7420 RGB Triumph 875
RGBというと、PCでグラフィックいじってる人間なら、Red、Green、Blue、の光の三原色を思い浮かべるだろうか? 単車なら、昔のスズキの500㏄のスクエアフォーを積んだレーシングマシンRG-Bなんていうのがあったが、この画像のRGBは製作者Richard Gary Bryan氏の名前に由来する。'80年代後半、第一線をすでに退いていて世田谷でショップを開いておられた生沢徹氏がB.O.T.T.に出走するために日本に持ち込んだ個体だったはずである。以下、昔読んだバイク雑誌の記事、しかも今手元にあるわけではない、記憶だけで書き連ねることになるので、誤謬があれば指摘していただければ幸いである。
このリチャード・ゲイリー・ブライアン氏という方、サイドカーレースか何かの事故で車いす生活を余儀なくされて、ビルダーへと転向したのではなかったか? 恋人が去り、老いた両親に挟まれて撮った写真がなにかひどく印象に残っている。薄情な女性だったのか、ブライアン氏が荒れて忍耐の限界を超えたのか、ライフプランの大変更を余儀なくされたので一応は円満に話し合いをした結果なのかはわからない。いずれにしろ何もかもを失って単車にすら満足に乗れなくなったけれど、それでも、こういうやり方だってあるのだ、という、なんというか、人間としての根っこの強さを訴えた記事だったように思う。
ネットでは、多くの友人、そして、かのマイク・ヘイルウッド氏も彼を支援していた、というのを読んだことがある。
ネットでは、多くの友人、そして、かのマイク・ヘイルウッド氏も彼を支援していた、というのを読んだことがある。
それにしても、この当時で年代物のトライアンフのツインというのが、何やら象徴的だ。'80年代後半と言えば、単車の世界では、日本車が最速。4ストロークならマルチシリンダ―、4気筒全盛で、年代物のトライアンフツインなど、勝ちを狙うなら、ありえない選択なのだが、それはそれ、単車は所詮趣味なので、ならば、2気筒だけのレースで勝ち負け決めましょう、という動きもあった。それにしても、空冷でもベルト駆動のデスモドロミックツイン、ドゥカティがいたりして、650㏄を875㏄にスープアップしてもいずれは、というところだった。
何をさして勝ち負けという? 競技ならその競技空間だけに限定すれば話は早いが、生きていくうえで、勝ち負けって? いや勝ち負けじゃないだろ、生きるって、となる。いやいやしかし、何らかの誇りは生きていくうえで必要なのではないか?
究極的に言えば、空冷バーチカルツインは勝ちに行けるエンジンではない。しかし、それでも価値を目指す。結果としての勝利にはこだわらないが、それでも、勝ちを目指す。若いと、ちょっと何のことかよくわからない。結構老いた今でも、うっかりすると何を言ってるか自分でもちんぷんかんぷんになるが、卑屈にならない、自分に誇りを持つ、一つの大きな仮説なのかもしれない。もっとうまく表す言葉がありそうなんだが、ちょっと思いつかない。
さて、RGB氏、Facebookにもページを持っておられ、今もご健在である。しかし、写真を見る限り、オレも人のことは言えないが、この世を仕舞う時、どんな感じであるか容易に想像できる体形をして車いすに乗っておられる。お互い、もうちょっと痩せましょうや、ブライアンさん。