2022年2月15日火曜日

2022年2月12日土曜日

7346 Mclaren 720s GT3

 

7346 Mclaren 720s GT3

Mclaren 720s GT3
Dubai  2022
Brendan Iribe, Ollie Millroy, Ben Barnicoat


7345 Katana_2

7345 Katana_2

 

7344 石田ゆり子_16

 

7344 石田ゆり子_16

7343 20220115 Hunga Tonga Hunga Harpai Volcano

 

7343 20220115 Hunga Tonga Hunga Harpai Volcano

7342 CR9A-EvoVI

 

7342 CR9A-EvoVI

7341 OW74 _7

 

7341 OW74 _7

QW74  
Bol d'or 1985
rider; Christian Sarron, Jacques Cornu,Thierry Espié


2022年2月11日金曜日

7340 Sportster S 2022

 

7340 Sportster S  2022

7339 Cultus GT-i  &  コロナ禍とデータのこと 2

 

7339 Cultus GT-i 

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 これも、画像と文章内容、一切関係がない。

 コロナの何が問題かというと、インフルエンザに対するタミフルやリレンザといった感じの有効な薬がなく、罹って症状が重くなっていって死んでしまうようなことがあったとしても指をくわえてみているしかないという点にある。巷間、死亡率はインフルエンザとそう変わらないか、寧ろ低い、などと言われているが、どの数字を基にしてそんなことを言っているのかわからない。

 コロナ禍というのは、病気自体も問題であるけれど、社会機構のいろんな問題を浮かび上がらせたように思うが、ひとつ、何かを考えるとき、その前提になるファクト、どれを参照にすればいいものやら、というのがあって、人それぞれ、場合によっては非常に怪しげな数字を持ち出し「私だけが知っている真実」を語りだす始末、なんていうのがそこかしこで見られ、折しもコロナではないが、スリランカ女性死亡の件に関する法務省の不誠実な対応(ほぼ黒塗りの報告書)や国交省のデータ改ざんなど、信用するべき公的機関が発表した数字もあてにならぬ、ということもあり、人の言うことに右往左往せねばならぬ、コロナ禍であるから切実にそれを感じたのだが、いつの間にかそういう社会になってしまっていた。
 学者ではあるが、感染症が専門ではないセンセーの言葉が状況をまぜっかえしたり、まして、その辺の事、更に全くの門外漢である芸能人の言葉を信じてしまったり、で、まぁ、カオス。

 すべての人間がそれぞれの事象の最前線にいられるはずもなく、例え自分が深くかかわる事であっても伝聞で考え判断するしかないのだが、どれを信用したらいいのか、というところで、伝える人となり以上に、どのような方法でその事象を取材採取したのかが明らかなものでないといけない。まぁ、それすら本当にそうか不明だったりするが。
 その点、数字というのは、やはりそのデータ採りの方法が問題ではあるが、まず、そこ、社会全体できちんと正しいものを目指していかないと、というところではやりやすいのではないかと思う。

 コロナに関して、PCR検査、当初からその精度等々に問題があるとは言われてきているが、よりよいものがあればそれに切り替えればよかっただけのことで、伝染伝播の状況をちゃんと把握する一次的な情報として、めったなことでやめるべきではないし、広く行われるべきであった。それをやれないというのは、逆に状況は家から一歩も出られないぐらい極めて悪いと判断するべきことなのではないか、となるべきだったが、なんか、最初から投げやりになめてた言説が多く、あれはいったいどうしたものだったか、と思ってしまう。
 感染者のステータス別統計、このネット時代に、しかし、ありもしない数字を勝手に作り出して、自分の都合がいい言説に乗せてしまうという行為も結構あったのではないか?

 役所の権威主義から不完全な虫食いだらけのデータがあるから、そのようなものが入り込む余地があるのだが、万全であればあったで、危険もあるのだから、他に二系統ほど、ちゃんとした方法で、同じ項目で数字を採れる機関があれば理想的。常にどちらの数字がより妥当なのか検討されるのが望まれる。

 かなり素飛ばして
 結構、身近にコロナが迫ってきている。実のところウチの会社でも感染者が出てしまった。これがオレの家の入り込んできてしまったら、オレを含め、3つ葬式を出さなきゃいけない羽目になる。罹って死んでしまえば、死に顔を拝むこともできない病など、断じてただの風邪などとは言わないと思う。

