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2025年9月8日月曜日

「贈与」に至る / 糸口を探す 2 KP61、ジョルジュ・バタイユ、哄笑

 


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 では、ジョルジュ。バタイユが、四輪のボロボロのスターレットKP61でダートラとかジムカーナ転戦するとか、どうだろう?

 バタイユの KP61スターレットでジムカーナ転戦。二輪のTZ250だと「骨折」一直線だけど、四輪のジムカーナなら「ボロいKPで限界まで突っ込んでスピンしまくる」感じで、また違った「浪費と供犠」が見えてくる。

 KP61スターレットとは、80年代当時の若者にとって「安い・軽い・FR・壊してナンボ」みたいな車だった。競技ベース車としては最強の入門車。ジムカーナやダートトライアルで、みんな転がして、部品を拾って、また直して走る。
 バタイユがもしその現場にいたら、間違いなく「安くて古いからこそ尊い」って言い張っただろう。「最新のシビックで勝つことに何の意味がある。崩れ落ちる寸前のスターレットで笑いながらスピンすることこそ供犠だ」とかなんとか、パドックの片隅で煙草ふかしながら言ってそう。

 地方のジムカーナ会場って、ほんとに田舎の広場だったりする。現に当地では、真夏で人が来ないスキー場の駐車場でやってたりする。他には、廃飛行場の跡地とか、河川敷の舗装路とか、観客なんてほとんどいなくて、参加者とその仲間と近所の子供が数人。
 そこにボロいKP61をトランポなしで自走して持ってきて、スペアタイヤ4本とジャッキだけで走る。エンジンはキャブが咳き込むし、LSDはチャタチャタ鳴くし、クラッチは半分焼けてる。

 んで、バタイユがコースインすると、もう全開。進入で荷重抜けてリアがスパーンと流れて、そのまま派手にスピン。パイロンなぎ倒して、審判の人に赤旗振られて戻される。でも、車から降りたバタイユは、目をぎらぎらさせてこう宣うわけだ。

 「これこそ破局だ。破局は祝祭なのだ!」
 KP61って、そもそも安いから「潰してもいい」って前提で乗られてた。だからジムカーナやダートでクラッシュして、フェンダーが凹んでも、ライトが割れても、誰も泣かない。直すのは仲間。適当に叩いて色塗って、また走る。
 それをバタイユは「供物」として扱うだろう。「KPは共同体の神に捧げる羊である」なんて言い出しかねない。

 そして彼は、地方シリーズを転戦する。長野の浅間台スポーツランド、新潟の胎内スピードパーク、関西の名阪スポーツランド、九州の恋の浦。どこに行っても、パドックで「首なし団」と称する仲間と焚き火を囲み、酒を飲み、昼間はスピン大会。「誰が一番多くパイロンを倒すか」が裏の勝負。優勝者には地元のリンゴ一箱。でもそれはすぐに食い尽くされて、跡形も残らない。
 浪費の美。

 バタイユは供犠を語るとき、必ず「笑い」をちらつかせる。犠牲は厳粛なものじゃなく、どこかで「祭り」のように騒がしく、無駄で、バカバカしい。つまり供犠は「遊び」でもある。
 だから、筑波のパドックで骨折した仲間を見ても、悲壮感じゃなくて「やっちまったな!」と笑い声が先に出る。それを「神聖」と呼んでしまうのが、彼のトリックだ。

 普通の破滅思考は、破滅を目標にして一直線に突っ走る。しかし、バタイユの場合は、「どうせいつか終わるんだから、だったらその途中で笑いながら盛大にぶち壊そうよ」という感じ。 全然、暗くない。 むしろ太陽に向かって舌を出してるような明るさすらある。
 地方ジムカーナの賞品がリンゴ一箱とか、地方サーキットの勝者に渡るのが米袋とか。そういう「しょっぱい景品」を仲間たちとむさぼり食って、跡形もなく浪費してしまう。それをバタイユは絶対に楽しんだはずだ。彼は「無駄になること」そのものを肯定していた。
 だからKP61を壁にぶつけてフェンダーをぐしゃっとさせても、それで落ち込むんじゃなく「これで供犠は済んだ」と笑う。

 破滅主義者だったら、車が壊れたら「これでもう走れない、終わりだ」と沈むはず。でもバタイユは逆だ。壊れるからこそ嬉しいし、無駄に終わるからこそ意味がある。そうやって、むしろ「生き延びる方向」に転がっていく。

