加藤大治郎_1 ver.2 (3459/7670)
Daijiro Kato
on NSR250
@ Jerez,Spain
Grand Primo de Espana
rd.3 GP250,WGP 2001
☆
「又も加藤の死についての繰言」
今年のMotoGP、誰も言わないけど、誰もが思っている。マルク・マルケスの独走で興味が薄まったと。オレ的には、マルク・マルケスが登場しなくても、この何年か、段々とGPへの興味が下がってきてしまっている。それはどうしてなのか、考えないではないのだが、ソレについてはここでは書かない。
せめて日本人が活躍してくれれば、もうちょっと見ていて楽しめるのではないかとも思うのだが、青山博一選手にしても下のクラスの中上貴明選手にしても頑張っているのはよくわかるのだが、チャンピオン争いに絡むというのとは程遠い状況だ。
老いた両親の楽しみの一つに海外旅行があるが、何年か前、スペインに旅行で行ったときに、丁度トニ・エリアスが最上クラスで初優勝した時で、国を挙げて大騒ぎだったそうである。両親、海外まで行って、トニ・エリアスという名前を覚えてきた。あと、イタリアに行ったときは、ロリス・カピロッシという名前とか。ヴァレンティノ・ロッシの名前は母は覚えていたんだが。
今更書くまでもなく、ヨーロッパでは二輪のライダーは老いたるものも知るほどポピュラーな存在だが、二輪の最大の製造国にして、あらゆるレースカテゴリーでトップ争いを演じるメーカーを有する日本での、彼ら二輪のレーサー達への認知の低さはどうしたことだろう?
90年代から今世紀の初めぐらいまでは、それでも日本人ライダーもトップ争いの一角にはいたものだが、2009年のGP250の最後のチャンピオンを青山選手が獲って以来、パッとしたところがない。
2003年の加藤大治郎の死で、何か終わっちゃったんだろうな、という気がする。あの時にしたって、トップカテゴリーで始めての日本人チャンピオンになれる可能性が現実的にあった青年の死よりも、首都圏の川に紛れ込んだ調子ハズレのゴマフアザラシのほうが、重大ニュースとして扱われていたのだが。
四輪にしてもそうだ。1994年のセナの死で、実質日本のF1ブームはプツリと終わってしまったのだ。その後のトヨタの新規参入などで無理やり盛り上げようとしたことはあったとしても、ヨーロッパの様にポピュラーな文化として定着することはなかった。一部の好事家の供物に留まることとなった。
本気でこれではいけない、何とかしなくては、と、思うのであれば、どうしてそのようになったか、色々検証しなければいけないこともあるのだろうが、ここでは、即ち、日本人の死生観に沿わないものなのだろうか? ということを考える。
などと、大上段でかまえてみたが、今のオレではそれをある程度論じる材料にさえ乏しいことに気づく。2013年の大地震の時の夥しいばかりの死に対してどうであったかを考えた時、ここで書こうとしたことに、些か矛盾が生じるような気がしたのだ。土着あった死生観と、ひょっとしたら死生観とは言えない戦後作られた妙なイデオロギーの二つがある予感がした。欧米のような、簡単に割り切ったように、ソレを乗り越え進んでいく勇ましさというのは、いずれにしろないのだが、とりあえず、ここで、いつも想定しているほどの文章量ではとても書ききれるものではない。もう少し整理が必要なようだ。
(0011/7670)
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加藤大治郎_1 (0038/7670)
2003年夏ごろ