2022年2月27日日曜日
2022年2月26日土曜日
2022年2月23日水曜日
2022年2月22日火曜日
7370 CR-Z_1 retake
7369 八代俊二_7
2022年2月21日月曜日
7368 Nelson Piquet_5
7367 H2R 1974
2022年2月20日日曜日
7362 NS400R_3
2022年2月19日土曜日
2022年2月18日金曜日
7359 Camaro II_14
2022年2月17日木曜日
2022年2月16日水曜日
7355 John McGuinness_8
2022年2月15日火曜日
7353 AF Corse Ferrari 488 GT3
2022年2月14日月曜日
2022年2月13日日曜日
7347 CB750Four K0_62
2022年2月12日土曜日
7345 Katana_2
2022年2月11日金曜日
7339 Cultus GT-i & コロナ禍とデータのこと 2
学者ではあるが、感染症が専門ではないセンセーの言葉が状況をまぜっかえしたり、まして、その辺の事、更に全くの門外漢である芸能人の言葉を信じてしまったり、で、まぁ、カオス。
その点、数字というのは、やはりそのデータ採りの方法が問題ではあるが、まず、そこ、社会全体できちんと正しいものを目指していかないと、というところではやりやすいのではないかと思う。
結構、身近にコロナが迫ってきている。実のところウチの会社でも感染者が出てしまった。これがオレの家の入り込んできてしまったら、オレを含め、3つ葬式を出さなきゃいけない羽目になる。罹って死んでしまえば、死に顔を拝むこともできない病など、断じてただの風邪などとは言わないと思う。
7338 JZA70_3 & コロナ禍とデータ
オミクロン株「重症化スピード」は最速!第5波の3倍、発症から「3日以内」で悪化の調査結果を紐解く公開日: 更新日:
日刊ゲンダイの記事で申し訳ないが、しかし、そんなに大きく誤ったことが書いてあるとは思えない。
オミクロン株という奴が、それ以前のデルタ株よりも感染力はあるが症状が軽いというのはミスリードであった、ということではないか? 確定はしていないが。
当初、特に若年層で比較的軽症であるとされていたのは、ワクチン接種が遅かったおかげで、抗体が多かったため、その効果があったためであり、それでも”ブレイクスルー感染”が起きるほど感染力は強烈なのだ、とうことだったのではないか? まぁ、ワクチン自体完璧ではないということなんだろうが。
だとすれば、テレビの提示のニュースで伝える分には常にはそう項目を多く伝えられないものの、感染者の属性をできるだけ細かく分けることも必要なのではないか?
年齢性別は普通の事として、ワクチン接種者と未又は非接種者を症状の重さごとに。他にもスプレッドシートの縦の項目横の項目に加えるべきことがあるかもしれない。
まぁ、そんなことをしだしたら、それはそれで抗議する奴は出てくるんだろう。ワクチンに忌避観を持つ人間というのも結構いるし、その辺で。
ワクチンの忌避感あたりの事は、稿を改めることにする。
2022年2月10日木曜日
7336 中上貴晶_8
2022年2月6日日曜日
7335 TE37
2022年2月5日土曜日
7332 GPz400F & note「アウトサイダー」/ コリン・ウィルソン 0-4
どうも政治的なことに、コリン・ウィルソン的「アウトサイダー」の定義を求めるのは、間違いのような気がしてきた。体制に寄り添おうとする動きというのは、言い換えれば、存在の、精神の根拠を、生身以外、思想とか政治体制とかに、過激に求めるというのは、では、ツクミやまゆり園の植松某などはどうなのだ? という話になる。体制から距離を置く、沿わないで外側に行くアウトサイダーではないが、あれを決してインサイダーとも言えない。
とはいえ、では、同じように考えていこう。easyriderのラスト、ビリーを、キャプテンアメリカを散弾銃で撃ったどこにでもいそうなアメリカの普通の農夫は? インサイダーか?アウトサイダーか? 植松某との違いは?
前者が、脆弱ながらそういうところにいる自分の存在そのものを主張しているのに対し、後者は領域の防衛という意識がそうさせたような気がする。
本人は限りなく体制側であると思っているようだが、植松某は、この著作的な意味を離れれば、現在の秩序というものから限りなくアウトサイダーであるが、意識が自分の領域第一というところでの行動という意味でeasyriderのおっさんたちはインサイダーのような気がする。
とはいえ、この辺の事をいくら考えても、益ないことであるような気がするので、ここではこの辺で切り上げる。
若いころのオレが、アウトサイダーという語感に惹かれたのは、どこか覚者のような意味合いを感じていたからであろうかと思う。この辺がいよいよこの本の内容にかかわってくるところである。
若い子が、いや、大多数がそう感じていないのは、それが妄想であると思っているから、と、平たく言ってしまえばそうなのだが、それは、こっちのある種の熱に侵されていた人間のだらしなさが余計に、そう思わせていたのだろう。
日本においてはそれは顕著だけど、多分世界的に人類社会というのは退潮局面にある。そこにおいて、そういう社会をどうするかという言及薄くして、「そんなこと」を言っていられる高みの見物的な呑気さというのはいかがなものか? ということにもまして、高じて、極端なものはすでにかなり昔にオウムなんていうものが日本にはあったけれど、どうしても、インサイダーと対置してしまうと、反体制の意味を帯び、やがては醜悪な何かに変化してしまう。インサイダーと対置してしまうということは、つまりはルサンチマンの発露であり、しかし、そこは普遍的にアウトサイダーのテーマではある。
まぁ、別に「アウトサイダー」の授業ノートを作るつもりはなく、脱線、他人様には意味不明の記述も多くなるだろうが、まぁ、本を開く前の駄言はこの辺にこの辺にしておく。