2022年3月24日木曜日

7415 Gulf - Mirage M6_4

 

7415 Gulf - Mirage M6_4

Gulf - Mirage M6 #602
Howden Ganley
Watkins Glen 1973

2022年3月23日水曜日

7414 気嵐

 

7414 気嵐

7413 片山敬済_44

 

7413 片山敬済_44

Takazumi Katayama
TZ350 spl.
Paul Ricard 1977


 オレは1983年、高校生の時からのGPのファンで、1977年というと、スーパーカーブームからの流れで四輪のF1を田舎の小学生なりに、何か月か遅れでおっかけてた感じだった。
 このころのGPや四輪のF1もそうだ、なんか、今のとは雰囲気が違うように思えてならない。そしてこのころのその雰囲気に何かすごく惹かれるものがあった。それは何かについて時々考えたりする。勿論暇た時だよ、と、言い訳がましく言ってみる。

 1988年、いや、89年か? 四輪のF1で中島悟氏がレギュラードライバーで走っていたけれど、他のホンダエンジンユーザー、マンセル、ピケ、セナだったかな、ピケ、プロスト、セナだったかな? に比べて見劣りするリザルトを重ねているときで、日本国内のファンからは若干の失望の声が聞こえていた時期の事だ。
 雑誌で、片山敬済氏は、それまでレギュラードライバーとしてF1を走った日本人がいない中で、それがどんなにすごいことなのかと中島氏を擁護する文章を読んだことがある。

 GPにしろ四輪のF1にしろ、国内でトップを獲って満を持して世界に挑戦するというのが一つのパターンで、中島氏はそのパターンだったが、一番脂が乗ってる時期を逃すぐらい、待たされた、のだそうだ、いろんな話によると。
 対して片山氏、GPの出走資格を得た1974年、マシンの貸与以外何のサポートもないまま、強引に日本を飛び出しGPの挑戦を始めた、とある。メカニックすらおらず、整備やチューニングも一人でやっていたそうだ。GPを走った日本人はそれ以前もいないわけではなかったが、フルシーズン、ワークスでもないのに走るなんて、そんなロールモデルはそれまでなかった中での話。
 サーキットの中の話だけではない。EUができたのが1993年、それ以前はECなんてあったけど、国をまたぐ移動は通関手続きとかなんとか、面倒ごと、すべて一人でやって、なんて、ちょっと現在では考えられないことをやっている。
 よくは知らないで書くが、今のコ達、サーキットに行って、マシンは用意されていて、それに乗って、その日のタスクが終われば、ホテルに戻って、特にコロナのこのご時世、部屋にこもってゲームやってるようなイメージがある。もし本当にそうなら走ることに集中する、という意味では非常に合理的ではあるが、今から40年前のGPではそうだった、それができたのは、一重に熱、走る意志、戦う意志が強かったからなんだろう。
 
 1980年代後半の中島悟氏はその点ではまだ恵まれていたんだろうが、一番肝心なシーズン通して客地で一人モチベーションを維持していくというのは、確かに大変なことだったのだろう。

 だろうだろう、で、文章進めちゃってるが、田舎の元小学生、今おっさんは、こういうことは、ちょっと聞いただけの事を想像力で膨らませるしかない。

 ITと言えばいいのかどうかわからないが、四輪のF1など、マシン、夜は一か所に集められ管理されているそうな。夜間の整備は禁止ってな。MotoGPでも多分同じシステムなんだろう。
 いろんな記述で見るが、かつてのGP、昼間のプラクティスでこけた修復を徹夜で行うことも、いつも一つ前を走ってるライダーを食うために一工夫チューニングを施すことも、ライダーが納得いくチューニングするなんてことも、夜、パドックでは普通にあったことなんだろう。そのすぐ横には、金持ちのチームは立派なモーターホーム。それほど金持ちでは無ければ中古のキャンピングカー、爪に火を点すようなチームならおんぼろのワンボックスカーが並び、ライダーもそこで明日に備えて寝てりゃいいのに、マシンが気になって、いや、切実に整備の手が足りなくて、のこのこ寝床を這い出してマシンをいじってたりして。
 時にはチューニングの方針についてメカニックと激しい口論もあっただろう。