 考えてみたら、これってすごく変な話で、「死」とか「破滅」とかを正面から扱うのに、どうしてかそこに「陽気さ」が宿ってしまう。バタイユは常に「闇を見よ」と言いながら、結果的に「光の中で踊る」方向へ連れて行ってしまう。
 それはたぶん、彼が破滅を「手段」として見ていたからだと思う。破滅そのものに住みつくんじゃなく、その瞬間に立ち会うことで「陶酔」に触れる。だから、暗黒のはずが、いつの間にか祭りになる。


 例えば、筑波サーキット。予選で転倒して骨折、予選落ち。でもパドックで缶ビールを飲みながら「俺は今日、供犠を果たした」と宣言する。仲間たちは爆笑しながら「いや、それはただのコケだろ」とツッコむ。そういうやりとりが、もう完全に「生の肯定」なんだよな。

 KP61スターレットでジムカーナに出て、全力で突っ込んでパイロンなぎ倒して、順位は最下位。でも本人は最高に笑っていて、「破局は美しい」と言いながらピースサイン。その姿って、「破滅」を選んでいるようでいて、実際には「生きることを選んでる」


 結局のところ、バタイユは破滅思考じゃないんだと思う。彼がやってるのは「過剰思考」。
 ちょっとだけやればいいのに、もっとやる。
勝つために走ればいいところを、転ぶまで攻める。
腹八分目に 食えばいいところを、全部平らげる。
程々に飲めばいいところを、吐くまで飲む。
 そういう「過剰」の中で、死や破局に触れてしまうことがある。

 でもそれはあくまで副作用であって、目的じゃない。だから彼は、いつも笑っている。「俺は死にたいんじゃない。ただ、もっと生きたいだけなんだ」。その裏返しがあの思想なんじゃないかと思う。

 もし彼が単なる破滅主義者だったら、たぶん我々、いやほとんどオレだけ?はこんなに惹かれなかったはずだ。「どうせ全部滅びる」って言葉だけなら、世界中にいくらでもある。でもバタイユの言葉には、どうしても「おかしさ」と「楽しさ」が混じる。死を語っているのに生が滲む。それが妙に人間的で、だから魅力的なんだと思う。

 いわば、ジョニー・ロットンであって、シド・ヴィシャスではない。 バタイユって「どう見ても破滅的なことばかり言ってるのに、なぜか死に急がない」タイプ。だからジョニー・ロットンであって、シド・ヴィシャスじゃない。

 シド・ヴィシャスは完全に「自己破壊=様式美」になっちゃった人で、破滅をそのまま生きて燃え尽きてしまった。でもロットンは「全部ぶっ壊す!」と叫びながらも、ちゃっかり長生きして、今でもロック・アイコンとして毒を吐き続けてる。つまり「破壊と反逆」をエネルギー源に変換する能力がある。

 バタイユも同じで、供犠や浪費、エロスや死の欲望を語りながら、実際の生活はどこか「ずる賢く延命」してる。しかもその延命が、決して妥協や日和りじゃなくて、「反逆精神を持ったまま老いる」っていう稀有な在り方だ。

 ジムカーナのスターレット転戦でもそう。
 確かにパイロン吹っ飛ばしてクラッシュばかりしてるんだけど、それは「死にたいから」やってるんじゃない。むしろ「限界の先で生き延びて、また次の会場に行く」ためにやってる。破滅を燃料にして、でも破滅は選ばない。

 だから彼は「供犠の哲学者」なのに、自分自身を最後の羊として屠ろうとはしない。むしろ「俺が屠られたら共同体は困るだろう?」とニヤリと笑って、またハンドルを握る。

 ここが、まさにジョニー・ロットン的。死を演じてしまったシドとは違って、死を「利用」して生きる。破滅に見せかけて実はとことん生のほうに執着している。

 そういえば、ジョルジュ・バタイユの哄笑する姿を想像すると、ジョニー・ロットンや植木等のそれと重なって見える。




2025年9月7日日曜日

「贈与」に至る / 糸口を探す 1 ジョルジュ・バタイユ、TZ250

 

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 ジョルジュ・バタイユがもし1980年代あたりに元気に活動していたと仮定したら、彼はきっと「モータースポーツ」「単車」「スピード」みたいなものに惹かれたのではないかと思えて仕方ない。

 バタイユの思想には「極限体験」「逸脱」「共同体の陶酔」が根っこにある。したがって、1980年代に元気なら例えばこんな展開が考えられるかもしれぬ。


 F1ブームとの親和性はどうか? セナやプロストが全盛を迎える直前だ。寧ろマンセルとピケが同じチームで丁々発止やってたころ。スピードと死の接近、スポンサー資本の華美さと人間の肉体の限界が交差する場所として、バタイユ的には非常に「エロティック」な場であったことだろう。「消尽(dépense)」なんて、F1マシンの燃料やタイヤに重ねて語りそうだ。


