2021年10月10日日曜日

2021年10月9日土曜日

7134 Steve Jobs retake

 

7134 Steve Jobs retake

Steve Jobs
R60/2

7133 H2_11

 

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7132 EJ1_4

 

7132 EJ1_4

7131 Anthony Gobert_4

 

7131 Anthony Gobert

Anthony Gobert
ZXR750 1995


7130 Freddie Spencer_47  フレディ・スペンサーとアイルトン・セナ

 

7130 Freddie Spencer_47

Freddie Spencer
0WA8 1989

 フレディ・スペンサーとアイルトン・セナは時折並べて書かれることがあった。信仰の事で、モハメド・アリやカール・ルイスなんかも一緒に言及されていたこともあったし、二輪と四輪の違いはあれど、キャリアのピークにいるときホンダに乗っていて、しかもめちゃくちゃ速く走りが鮮烈だったから。

 しかし、フレディ・スペンサーは、まだ若くその後も彼の時代は続くと目されていながら、500㏄と250㏄の2クラスのチャンピオンとなった’85年の翌年、急激にしぼんでしまった。なんでも、オフシーズン、次の課題を克服するべく、筋トレを励みすぎて、筋肉が神経を圧迫する障害に襲われてしまう。
 clubhouseで知り合いになった、元柔道少女がまさにそれに罹ってしまったそうで、とにかく競技ができないくらいに強烈に痛いらしい。または、競技が続けられなくなるくらいに。そしてそれは何年も続くものらしい。
 何度もここに期するものを持って、再スタートを切ろうとしたみたいだ。ホンダのエースの座はワイン・ガードナーが持って行った。画像の’89年は、フレディと入れ替わりにホンダで走ったエディ・ローソンがチャンピオンを獲っている。しかし、フレディはそれでもバイクにしがみつくも、かつての走りは取り戻せず、そして柔道少女の言によるならば、ずっと痛みを抱えて走り、GPを離れ、米国内のシリーズを走り、やがて消えていった。

 モータースポーツと言わず、スポーツ全般と信仰だ。最近では、大坂ナオミもそれっぽい発言をしていたと思うが、多分、だ、競技の道を突き進むのが神の意志であり、いろいろな迷いがさいなむことがあっても、神の名のもと、時には強烈な使命感をもってわが身を競技に捧げることもある。
 アイルトン・セナは前日のローランド・ラッツェンバーガーの事故で、自身にその時が来ているのだと予感していたのではないか、という記事を見たことがある。しかし、走るのが神に与えられた彼の使命であるとし、悲壮な面持ちでウィリアムズに乗り込んだのだという。(とはいえ、まさか本当にタンブレロに突っ込むとは思ってはいなかったとは思うが)
 筋肉は裏切らないというが、フレディ・スペンサーは、筋肉に裏切られたのだ。しかし、それでも走ろうとしたのは、それが神の意志と信じていたから、なのかもしれない。

 それは、実はまったく別種の自分との戦いだったのかもしれない。レーサーとしてフェイドアウトしてからの彼の事は知らない。2010年代も半ばを過ぎてから、しかし、彼はファンイベントなんかに顔を見せるようになった。多分は一時はバイクなんて見たくもない心境だったと想像できるが、全盛の時のNSR500を駆り、GPの時は走る事のなかった、マン島のジャンプスポットを飛んだりもして見せた。そして、白髪が混じりかつては細面の甘いハンサム君だった老境に足を突っ込んだ男はファンに囲まれ、柔和な笑顔を浮かべながら写真に納まっていた。

 片や、神を信じピーク近くのところで突然天に召された男と、片やひょっとしたら神は裏切ったのではないかという疑念を抱いてしまうような試練を与えられ、今笑顔を浮かべる男。


7129 A1 Samurai_5

 

7129 A1 Samurai_5

2021年10月5日火曜日

7123 Eddie lawson_35 retake

 

7123 Eddie lawson_35 retake

Eddie lawson
KR1000
Suzuka 8h,1980

 10月に入ったというのに、昼間の気温は30度越えで、しかし、異常気象というか、気候がすっかり変わってしまったことに慣れてしまって、今更大騒ぎすることもなく、でも、頭の中ではすっと、ジャニス・ジョプリンの「Summer Time」が流れていて。

 リアルタイムで聴いていたというよりは、2000年頃のタイヤのCMでミハエル・シューマッハの当時のフェラーリF1の走行シーン、当時はもう12気筒ではなく10気筒、でも、そこはフェラーリで、それなりに官能的な音を響かせて走ってるはずの、エンジン音ではなく、いや、一瞬入ったかもしれない。やや遅回しの画像には「Summer Time」が合わせられていて。YOUTUBEで検索したがみつからない。あれは幻だったかな?

 逆光を走るレーシングマシン。夏の憂鬱。1980年のエディ・ローソンの画像を思い出した。で、これだ。

 1980年、4輪の話であるが、3年前の富士で、ピーターソンのティレルに弾き飛ばされたヴィルヌーヴのフェラーリが立ち入り禁止区域にいた観客をなぎ倒したあの事故より、その方面の世界からは遠ざけられ、ましてまだ2輪のレースには興味を持っていなかった年のスズカでの一コマ。

 おそらくはマシンの音とサーキットアナウンサーのレース展開を知らせる声が騒々しかったことだとは思うが、不思議とこれにも「Summer Time」が似合うような気がするのはエディ・ローソンのキャラクターによるものかもしれない。

 あの年の夏は、中学の部活、バレー部で一個上の先輩が全国大会に行った年で、記憶はほぼそれで塗りつぶされている。経験として貴重なものではあったと思う。しかし、必ずしも輝かしい思いでかと言われれば、行ったのは先輩であって、オレにとっては輝かしい思い出だとは…といったところを正直、ここに書いておくことにしよう。