7338 JZA70_3 & コロナ禍とデータ

 

7338 JZA70_3

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 スープラがセリカからの派生で、セリカがコロナからの派生だから、なんてことはなく、画像と以下の文章、全く関係がない。


 今の業務でお世話になっている、今の「宇宙戦艦ヤマト」の「真田さん」(オレが子供の頃の「ヤマト」のはそれほどでもない)に似た、もっちゃりした播州弁をしゃべる住宅地盤のコンサルタントK氏と昨夏話した折、コロナ感染拡大を表すインデックス、すなわち指標として日々の感染者数というものが適当であるとは思えない、と宣った。
 なるほど、それは日々思っていた。では累積感染者数か? というと、差分というだけなのだから意味はほとんど変わらない。日々の活動がままならない中等症または酸素吸入が必定な重症、死亡者数の比率を示すべきか? となるが、逆に言うと、そういった数字を最初に持ってくるということは、伝える側のある意図がより入り込むことになるので、結局は日々の感染者数か、またはその時点での感染者、患者の全数を出すのが適当なのだろうか?

 オミクロン株という奴が、それ以前のデルタ株よりも感染力はあるが症状が軽いというのはミスリードであった、ということではないか? 確定はしていないが。

オミクロン株「重症化スピード」は最速!第5波の3倍、発症から「3日以内」で悪化の調査結果を紐解く公開日: 更新日:

 日刊ゲンダイの記事で申し訳ないが、しかし、そんなに大きく誤ったことが書いてあるとは思えない。



 オミクロン株という奴が、それ以前のデルタ株よりも感染力はあるが症状が軽いというのはミスリードであった、ということではないか? 確定はしていないが。

 当初、特に若年層で比較的軽症であるとされていたのは、ワクチン接種が遅かったおかげで、抗体が多かったため、その効果があったためであり、それでも”ブレイクスルー感染”が起きるほど感染力は強烈なのだ、とうことだったのではないか? まぁ、ワクチン自体完璧ではないということなんだろうが。

 だとすれば、テレビの提示のニュースで伝える分には常にはそう項目を多く伝えられないものの、感染者の属性をできるだけ細かく分けることも必要なのではないか?
 年齢性別は普通の事として、ワクチン接種者と未又は非接種者を症状の重さごとに。他にもスプレッドシートの縦の項目横の項目に加えるべきことがあるかもしれない。

 まぁ、そんなことをしだしたら、それはそれで抗議する奴は出てくるんだろう。ワクチンに忌避観を持つ人間というのも結構いるし、その辺で。

 ワクチンの忌避感あたりの事は、稿を改めることにする。


7337 ND5RC 990S

7337 ND5RC 990S

これで黄色けりゃ、ワルいピカチュウ

 

2022年2月5日土曜日

7333 VR1000

 

7333 VR1000

7332 GPz400F &  note「アウトサイダー」/ コリン・ウィルソン 0-4

7332 GPz400F

  どうも政治的なことに、コリン・ウィルソン的「アウトサイダー」の定義を求めるのは、間違いのような気がしてきた。体制に寄り添おうとする動きというのは、言い換えれば、存在の、精神の根拠を、生身以外、思想とか政治体制とかに、過激に求めるというのは、では、ツクミやまゆり園の植松某などはどうなのだ? という話になる。体制から距離を置く、沿わないで外側に行くアウトサイダーではないが、あれを決してインサイダーとも言えない。

 とはいえ、では、同じように考えていこう。easyriderのラスト、ビリーを、キャプテンアメリカを散弾銃で撃ったどこにでもいそうなアメリカの普通の農夫は? インサイダーか?アウトサイダーか? 植松某との違いは?

 前者が、脆弱ながらそういうところにいる自分の存在そのものを主張しているのに対し、後者は領域の防衛という意識がそうさせたような気がする。

 本人は限りなく体制側であると思っているようだが、植松某は、この著作的な意味を離れれば、現在の秩序というものから限りなくアウトサイダーであるが、意識が自分の領域第一というところでの行動という意味でeasyriderのおっさんたちはインサイダーのような気がする。

 とはいえ、この辺の事をいくら考えても、益ないことであるような気がするので、ここではこの辺で切り上げる。


 若いころのオレが、アウトサイダーという語感に惹かれたのは、どこか覚者のような意味合いを感じていたからであろうかと思う。この辺がいよいよこの本の内容にかかわってくるところである。
 若い子が、いや、大多数がそう感じていないのは、それが妄想であると思っているから、と、平たく言ってしまえばそうなのだが、それは、こっちのある種の熱に侵されていた人間のだらしなさが余計に、そう思わせていたのだろう。

