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2024年3月11日月曜日

8243 高岡 長慶寺 2018年7月

 

8243 高岡 長慶寺 2018年7月

 今年の3.11は何やら殊更東日本大震災で亡くなった方のご遺族の話をネットやらテレビやらで目にする。実際この何年間のそれより多いのだろう。何しろ元旦から能登ででかいのあったわけだし、最近では千葉も何やら不穏だ。意識がどうしてもそういうところに向くところにはもってこいの素材ではあるに違いないが、そう、亡くなった方々にとっては13回忌にもあたる。

 13年早いのか短いのか。しかし、テレビで当時今のオレと同じ年で奥様をなくされた男性が70歳であるとテロップに出ていた。同世代くらいの夫婦の機微というのが自分事ではないので全くの想像でしかないが、そこそこケンカすることもあっても、基本信頼しあいお互い一緒に時間を過ごしていく掛け替えのない相手、であるはずで、そういう伴侶がいない、と。子供がいれば慰めにはなるが代わりにはならない。どこか決定的な欠落を抱え込む、そんな13年間というのはどういうものなのだろう?
 今から13年経てばオレも70になっている。ちょっとゾッとした。

 しかし、13年前である。前にもブログに書いたが、オレはその日は、高岡長慶寺のローソン建築のためのボーリング調査をやっていた。ボーリングの足場の上は絶えずディーゼルエンジンで振動しているし、おまけにこの敷地、すぐ横が片側2車線の国道で、大型車がよく通るわけだが、このあたり軟弱地盤で、それだけで地面がグワングワン揺れるのだ。地震があった時、当地には震度3が伝わったが全然それに気づくことはなかった。直帰すれば手っ取り早いのだが、一旦富山の会社に戻って調査内容を記録しなくてはいけない。会社への道すがらのラジオで、テレビと同時音声、「名取川を津波が遡上しております。畑の上を船が流されています!」などと言ってるではないか。
 名取川? どこ? 女優の名取裕子氏の顔が、別にファンではないけれど思い浮かんだきり。まぁ、日本国内には間違いないらしい。それにしても、畑の上を船が流されていく津波って、相当なもんだぞ?! しばらく聴いているとどうやらそこは仙台近郊らしい。そっちか!

 会社に戻ると社長以下社員一同テレビにかじりついて観ていた。阪神大震災や9.11WTCの事を思い出した。しばらくはテレに等はこれ一色になるのだろう。ひどいことになったものだ、と思っていた。

 一昨年か。仙台に出張に行った時の宿が、津波こそやってこなかったようだが、壊滅的な被害を受け多くの人が亡くなったときく閖上の山側数キロの道沿い、震災後より、仮設住宅や復興作業従事者の宿になっていただろうコンテナハウスをお色直ししてビジネスホテルに改装したところだった。夜、オレは、1人で閖上の方に行ってみようかとも思ったが、そういう度胸を持てなかった。ほんの少し走ればすぐだったんだが。何かに飲まれてしまうような気がしたのだ。津波じゃなくて。宿から見る海の方角は暗くライトもほとんど見られなかった。

 さて13年前オレがボーリング調査したコンビニだが、今の会社の通勤途中にある。朝、トイレを催すとそこで用を足し、缶コーヒーとタバコを買う、まぁ、普通に利用している。
 今年の元旦は、オレんちの事情で、そんなに晴れがましくはない地味な正月ではあったんだが、まぁ、平穏な日常であるはずだった。それを突き破るように地震はきたんだ。13年前も、オレはフツーに仕事していたし、多くの人にとっては何もなければ13年も経てば何をしていたか記憶に無くなってしまうような日常だったはずだ。

 そんな日常という、なんだろ? 幕かな? 何かな? そんな感じのものを突き破ってやってくるものだ、災いというものは。ということは、その幕の向こうにいつも災いは待機しているということになる。

2021年3月14日日曜日

この10年の事 2

  東北の大地震の2年後、季節はほぼ同じ、いや、半月ほど後になるが、オレは心筋梗塞を患った。入院して2日後ぐらいに、入院中の病院のテレビで、女優の天海祐希氏が同じく心筋梗塞で仕事がキャンセルされたというのを視た。その番組による彼女の症状や程度がほぼ同じように思えたので、すごく親近感を覚えた。


 あとで知ったが、例えば放散痛と呼ばれる、左肩、肩甲骨回りや背中にかけてのダル痛い感じなど、その予兆はあったのだが、遂に発症したのは、新潟県は刈羽村の原子力発電所関連の敷地内での仕事中でのこと。砂丘地形の砂地盤に平板載荷試験を行っている最中で、載荷第二段階に入った直後の事だったと思う。
 そこには、しゃれた感じの社宅とテニスコートがあったのだが、テニスコートをつぶして、原寸大の軽水炉型原子炉の模型をつくり、原子炉運営の研修施設にするという話だった。今になって思えば、福島の廃炉作業についていろいろ検討する為に作られたのかなと思わないのでもないが、報道を見る限り、どうにも手を付けられないらしいところを見ると、そうではなかったのかもしれない。

 意識はあったが、ただ事ではないと思ったので、救急車を呼んでもらえるように頼んだが、間近の柏崎総合医療センターまで、農道伝いに信号もほぼなくいけるようだったので、連れて行った方が早い、ということで、元請けさんの車の後部座席に転がらされて連れて行ってもらった。


 桜が咲く直前のころで、退院した時には葉桜になっていた。その年は、病院の窓から遠くに見る以外、桜を間近に見ることは叶わなかった。


 地震から7年後の春の浅い時期には、インフルエンザが直接のトリガーとなって、左耳の聴覚を失ってしまった。わずかながら聞こえるみたいだが、以来ずっと耳鳴りが左耳を占拠しているし、例えば携帯電話が鳴ったり、背後から声をかけられても、どこから聴こえるのかとっさにはわからず、不便で、ちょっとずつストレスをため込んでいる。


 老いて衰えていく自分と、なぜか、この日本、この社会とはシンクロしているように思えてしまっている。
 それは東北大震災どころか、阪神大震災、オウム事件の頃から始まっていたのかもしれない、とも思う。自分の話ではない、この国、社会は、そのたびなんとなく対策っぽいことをやって、復興したっぽいことやっているけれど、各々の勝手な欲にまみれているからか、どこか頓珍漢で、長期低落は間違いなく。
 オレ自身はというと、努力はやらないことはないけれど、結構やったつもりではいるけれど、今一歩足りず、不本意に不本意を重ね、順番に身体の部位に不都合も感じるようになり、まぁ、こんな体たらくだ。

 てめえの不摂生を国に重ねるな、と、言われそうだが、国は、社会は、ちゃんと摂生していたというのだろうか?


 不甲斐なさに、ついに子を持つことはかなわず、オレのDNAは未来に受け継がれそうにない。オレは別に構わないが、親には少し申し訳ないようにも思う。遠い未来の話ではなく、或いは明日突然かもしれない、オレにも死は訪れるが、どこか、この国、社会も、滅亡とまで行かなくても、劇的に衰えてしまうのも、遠くないように感じているが、それは、子をもうけなかったオレの、非常に勝手な感覚で、大声で言ってしまえば、批難でタコ殴りされてしまうところである。


 逆に言えば、国は、オレにつきあって一緒に衰えて行ってくれている。国や社会だけが目覚ましい復興を遂げて、俺だけが取り残され、恐ろしいばかりの孤立感を感じるということがまるでない。優しいといえるのかもしれない。いうまでもなく、これは皮肉であると書かないと、わからない奴が、増えているという所にも、この国の衰えの一端を見る。