2026年4月1日水曜日

絶望を管理する技術:災害時のメンタルと情報選別 1

 



昨日、偶々、どこだっけ?インドネシアだったかな?未成年のSNS接続を全面的に禁止する法律の施行が始まったとか何とかというニュースを目にした。まぁ、そうだよな、兵庫の小学生の男の子の失踪の件で、SNSでの誘い出しからの誘拐の可能性が語られるのを聞くにつけ、世の中ではもう手放せないような気にすらなってしまっているインフラ化してしまってるけど、ネガティブな事の方が多いかもね、とか考えたりもする。
ふと、東日本大震災の時には、安否確認のためには大いに役に立った、SWS、ぶっちゃけtwitterだが、御存じのとおり、デマ拡散機にもなってしまうわけで。そこで、パッと思いつくことから、少々派生して考えたことをまとめてみた。

ら、さっき、1時間ほど前、茨城あたりで震度5弱の地震だ。もう少し練ったものをとも考えていたが、何者様かの思し召しかもしれぬ。ご一読いただけたならありがたし。

第一部:被災直後の情報リテラシー

SNSは「毒にも薬にもなる」

地震発生直後、多くの人が反射的にXを開く。それ自体は自然な行動だ。人は不安を感じると情報を求め、情報があると安心する——という脳の仕組みがある。しかし、その「安心感」は往々にして幻想だ。

2011年の東日本大震災でも、2024年の能登半島地震でも、SNS上には発生直後から「津波が〇〇まで来た」「△△が爆発した」という未確認情報が洪水のように流れた。そして、それを読んだ人の一部がパニックを起こし、避難路を誤り、あるいは必要のない場所に殺到した。情報過多は、無情報と同じくらい危険になりうる。

さらに技術的な問題もある。地震直後は通信回線が極度に混雑する。モバイルネットワークは設計上、平常時の数十倍のアクセスに耐えられるようには作られていない。だからXが「繋がらない」のは、制限をかけているからではなく、単純に回線が飽和しているからだ。こうした状況でSNSに頼り続けることは、バッテリーを無駄に消耗させ、精神的エネルギーも浪費させる。


信じていい情報、遮断していい情報

被災時の情報には、大きく三つの種類がある。自分が直接見て経験したこと、公共機関が発信していること、そして誰かから聞いた、あるいはSNSで流れてきた伝聞情報だ。

原則として、伝聞情報は遮断してかまわない。

「〇〇で火事が起きているらしい」「△△の橋が落ちたと聞いた」——こうした情報は、善意で発信されていても、伝わる過程で場所が変わり、規模が誇張され、時間軸がずれる。被災した人間の脳は、平常時より強く「確認したい」「共有したい」という衝動に駆られる。それがデマの温床になる。

自分の目で見たこと、自分の足で確かめたことだけを判断の根拠にする——これが被災時の情報の扱い方の基本だ。「聞いた話」は、行動の根拠にしない。

ただし例外がある。発信元がはっきりしている伝聞情報は、参考程度に扱う価値がある。地元の消防署が出したツイート、自治体の公式LINEアカウントの投稿、NERVや気象予報士など実名・組織名で発信している専門アカウントの情報——これらは「伝聞」であっても、発信者が責任を負っているぶん信頼性が上がる。ただしこれも「参考程度」であり、行動の決定打にはしない。公共機関の情報で裏付けが取れるまでは、保留しておく。


情報ソースの三段構え

整理すると、こうなる。

第一に頼るのは、自分の五感だ。今いる建物は安全か、出口はどこか、周囲の人の状態はどうか。これが最も信頼できる情報だ。

第二に頼るのは、公共機関の情報だ。気象庁の公式アプリ、NHKのニュース(あの不穏なチャイムには意味がある——震度5弱以上の予測が出たときだけ鳴る設計だ)、Yahoo!防災速報などのプッシュ通知型サービス。これらは速く、正確で、地域を絞った情報が届く。できれば手回し式ラジオがあれば最強だ。電波を使わず、バッテリーも不要だからだ。

第三に、発信元が明確な専門アカウントを参考程度に。自治体公式、NERVなどの防災専門組織、気象予報士の実名アカウントなどに絞る。ここまでで十分だ。一般ユーザーの投稿——つまり発信元が不明な伝聞情報——は、積極的に遮断する。見れば見るほど、判断が濁る。


フォッサマグナが教えてくれること

地質学的に興味深い事実がある。フォッサマグナ——糸魚川から静岡に走る巨大な地溝帯——を境に、地震の揺れの伝わり方が大きく変わる。西側(北陸・近畿・九州方面)で発生した震度6クラスの地震でも、東側(関東・東北)ではほとんど体感がないことが珍しくない。

これは何を意味するか。フォッサマグナより東にいる人が「緊急地震速報は来たのに全然揺れなかった」と感じながらXを開いても、現地の混乱した情報——大半が発信元不明の伝聞だ——を見て自分のところも危ないのかと錯覚しやすい。逆に現地の人は、遠方から「大丈夫?」と心配するDMや投稿の洪水に対応しようとして、肝心の避難行動が遅れる。

位置と役割によって、情報の使い方を変えなければならない。そして現地にいる人間ほど、伝聞情報から距離を置く必要がある。

現地にいるなら、スマートフォンをしまう

現地にいる場合の原則は明快だ——スマートフォンをしまい、自分の目と耳と足で判断する。

頭を守り、出口を確認し、家族と声を掛け合う。SNSで「現地の情報」を集めようとしている時間は、自分の周囲の現実を見逃している時間だ。そして現地にいる自分が発信する投稿も、遠方の人に不正確な伝聞として届く可能性がある。

「現地ではXを遮断する」という判断は、消極的な諦めではない。自分の五感と公共機関の情報だけに集中するための、能動的な選択だ。

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