マイケル・ナイマンによる映画「The Piano」の主題ともいえる「The
Sacrifice」は、今は「The Heart Asks Pleasure First」(楽しみを希う心)と呼ばれるのが一般的なようだが、オレの場合、この曲を初めて聴いたのは決して件の映画ではない。っていうか、映画自体見たことが無い。恥ずかしながら。
日産のシルビアのS14と呼ばれるタイプのテレビコマーシャルで聴いたのが印象的だったのだ。
初めて目にした時は、ついつい恍惚とテレビを視てしまった。それは画面が美しいとか、そういうことではなく、こんな道をこんな具合に気持ちを集中させてドライブさせたら気持ちがよいだろうな、という想像による。
さて、今時のこの手のクルマに乗るワカモノ自体、かなりの少数派になっているらしいが、彼らがドライブする時に聴いているのは、テクノだったりユーロビートだったりするらしい。それはそれでよい。オレもその方面、結構好きだし。夜とか流す時に聴くには丁度よかったりするのだが、しかし、上掲CMは西伊豆らしいが、この辺にもそれなりのペースで走らせると楽しい道はいくつか思いつく。そういう道は、例えば連休の最終日の午後、思いのほかクルマ通りが少なくドライブに集中するには丁度よかったりするのだが、そういうときにこういうのが流れていると気持ちがいいのではあるまいか、と、思ったりする。
まぁ、些か自己陶酔的ではある。が、自己陶酔の何が悪い?!と、この際は居直ってみる。悦楽とか幸福感というのはかなりのところ主観的なもので、一見自己欺瞞にも思えたりするときもあるが、しかし、これが楽しくない、といったん思ったら否定する材料もそうそう無いはずだ。
閑話休題
「The Heart Asks Pleasure First」、楽しみを希う心というのも、まぁ、それはそのとおりなのだが、もっとダイレクトに「ココロはまず悦楽を求める」とするのが気分。で、子供達には、モノを与える、満たしてやる以上に、オトナになったら今以上に楽しいことが一杯あるのだと示してやるべきである、と、オレは考えているわけであるが、しかし、実際のところ、子供達から見てオトナたちが楽しそうに見えているかというと、そういうことは歴史の流れの中では極めて稀であろうというのが、実際のところ。
オトナそれぞれの事情があって、楽しくなくても歯を食いしばって生きていかなければならないような時間のほうが圧倒的に長いのが現実なのだが、オトナ的には楽しくてもコドモには理解し難いということもあるかもしれない。
そういうことを考えているうちに、楽しいとは、楽しみとはいかなることかという、考えつめたところであまり生産的であるとは思われないような問いに出会うこともあるかもしれない。しかしながら、これは、ある意味哲学的、宗教的な意味さえ持っているのかもしれない。生きるとは何か? 何のために生きるのか? という問題につながることもあるかもしれないからだ。
そして、現代社会というのは、極力そういう問題から目を背けさせるように仕向けてくる。その辺の思考が突き詰められる前に、楽しみのために、何か新手の消費財を提供したほうが何かと都合がよいのだ。
若いときには、そういうものに抗しようなんて考えてみる瞬間もあったりしたが、この、今のオレの体たらくである。それはそれで、仕方ない、のである。
S14シルビアが発売された時というのは、所謂バブル期の終焉時と重なる。
享楽的な時代であった。そして、オレは悶々と、青臭く、「楽しい」とはどういうことなんだ、という堂々巡りの中に逃げ込んでいた。
S14シルビアが発売された時というのは、所謂バブル期の終焉時と重なる。
享楽的な時代であった。そして、オレは悶々と、青臭く、「楽しい」とはどういうことなんだ、という堂々巡りの中に逃げ込んでいた。
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