 夜というのに、それこそサーカスのバックヤードのような静かな喧噪が普通にあった、と想像する。

 田舎の子供はそういう熱にあこがれていたんだと思う。


7412 935 K3_3

7412 935 K3_3

935 K3 1980


 まだ引っ張る出張前後の話。作業一日目は結構暖かだったのに、二日目以降、霧雨みたいな雨は降るし、豪ぇ寒いでやんの。いや、北陸在住者にとっての関東など、と、舐めてました。
 東北で何人かなくなるほどの大きな地震があって以降、結構大げさな寒の戻りもあったりして、気が付けば酷く電力供給がひっ迫している非常事態なんだと。

 単車とかクルマとか、化石燃料燃やして走るものが好きなオレにとっては、脱炭素化社会とかEVシフトなんて言葉、受け入れざるを得ないとわかっていてもなんか憂鬱なものでしかなく、そうじゃなくても、この2,3年のSDGsとかいうやつ、あのカラフルなアイコン並べたアレ、なんか非常に胡散臭いもののように思っている。クルマにさほど興味がない人であってもそういう感覚は少なからずある人か結構いるようなのだが、いい大人だし、ことがない限り口にはしないらしい。まぁ、なんだかんだいって、生活があるし、この局面で、じゃぁ、どう社会を回していくかってことがあるわけだし。

 路上を走るクルマ、ほぼすべてBEVにするなんて言う政策が大きいリスクを持つということ、2年前? 去年? もうその辺あいまいだけど、関越自動車道で大雪の中かなりのクルマが何十時間も立ち往生した時の、EVに乗ってたら凍死する、以上のネガだろう。今回の電力供給ひっ迫の件。現状の電力インフラの下では、こんな時EVに乗るなんて、ちょっと犯罪的ですらある。
 消費者が購入時、選択肢としてEVというのがあってもいいが、ほぼすべてをEVに置き換えるのは、少なくとも現時点では誤りだということだと思う。

 二酸化炭素が温暖化を引き起こす、どう言えば一番正確な言い方なのかわからないが、要するにこんな感じの事に異を唱える人が結構いるが、その辺オレはこの見解に反対するわけではない。感覚的にはよくわかる。そして単に気温を押し上げる以上に気候を極端なものにしてしまっていると思っている。
 が、解せないのは、例えば地球温暖化対策の国際会議で、各国の産業をどのように抑制するかという議論に終始していて、樹をもっと植えましょう、世界で一番二酸化炭素を吸収して酸素を供給してくれるアマゾンを持つブラジルとか、他にも大森林がある国土を持つ国にもっと保護のための資金を供給したり、砂漠を緑地化するためのお金を拠出しましょうという話にならない。最初の頃はそういう議論もあったはずなのに、最近何回かはそういうの、聞こえてこない。
 逆に言えば、そういうのも必要なんだろうが、二酸化炭素排出量がそんなことじゃ追いつかず、本当は今の産業規模を何分の一にしてしまうとか、文明ほぼを手放してしまわなければいけないぐらい事態は急を要しているところを、なんか、もちゃもちゃやってるだけ? という感じなのかもしれない。

 資本主義を完全に諦めて、なんてことがやはりできない。いや個人的にはもいいや、って人も結構いるんだろうが、社会全体そうなってしまうと、たちどころにパニックだ。そういうところで、何とか折り合いをつけようという涙ぐましい努力の結果が、あのうさん臭くカラフルなアイコンが並んだアレ、なんだろうが、別の視点で言うと、日本人にとっては「持続可能」なんていうのが如何に嘘っぽく、この世は諸行無常だろうが、なんだけどな。

 どこに向かっていけばいいのかわからない現状、かのSDGsキャンペーンというのが、とりあえずどうしようもなくて湧いて出た窮余のなんとか、なんだが、多分ベストなソリューションでは全然ない。そんなもんじゃ、恐らくは何も解決しない、というのが本当のことなんだろうが、

 なんか、それに依って蠢動する奴らが目に付く。多分近い未来身の回りにあるものは、モノから社会の仕組みまでみんなガラクタで使い物にならなくなる。ゲームチェンジャーに気が利いた奴らはなりたがり、ロシアがウクライナに対してしていることも、新しい時代が来る前の駆け込み的現状変更を意図しているのかもしれない。