 考えてみれば、賑賑しい所の真っただ中でそれを謳歌した記憶もわずかだし、ドキドキのひと夏の経験も、特にティーンのころはなかった。どこかで憂鬱な何かを抱えていたような気がする。その時はそれを認めようとは絶対思わなかったけれど。







2021年9月26日日曜日

7112 XJ400Z

7112 XJ400Z

 高校の同級生の源君に、大学生か新社会人になりたての時に乗っていたXJ400を描いてくれということだったので。
 色とか訊いていくうちに、「カウル付き」ということで、空冷XJにヤジマあたりの後付けカウル? とも思ったが、件の源君、決して王道を行く優等生タイプではないものの、某大手新聞社の、今は違う部署だけれど、ちょっと前まで記者職でバリバリやっていた人で、よほどうまくつけなきゃ、旧車會系になってしまうような、ヤジマカウル付きの空冷XJに乗っていた可能性は低いと思い、純正のビキニカウルが付いた水冷XJ-Zをこのように。
 いや、やはり空冷の二本サスのタイプといわれたなら、そちらも描くことにする。

 

7111 Anton Mang

 

7111 Anton MangKR350 1982

Anton Mang
KR350 1982

7110 Thruxton R (Thruxton_6)

 

7110 Thruxton R (Thruxton_6)

2021年9月25日土曜日

7109 H2R_4

 

7109 H2R_4

7108 Jason Statham

 

7108 Jason Statham

7107 Z1000_28

7107 Z1000_28

 

7106 H2R_10

 

7106 H2R_10

H2R
 Tsukuba 2021


7105 CKV36_2

 

7105 CKV36_2

7104 富沢祥也_3

 

7104 富沢祥也_3

Shoya Tomizawa
Suter MMX 2010


7103 Z1000J_2

7103 Z1000J_2

 

2021年9月23日木曜日

7100 SB1_3

7100 SB1_3

SB1
Adam Malley
Mid-Ohio 2008

 別に右翼の街宣車というわけではなく、アメリカの草レースでの一コマである。'70年代にディーラーを離れて以来、ほぼ日本人がかかわっていることはないと思われる。

 旭日旗が、ハーケンクロイツと並ぶものとして、掲げることに対し韓国人が批判を繰り広げるようになるほんの少し前のものである。
 思い出すのは二輪のGPで、ヨハン・ザルコが赤丸に放射線状に赤の帯が広がるデザインのヘルメットをしていたところ、やはり強く攻撃されデザインを変えてしまったということがあった。別に敬意も謝意もあるわけではない。面倒くさい奴らの相手など無駄な消耗でしかないと判断したのだろう。このシビックにしたって、今このカラーリングなのかどうかは分からないし、そもそもクルマとしてこの世に未だに存在しているのかもわからない。

 日本として、然るべきタイミングで、受けるべき人間にペナルティを課さずに、その為にその辺の事実ぼやかしてきてしまったことが、何やら、日本人総出で謝れ、みたいな韓国人の主張を罷り通らせている気がして仕方ない。であるから、うやむやにはやはりうやむやに、韓国の政治的主張が勝利したりする。しかし、繰り返すが、そこには、政治的に勝利しても本質的な経緯や謝意は存在しない。あ~、またなんか面倒くさいこと言ってきてる、というのが多数派であると思われる。

 聖徳太子の時代から代々、日本の「日いずる処」というのが、中国人にも韓国人にも、日本人にマウントとられたようで我慢できないということもあるのだろう。ハーケンクロイツが、アーリア人の優秀性をなんたら、とヒトラーがでっち上げたものと、同列で語られるのはそういう理由もあるのかもしれない。いや、これをやめさせるいい機会だと、何千年来の懸案を解決するつもりなのかもしれない。本当は日本人から日章旗も菊のご紋も取り上げたい。そんなところではないか? あんなやつら、この世の果ての小島に追い落とされたやつらに偉い顔されるの我慢できないとかという、何千年にわたる歴史意識があるのかもしれない。真っ先にやり玉に挙げたのが、日章旗でも菊のご紋ではなく旭日旗であるところにそんなことを感じた。攻撃しやすい所から、という感じだろう。
 
 実は、それぞれの国内で、支配者層がそれぞれの地位保全のために結託していることもあるかもしれない。2021年9月現在、コロナ禍での失策で、自民党危うし、というタイミングで、北朝鮮がちゃんとミサイルを撃ってくれた。お互いの世論がいがみ合うことで、世論を糾合し、結果既存の支配者層の地位が保全される形。
 でなければ、太平洋戦争時に何があったか、何をしたのか、遅くとも景気が良かった昭和後期までに、誰もが納得できる論理的な解明は済んでいるはずで、21世紀になってから、まさか、当時の軍旗に使われていたからと、旭日旗の排斥運動が今更のように起こったはずもない。
 韓国など、ちゃんとすべて明らかにされていない大戦の、「日本の負債感」を国家的資産をとらえている節すらある。なにかあれば日本から絞れ、出来るだけ長期間にわたり、みたいな。で、日本の支配者層もそれに連動している感じで。

 シビックはカッコいいのに、クソみたいな文章を書いてしまった。しかしまぁ、こんなボディパネルの車を掲載する以上、何か書かないわけにもいくまい。


 

7099 Z1000R_18

 

7099 Z1000R_18

7098 石田ゆり子_13

 

7098 石田ゆり子_13

7097 KR750 1979

 

7097 KR750 1979

KR750 1979
rider; Mike Baldwin