ハリウッド映画ではあるが、1986年の「トップガン」で、ケリー・マクギリス演じるチャーリーが乗っていたのも、2019年の「Ford VS Ferrari」の冒頭辺り、マット・デイモン演じるキャロル・シェルビーが乗っていたのも、356だったし、事故死したジェームス・ディーンが乗っていたのは550だった。自国の大排気量V8ではなかった。確かにジェームス・ディーンの頃のアメ車は特にJames鈍重だったってことはあるかもしれないが、それを割り引いても、アメ車じゃなく、ポルシェだったというのは、それぞれに意識したわけでもなかったとしても、何かがあったのではないか?
ポルシェの脱ナチス
ポルシェは、どうして国民車ではなく浮世離れしたスポーツカーを作るようになったのか?
フェルディナンド・ポルシェが手がけた「国民車(フォルクスワーゲン・ビートル)」と、その後彼の名を冠する「ポルシェ」という高級スポーツカー・ブランド」の間には、一見すると断絶があるが、実は思想と時代背景の転換が反映されているように見える。
1930年代、ナチス政権下のドイツで、フェルディナンド・ポルシェはアドルフ・ヒトラーの構想に応じて、ドイツ国民すべてが手にできる「国民車(Volkswagen)」の設計を担当した。それが、のちに「ビートル」として知られるクルマである。安価で整備が簡単、農村でも使える頑丈な構造で、T型フォードに対応する、ドイツの大衆車だった。 しかし第二次世界大戦の終結とナチスの敗北により、ナチス政権の庇護を受けていたフェルディナンド・ポルシェは、しばらく連合国によって拘束される。その後、彼の息子フェリー・ポルシェが、家業を再建すべく新しい方向性を模索する。
戦後の混乱期、ドイツでは「大衆車」はフォルクスワーゲン社(のちに完全民営化)が受け持つようになり、ポルシェ家が改めて大衆車を作る余地はほとんどなかった。そこでフェリー・ポルシェは発想を転換し、「自分たちの理想を追求した車を、自分たちの技術でつくる」という方向に進んだ。
今はそうでもないのかも知れないが、クルマ屋である以上、走る、曲がる、止まるで、自分の作ったクルマがどこのよりも、スゲエと言われたいものじゃないだろうか?
その結果生まれたのが、1948年に登場したポルシェ356。軽量、コンパクト、精緻な操作性とバランス感覚。高級であるというよりは、「技術的純粋さ」を追求したモデルだった。
やがてそれは富裕層の心をつかみ、「ステータス・シンボル」となっていく。1950年代以降の経済復興(いわゆる“奇跡の復興”)とともに、ヨーロッパには「遊びとしての車」「趣味としてのスピード」が求められるようになる。つまり、経済と文化の成熟にともなって、ポルシェは“使われる”より“見られる”車になっていった。
20世紀初頭など、走りを志向し起こしたメーカーがステイタスを獲得した後、ふやけた高級車ブランドに堕してしまったところも結構あるのだが、ポルシェの凄い所は、「どこのクルマよりオレんとこのクルマはスゲエ」を常に証明しようとし続けているところにある。もっとも、クルマの能力がとっくに人間の操縦能力を超えたものになってしまっているので、その辺の路地を走る分には、ふやけていようがどうだろうが関係なくはなっているのだが。それでもだ。
国民車の理想は、ある意味で「国家による福祉的自動車政策」だった。そこには「ひとつの民族・ひとつの国家・ひとつの車」という全体主義的な響きもあったと言えると思う。
一方、ポルシェがつくったスポーツカーは、「個人が自由に楽しむための、性能と美意識の塊」。つまり、20世紀の大衆社会の中で、個人の自由、個人の嗜好にこだわる文化が花開いたことの象徴でもある。
フェルディナンド・ポルシェの歩んだ道は、戦前の「大衆のための合理主義」から、戦後の「個人のための情熱主義」へと転換したドイツ社会の縮図とも言える。国民車からスポーツカーへ――そこには、戦争、敗戦、復興を経て変容した人間観と価値観の変化が刻まれている。
ポルシェが戦後に手がけたスポーツカーは、単なる交通手段ではない。それは、「個人が自由に楽しむための、性能と美意識の塊」であった。そこにあるのは、「移動する」ことの機能性ではなく、「走る」ことそのものへの欲望――すなわち、人間の内なる衝動への応答である。フェルディナンド・ポルシェとその子フェリー・ポルシェが創出したそれらの車は、合理性を極めた産業製品でありながら、同時にニーチェ的なディオニュソス的陶酔に応える器でもあった。
ニーチェは、「芸術とは生の肯定である」と語った。美と速度と音の融合体であるポルシェの車は、まさにそうした生の躍動の表現である。それは、国家や民族といった「共同体の機能」の中に人間を埋没させようとしたナチズム的構造への反転であり、「この私が、今、ここで、生きている」という個の感覚を極限まで浮上させる道具だった。
一方でハイデガーの視点を借りれば、こうしたスポーツカーは「技術=ゲシュテル(囲い込み)」の最先端にある存在でもある。自然と人間を計量化し、制御可能なものとして対象化するこの時代において、ポルシェのマシンは、技術が「人間存在そのものを規定し始める」ことの一つの表現でもある。だが同時に、それは「ただの手段」に堕すのではなく、操る者に一種の存在論的な歓喜をもたらす装置ともなりうる。すなわち、「ハンドルを握ることで、私は世界の中に投げ出され、速度と重力のなかで、存在の限界を体感する」――それは機械と人間の新しい合一のかたちでもある。
ポルシェは、かつて「国家のために設計された大衆車」の設計者であったが、戦後には「個人のための陶酔装置」を生み出す者となった。その変化は、20世紀のヨーロッパにおいて、「人間とは何か」という問いが、集団性の中から、再び個へと引き戻されていったことを象徴しているのかもしれない。
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