 理性的でありたいと、まぁ、多くの人は思っている。でも、理性的であろうとするために立ち止まってしまうというのが、如何にもまずい局面になりつつある。個々人が、周りに注意し、注視すべきものには注視し、判断材料と知見を蓄え、判断すべき時は素早く判断しなくちゃいけない。実質初見でも的確に動かなくてはいけない、非常に、面倒くさい、というより、もう、しんどい時代が来ているのかもしれませんぜ、だんな。

 

7411 Mazda 6_2 retake

7411 Mazda 6_2 retake

Mazda 6
Daytona 2013


 さて、3回目の所沢出張を明日に控えて、の晩の事だ。いろいろ準備があって、定時より1時間半ほどの残業で、日が暮れてしまってから帰宅となったわけだ。ウチの会社、本貫地こそ、子供のころからのオレの縄張りにあるけれど、実際勤務するところというのは、車で普通に走って自宅から20分ほどのところにある。会社の間を通る片側2車線の国道160号線を高岡にむかい、途中で国道8号線に入る。途中海老坂という低い峠を超える。でも、山道とは言えないどこにでもある切通のアップそしてダウンなんだが、まぁ、建物はごく少なく、街灯もない。片側は山で片側は、法面が落ちている、そんな感じの所、

 いつものように走ってたわけですよ。

 それが突然、バン!とか、ドカン!って衝撃。え、何々?!!って思う間もなく、前に転がっていく毛むくじゃらの何か、って、猪だし。刹那、思考も停止したが、とにかく、ただじゃすまないはずなんで、路肩に停まり、状況確認。車を降りると、脇の藪がガサガサ言ってる。猪も必死に逃げて行ってるのだろうが、彼も瀕死で必死なはず。友人宅近くの北陸自動車道で何年か前熊がやはり車と衝突した時、やはり夜で、警察が結構必死にあたりを探したみたいだが、案の定、ちょっと離れたところで熊の亡骸を発見した、なんてことがあったと思う。あの猪もそう長くはあるまい。

 って、野生の王国じゃないんだから!と、誰に突っ込むわけにもいかず。このオレが携わる一連の業務、なんか猪に縁があって、前に現場に切った深さ50センチ幅1メートルほどの排水溝に、朝行ったら、猪落ちて死んでしまってた。氷見市の農政課に回収してもらったが、しかし、お前、都会育ちじゃない、野生の猪だろ? そこのあたりこそ、里山の山すそで猪は珍しくないにしても、落とし穴じゃない、それぐらいのギャップにハマって死ぬなんて。どうもこの界隈の猪はなんか鈍くさいのかもしれない。

 で、クルマである。右前バンパー、へこんで外れて、うわぁ、これだけで20万コース。と、ハザード出して、さて、これから落ち込もうとしましょうか、というところで、ハザード出して停まろうとしてるアクアが一台。聞けばオレのクルマのパーツ、思いっきり踏んづけたらしく。
 こういうの、警察呼ぶ案件? 一瞬迷ったが、まぁ、そうなんだろ。呼びました。第一当事者の私が、です。トラブルだし、保険屋にも連絡か。

 警察来ました。アクア君は、路上にあったものを勝手に踏んづけた、オレは完全に停車していた時で、クルマ本体が接触したわけでもない。何か故障があったとしても別件、アクア君に関してはオレには一切おとがめなし、との警察官の話。

 でさ、そのあとごちゃごちゃと。保険のサービスでレッカーしてもらい、クルマ見てもらってるところでざっと見積もりしてもらったら40万だと。うわぁ。

 K12マーチ、1200㏄の5MTである。それを続けてこれが2台目。前のK12はトラックに後ろ追突されて反対車線に飛ばされて、そこを対向車に衝突されて廃車。それでオレはけがをしていないんだから、よくオレを守ってはくれている。しかし、まぁ、これでこのクルマ諦めたら、つくづく、天寿を全うできないクルマだな、と哀れになる。その前、プレッソとP11プリメーラは乗り潰すまで乗った。あ、でも、プレッソも一度359号線のやはり2車線、結構クルマが多い時間、ファボーレの前で猫踏んづけちゃったんだよなぁ。グキ゚って、いやな感触があって、ちょうどその前後マフラーも外れて落ちちゃって、廃車にしちゃったんだ。20何万キロ走った。