 日本においてはそれは顕著だけど、多分世界的に人類社会というのは退潮局面にある。そこにおいて、そういう社会をどうするかという言及薄くして、「そんなこと」を言っていられる高みの見物的な呑気さというのはいかがなものか? ということにもまして、高じて、極端なものはすでにかなり昔にオウムなんていうものが日本にはあったけれど、どうしても、インサイダーと対置してしまうと、反体制の意味を帯び、やがては醜悪な何かに変化してしまう。インサイダーと対置してしまうということは、つまりはルサンチマンの発露であり、しかし、そこは普遍的にアウトサイダーのテーマではある。


 まぁ、別に「アウトサイダー」の授業ノートを作るつもりはなく、脱線、他人様には意味不明の記述も多くなるだろうが、まぁ、本を開く前の駄言はこの辺にこの辺にしておく。

 

2022年2月1日火曜日

7328 KH400_3 &  note「アウトサイダー」/ コリン・ウィルソン 0-3

7328 KH400_3

 インサイドを仮に「フツーの」に置き換えてみる。

 アウトサイダー、「こちら側」の人間から見たら、こう見える。

 「フツーの」日本人は、皇族とは言え精々まだ30ぐらいの女の子の選んだ相手がちょっとアレだからと、ここぞと叩きまくった。このご時世、アラサーなど、まだまだ子供同然、勇み足もあろうし、地に足がついていないなんてよくあることだろうに、親の仇か人非人であるかのように、叩く叩く。
 なのに「フツーの」日本人、巨悪にはとても甘い。

 「フツーの」アメリカの白人のおっちゃんは、黒人のBlack Lives Matterデモに、家の窓から銃を向ける。でも、実際に発砲するのは、黒人たちが一人になってから。まるで、easy riderのラストみたいに、何の気負いもなく気に入らない奴を銃で撃つ。

 いやいや、そんなの普通じゃないだろ! と即座に反論来るだろうが、では、上記日本人なりアメリカ人、本当にレアケースか? やはり、寧ろ「フツー」にちかいところにいるだろ。極端ではあっても普通の範囲内。

 まぁ、普通の範囲内であっても極端なものであるとしよう。あくまで、あらかじめ疎外されたアウトサイダーからの視点では。そして、その視点からは、インサイダーは、言葉なり実際の行動なり、結構暴力的だ。

 まあ、上の事柄はいろいろかけ違いも多いのだが、以下のようなことがある。

 「更生したヤンキーが偉いみたいな言われ方するけど、ずっと普通にまじめにやってきたやつの方が偉いだろ」という、言説。まず、それをずっと埒も開けず普通にやるしかなかった奴本人がいったら終わりだろ、と。

 別に更生したヤンキーが偉いわけではないが、なんか惰性でまじめにやってるふりしかできなかった奴より、見ていて面白いのである。一つには。
 また、一般に酷い損害を与えるような犯罪行為ならばともかく、せいぜいヤンキー同士の喧嘩程度で、それでドロップアウトした後、それでもなんとか一廉の人物にまでなった、ということは、何も無理して普通というものにしがみついている必要もなく、そこから零れ落ちたって全然平気、というメッセージにもなる。

 恵まれない、哀れな「フツーの」人は、絶えず、日々自分のテリトリーや分け前がじりじり削られていくような感覚があり、それを削っているのが「普通」外の奴らだと感じいている。だから、とりあえず、マウントとられるのを何よりも嫌う。学者が、小説家が、何か自分がわからないことを書いたり言ったりすると、意味も当然理解せず、目に付いたフレーズだけを取り上げて炎上大作戦。ちょっとでもヘマこいたやつはここぞとばかりに叩く叩く。


 しかし、まぁ、ここまで書いて気が付いた、ここにいたり「アウトサイド」「インサイド」などと区別するのは、労力が必要な割にあまり意味がない。疎外感というのは、大多数が持っているものであり、それは「疎外感」と陳腐な言葉では扱いきれない面倒くさい感覚、感情だ。
 では「アウトサイダー」という著作、現代的には意義のない作品なのか?
 度々、このノートを続けながら問ていくようにする。