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手帳術、考察 1
個人的な事情として、まぁ、自分自身何とかしなくては、という思いはさて置き、というか、書いていて煮詰まるだけだし、読み返してみると、つまらない。方法は色々あるとしても、なんというか、腑に落ちないわけだよ、色々手に出したところで。50手前でそんなこと言っているのも大変恥ずかしいわけであるが、案外程度の差は遭っても、結構多くの同世代も、そんなことを感じているのではないかと思う次第。まぁ、それなりに、それぞれに方法論は持っているけれど、それがてっていできるかどうかで、今頃ひとかどの人物になっているか、平凡に埋没してしまっているか、というところなのだろう。
まだ、手帳術とか、その辺の言葉に届かない。前置き、長過ぎ。
まぁ、なんだ、子供の頃は、自分に内在するエネルギーというのは、とてつもないものがあって、それをどう使うか、しかし、暢気にそういうことを考えたり考えなかったりして、いつからか、いや、結構このエネルギーというやつも、有限で、とか思い出し、今ではなんと言うか、特に目を見張るほども持っているわけでは当然なく、しかし、それでも何とかしなくては、というところで、いかに無駄なく推進力を得ていくのか、あたりを考えたりするわけだ。
その辺、いろいろと、自己啓発術見たいのは出ているが、それら、すべてが正解で、すべてが誤答であるという事実。もし、このオレが正解を得ても、ソレを書いたところで、読んだ人にとってはそうじゃない可能性が結構高い、ということ。
なんとかしなくちゃ、何とかできたらいいな、というのは勿論なのだが、しかし、まぁ、ある意味、死ぬまでソレを探し続けるというのも実にまっとうな気がしている。ここで、正解を得て、では、と、次に行く、というようなものではないのかもしれない。
もういいだろう。
ワタミの、今では創立者で国会議員という肩書きになるのか、渡邉美樹氏の手帳本や、その元ネタとなったといわれる「七つの習慣」。ためになるといえば、ためになるのだが、エンターテインメントの一種といってしまえば、そうともいえる。この二冊や類書に限らず、多くのビジネス本、自己啓発本、クソみたいなものもあるにはあるが、うまく書かれているものを読めば、体が熱くなるような錯覚を覚えたりするのかもしれない。なんというか、昔のヤクザ映画みたあとの観客、映画館を出ると、やたら、肩で風を切って歩きたがる、みたいな? 明日からオレも変わるのだ、みたいな、決意めいたものがあって、そのとおりに出来る人も勿論いるのだけれど、そして、真面目に書いてあることをなぞる人もいるのだけれど、例えば、後者は書かれていたとおりやってみても、何やら、いつまでたってもご利益が得られない。オレはどこか間違っているのだろうか? などと、傍目には実にお気の毒な状況に陥ってみたり、そもそも、オレのように、何ら実行に移せず終わってみたりするのが、かなりの割合じゃないかと睨んでいるが、どうか?
それでも、数ある方法論の中で「手帳術、ノート術」なんていうのは魅力的なのだろう。理由は色々思い当たる。次にはその辺を整理して書こうかな、と。
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