自身の“物語”を一度疑う勇気が必要だ。

 戦後80年近くを経た今、その勇気こそが、新しい時代の言論空間を開く鍵になるはずだと睨んでいる。
 しかし現実には制御がなく、論理よりも感情が優先され、分断が深まっている。
 百地章は「争える共通基盤」の再構築を、渡部昇一は「相手の正しさを想像できる者だけが、自らの正しさを確かめられる」と提唱した。この視点こそが、今の日本の言論空間に欠けているものだ。

 共産党や社民党の衰退は、単なる党勢の問題ではない。古い物語を引きずった言論空間の構造そのものが、現代の分断や浅薄な論争を生み出している。相手を引きつける論法を学び直し、自分自身の物語を一度疑う勇気にあるのやらどうなのやら。その辺が出口なんじゃないかと思うのだが。

 戦後80年近くを経た今、沈黙の習慣とルサンチマンの連鎖を断ち切り、自由と責任を両立させた言論空間を作るタイミングにあると考えている。