女性の社会的不利を辛いとする声が大きい一方で、男性の辛さも寅さんのつらさとは質を変えてしまっている。
コロナなどの社会不安で、生き辛い人は?とかね。
「う~ん、なんて言うかな、ほら、”ああ、生まれてきてよかったな”って思うことが、何遍かあるじゃない、ね? そのために人間生きてんじゃないのか?」
どのエピソードで寅さんが満男クンに言ったセリフか、ちょっとわからないが、回想として「おかえり寅さん」に出てくる場面である。オレなんかね、生きる意味に結構拘泥しすぎてしくじったと思ったりしているクチだが、若い奴にそんなこと質問されたら、オレならどう答えるだろう?
Paranoimia (feat. Max Headroom) [Extended Version] [2017 Remastered Version] | Art of Noise |
宇宙戦艦ヤマト2009 with Symphonic Orchestra | THE ALFEE |
Inner Universe | 菅野よう子 |
Beyond Reason | Ryuichi Sakamoto |
Gloria | ZIGGY |
マグマ大使 | コール東京 |
Jumpin' Jack Flash | Aretha Franklin |
Rude Boy(不良少年のうた) | Blankey Jet City |
旅姿三人男 | 美空ひばり |
The Groover | T.Rex |
Zip Gun Boogie | T.Rex |
冒険者 _02 | 矢萩 渉 |
Brand New Lover | Dead Or Alive |
リンゴの唄 | 並木路子 |
ジェラシー | 井上陽水 |
Banstyle/Sappys Curry | Underworld |
想い出のエア・ポート | 吉幾三 |
筋肉バイクというと、V-Maxを思い出すが、同じ時期の対抗馬としてエリミネーターがあったので。
Beethoven - Egmont, Op 84 ca1 | Claudio Abbado; Berlin Philharmonic Orchestra |
夢の途中 | 来生たかお |
Moonlight Sonata | Y.Cornefissen |
The Heart Asks Pleasure First | Michael Nyman |
彼女は死んだ | Blankey Jet City |
Call Me | 桃井はるこ |
When Love Takes Over (feat. Kelly Rowland) | デヴィッド・ゲッタ |
The Sheltering Sky | Ryuichi Sakamoto |
Bike Ride To The Moon | BOOM BOOM SATELLITES |
The Jungle | B.B. King |
Propeller | BOOM BOOM SATELLITES |
帝国のマーチ | John Williams |
「ハーレー、空冷OHVやめるってよ」である。詳しいことは分からない。事実誤認かもしれないが、来年度のモデルを最後に空冷OHV、カタログから落とすらしい。まぁ、時代だしねぇ、としか言いようがない。別に「いつかはハーレー」とか思っていたわけでもないので、ハーレーファンほどさみしいとか悲しいとかはないけれど、なんか、釈然としないものが何処かにある。
今では「主要地方道高岡青井谷線」というのだそうだが、何やら「れんげ通り」なんて聞いたことない看板が掛けられている近所のまぁ、この辺では幹線道路である。でも、ずっと「大野早川線」とよんでいたので、今でも「高岡青井谷線」とか「れんげ通り」とか呼ばず「早川線」と言っている。
小学生の時、石でキャッチボールしてて、捕り損なって、額に2針ほど縫うけがを負った早川線沿いの空き地をつぶした後、スーパーと鉄骨2階建てのテナントビル? ビルと言っていいのかどうかわからないがそういう商業施設ができたのは、額にけがした2年ほど後だったと思うが、時期についてはよくは覚えていない。
そこにあったスーパーマーケットだが、重宝したんだけど、閉店してしまい、今は居ぬきでリサイクルショップが入っている。これで10年ちょっと経つかな、もっとかな。
母がちょっと思い立って買い物に行くのにも便利なスーパーだったのだが、最近できたスーパーは結構離れていて、そもそも母には歩いていくのにも遠すぎるし、クルマ通りの多い早川線と、新しくできた環状線を横断しなければ、となると、とても歩いてはいけない。
まぁ、代わりに買い物などいくらでもするのだが、83になる父に車の運転で、時々買い物にも出ている。いろいろ不安ではあるが、そこは今時の田舎あるある。
大学生の時か、帰省した時の事だと思う。朝早くそのスーパーの駐車場に、ショベルの黒のローライダーが停まっていたわけだ。
ハーレーには、実はそれほど興味はなかった。「easy rider」は何度か繰り返して視たが、オレがチョッパーに乗ろうとは思わなかった。同じハーレーなら、スポーツスター系かソフテイルだろ、と薄っすら思っていた。ローライダーにはほぼ興味がなく。
しかし、件の黒のローライダー、カッコよかったのだ。まるでネコ科の大型の猛獣が眠っているかのようだった。県内ナンバーだったか県外だったかも覚えていないが、このローライダーをみたのは、この時一度きりだった。
恐る恐る近づいてみた。別に取って食われるはずもないが、そういう気分だった。少し離れて、タバコが一本灰になる時間だけ、それを眺めていた。
いや、いいもの見せていただきました。ごちそうさまでした、とその場を離れたように思う。前傾姿勢のスポーツバイクとはまた違った走っていく意志が表現された造形だった。