 K12、いいクルマなんですよ。会社の人たちにはオレには似合ってない、なんて言われますけど。気に入ってるけど、もう良いかな、という思いもある。

 でさ、ここから話が変わる。

 MTがいいわけです。で、この燃料代高沸の昨今、マツダのディーゼルターボが気になりだした、というところで、この絵でした。

 それにしても、コロナで物流が滞り、ロシアがウクライナ侵略してエネルギー事情がひっ迫し、と。それ以前のバランスが大きく崩れ、多くのものの生産、物流が滞り、物価が跳ね上がり、上がらないのは日本人の給料だけ、という状況になっている。
 それは蓄積だったのかもしれないが、上の二件は、2001年の911や、その後のリーマンショック以上のインパクトなんじゃないか、とも感じることがある。911やリーマンショックは傷を負いながらも、何とかリカヴァーする目途がたっていたりしたが、コロナやウクライナ動乱はもう取り返しのつかない、不可逆的な出来事なんじゃないかとも感じる。

 コロナに関していえば、飲食業や観光業だけの問題ではない。コロナが収まれば元に戻れる、なんてことはもうないし、ここで延命を試みても、緩慢に、それでいて急速に死を迎えるしかないんじゃないかと思う。社会構造は劇的に変わる。ITが変えるんじゃない、ITは大きなファクターではあるけれど、結局は思想とか何とか、後付けの検証とかでしか全容は分からないものかもしれないが、いささか労多くして功少なき感はあっても、ここで多くの労力を投入するべき局面ではないかと思わないでもない。まずは、どこにどう向かうかをよく考える、と。何かしないと、少なくともよく考えておかないと、悪いところに流されて行ってしまうだけのような恐怖がある。人を批判する思考じゃない。人を差し置いて、というのは良いことではないが、その辺のリアリティも含んだうえで、の話。とにかく自分が前に進むための思考。

 といっても、どうにもオレを世代も含まれるのだろう。今の日本、先の見えない努力を嫌うし、そういうバイタリティを失ってしまったような気がする。先輩たちが、無理筋な話も力技で成してきたような、今回で言えば、それでも、決してサプライチェーンは切らさないとか、そういう「無理」ってしなくなったよね、日本人。良いのか悪いのか。仕事の質も落ちてるし。

 バブル崩壊以来、長らく続く停滞感のなかで、溺れるように小市民的な幸せをむさぼるような社会的価値観があるわけだけど、逆に言えば、自分の持ち分やテリトリーを削られることにすごく過敏に反応する今の日本人。変化を唱えれば、胡散臭いものとしてみてしまう。で、実際胡散臭い詐欺師的な奴も多いから始末が悪いんだが、そんなこともたもた言ってる場合じゃない状況がもうすぐそこまで来てるのかもしれない。
 例えば、大地震一つ来たら、東日本大震災の時のように、東北だけの問題じゃな済まされなくなる。日本人全員が、例えば物流的な意味で被災者になる事だろう。

 と、猪にぶつかられてから、そういうところまで思考が至った。


 

2022年3月22日火曜日

7410 20220319川越 & 川越美和氏のこと

 

7410 20220319川越


 まだまだ通わなくてはいけない所沢の仕事場だが、資材を当地から運ぶために、4tユニックやら4tダンプやらで行かなきゃいけない。それだけで半日だ。朝出て行って、その日現場でできることはあまりない。それはいい。
 所沢と言っても、所沢と川越と狭山に挟まれたようなとこで、川越市街から10キロもない所なので、大きなクルマが停められる川越駅から近い宿に投宿していたのだが、舐めてました、川越。8,9キロのところ40分ぐらいかかるし、道狭いし。結構ストレスだった。それもいい。

 で、川越で思い出した。そういや、昔川越美和ちゃんっていうアイドルいたなぁ、って。土地の川越とはほぼ関係ないけど。別にそんなファンだったってわけでもないが、下のCMが強烈だった。

グリコ いちごキディTVCM 1995年


 確か孤独死したんだよね。芸能人の女の人、そういう人案外多いよな。2008年の事だったそうな。そんなになるか。mixiやってたとき、その事についてちらっと書いたことがあるような気がする。

