GPz550_1 retake (3562/7670)
2014年7月16日水曜日
2014年7月15日火曜日
2014年7月14日月曜日
2014年7月13日日曜日
3535 XS1100 Midnight Special & 「高校生のときに憧れていたこと」
XS1100 Midnight Special (3535/7670)
☆
高校生のときに憧れていたこと
昨年末の良くあるテレビのいちコーナーで、今年(2013年)一年に鬼籍に入った人の冥福を祈るというのがあって、その中で戸井十月氏が7月に亡くなっていたことを知った。ずいぶん長い間聞いていなかった名前だった。
高校生のとき、大学生の時もだが、小遣いが許せばバイク関係の本、書店で見かけるとよく買った。今は道路の新設の立ち退きで廃業、跡形もなくなった近所の小さな、漫画本とか文庫本程度しか置いてないような書店で買ったのが、戸井十月氏の本だった。ロサンゼルスの海岸からニューヨークまでヤマハのミッドナイトスペシャルで走ったときの紀行文。本の題名すら忘れていたが、便利な時代になったもので、ググったらすぐに分かった。「往く道は、風―北米大陸横縦断バイク一万四千キロ」といったらしい。本の名前さえ忘れていたが、確かに、ある意味時代的というか、厨二的というか、気恥ずかしいかもしれない表題だったかもしれない。
何もない田舎の少年が、そこにないものに憧れる、なんていうのは、よくある光景で、ありがちな逃避ではある。ただ、何時間も、かなりのスピードで走っても変わらない周りの風景、その中を走ると、何か心の中のモヤモヤみたいなものが漂白されたりするのだろうか、と、ぼんやりと考えていただけなのかもしれない。多分その程度だったのだろう。しかし、丁度今の季節だ、まとわりつくような湿気や熱気の中、かの本を繰り返して読んでいたような気がする。本も既に手元になく、正確に当時何を思っていたのかなど、ほとんど思い出せはしないのだが。
サーフィンにも憧れていたな。ジャン・マイケル・ヴィンセント主演のビッグ・ウェンズデイだったか、ああいう青春も、身の周りでは考えられなかったが、それより波がチューブを巻くなどというのが信じられなかった。あの中の光景はどういうものだろう、とか、一日、板の上で波と戯れているそういう生活を続けると、どのような心持になるのだろうとか、考えた。
考えるだけ。憧れるだけ。
すぐにそんなこと等は忘れてしまい、っていうか、その程度の思いいれだったということは、やはり、ただの逃避だったのだろう。いずれも実現しようとすることも、まして、実現させたこともなく、この歳になってしまった。
少年の時の自分に何やら詫びたい気分にもなってしまうが、逆に、今思い立ってそれを形だけ実現させるというのも、何やら違う気もしている。
少年の時の自分に何やら詫びたい気分にもなってしまうが、逆に、今思い立ってそれを形だけ実現させるというのも、何やら違う気もしている。
そして、ひょっとして、初恋以上に、あれは大事な気持ちだったのかもしれない、そんな風にも、今となっては思う。
(0016/7670)
Labels:
「高校生のときに憧れていたこと」,
0000~0100(T),
3501~3600,
XJ/FZ/FZR/YZF,
Yamaha,
ヤマハ,
戸井十月
2014年7月12日土曜日
3521 Kenny Roberts_8 & 「モータースポーツと死生観 1」
Kenny Roberts_8 (3521/7670)
Kenny Roberts
on OW54
in WGP 1981
☆
モータースポーツと死生観 1
そういえば、二輪のモータースポーツを伝える雑誌は月刊としてはもはや二誌になってしまったし、二輪の雑誌だというのに、GPのことをページを割いて毎月伝えるバイク雑誌も案外少ない。バブル期でも、それほど多いとはいえなかったが、それでも、もう少し多かったような気がする。
その2輪のモータースポーツなのだが、専らMotoGPの結果のみである。モトクロスには専門誌があるようだが、昔であれば、AMAの結果ももう少しわかったし、季節になればマン島TTについての記事もあったりしたのだが、この何年か、雑誌ではとんと見かけない気がする。