ヴァレンティーノ・ロッシの事から離れて、1997年の事を少し。
1996年には、三菱銀行あたりが立ちいかなくなって、公的資金を入れるも、責任者が相応のペナルティを受けたと印象がないまま公的資金を入れて立ち直りはしたけれど、それが後のこの国のモラル・ハザードにつながったのではないか、と書いたが、
この年は、遂に支えきれず破綻した、銀行、証券会社、保険会社が続出したという印象。
それほどまでに、不良債権、バブルの時の金融倫理のゆるみの問題は大きかったのか、ということと、国庫のキャパの問題は当然あるだろうけれど、潰れてしまうものは潰してしまえと舵を切ってしまった、三菱は助けてもらったのに、という、三菱が助けてもらえて他がそうじゃない、なんかいまいち根拠不明な所での不平等感が残る。当時の事を伝えるものはいっぱいあるようで、よみこんだわけではないが、なんか、相当ドロドロしていたんだろう。
利害が細分化してしまい、国として社会として明確な方針が打ち出しきれない。ネット時代前夜でそれだったので、何につけ、そんな風になってしまい、誰の言っていることが正しいのか、政府首脳のものであっても、そんなことはないはずだと、反証もまた多く信じられない。何を根拠にしているのか明確ではないままだから。後には、それをいいことに、統計すらまともに取らなくなる官僚の仕事であるが、マスコミもまた、自分たちの妄想のストーリーの中に都合のいいファクトだけを当てはめて、なんてことをしたりして、そういうのを市井の人間が肌で感じているものだから、その内陰謀論的なものがばっこしだして、というのが ←今ここ、という感じなのだと思う。
まず正確なデータ。それを政府が収集して包み隠さず公開することが大切なんだろう。データ取集に関しては官僚が集めて作成するものの他に別系統で収集したものも突き合わせてデータの妥当性を探っていく感じ。それの主体は政府、政治家と呼ばれるポジションの人たちの仕事であり、その過程も細かく公開していく。
官僚の抵抗は大きいだろうな。しかし、まぁ、それにそぐわない役人はバンバン替えていった方がよい。
下っ端はなんかそれらしいペナルティを受けたりもするが、最終的な意思決定をする責任者にはそれが及ばないという印象。それがいけない。
保守というものが、仕組みの大きな枠組みを変えずに、というならそれでもいいが、その為にもへまをしたやつ、不正を働いた奴というのは、特に上の権力を持った奴ほど、ちゃんと更迭、追放していかないと、仕組みの保守は成り立たないと思うが、どうか?
まぁ、失われた10年と呼ばれていたものが、やがて30年となろうとしているのは、このあたりの事が始まりだとおもっている。先行きの不透明感、不安感だけが残り、行き当たりばったりの対処療法だけが繰り返されて、それに対しての明確な処方も意志も示せていない感じ。 なんか同じこと書いてしまったな。
思えばR35が、「エンターテインメントとしてのクルマ」の最後だったのではないかとも思う。
この「エンターテインメントとしてのクルマ」というのは、言い換えれば「憧れとしてのクルマ」ぐらいになろうか? ガソリン車はまだもう少し続くし、スポーツカーもR35の後にも、かつてほどではないが発売されている。
しかし、走行性能―走るということに、数値のみならずそのコンセプト、思想まで突き抜けていて、我々をしてスゲーと思わせたのはR35が最後だったんじゃないだろうか? ということ。
クルマの動力性能については、すでに頭打ちだったというのはある。これ以上凄くしたって誰が操縦するのか。
そうなると、制御系の話になる。いっそ、すべてAIが制御してしまうオートパイロットで最速とか。でも、そういうの本当楽しいの?ってなると、その匙加減、ということになる。
価格。一部の石油王とか秒で何億稼ぐとか、そういう人間じゃない、正業についた月給取りにでも買える価格でこの性能。言い換えれば、工業力の問題。
最高速はともかく、加速ではEVの方が上。もう、ガソリンアホみたいに食ってスピード出すなんていうのは許されない。
つまり時代的に許されていた、何とか無理をすれば買えないこともないクルマを人が操り突き抜けるように走っていく、そういう夢としてのクルマ。買う、買わないの問題ではない。極上の美女とのセックスよりもひょっとしたら上なんじゃないだろうか? とさえ思わせる快楽の予感。その辺での憧れと妄想の対象としてのクルマ、である。
そもそも、今、我々は、ガツンと突き抜けるように走っていきたいのか? それを希望しているのか?
ちゃんと希望しているのであれば、自動車メーカーのブランドイメージのためにこういう車は必要となるが、そう希望することを忘れてしまったのではないか? または、そう希望する、そういう意思をうばわれてしまっているのではないか?
直接、強硬にそういうことを禁止するということはしないようだ。かえって逆効果だから。徐々にパイを奪っていく。愛好者を少しずつ削っていく。年をとり、そういう愛好者が死滅してしまえば完了、という感じで。
ブランドイメージに寄与するものがなければ、売れないものをカタログからは消去する、速攻で。株式会社は、顧客のものでも社員のものでもなく、株主のものであり、株価の根拠である複利配当に、しかも即時的に反映されないような企業活動は差し止められる。そんな製品の製造は停止させられるのだ。社員がどんなに希望していたとしても。
物言う株主とやらにちゃんと対抗しうるような結果を出している経営者でない限り、製造者、開発者の意志、顧客というかファンの希望なんていうのは三の次なのである。
逆に言うと、そういう経済の理屈の中にありながら、そういう夢を顧客にすらなれなかった、一ファンとして見られた時代を知っている俺たちは幸せだったのかもしれない、という言い方しかできないのかもしれない。