東北の大地震の2年後、季節はほぼ同じ、いや、半月ほど後になるが、オレは心筋梗塞を患った。入院して2日後ぐらいに、入院中の病院のテレビで、女優の天海祐希氏が同じく心筋梗塞で仕事がキャンセルされたというのを視た。その番組による彼女の症状や程度がほぼ同じように思えたので、すごく親近感を覚えた。
あとで知ったが、例えば放散痛と呼ばれる、左肩、肩甲骨回りや背中にかけてのダル痛い感じなど、その予兆はあったのだが、遂に発症したのは、新潟県は刈羽村の原子力発電所関連の敷地内での仕事中でのこと。砂丘地形の砂地盤に平板載荷試験を行っている最中で、載荷第二段階に入った直後の事だったと思う。
そこには、しゃれた感じの社宅とテニスコートがあったのだが、テニスコートをつぶして、原寸大の軽水炉型原子炉の模型をつくり、原子炉運営の研修施設にするという話だった。今になって思えば、福島の廃炉作業についていろいろ検討する為に作られたのかなと思わないのでもないが、報道を見る限り、どうにも手を付けられないらしいところを見ると、そうではなかったのかもしれない。
意識はあったが、ただ事ではないと思ったので、救急車を呼んでもらえるように頼んだが、間近の柏崎総合医療センターまで、農道伝いに信号もほぼなくいけるようだったので、連れて行った方が早い、ということで、元請けさんの車の後部座席に転がらされて連れて行ってもらった。
桜が咲く直前のころで、退院した時には葉桜になっていた。その年は、病院の窓から遠くに見る以外、桜を間近に見ることは叶わなかった。
地震から7年後の春の浅い時期には、インフルエンザが直接のトリガーとなって、左耳の聴覚を失ってしまった。わずかながら聞こえるみたいだが、以来ずっと耳鳴りが左耳を占拠しているし、例えば携帯電話が鳴ったり、背後から声をかけられても、どこから聴こえるのかとっさにはわからず、不便で、ちょっとずつストレスをため込んでいる。
老いて衰えていく自分と、なぜか、この日本、この社会とはシンクロしているように思えてしまっている。
それは東北大震災どころか、阪神大震災、オウム事件の頃から始まっていたのかもしれない、とも思う。自分の話ではない、この国、社会は、そのたびなんとなく対策っぽいことをやって、復興したっぽいことやっているけれど、各々の勝手な欲にまみれているからか、どこか頓珍漢で、長期低落は間違いなく。
オレ自身はというと、努力はやらないことはないけれど、結構やったつもりではいるけれど、今一歩足りず、不本意に不本意を重ね、順番に身体の部位に不都合も感じるようになり、まぁ、こんな体たらくだ。
てめえの不摂生を国に重ねるな、と、言われそうだが、国は、社会は、ちゃんと摂生していたというのだろうか?
不甲斐なさに、ついに子を持つことはかなわず、オレのDNAは未来に受け継がれそうにない。オレは別に構わないが、親には少し申し訳ないようにも思う。遠い未来の話ではなく、或いは明日突然かもしれない、オレにも死は訪れるが、どこか、この国、社会も、滅亡とまで行かなくても、劇的に衰えてしまうのも、遠くないように感じているが、それは、子をもうけなかったオレの、非常に勝手な感覚で、大声で言ってしまえば、批難でタコ殴りされてしまうところである。
逆に言えば、国は、オレにつきあって一緒に衰えて行ってくれている。国や社会だけが目覚ましい復興を遂げて、俺だけが取り残され、恐ろしいばかりの孤立感を感じるということがまるでない。優しいといえるのかもしれない。いうまでもなく、これは皮肉であると書かないと、わからない奴が、増えているという所にも、この国の衰えの一端を見る。