 二輪文化については? 特にヨーロッパのカフェレーサー文化から日本の族車カルチャーまで、暴走や事故を「神聖な瞬間」として描きそうだ。単車の爆音を「共同体的祝祭」として読み替えるわけだ。


 バタイユはおそらく消費社会批判と結びつけることだろう。1980年代は消費資本主義の絶頂期。スポンサーだらけのマシンや、レーサーが広告塔になる姿を「神聖さの堕落」と批判しつつも、同時にそこに「崇高な笑い」を見出すにちがいない。


 絶頂にいた当時の日本との接点があったなら、ホンダNSRやカワサキGPZに夢中になりつつ、走り屋や峠文化を「神聖な浪費」として愛でたかもしれぬ。


 もっと妄想を膨らませると、1980年代のバタイユは「パリ・ダカール・ラリー」に強烈に惹かれた気もする。死のリスク、砂漠という空虚な空間、マシンと人の極限。これ、完全に彼のテーマと重なるように思える。


 バタイユがのめり込むのが単車なら、例えば、市販のTZ250で、サーキットでコケまくりながらも、アマチュアながらレースにのめり込んだりしてな、とか考える。

 市販レーサー、ヤマハTZ250、まさに80年代のプライベーターが血反吐を吐きながら走らせるマシン。いわゆるレーサーレプリカどころじゃない、特にパイプフレームの頃の、なんて、本当に「レースやりたい奴向け」のマシン。公道走行不可、ナンバーも付けられない。サーキット専用。2ストロークで、ピーキーで、パワーバンド外すと一気に失速して、逆に入ったら暴力みたいに吹け上がる。素人が乗れば確実にコケる。いや、上手くてもコケる。F1の華やかさよりずっと「肉体と機械がギリギリでぶつかる場所」って感じがする。


 バタイユがもしそこで生きてたら、こんな風景が浮かぶ。人類の文学史における変態とか、闇の哲学者とか、そういう評価はもう散々されているんだが、ただ机に向かって文字ばっかり打ってた御仁ではなかったようだ。

 転倒と破壊を肯定するだろう。「勝つ」よりも、転倒しながら肉体とマシンを削り取っていくことそのものを「至高の浪費」として捉えるのではないか? ガチ勢にはひょっとしたら迷惑な奴かもしれないが、「レースは死と交わる祝祭だ」とか言いそうだ。


 バタイユの運動神経がどうであったかはよく知らないし、ライダーとして大成したかどうかもわからないが、多分、アマチュアにこだわったに違いない。プロの華やかな舞台より、地方サーキットの埃っぽいパドック、ビール片手にオイル臭の中で仲間と語らう空気を「共同体」として愛したことだろう。その中で「コケる瞬間」を、破局に向かう笑いの爆発として解釈したような気がする。


 TZ250の特性としては、特にアルミフレームの公道用TZRとほぼほぼ同じになる前のものはイメージとして、ピーキーで、パワーバンド狭くて、乗り手を振り落とすような性格だったに違いない。バタイユなら「理性を裏切るマシン」として詩的に讃えそうだ。そして「TZは私を裏切る。だがその裏切りにこそ真実がある」とか書きそう


 そんなバタイユにとって、サーキットは則ち宗教的思想的聖域だったろう。彼にとってサーキットは教会や闘牛場の延長線だ。転倒や事故が供犠になり、消費されるガソリンやタイヤが「神聖な供物」として語られるわけだ。

 


 つまり80年代のバタイユは「プロにはなれないが、サーキットに自分を燃やすアマチュアレーサー」として、身体を削り、笑いながらコケて、その体験を思想の言葉で書き散らす…そんな姿が想像できてしまう。


 オレがこんなことを思ってしまうのも、生前結構ヤバめな秘密結社、「アセファル(首なし人)」なんてのをやってたのを読んだからだ。いや、それをやるなら絶対サーキットで目剥いて走ってただろって思ったわけだ。

 アセファルというのは、ただの読書会じゃなくて、実際に「人身供犠」をガチで検討してたという話まで残ってる、とんでもなものだった。

 で、それを1980年代に当てはめるならば、秘密結社で供犠をやるくらいなら、絶対サーキットで目剥いて走ってただろ」ってね。


 バタイユが言うところの「首なし」と「フルフェイス」なんて、ちょっと通じるものがありすぎだ。アセファルの象徴が「首なしの人間」だった。80年代のフルフェイスヘルメットって、外から顔が見えないし、レーサーのアイデンティティを消してしまう。つまり、ヘルメットとはアセファルの仮面というわけだ。