 といっても、改めて書くことも今更ないんだよね。ただ、頭の中「オッレゴン産のっ、いっちごをかっける♪」っていうのがリフレインしてしまうこと以外。


 なんとか、自分に降りかかる孤独とか挫折とか何とかに負けないで生きていきたいと思うわけだけど、ま、無理なときは無理なんだよね。頑張ったら余計だめらしいし、そういうのって。出会いなのかな? 彼女の周りに、そういうのに寄り添ってあげようって思う人が、そういう人に出会えなかったのが不幸だったのか。



7409 Rachel Cook_12

7409 Rachel Cook_12

 

7408 RC30_5

 

7408 RC30_5

RC30 1989
rider ;  Fred Merkel

2022年3月21日月曜日

7407 高橋国光_3

 

7407 高橋国光_3

Kunimitsu Takahashi
RC162
Solitudering 1962

…ride in pradise

7406 Matchless G50_2 & 2022年3月あたりの近況なんぞ 2

 

7406 Matchless G50_2


 3月20日の作業こそ、今回のメインイベントとなるも、作業量としては大したことなく、午前中いっぱいで所沢を切り上げ、ゆるゆる関越道~上信越道を移動し、小諸で降り下道で佐久に折り返し投宿。21日、同じく下道で東御を目指したわけであるが、一つ前のポストに書いた通り、新幹線や高速道路ではそれほど実感できなかった地形の起伏を存分に感じたわけである。
 左手に浅間山とかそれに連なる山々を見ながら、いや、まず浅間山からいこうか。何日か前の降雪でそれは綺麗な白の成層火山だった。煙は出てなかったけど。

 ふと、高校生の時読んでいた「軽井沢シンドローム」という漫画を思い出して、主人公たち、この辺でわちゃわちゃやってたんだなぁ、と思った。
 オレもいい加減変な高校生だったのかもしれないが、ド東京、渋谷、原宿よりは西東京、福生とかあと、吉祥寺、国立、そのあたりにあこがれていたし、いつか単車で晩秋の信州を走ってみたいと思っていた。
 まぁ、よくある話なのかもしれない。漫画とかの影響だから。

 前者は、例えば「河より長く緩やかに」という吉田秋生氏の漫画とか、片岡義男氏の小説とか、RCサクセションの曲だったりが影響していたように思えるが、後者、あ、これも片岡義男氏のがまずある。「ときには星の下で眠る」が、地名は明らかになっていないものの、恐らく信州界隈が舞台だったように思う。

 で、「軽シン」だよ。主人公相沢耕平のような、目くるめくセックスライフ、のちのエロゲーみたいな展開の青春、田舎の少年で憧れない奴の方が少数派だと思うのだが、それは決めつけか? でも、晩秋の信州を単車でとは関係ないような気がする。にしても、2022年において、信州のこの界隈は程よく田舎で、それがやがて40年前(!!)にもなろう当時、都会だったはずがなく、良くて、ところどころ国道18号線沿いのいかがわし気なスポットで若いコがたむろしているぐらいのものだったろう。なんで、そんなのにあこがれてたかね?

 それはともかく、目くるめくセックスライフなんて良いものにはついにありつけずに来てしまうし、一度大学生の時、それこそ晩秋、単車でこのあたりを走ったのだが、三笠教会の横の道を鬼押出に向かう途中こけちゃって、ブレーキレバーとフロントフォークを曲げて、フットブレーキはへし折れ、佐久のバイク屋で応急処置をして、霙の中泣く泣く京都まで走って帰ったことがあったんだった。現実はそんなもんさ、と。

 まだ、高校生の時、晩秋の信州を単車で走ってみたいと思った理由、一つ書いてない。
 それは、多分信州ではなかったと思うが、高校生当時のインスタントコーヒーのCMで冬枯れのアップダウンをマチレスが疾走し、最後にライダーがコーヒーを飲むというのがあったんだ。マチレスと言っても画像のG50ではないと思うが。G50といえば、今のデスモセディチかRC213Vみたいなもんだから、そんなのが田舎を単騎で駆け抜けるはずがない。でも、あのCM、かっこよかったんだよなぁ。それに片岡義男氏の小説が重なったんだろう、きっと。

