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逆に、速いのが欲しけりゃスーパーセヴンみたいのをBEVにするという手もある。スーパーセヴンは元々200〜300kg台の車体に高出力エンジンで「速さ」を体感させるタイプだ。BEV化すると、モーターの即応性と低重心バッテリー配置で、さらに瞬発力とハンドリングが良くなる可能性が大きい。
多分、乗って楽しいぞ~、とか思うが、積載性とか絶望的だろうな。この場合は、でかいスーツケースを積むということをあきらめる、ということだ。単車のツーリング程度の荷物なら何とかなるだろう。
安全性という話はあるが、ヘルメットとロールバーで何とかする。安全性は重要だが、万能の衝突基準に従う必要はない。最低限の装備(ヘルメット・ロールバー)でリスク管理すればいい。その分、軽量化・操縦性・体感熱を最大化できる。楽しさのために実用性を諦める、というわけだ。
何でもそうだと思うのだが。未来を語るなら諦めることも想定するべきじゃないか? 「何を諦めるか」を言語化できるかどうか。足し算だけの未来像は、だいたい嘘になる。クルマの話から始まったけど、これは全部同じ構造で、エネルギー、都市、働き方、教育、通信、どれも「便利さを維持したまま持続可能に」とは言うが、実際はどこかで切らないと成立しない。
クルマであれば、速さを諦める、万能性を諦める、常時移動を諦める、正解を一つにするのを諦める。その代わりに、納得、余白、文化、選択の自由を残す。制度設計の話だ。
「諦める」って言葉がネガティブに聞こえるのは、まだ失うものが多い世代だ。若い世代は違う。上の世代として申し訳ない気持ちでいっぱいだが、もともと全部持ってない。だから選ぶことに慣れてる。取捨選択が普通なのだ。だから「ここは捨てます」と言われると、むしろ信頼する。
たぶん未来というのは、夢が全部叶う場所ではなくて、納得できる制限の中のちゃんと楽しい場所なんだと思う。諦める前提で語られた未来は、不思議と嘘くさくならない。
そして
減税と安全保障増額と社会保障充実と財政再建は同時にはムリなんであって。選挙で何をあきらめるのかをはっきり争点にすればいいのに、それをやらないから今の政治構造ではだめというところに、やがてつながっていくのではないかと思われる、経済的にも論理的にも。
まず大前提として、減税、安全保障費の増額、社会保障の充実、財政再建、これらは、いわば四すくみで、同時成立はほぼ不可能であることがはっきり見えている。
にもかかわらず政治は、「全部やります」と言い続けてる。
未来を語ってない、先送りを売ってるだけ、ではないか。
本来の選挙というのは、
「私たちは、①減税を優先します。その代わり②③は削ります」
「私たちは③社会保障を守ります。その代わり①と④は後回しです」
こういった、どれを諦めるかを選ぶ場であるはずだ。特にこの30年。それをやらない理由ははっきりしてる。正直に言うと票が減る、本当の痛みを語ると叩かれる、メディアも単純な対立が好き。結果、全部中途半端、誰も責任を取らない、不満だけが蓄積、などと、もう構造的に詰んでいる。
そりゃ、物価高は大事だが、そもそも論がずっと存在していて、それは今の政治構造の話となる。保守、革新、右、左の話ではない。これは決して感情論じゃない。
ダラダラ述べてきた、設計不良、クルマの話と完全に同じ構図である。「全部できます」というBEV SUVと、「減税も保障も防衛も再建も」と言う政治。どっちも制約を認めない設計なのだ。

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