 今でこそ、がちがちに安全対策がとられているけれど、当時のサーキット(鈴鹿・筑波・SUGOとか)は、事故死が珍しくなかったように記憶している。まぁ、今より多かったとは思う。そして、「死とスピード」が常に背中合わせの空間、共同体的な祝祭場だった。秘密結社での供犠が「サーキットの転倒・死亡事故」に置き換わるわけだ。


 そしてその場で、タイヤを削り、ガソリンを燃やし、エンジンを焼き尽くし、挙げ句の果てにライダーが骨折しても走り続ける。これはまさに「バタイユ的な贈与の極致」だったに違いない。


 バタイユが仲間を集めてたならどうなったか?

 アセファルの仲間たちがもし80年代にいたら、全員でTZ250やNSR250を買って、秘密結社の集会は「筑波サーキットの走行会」になる。「転倒こそ神聖。骨折は通過儀礼」って感じでね。わ~、迷惑。


 想像すると、秘密結社「TZ首なし団」 みたいなのを作って、夜は酒と議論、昼はサーキットで目を剥きながら走る、っていう光景が浮かんだりするわけだ。彼らの議論は夜の酒場で続く。「供犠とは何か」「共同体の陶酔とは何か」――その答えを求めてね。でも昼間は、ツナギ着て、フルフェイスかぶって、TZでコーナー突っ込んでコケる。 転倒は供犠だ。骨折は通過儀礼だ。そうやって彼らは、「哲学」を現実に置き換えてしまう。

 バタイユが本当に求めていたのは、文字の世界に閉じこもることじゃなかったと思う。いつも「越境」とか「逸脱」とか「破局」とか言ってるけど、それって結局は、肉体が壊れる瞬間とか、共同体が笑いながら死に突っ込む瞬間とか、そういう体験のことだった。机上の理屈じゃなくて、実際に骨を折ること、血を見ること。

 だからこそ、もし80年代に生き延びていたら、あの時代の「サーキット文化」に夢中になってたに違いない。

 F1? いや、あれはちょっと違う気がしてくる。

 確かに80年代のF1はセナやプロストが台頭して、死と隣り合わせのスピードを見せてはいたけれど、バタイユにとっては少し「遠い」。華やかすぎるし、スポンサーにがんじがらめだし、そこに「地下」の匂いはない。

 寧ろ地方サーキットのほこりっぽいパドック、雨で濡れたアスファルトに倒れたマシン、それを仲間とガムテで直してまた走る。そういう場こそが「供犠の舞台」としたのではないか?


 夜は酒を飲みながら、転倒の話で笑う。

 「お前のハイサイドは美しかった」

 「ガソリンぶちまけて火が出た瞬間、俺は神を見た」

そうやって笑い合う共同体。それが「首なし人間たち」の1980年代版。


 バタイユはきっと、フルフェイスを「仮面」と呼んだろう。顔を隠すことによって、ライダーは「誰でもない者」になる。アセファルの首なし像がそのまま形を変えて、ここにある。ヘルメットの中で歯を食いしばり、目を剥いてスロットルを開ける。そこに「理性を越えた陶酔」がある。


 もちろん、死ぬ奴も出る。繰り返すが、80年代の二輪レースなんて、今みたいに安全設備が整ってなかった。それを悲劇として悼むんじゃなくて、「供犠が成就した」として讃える。まぁ、狂ってるわな。しかし、これこそ、完全にバタイユ的な共同体のあり方だったように思う。


 現代の目で見たら狂気以外の何物でもない。でも、あの時代のバイク乗りたち、特にレーサーや峠小僧たちは、世間知らずの甘ちゃんなりにも、どこかで「死ぬかも」というのを嗅ぎながら走っていたのではなかったか?その空気に、バタイユがフィットしないわけがない。


 筑波のパドックとかに、青い目のフランス人が混じっていて、ボロボロのツナギに身を包みながら、コーヒー片手に「今日はどこまで越境できるか」なんて呟いているんだ。笑うよな。走り出したら案の定コケて、仲間に引き起こされながら、「ああ、これだ。これこそ供犠だ」なんて呻いてるわけさ


 結局のところ、「秘密結社アセファル」なんて、20世紀前半の暗黒の時代にしか成立し得なかったものというようにも思う。

 でも80年代にその衝動が残っていたら、きっとそれは「サーキットで死ぬまで走る共同体」になっていたはずだ。血とオイルとガソリンと笑い。その中に「神聖さ」を見出して。