 とか考えながら、4tダンプで駆け抜ける信濃路は、あまり楽しくないのである。重いし、慣れないし。忘れてたけど、ちょっと頑張って、コケて泣く泣く走った大学生の時よりはもうちょっといいコンディションで、もう一度単車で走ること目標に、ちょっと頑張ってみようか、などと、ひそかに思ってしまったのでありました。

7405 東御20321 & 2022年3月あたりの近況なんぞ

 

7405 東御20321


 あまりそういうことを声高に言うと、会社的に不味いのかもしれないが、50代も半ばで初めての経験でどこか面白がっているところがあるし、一応は再三会社の勤怠アプリからは警告が来ているのだから、会社は悪くない、と言っておこう。25連勤というのは生まれて初めての経験なんだが、睡眠時間を削っているというわけではないので、案外しんどくはない。まだ、少なくとも2、3か月はこんな感じなんだが、とりあえず、明日、明後日は休む。
 まぁ、今の会社に入るまで、結構サボってるような生き方してたので、それもありかな、と思わないでもないが、同世代は、そろそろ仕事的にはリタイヤも視野にソフトランディングの姿勢を取り始めているというのに、少々こんな告白も気恥しいし、関わっている方々には至らぬ私が申し訳ないことが多々あるのだが、実はそれほど気にしているわけでもなく

 そ ん な も ん だ と、諦 め て く だ さ い

だったりする。まぁ、至らぬなりに精一杯やってるので許してね、と。

 それはそうと、ずっと出張出ずっぱりということではないのだが、コロナのこんな時期なのに、というのもあるのだが、仕事柄、人のいないところめがけて、というような感じなので、あまり気にしていない。で、今日まで5日、武蔵野、最終日の今日は付随した形で信州に用があったのだが、とても慣れたものとは言えない4tダンプのステアリングを握りながら、ボーっと思ってたことを書き連ねてみようかと思う。


 沖積平野に広がる田園風景というのがデフォルトであるという感覚があったから、特にこちらの感覚で、水田が広がっているはずのところに畑が広がっている武蔵野というのは、なかなか不思議な感じ、というのも大げさだな、なんというのだろう、やはり不思議としか言いようがないか。都市化が進んでいる現代ではあるけれど、そうではなかったとき、いや、それは水田が広がるところでもそうか、狐狸が結構いたりして、って、あ~、そういえば、車に猪が突っ込んできたんだよ!って。案外、昔に戻っていくのかもな、って、そういうことじゃなくて。
 仕事場は、今の形になる前は畑ですらなく、少し小高い雑木林と脇を流れる水路だったんだそうな。

 武蔵野の町のでき方、道の付き方というのは、地形を模した培養基にプロットした粘菌が作る道筋、集約点の形に酷似してた、なんて読んだことがある。こちらでは、川とか谷筋とか、町のでき方に地形というのはかなりダイレクトに影響しているように思えるが、武蔵野に関してはあんまりそんなこと関係ないみたい。まぁ、良くは知らんのだが。

 無理やり通した道、ということでは、信州もなかなかのものだった。佐久から東御、上田にかけて、恐らく、地形的には若い地形なんだろうな、樹木とか建物とか取っ払ったらグランドキャニオンみたいな地形なんじゃないかしら? 侵食とかまだまだ途上で。なんで、こんなところに道通すよ? と、新幹線や高速道路からではわからなかった、下道走って、そんなことを思う道が結構あった。
 その脇、無造作に補強もされず、例えば上の方の樹木の根とかがよく見えてしまってる法面とかが結構あったのは、武蔵野も信州も同じ。これは行政の問題なんだろうか? それとも、思いのほか安定している? 信州なんか、2年前の台風の時も、千曲川が氾濫しても、そういう法面が崩れたみたいな話は、うっかりしていて聞かなかったなぁ。

 近代の遺構がこっちよりいっぱい残してあったな。とか、道で言えば、地元の方が絶対良い、とか、由無きことを由無き具合に考えながら、慣れないレンタカーの4tダンプのステアリングを握っていたわけでございます。

2022年3月15日火曜日

7404 VT250F_2 & 「君は天然色」

7404 VT250F_2

 「過ぎ去った時間、癪だけど今よりまぶしい ♪」

なんて、負け惜しみいたしません。そんな元気すらないオジサンでございます。昔はリア充的な意味で幸せだった、なんてことはちっともないけれど、それでも何となく浮かれていられた。「あしたはきっと何かあるなんて、甘えたことをぬかしてるジョー」(電気グルーヴ)であります。「他力本願、ハルクホーガン、オレの●ーガン、君のコー●●」であります。

