明確に未来を考えるなら、はっきり何かを諦めなきゃいけないと思う。そういう局面だと思う。未来とは、何かを足す、ではなく何かをやめるところからしか始まらない、そういう局面に来ているのではないかとおもうのだ。 今のBEVが信用できないのは、「全部できます」って顔をしてるからだ。 速さも捨てません、便利さも捨てません、今まで通り走れます、でも環境にいいです、というのは、物理的にどう考えても矛盾。 最高速は、まぁ、ロマンはあるが、実質いらないし、常時長距離も必要ないだろう。急ぎの移動、リニアとかあるじゃないか〈オレにしたらそれもいらないが〉別の手段でいい。 全員に最適など目指さなくていいのだ。 諦めたことで逆に手に入るものがあるのではないか? 時間の余白であるとか、旅のリズム、クルマとの関係性、そして移動の意味。 失うのではなく交換するだけ。たぶん本当の未来というのは、技術で全部解決しました、ではなく、これは捨てました、でもこっちは守りました。といえるのが、これから先の未来ではないかと思っている。 速さを諦めて、大きさを諦めて、万能性を諦めて、その代わりに納得と物語を残す。それがない未来は、便利でも、たぶん誰も愛さない。はっきり諦める、ということこそ実は一番未来的な態度なのではないか? これに反対しそうな同年代のクルマ好きはいるけれど、逆に若いコは賛成してくれそうな気はしている。 なぜクルマ好き」は反対するか? クルマとは自由であり、速さであり、どこへでも行ける大事なツールである、と。この価値観で育った我々にとって、「諦める」とは、確かに奪われるに聞こえる。だから感情的に反発が出る。理屈じゃない。 しかし、若い世代は前提が違う。今の若いコって、もともとクルマを万能だと思ってない。急がばジェット機、新幹線。急がばチャット、通話。移動は体験の一環である。役割分担が最初からできてるのだ。 だから、速く走れません、たくさん走れません、でも気持ちいいです、というのは、全然マイナスに聞こえない。 むしろ刺さるポイント、反応しそうな点は、サイズが小さい、見た目が可愛い/渋い、使い方が明確、「こう使ってね」と言われる潔さ、環境配慮が説教じゃないというところだろう。今の薄らデカいBEV SUVよりよっぽど分かりやすいやつだ。 わかったようなことを書いて、違ってたら恥ずかしいが、若い世代が嫌うのは、「全部できます」だの、「これが正解です」だの、「我慢してください」だの、そういう雰囲気ではないかね? いやいや、おれの同年代が「いや、それ違う」といい、若いコは「別にそれでよくない?」となっても、それはそれでいいのかもしれず。若い子には若い子のクルマ文化。 衝突は失敗じゃないし、全員に受ける必要はない。むしろ受けたら失敗。このBEVは「分かる人だけ分かってくれればいい」でいい。 若いコが、「これ、いいじゃん」って言い出したら、10年後、それが普通になるだろう。

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