 そんなわけで、バタイユさん、もし生きてたら、きっとTZでハイサイドくらって、骨折して、でもニヤニヤしながら松葉杖でパドック歩いてたでしょ? で、その体験をまた「エロティシズム」とか「至高体験」とかに仕立てて、分厚い原稿を書き散らしてたはずだ。



 想像して、ニマニマしてしまうわけです。



 



2025年6月27日金曜日

アンパンマンの贈与倫理──やなせたかしの戦争体験と「正義」の再定義10 雑記4 狼の皮をかぶった子羊の末路、その頃ガンダムは

 


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 ある年齢以上の、日本の”男の子”なら聞いたことがあるフレーズ「羊の皮をかぶった狼」というのは、実は画像のKPGC10ではなく、その一つ前の型、特にその中のホットモデル、S54Bスカイラインに与えられた二つ名だった。見た目、普通の乗用車で、何とかポルシェを凌駕してやろうと、4気筒エンジンが収まっていたところに、無理やり6気筒を押し込んで作った、なんかまぁ、無茶なクルマだったが、それのおかげで、長らく「スカイライン」と言う名前は日産と言う会社の財産にもなったし、ある意味呪いにもなった。
 そこで終われば、この項での話は、かっこいいクルマの話で終わるのだが、狼になれなかった、でも羊にも戻れない、かつては幸せな子羊だったものの物語のアニメが本題である。原作はやなせたかし氏だった。

 「チリンの鈴の音」。オレの下手な説明よりは、Wikiでも見ていただいた方が理解が早いし、動画も上がっている。30分ほどの短編アニメだ。
 何の情緒も交えずに書くならば、母親に愛されて幸せだった子羊が狼に母親を殺されて、狼にかたき討ちをしようとするが、勿論敵うはずもなく、狼と一緒に行動することになった。成長し異形の生き物になったかつての子羊は、再び羊の群れを襲おうとしていた狼を倒すが、あまりの変わりように羊の群れには帰れず、ひとり、いや一匹、姿を消す、と言う話。

 またもや!、子供向けのふりをしていて、到底子供には理解が難しいテーマの作品である。

 その辺の、そしてオレの幼いころのような子供なら、どう思うだろう? 狼はワルモノか? かつての子羊、チリンを受け入れない羊の群れが悪いのか? そもそも、チリンが母親のかたき討ちをしようとしたことが間違っているのか?
 争うこと、戦うことは、本当に悪なのだろうか? ここで、やなせ氏が本当に反戦を第一のテーマとしていたのか?と、いう疑問が出てくる。
 狼は、羊を襲うものだ。生きるために。羊の群れがチリンを受け入れなかったのは、個々としては弱い羊の生存戦略だ。親を殺されて敵討ちを志すチリンを止められたか? 皆、それぞれの役目を全うしての、結果としての悲劇だ。
 誰が悪い、と言う話ではないのかもしれない。存在を全うすると言うことに良い悪いもない。例えば、一つやなせ氏のテーマに、「正義はひっくり返る」というものがあった。みんな精一杯なのだ。

 わからない。ただ考え続ける他にやり様がないように思える。ただ、チリンも敵を討たれた老狼も、羊の群れも、愛さなくてはいけないのかもしれないとは思った。
 たとえば、爆弾が落とされた街の、焼け跡で泣き叫ぶ子どもに、「それでも人間には理性がある」などと語ってみても、たぶんその言葉は何の意味もなさない。爆発の音、焼け爛れた匂い、誰も助けてくれなかったという絶望の方が、ずっと雄弁だ。
 「戦争は悪い」と言ってしまうことの簡単さと、その言葉が無力である場面の多さに、人は遂に諦観を手に入れる。だからなのだろう、「わかりやすい敵」を設定して、それを倒すことで終わる物語が、もうそれしかない、と言わんばかりに幅を利かせる。だが、本当はそんなに簡単ではないだろうと。
 狼は悪くない。羊も悪くない。チリンも間違っていない。誰も責められない、という構造そのものが、最も苦しい。では、どうやっていさめるか? どうやって止めるか? それは「問い」を差し出すことしかできないのだと思う。

 ——お前は、どう生きたいのか?
 ——なぜ、怒りを抱えたのか?
 ——怒りを超えて、どこへ行こうとしているのか?