 電気グルーヴじゃなくて、大瀧詠一でしたね。

 この「君は天然色」である。ジャケットのカラフルさとメロディラインのポップさ加減に騙されるが、「A Long Vavation」、なかなか毒の効いた歌詞の曲がそろっている。「君は天然色」も、歌われているのは幸せな恋ではない。
 で、ジャケットの永井博氏のリトグラフかシルクスクリーンか。いや、一枚モノの描きおろしかもしれない。ある明度以下の影は黒のベタ塗りである。その上に、一枚モノの描きおろしというなら、ホルベインのガッシュでいえばアイボリーブラックというよりはジェットブラックの上に原色、チューブから絞ってきてそれほど水で薄めていない色を乗せてあるような、そんな描写。
 若い時は、そういう割り切りが好きだった。でも、この年になると、陰影の中にも書くべきことがいっぱいあるんじゃないか、抽象的な意味だけではなく、直接的そのものずばりの絵であっても、そう思うようになってきた。っていうか、正直、黒ベタ塗りの面を見ているが辛いのだ。

 1981年3月21日、「A LONG VACATION」リリース、1982年5月25日 VT250F発売、ということらしい。この両者、つながりは全くない。この時代からみた、あの時代は・・・という括り以外。
 ただ、何かに酷く焦がれていた、若いころの感情、もう結構忘れてしまっているけれど、どんなんだったかな、と、ちょっとだけ必死に思い出そうとしたら、何となく重なって思えた。

 どうなんだろうな、昔話なんて、結構不健全って言われてしまうことが多いんだけど、実際今のものには逸らない、心が何となく動かないこともあって、それを詳述してしまうと尚更不健全って言われてしまいそうで、でも、あの時のあの感覚というのはすごく大事なものだったようにも思ったりして。

 VT借り出して、小豆島行ったことがある。明石のあたりの国道、アスファルトの照り返しが熱く、大型車の排気ガスがひどかったな。でも、思い出すのはろくな結末を迎えなかった甘い恋ではなく、そういうじりじりした感覚ばかりで、それがひどく懐かしいのだ、不思議なことに。

 

2022年3月1日火曜日

7387 Captain Ukraine

 

7387 Captain Ukraine

Volodymyr Zelenskyy


 このブログにおいては、政治家の絵など描く予定は全くなかった。
 一連の動乱で、しかし、まぁ、ロシア大統領からは暗殺指令を受けているらしいが、そんな危険に身を晒してまで、ウクライナ国民を引っ張る様は、コメディアンという出自を持つ彼の演出力というか、死を賭してまで突っ走ろうという疾走感は、何かを感じないわけにはいかない。
 とはいえ、基本ウクライナ人はソビエト以来のロシアの支配に対して相当恨みを持っていたとはいえ、一連の動乱が起きる前、彼は一般のウクライナ人が望まないくらい過激にロシアを挑発していたのかもしれないし、そういう意味では、直接の加害者はロシアであるとはいえ、彼は自国民を危険にさらすことに加担した、と言えなくないかもしれない。
 また、得てして、このタイプ、国が安定すると、ころっと変節する可能性が結構あるようにも思われる。

 が、なんであれ、ここでロシアがウクライナ侵攻を成功させてしまえば、この世界に悪しき前例になってしまう。欧米は口ではいろいろロシアを非難しながらも、気乗りしないというか、及び腰で、まだ加盟していなかったとはいえ何のためのNATOなのやら?だし、オレ自身、無名ではあるけれど、スペイン内乱の時のアーネスト・ヘミングウェイみたいに義勇兵として参加するなんてできるはずもない。

 コメディアン時代には、チ●ポでピアノを弾くなんて言うお下劣な芸もやっていたようだが、なんというかな、面白そう、なんて言ってしまうわけにはいかないが、政治家ではありえないような疾走感を感じる。

 どうかロシアに、というかプーチンに勝利しますように。 






7386 BNR32_9 retake

 

7386 BNR32_9 retake

BNR32
for
 Britsh Drift Championship