《はじめに》
当作「ベランダ」は、一話完結で、マンションの隣り合った部屋の男女がベランダから行き来する日常を描いております。夫婦ではない、お互いに離婚歴のある男女の間の空気を楽しんでいただけたら本望です。
このエピソードの終わりに、他のエピソードに跳べるよう、リンクを貼ってあります。
-------------------------------------
-------------------------------------
うっかり寝入ってしまうところだった。ひとみが体を起こしたので、ふぁっと目が覚める。
下ばきをはき、ブラジャーを付けようとしているところで俊也が見ていることに気づき、
「見るな」と掌を目を塞ぐように向けてきた。まぁ、本気じゃない。ブラジャーをほんの数瞬見つめ、ひとみは思い直しそれを置き、パジャマのボタンをしめ、立ち上がる。今ほどベッドの端に置いたブラジャーを無造作につかみ、
「じゃ」
と言って、ベランダへのサッシを開けた。一度ちらっとこちらを見たので、俊也は手を上げて返す。
隣の部屋のサッシの軽快な転がり音がかすかに聞こえ、同じく微かに、施錠の音が聞こえた。
俊也もベッドから立ち上がり、パジャマを身に着ける。若い時と違い、裸で寝てしまっては、次の日、腹がゆるくなってしまっていけない。
月が非常に明るい夜だった。さっき、ひとみが閉めていったサッシを開け、ベランダに出て月を見上げる。満月。ベランダにくっきり影ができるほどの月光だ。
デスクに置いてあるラッキーストライクとライターを取りに戻り、ベランダに出る。月を見上げながら、おいてあるキャンプ用のアウトドアチェアに腰かけた。
地方都市。ド田舎と言うほどではない。クルマの音も聞こえるが、うるさいほどではない。
ソフトパックの一角をトントンと叩き、一本を浮き上がらせ、それをくわえる。昔はオイルライターにもこだわったが、今はもっぱらプラスチックの使い捨て品だ。スプリングをはじく音。一息、煙を吸い込む。
クルマの音は聞こえるが、静かな夜だと思った。遠くを新幹線が走り去っていくのが見えた。最終かな?
隣のサッシ、開錠の音が聞こえ、軽やかなサッシのを引く音とともに、ひとみが現れ、近づいてきた。
無言で掌を差し出し、タバコを要求してくる。こちらも無言で、先ほどと同様、ソフトパックを軽くたたき一本浮き上がらせて、俊也はひとみに差し出す。ひとみはその一本をつまみ出し、もう一脚あるキャンピングチェアに腰を下ろす。同時に俊也が火を差し出す。
風は極々微小。煙が二つ。
「月、まぶしいくらいね」
ひとみが言った。
「こういう時、夏目漱石はどう言ったんだろうな?」
見ているわけではないが、軽く微笑んでいる気配がした。
俊也が2本、ひとみが1本灰にしたときに、
「お開きにするか」
「ん。」
灰皿とラッキーのソフトパックとライターを持って俊也が、当然何も持たずひとみが、同時に立ち上がる。
「じゃ、こんどこそお休み」
「うん。お休み」
それぞれの部屋のサッシが締まり施錠の音が、コンマ何秒のずれで鳴った。