 そうした問いを、静かに、鈴の音のように差し出すこと。それが、やなせたかし氏が『チリンの鈴』に託したものだったのではないかと思う。そして、それはきっと戦争だけでなく、日々の争いや断絶、誤解や怒りや悲しみにも、同じように響く。チリンは遠い山の中に消えたが、その鈴の音は、今日もどこかで、誰かの心に残っている。言葉にならないものがあると知った上で、それでも言葉にする。


 思えば冨野由悠季氏はこういうことをやりたかったのではないかと思わないでもない。確かに『機動戦士ガンダム』でやろうとしたのは、「戦争を描くことで、戦争を否定する」ことだった。でも、やっぱりモビルスーツはかっこよすぎた。ザクもガンダムも、あまりに造形が魅力的で、MS戦の演出が緻密で、キャラクターたちもみんな強くて傷ついて美しかった。つまり、反戦メッセージの上に、強烈なエンタメが乗ってしまった。
 これは、別に失敗ではなくて、むしろ「だから届いた」とも言える。が、結果的にあの世界へのあこがれは、弱きものへの視線を大きく削ったものとして現れた気がする。冨野氏自身もそのことをよくわかっていて、だからこそ後年の作品ではどんどん“わかりにくく”し、“気持ちよくなりすぎない”ようにしていったように思う。そのたびに「ついてこれない観客」と、逆にかじりついてくる妙に拗れたガノタの出現。もちろん、普通にファン、と言う人が多数ではあろうが。表現者としての冨野氏に葛藤があったのではあるまいか?

 やなせたかし氏は、自身の作品の主人公たちに「かっこよさ」を一切与えなかった。チリンは強くなるけれど、美しくはならない。戦っても、英雄にはならない。ラストに至っては、もはや“物語”としてのカタルシスすら拒絶する。
 そして、観客に何もご褒美を与えない、苦い寓話があるのみ。

 『ガンダム』は、どこかで「少年の夢」を背負ってしまった。ロボットアニメの文法とスポンサーの都合と、なにより当時の視聴者の熱狂の中で、「チリンの鈴」のような冷徹な問いの純度を保つことは、難しかったのかもしれない。
 それでも、冨野氏は、ずっと問い続けたのかもしれない。「人はなぜ争うのか?」「なぜ分かり合えないのか?」「正しさとは何か?」「ニュータイプとは何か?」

 「チリンの鈴の音」と相似形じゃないかと、気がついた。『ガンダム』は**“チリンが人間だったら”の物語**なのかもしれぬ。戦争というシステムの中で、愛を失い、力を求め、正しさに迷い、どこにも帰れなくなる人々の群像劇。チリンの鈴が、ガンダム世界では無数のキャラクターたちの“心の声”として響いていたのかもしれぬ。
 ガンダムは「かっこよすぎた」。でも、それによって多くの人に届いた。「本当は何を描きたかったんだろう?」と立ち止まる者も、今なお絶えない。だから、エンタメ、経済的要請に負けたようで、実は勝っているのかもしれない。冨野氏が撒いた問いの種は、まだ終わっていない。


 「アンマンパンマーチ」の歌詞、

 なんのために生まれて
 なにをして 生きるのか
 こたえられないなんて
 そんなのは いやだ!

 こんな、異常なほどストレートな実存的問いかけを、毎週テレビのオープニングで投げかけてくるって、やなせたかし氏、正気じゃねぇ(褒めてます)。普通なら「がんばれアンパンマン!」とか「アンパンチでバイバイキン!」的な明るさを全面に出すはずなのに、真っ先に生の根源的意味を問う。この姿勢、やなせ氏の一貫したテーマ——「正義とは?」「愛とは?」「善悪とは?」——を、3〜5歳の子どもに全力でぶつけてる。

 「こたえられないなんて/そんなのはいやだ!」
 ここなど、完全に自分自身への宣言だろう。大人がよく言う「まあ、生きてればいろいろあるさ」とか「答えなんてなくていいんだよ」っていう“逃げ”を、幼い子どもが拒否してる。それも、歌詞として叫んでる。 大人の諦めを断固として拒否する、魂のスタートライン。
 やなせ氏自身が何度も語っているのは、「本当に苦しんでいるのは子どもだ」「大人は、自分のことは自分で処理できるが、子どもはできない」という視点だった。だからこそ、子ども向け作品ほど**「本物の問い」を投げるべき**だと彼は考えていた。

 絵はゆるいのに、断じて子供だましは作らなかった。
「アンパンマン」は、見た目はパンで、敵は菌で、戦い方もユルい。 でもその根底には、「どう生きるか?」「どうやって誰かを助けるか?」という、実はヒーロー論の最前線が通っている。

 冗談でなく、これはもう戦後の精神史に刻まれるべき詩ではあるまいか?大人が疲れきった時代に、子どもたちにこう問いかける。 「生きる意味を探していいんだよ」「答えを持ちたいと思っていいんだよ」その姿勢は、戦争で希望を失った時代の先に立って、「それでも生きていく」ための哲学だった。

