2026年1月27日火曜日

どうせBEV作るんならこういうの出せばいいのに、という話 3 & 9022 Figaro

 

9022 Figaro


  納得感というものは、数字より文脈で生まれるから、たぶん供給側にとってBEVに必要なのは、バッテリーのブレークスルー以上に、「俺たち、何にワクワクしてクルマを作ってたんだっけ?」、それを思い出すことではあるまいか。“クルマ文化をどう継ぐか” という話だ。その視点でBEVやったら、失敗しても「嫌われる失敗」にはならない。

  正解を出そうとして、でも、出てくるのが薄らデカいBEVのSUVとかでは、こちらとしては欺瞞を強く感じてダメだ。「正解っぽさ」を演出しただけ。確かに航続距離の数字だけデカいが、車格は無駄に大きく、
見た目も見事に出てくるものがすべて未来顔テンプレだ。前にも書いたが、一台を製造から廃車解体まで考えた場合、同じ重量、同じ距離、同じ速度で走るなら、消費するエネルギーは内燃エンジン車もBEVも一緒。寧ろ、バッテリーの製造、廃棄の事を考えれば、BEVの方がトータルで環境負荷が大きい。にも拘らず、これを「地球に良い」なんぞ、欺瞞以外何でもない。

  “思想”がSUVに逃げてる。っていうか、SUVにすると、重いのを誤魔化せる、空力の悪さを許容できる、高いから値段も誤魔化せる。つまりBEVの欠点を隠すための器になってる。

  ユーザー、っていうか、オレに限って言えば大きいBEVは多分この先も買わない、小さいものであればその限りはないのだが、とにかくユーザーまたは消費者が感じてる違和感の正体というのは、「環境のため」「未来のため」そう言われながら出てくるのが、一番保守的なクルマということだ。



  それはそうと、小さい、バッテリー容量も大したことないBEVで、200キロごとに1時間充電休みっていうのを繰り返すロングツーリングも出来たら素敵なんじゃないかと思うのだ。200km走っては、1時間休む。これは効率だけ見たら最悪に近い。でも旅としては最上級じゃないかとさえ思う。
  昔のクルマ旅は多分そんな感じだったんじゃないかと思う。空冷ビートル、旧ミニ、初期の国産車等々。休むのが前提で、無理すると、いや無理しなくとも、壊れるかもしれないことを頭に入れ、だから景色を見るのが前提。
  充電は、車から離れる、腰を下ろす、何か食べる、何もしない。旅の“間”を強制的に作れる。この1時間は土地と接触できる時間。土地の定食屋探すか?小さな温泉に入るか?公園で、空をボーっと眺めるか?本屋で、何となくぶらついて気に入ったら買ってみるか? これらが、高速SAじゃなくても成立する。

  EVは静かだから疲労が違う。200km走っても「うるささの疲れ」がない。だから、走る、休む、走るのリズムが心地いい。ここで初めてBEVは移動機械じゃなく、旅の伴走者になる。早く着くことが目的じゃない。これは、昔のクルマ旅、徒歩旅、鉄道旅、全部同じ。BEVでそれをやると、「急がない自由」 を取り戻せる。
  薄らデカいSUVができない理由は、休む前提で作られてない。SAをいくつもすっ飛ばすことが前提、数字を縮める前提だ。これを「面倒くさい」と感じる人は買わなくていい。しかし、どうか? これを創造して、いや、結構いいんじゃない?と考える人もきっといるように思う。


  現代的翻訳も含め外装デザインは変えてはいけない。寧ろ保安基準を戻す。最高速に規制を入れてもいい。上記の車のデザインは、空力最適化の産物じゃない、規制対応の結果でもない、その瞬間の「こうしたかった」が形になったものだ。そこをいじった瞬間、もう別の思想のクルマになってしまう。BEV化は、心臓移植であって、整形手術じゃない。

  今の基準は、巨大化前提、重量増前提、全員をSUVに乗せる前提、小さく、軽く、速度域も低いクルマに、同じ基準を当てるのは不公平というものだ。歩行者安全は速度規制で代替する。衝突安全も質量と最高速で管理。先進装備については任意にすればよい。用途別基準に戻すだけだ。
  そして、最高速に規制を入れる。むしろ一番EVシフトによってそれをなさねばならないのではあるまいか? 180km/hは必要か? 120km/hでも過剰じゃない? その辺、電子制限すれば、バッテリー小さくて済む。冷却も簡素になり、結果、軽くなるし安くなる。そして何よりクルマの性格が明確になる。これが退化と言うのだろうか? 制約を再設計してるだけだ。クルマを速さの道具から、時間の道具に戻すだけなのだ。

  200km走って、1時間休む。見た目は昔のまま。速く走れない代わりに、ちゃんと旅が残る。それを「不便」と言う人もいる。でも「素敵」と言う人は、確実にいるし、その人たちが文化を作る。
  これを公式に言えるメーカーが出たら、数字以上に尊敬されるように思う。


  急ぎの用事はリモートで何とかしな、ってことだ。
  すぐ行ける、すぐ戻れる、すぐ対応しろ。その前提で社会が組まれて人もクルマも疲れてしまった。このBEV像は逆で、このクルマは急がない、だから予定を組め、だから途中で止まれ、だから考えろ。道具が人に節度を教える感じ。昔の列車や船に近い。リモートがある今だからこそ成立するわけだ。本当に急いでいるのならネットの通信でなんとかすればいいし、行かなきゃ意味がないなら行けばいいが、それでいい。ただし、ついでに急ぐなんてことはしない。分けて考える。

  薄らデカいBEV SUVがいちばん嘘っぽいのは、「環境にいいです、でも全部今まで通りできます」って顔してるところだ。環境に良いなど、繰り返すが重量が同じで同じ速度で走ったら今までとほぼ変わらないのだ。小さいBEVは「全部は無理。だから選べ」って言ってくる。この方がまぁ、不自由ではあるが誠実ではないか?


  これは、クルマの話をしてるようで時間の使い方の話でもある。急ぐ自由を残すために、あえて急がない道具を作る。「急ぎの用事はリモートで何とかしな」というのはBEV時代のスローガンとなり得る。


0 件のコメント:

コメントを投稿