2021年3月28日日曜日

6399 E39A VR-4 & ぷれーとてくとにくす2

 


6399 E39A VR-4
これも、本文とは関連は薄い。あえて言うなら、文中の昔の上司が同じ三菱の、ギャランですらない、パジェロミニに乗っていた、ぐらいのものか。

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 当地、富山というところは日本一地震被害の少ない所なんだそうだ。まぁ、そうタカをくくっていると、ある日ガツンとやられたりすることがあるのだが。古文書等を含め、記録に残る限り、域内に震源があり死者を出す以上の被害があった地震というのは、1586年の天正地震と1858年の安政飛越地震の2回きりである。

 どちらも巨大地震で、天正地震については養老断層とともに庄川断層が一番最初に大きくずれたのではないか、と言われている。安政飛越地震は、同じく、大地震が集中して発生した時期に、安政東海地震に誘発されてという説が有力なんだとか。跡津川断層が震源である。


 広告、グラフィッカーとしてゲーム制作をやって、何を思って地質調査の求人に飛びついたか、今となってはちょっとあいまい。当時付き合ってた女性と所帯持つにはそういう感じの仕事を、なんてことを考えていたことを薄っすら思い出す。ところが、そこに、つまり一個前の会社に就職したとたん、その女性には振られてしまうのだが。
 何はともあれ、そうやって入った会社だが、ある日の事。暑くもなく寒くもなく、だから、せいぜい初夏の頃だったのではないかと思うが、神通川沿い、猪谷のアンカー工事、斜面の一番上あたりにいたりした。歩いて登れば、それだけで一日の仕事が終わってしまうが、すでに仮設してあるせいぜい50㏄の2ストロークエンジンで引っ張るモノレールで登ったのだから、さほど汗もかいていない。そこには何度か通ったが、一か所スイッチバックするところがあり、そこに、カモシカを心ならずも追い込んでしまい、進退窮まったカモシカは逆にこっちに突進してきて、結構の斜度の斜面、焦った、ということもあったのだが、それはそうと、そのアンカー工事をしている斜面の一番上でのことだ。


 ちょうどそこは跡津川断層上(正確にはその周辺の茂住祐延断層)にあり、っていうか、この斜面の形成にはかの断層が少なからず作用していると思われるのだが、まあ、山々の緑のフラクタルノイズや谷筋稜線を乱暴に横断するするように一本、かすかにではあるけれど確実に、一本ズレの筋が見えた。
 まぁ、そんなものをざらにあるのである。山がちな所での川なんて、かなりが断層伝いだったりするのだし、高校の地学の教科書にも載っていたし、専門書にも口絵にも使われる濃尾地震の時にできた、畑と道を見事に切断して見せた断層の写真やら、最たるものが衛星写真をつなぎ合わせた日本列島の写真の左下を横に走る中央構造線。
 本当は霞ヶ浦のあたりかららしいが、オレがそうだと目に見えるのは諏訪のあたりから、最初は右に曲がるものの、渥美半島、伊勢湾くぐって紀伊半島を横断し、また海を潜って、四国を横断、海、九州は、阿蘇を通り、雲仙天草のあたりまで。

 地球をリンゴに例えるなら、地殻というのは、いわば赤い表面の皮のようなもので、そこに何とかへばりつくように、人間も他の動物も植物もなんとかかんとか振り落とされないようにやっているのだけれど、まぁ、まったくそういうことに頓着せずに、時折バツンとずれてみたりするわけだ、地球様は。何たる理不尽さ!


 リアルにそういうものを見て、ほんの少しばかり圧倒されていたオレの横で、当時の上司が言ったものである。

 「俺たちは、こういう何万年の時間を相手に商売してるんだよなぁ。」
と。まぁ、こういう意味のこちらの方言で、なんだけどな。

 あぁ、そういうことなんだ、何がそういうことかはよくわからないが、妙に臓腑に落ち着くものがあった。子供の時から地面の下の事が妙に気になるのも、ダラダラ緩くこの業界の末席を汚し続けているのも、あの時の上司の言葉のようなことがあるからなのかもしれない。

 ウチの79歳の母は、特撮物のゴジラとかジュラシックパークが大好きで、なぜかというと、どうやら、ビルとか踏みつぶしていく理不尽さに一種のカタルシスを感じているようなのだが、まぁ、似ていると言っちゃ、似ているのかな?


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