 アンパンマンは、ただの顔を分け与えるヒーローじゃない。 問いを投げ続ける、希望の残響だ。 ゆるい絵柄で、逃げ場のない本質を描くという、ある種の詐欺的な、しかし誠実極まりない手法。 単純な線に柔らかい色彩、どこからどう見ても幼児向け」の絵柄だった。しかし、やってることはこうだ。

 食べ物を与えるために自分の顔をちぎる。
 空腹と孤独と寒さに泣く者のそばに現れ、無言で助ける。
 戦うことよりも、立ち続けることに意味を見出す

 アンパンマンって、「勝つ」ことより「支える」ことに重点を置いている存在だ。ヒーローなのに、戦闘よりもケアが本分。
 つまり、見た目が子ども向けなのは、重いものを背負わせるための戦略だったのではあるまいか?

 戦中派であり、弟を戦争で亡くし、戦後は飢えと屈辱と無名の中で生きてきたやなせ氏にとって、「生きる意味」は私たちが思う以上に重たいテーマだったのかもしれない。
 そしてそれを、ただの道徳やお説教ではなく、わらべうたのように見せかけて叩き込んできた。 子ども向け作品で、「哲学」が入り込む余地があるという事実を、最もよく体現したのが『アンパンマン』なのだろう。 アンパンマンのあの「顔を与える」という行為は、単なるヒーロー行為ではなく、自己犠牲・再生・共同体の維持といった概念をまるごと内包している。それを、「パンが飛んできて助けてくれる」っていうシンプルな形で伝えてくる。すさまじい表現力だ。 だから逆説的に、「チリンの鈴」のようなストレートな痛みに比べて、 アンパンマンはもっと遅れて効いてくる。大人になってから「あれってそういう話だったのか」と気づいたとき、子どものころ受け取っていたものの深さに、ようやく追いつく。


 などと、尤もらしく書いているが、子供の時は、遂にアンパンマンと言うものがこの世にあることを一切知らなかった。もし、子供の時に観ていたらどんな子供になってたやら。
 現代の世界の行き詰まり。ずっと、人類の文明もあと2,3世代、その後は壊滅的に衰えていく、或いは、何億年に一度かの、生態系総入れ替えがそろそろ起こるのではないか、と、何となく感じている。オレが仕舞った、次の日にそれが起こっても一向に構わないが、オレ自身、全世界の人口分の1、それに加担していることを思えば、何かせねば、何か言わねば、何か考えねば、と思った時に、今の世界の問題を「過剰」と言う言葉で言い表すならば、それならば、と、ノーム、バタイユ、ジジェクなどの「贈与」について、読んだり何なりしていた。そこにアンパンマン、今田美桜ちゃんが、思いのほかかわいかったこともあり、意識に飛び込んできたわけだ。

 しかしそれは、一見すると飛躍のようでいて、実は本質への最短距離だったのかもしれぬ。 アンパンマンは、顔をちぎって人に与える存在だ。「自己犠牲」でもなく、「見返りを求めない親切」でもない。むしろそれは、“与えずにはいられない存在”として描かれている。 ここで、ジジェクやバタイユが描いた「贈与の暴力性」や、「見返りなき贈与の構造」が思い出してしまったのも、無理からぬことであるとご理解ください。

 バタイユ:消尽(蕩尽)としての贈与。社会秩序を逸脱する、祝祭的な非合理。
 ジジェク:贈与とはしばしば暴力的で支配的ですらあり、「贈られた側」はその返礼の構造に巻き込まれる。
 ノーム(グレーバーなどのアナーキズム的贈与論):交換の前に、まず無償の行為があったという認識。


「なんのために生まれて、なにをして生きるのか」ここには、経済合理性とは無関係な存在理由への問い、交換の論理では語れない、まさしく「贈与的存在論」の問いかけがこめられている。

 なんのために生まれて
 なにをして 生きるのか
 こたえられないなんて
 そんなのは いやだ!

 この一節は、役に立つ/立たないの問題を超えて、与える存在であることの必然を探る問いでもある。

 子どもの時ににアンパンマンを見ていたら、たぶん「顔ちぎって与えてるヒーロー」という変な記憶で終わったかもしれない。しかし、贈与論――バタイユの蕩尽、ジジェクの「贈与の裏に潜む暴力」、ノームの「交換以前の贈与」――を通過したがために「与えることの絶対性」に反応することできた。
 アンパンマンは、自己を維持することに意味がある存在ではなく、他者のために蕩尽されることで完成するヒーローだ。これは、資本主義の“自己保存型”ヒーロー像とは真逆だ。アメリカン・ヒーローが悪を倒して自己を完成させるならば、アンパンマンは他者に自己を与え尽くして消えていく存在だ。 この「贈与→蕩尽→再生」の構造が、やなせたかしの底にあった思想であり、まさに贈与論の実践形といってもいい。


