2024年6月17日月曜日

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NT0065~0066 もっと遠くに行けたはずなのに

 さて、https://selgeykattvinsky.blogspot.com/2024/06/8272-gsx1100s-38.html
の冒頭においてご登場いただいた、昔美少女今画喇叭地おばさんの話である。人の内面をあれやこれや勘繰ることは失礼な話ではあるのだが、そこはまぁ。
 一つには書いた通り完璧超少女へのコンプレックスもあったのだろうが、一方で、そういうことを感じている自分自身へのいら立ちもあったのかもしれない。そして薄らぼんやりとだが、そういうことを感じずにいれたなら、そんなおもいに脚をとられてなかったならひょっとしたら今の自分とは違う自分がいたんじゃないかという思い。
 あわてて言い募るのは、決して現状、今のご主人とか家庭とかに不満があるわけではない、ということ。それも嘘ではないだろう。なかなか二枚目で聞く限りパートナーとして理想的な男性であるように思われる。しかし、他のあり様があったのではないかという思いが、極偶に去来するようだった。

 オレ等が出た高校というのは、結構な進学校で、で、大学を出て社会に出るころというのは、特に女性にとっては時代の境目で、ひょっとしたら結構な企業でそれなりのキャリアを積んだ人生があったかもしれない、と思っているのかもしれないし、そうなりゃパートナーだって、今の二枚目のご主人じゃなかったかもしれない。
 あるのは、コンプレックスに囚われて、ひょっとしたら何処かで選択を間違えたんじゃないかという恐れ。それが酔った勢いで顔を出す時がある、という事なのかもしれない。


 あの時、なぜ、アクセルをもうひと捻り、ひと踏み開けられなかった? あの時はそれで仕方なかったのさ、と言ってしまえばその通りなんだろうが、誰に知られているわけでもない、知られても構わないが知られたくない、あの時オレはほんの一瞬サボってしまったのかもしれない。それがなければ突き抜けられたんじゃないんだろうか? もっと遠くへ行けたんじゃないだろうか?

 オレなんてそういうことだらけで、若い内はどうしたらリカバーできるかなんて深刻に考えていたかもしれないが、さすがにそんなことも考えなくはなったけれど、オセロの一手で、ピースが全部ひっくり返るような、そういうことをつい考えて、ひとり恥じ入ることが偶にある。そう言う事が一切なくて若い時から意志したことを全て実現してきて人間は今頃一廉の人物になっているのだろうが、オレなんぞは遂にその辺いいる凡夫である。
 一廉であろうがなかろうが、凡夫であっても構わないが、突き詰めれば誰かに理解されなくてもいい、っていうか、誰かに理解される以前、或いは自分のコアを中心にすれば誰かよりもはるかに内側で、あのときなぜアクセルを開けられなかったんだろう? そういう思いが「若い時のやり残し」として、いつまでも自分の奥底にこびりついている。


 

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