その2輪のモータースポーツなのだが、専らMotoGPの結果のみである。モトクロスには専門誌があるようだが、昔であれば、AMAの結果ももう少しわかったし、季節になればマン島TTについての記事もあったりしたのだが、この何年か、雑誌ではとんと見かけない気がする。
で、石原慎太郎氏が三宅島で開催しようとした公道レース、MotoGPの系統ではなく、マン島TTなど、所謂Irish Road Raceといわれる一連の公道イベントの系統であると思われる。時代が時代で、そのあたり、雑誌を読むだけではほとんど知ることはなかったが、facebook伝いにこの2,3年で結構知ることが出来た。と、ともに、そこでyou tubeに上げられている映像を教えられ、それがどういうものなのかを段々と知ることになるのだが、
さて、何とも懐かしい感覚なのだ。それは、高校生の時、初めて二輪のレースのことを知ったころの興奮に近い衝撃というか。’80年代前半から半ばにかけての、ケニーとフレディ、ウンティーニ、ルッキネリ、そして片山敬済の時代のことだ。ハング・オフ(ハング・オン)といわれる乗車姿勢というのも、確かに衝撃的だった。それだけではないのだが、あの時の感覚を説明しろといわれても、何とも名状しがたいものであった。ただ、酷く美しいと思ったのは間違いない。
エディ・ローソン、ワイン・ガードナー、ウェイン・レイニー、ケヴィン・シュワンツ、ミック・ドゥーハン、ヴァレンティノ・ロッシ、それぞれの時代でファンの末席にいたのだが、この何年か、どうにも、かつてのような興奮を覚えない。マルク・マルケスの肘摺りなんてすごいじゃないか、とは思いはするけれど、なんというか・・・。
それがどういうことなのかは分からなかったが、ネットでマン島TTレースや、マンクスGP、アルスターGPなどの映像を見ていて分かったようなことがあるので、それを書く。
さて、何とも懐かしい感覚なのだ。それは、高校生の時、初めて二輪のレースのことを知ったころの興奮に近い衝撃というか。’80年代前半から半ばにかけての、ケニーとフレディ、ウンティーニ、ルッキネリ、そして片山敬済の時代のことだ。ハング・オフ(ハング・オン)といわれる乗車姿勢というのも、確かに衝撃的だった。それだけではないのだが、あの時の感覚を説明しろといわれても、何とも名状しがたいものであった。ただ、酷く美しいと思ったのは間違いない。
エディ・ローソン、ワイン・ガードナー、ウェイン・レイニー、ケヴィン・シュワンツ、ミック・ドゥーハン、ヴァレンティノ・ロッシ、それぞれの時代でファンの末席にいたのだが、この何年か、どうにも、かつてのような興奮を覚えない。マルク・マルケスの肘摺りなんてすごいじゃないか、とは思いはするけれど、なんというか・・・。
それがどういうことなのかは分からなかったが、ネットでマン島TTレースや、マンクスGP、アルスターGPなどの映像を見ていて分かったようなことがあるので、それを書く。
ひとつには、自分の子供の世代のレーサーとして走っているような時代ということもあるのかな、とも考えた。かつては、走っているレーサー達はおじさんたちでありおにいさんたちであったが、いつの間にやらタメ、年下、そして、いまや子供の世代、である。これは、どのスポーツ興行でも共通するのであろうが、最初は年齢的なこともあって、プレイヤー達に素直にあこがれられたが、年を追うごとに・・・というのはあるのかもしれない。目が肥えて多少のプレイでは驚かなくなるということもあるのかもしれない。
MotoGPの若いツルりとした顔のイケメンたちに、しかし、老いの負け惜しみでもなんでもなく、魅力を感じることはなく、一方で、今となくても超ベテランといわれるライダーでオレと同じか一つ二つ若いぐらいの公道イベントのライダーたち、こちらにしても、そういうわけでほとんどオレよりは若いはずなんだが、しかし、人によってはジャガイモみたいな顔をしているけれど、なんとも雰囲気のあるライダーたちなのだ。それは、オレが高校生だった頃のGPを走っていたライダーたちも持っていたような気がするのである。それは何なのか、ということなのだが。
(0015/7670)
Labels:
「モータースポーツと死生観」,
0000~0100(T),
3501~3600,
Kenny Roberts,
RD/RZ/TZ/TZR/YZR~,
WGP/MotoGP,
Yamaha,
ヤマハ
登録:
投稿 (Atom)