 やなせたかし氏の生涯を扱ったNHK朝ドラ『あんぱん』で描かれるのは、ヒーローを描きながら自己の貧しさ・無名・敗北・死の恐怖を抱え続けた男の人生。60を過ぎて初めて売れた、正義を疑い続けた、「アンパンマン」は戦争の痛みから生まれた、そんな男の描いたヒーローが、「顔を与える」存在であることは、偶然でも気まぐれでもないような気がする。

 チリンが「復讐によって自我を保とうとした者」なら、アンパンマンは「与えることで自己を保とうとする者」だ。そしてどちらも孤独で、でも問いを放つ存在だ。仮面ライダーやガンダムにはたどり着けなかった境地の問いがある。



2025年6月20日金曜日

アンパンマンの贈与倫理──やなせたかしの戦争体験と「正義」の再定義1 なぜこんなものを書き始めたか?

 


8808 今田美桜

なぜこんなものを書き始めたか?

 朝ドラとか基本観ない人です、ワタシ。NHKとか、ここ近年、同局の他の番組で、結構、朝ドラとか大河ドラマとかの番宣するようになって、今田美桜氏の事をよく見るようになった。前からグラビアとかではよく見ていたが、正直ピンと来るところがなく、スルーしてたんだけど、動いている今田美桜ちゃん、いいじゃん。可愛いじゃんよ。というのもあるし、
 あと、自分の顔を分け与えるアンパンマン。贈与だ、と思った。今の資本主義社会の行き詰まりを何とかする鍵は、贈与、にあるのではないか、と、贈与論、バタイユ、ジジェク、ノームあたりから入って、そのあたりを最近考えている身として、一度、ちゃんと考察しておきたいと思ったわけだ。

 オレの子供の頃はまだアンパンマンは世に登場していなかった。と思っていたら、妹は覚えている、と言っていた。下で、ほんの少し詳しく書くが、そのプロトタイプの登場は、1969年なんだそうだ。
 プロトタイプから数えたらやがて60年。アンパンマンが自らの顔を飢えた人々に分け与える行為は、日本の文化において一つの普遍的なアイコンとして根付いている。この行為は、単なる物語のギミックに留まらず、自己犠牲と無償の愛の具現化として広く認識されて 1。多くの人々に感動を与え、特に子どもたちには食べ物の大切さや助け合いの精神を育む役割を果たしているんだそうだ。ごめん。オレ実感ない。アンパンマンの顔は、単なる食物以上の深い意味を持ち、汚れたり傷ついたりすると力を失うものの、新しい顔が作られることで「自己犠牲」と「助け合い」の象徴として描かれている。うん。これは分かる。ある時何話分か固めて観たことがある。大人になってから。

 だが、この自己犠牲的な行為は、物語の初期段階において「顔を食べさせるなんて残酷だ」「気持ち悪い」といった批判も存在したんだそうだ 。そりゃそうだろうな。正直、大人になって初めてアンパンマンを視聴した時、何気にいように思えたもんだ。このような批判は、アンパンマンの行為が持つ倫理的な深層、特にその「過剰性」を問う視点を示唆している。そう。「過剰」だ。「贈与」の理由になる「贈与前」にある「過剰」をよく考えていたが、ジジェク的に言えば、確かに贈与後の「過剰」だって有り得る。
 贈与後の過剰、飢えた人々を救うという純粋な善意に基づく行動が、なぜ不快感や残酷さという感情を呼び起こすのか。この問いは、アンパンマンの利他主義が、一般的な社会規範や自己保存の本能に照らして、ある種の極端さ、すなわち「過剰な贈与」として認識された可能性を示唆している。この初期の違和感は、アンパンマンの贈与が単なる慈善行為ではなく、自己の身体性を損なうほどの徹底した自己犠牲を伴うがゆえに、受け手や観察者に倫理的な問いを投げかけるものだったんじゃなかろうか?

 ここでは、この「アンパンマンは、過剰な贈与者なのか?」という問いの深掘りから展開してみる。最初のこの問いは、単にアンパンマンの行動の是非を問うだけでなく、贈与、自己犠牲、利他主義といった概念の倫理的限界、そしてそれらが社会システムや個人の幸福に与える影響について考えてみようかというものだ。ここでは、やなせたかし氏の戦争体験と、そこから彼が再定義した「正義」の概念を軸に、アンパンマンの贈与倫理を多角的に分析し、その普遍的意義と現代社会への示唆を書いていきたいと思っている。