2021年12月14日火曜日

7255 Veilside Combat JZA80

 

7255 Veilside Combat JZA80

 ヴァレンティーノ・ロッシのGPでの走りの画像見ながら、1996年からいろいろ思い出しているのだが、1997年のこれから書く話題というのは、ロッシから離れて、このヴェイルサイドコンバットスープラの画像の方がよいかと思い、上げてみた。

 1997年の個人的なハイライトというと、Tokyo Game Show 1997 Autumnに開発者として参加したことかなと思う。
 幕張メッセであった、その時のゲームショウだが、そこに、2台80スープラがディスプレーしてあったわけだ。どちらもつるしではなく、SEGAのブースにはカストロールカラーのJGTC仕様のスープラ。確か、ナムコだったと思うが、そちらに、ヴェイルサイドコンバットスープラ、というわけだ。スープラについてはそれだけなんだが。

 オレがかかわっていたゲームというのはRPGというやつで、元々の制作の中心は、PC98とか用のRPGでコアなファンをつかんでいた制作チームだった。最初の企画段階からあるところまで、2Dのグラフィックでいくということで、そこで多少絵が描けるということでオレが呼ばれたんだが、時期が悪く、大手スクェアのファイナルファンタジーVIIのビジュアルが大体的に流れ出した頃で、出資者の意向もあり、3DCGに変更されて、おかげで、なんかもうバタバタ、グダグダになってしまい、おまけに、PlayStation、最初はウチのような小さなソフト会社でもどんどん参入させる方針で、それに乗った形なんだが、配布されたライブラリがバグだらけで、その辺自前でシュートできる大手しか結局モノにならなかった。
 一応、それでも、発売はしたようで、近所のメディアストアで一度だけ商品を見たことがある。で、しかも、誰かが買っていったようなんだが、なんか、本当すんませんでした、と、買って行った人に謝りたくなるような出来だった。

 それはそうと、ゲームショウである。まだ、製作途中というか、あの後、一回全部データ作り直しもしているのだが、グラフィッカーとして、なんか、ブースでトークショーに出てきてしまいましたよ。何話したか、全然忘れたけど。

 ゲームショウで配布するいろいろとか、あと、声優雑誌とタイアップしてキャラの声を担当する新人の子のオーディションとか、出資者というか元請けの会社の部長さんがゲーム専業の広告代理店を通して手配してくれて、あ、その新人の子の事務所の先輩に、京都にいた時聞いていたラジオのパーソナリティ、小森まなみ氏がいて、ウチのブースに顔出しに来られて、少しお話させていただいたんだった。今思い出したよ。

 代理店が手配してくれたんだろう、うちのブースの進行をしてくれたフリーの司会とかナレーターしてるお姉さん、いや、どこかの事務所に所属してたのかもな、芸能人と違ってマネージャーがついてるわけでもない、現地に行くのも現地についてからの段取りも一人でやらなきゃいけない、といっても多分オレとほぼ同世代かほんのちょっと上、休憩時間にちょっと喫茶スペースでお話しした。これも、何話したかは忘れたが、ひとつだけ、こっちのふりに一回一回反応してくれるオタクは基本的に優しい人たちだ、という話だったと思う。
 そこに、元請けの部長さんだ。さすがどこからお金が出るか知ってる、声のトーンを半オクターブ上げて、お姉さん、そっちにいそいそ行っちゃったよ。なんか大変だな、頑張れよ、としみじみ思ったことだけは覚えている。

 別の合間、控室である。キャンギャルの皆さん、表で笑顔で客、カメコに手を振ってる同一人物の綺麗なお姉さんたち、大股開きでパンツ見せながら、タバコ、ぷかーっとふかしてるわけですわ。カメコのとっちゃん坊や達、これ見たらどう思うのか、ふと思ったりした。オレもオレでタバコふかしながら。

 そんなこんなで、まだ、北陸新幹線なんてなく、特急白山かなんかで帰ったんだよな。帰ってすぐ、家に帰らず、そのまま仕事でした。3日ほど幕張に行って、である。

 まぁ、なんというか、結果、クソみたいなものしか作れず、発売後、大きな赤字を出してチームは空中分解、元請けの部長さんもクビになっちゃって、今となっては、へらへら笑うしかない。

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