2024年6月22日土曜日

8284 DBR1 _3

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NT0069 キャロル・シェルビーの時代

 キャロル・シェルビーは歴史上最も幸せなカーガイだった、とオレがここで書いてもおそらくは反論は起きまい。F1の戦績は残せなかったが、若い時はルマンウィナー、カーデザイナーとしてはコブラを世に出し、ルマン優勝チームを率い、そりゃビッグネームとなれば相応の苦労もあったのかもしれないし、プライベートの人間関係までは知らないけれど、老いて亡くなるまで好きな車に概ね最高な形で関われたのだから、羨望が強い。

 が、「Ford vs Ferrari」の冒頭では、心臓疾患でレーシングドライバーからの引退を余儀なくされた、「まだやり残したことがある」「もっと遠くに行きたかった」おっちゃんにいちゃんとして登場する。映画の尺の都合もあるだろう、必要以上に過去に拘泥する描写はなく、ケン・マイルズと二人三脚で、GT40をルマンで勝たせるために奔走するのがこの映画の流れだ。
 どちらにしろ、彼の「やり残した」と言う思いは、レーシングチームやショップのマネージメントに上手く転化されていくわけである。
 苦味も芳醇な旨味も、どのような生き方をしようが味うことになる。苦味を感じぬようにしていれば旨味にも行き当たらず、見るところのない、まして映画の題材になるはずもない、そう言う人生になっていたはずだ。

 さて、前に書いた通り、この頃のクルマというのは随分原始的で野蛮なもので、タイヤの着脱ひとつとっても、名前知らない、ホイールのハブのあたりを大ハンマーで力任せに殴っていた、そういう時代。

 映画のGT40やP330、カレラ910は丁度オレが生まれたくらいの時の最新型スーパーマシン、DBR1やコブラはそれより1世代前のものになるが充分現役バリバリ。で、さ、オレが20代の頃だけど、その時の30代半ば以上のオジサンたちに、やたら特にこの頃のクルマ上げ、現在(’80年代)のクルマ下げ、なことを言う人たちがいたのよ。なんや、このオッサン等? と思っていたが、まさかね、今その心境が分かるようになるとは思っていなかった。
 ぶっちゃけ、今(2024年現在)のクルマの、「これじゃない」感。

 ふわっと、ざっくりと、それが何なのか言えなくはない。まぁ、今のクルマの開発者も可哀そうだ、というか。1方向に突き抜けられない、どの方向に向かっていいのかよくわからない、その実目指したい方向とは違うものに支配されている、そんな感じ。


 

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