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2022年2月11日金曜日

7339 Cultus GT-i  &  コロナ禍とデータのこと 2

 

7339 Cultus GT-i 

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 これも、画像と文章内容、一切関係がない。

 コロナの何が問題かというと、インフルエンザに対するタミフルやリレンザといった感じの有効な薬がなく、罹って症状が重くなっていって死んでしまうようなことがあったとしても指をくわえてみているしかないという点にある。巷間、死亡率はインフルエンザとそう変わらないか、寧ろ低い、などと言われているが、どの数字を基にしてそんなことを言っているのかわからない。

 コロナ禍というのは、病気自体も問題であるけれど、社会機構のいろんな問題を浮かび上がらせたように思うが、ひとつ、何かを考えるとき、その前提になるファクト、どれを参照にすればいいものやら、というのがあって、人それぞれ、場合によっては非常に怪しげな数字を持ち出し「私だけが知っている真実」を語りだす始末、なんていうのがそこかしこで見られ、折しもコロナではないが、スリランカ女性死亡の件に関する法務省の不誠実な対応(ほぼ黒塗りの報告書)や国交省のデータ改ざんなど、信用するべき公的機関が発表した数字もあてにならぬ、ということもあり、人の言うことに右往左往せねばならぬ、コロナ禍であるから切実にそれを感じたのだが、いつの間にかそういう社会になってしまっていた。
 学者ではあるが、感染症が専門ではないセンセーの言葉が状況をまぜっかえしたり、まして、その辺の事、更に全くの門外漢である芸能人の言葉を信じてしまったり、で、まぁ、カオス。

 すべての人間がそれぞれの事象の最前線にいられるはずもなく、例え自分が深くかかわる事であっても伝聞で考え判断するしかないのだが、どれを信用したらいいのか、というところで、伝える人となり以上に、どのような方法でその事象を取材採取したのかが明らかなものでないといけない。まぁ、それすら本当にそうか不明だったりするが。
 その点、数字というのは、やはりそのデータ採りの方法が問題ではあるが、まず、そこ、社会全体できちんと正しいものを目指していかないと、というところではやりやすいのではないかと思う。

 コロナに関して、PCR検査、当初からその精度等々に問題があるとは言われてきているが、よりよいものがあればそれに切り替えればよかっただけのことで、伝染伝播の状況をちゃんと把握する一次的な情報として、めったなことでやめるべきではないし、広く行われるべきであった。それをやれないというのは、逆に状況は家から一歩も出られないぐらい極めて悪いと判断するべきことなのではないか、となるべきだったが、なんか、最初から投げやりになめてた言説が多く、あれはいったいどうしたものだったか、と思ってしまう。
 感染者のステータス別統計、このネット時代に、しかし、ありもしない数字を勝手に作り出して、自分の都合がいい言説に乗せてしまうという行為も結構あったのではないか?

 役所の権威主義から不完全な虫食いだらけのデータがあるから、そのようなものが入り込む余地があるのだが、万全であればあったで、危険もあるのだから、他に二系統ほど、ちゃんとした方法で、同じ項目で数字を採れる機関があれば理想的。常にどちらの数字がより妥当なのか検討されるのが望まれる。

 かなり素飛ばして
 結構、身近にコロナが迫ってきている。実のところウチの会社でも感染者が出てしまった。これがオレの家の入り込んできてしまったら、オレを含め、3つ葬式を出さなきゃいけない羽目になる。罹って死んでしまえば、死に顔を拝むこともできない病など、断じてただの風邪などとは言わないと思う。