独立記念日 (3483/76710)
2014年7月5日土曜日
2014年7月4日金曜日
3481 加藤大治郎_8 & モータースポーツと死のリスクと
加藤大治郎_8 (3481/7670)
Daijiro Kato
on NSR500
@Comunitat Valenciana,Valencia
VALENCIA GRAND PRIX
rd.1 MotoGP 2002
☆
モータースポーツと死のリスクと
7月4日だからといって、アメリカの独立記念日ネタはやらない。74番のライダーにまつわり、例えばレースと死生観について、みたいな事をちょこっと考えた。
石原慎太郎氏が東京都知事だった頃、三宅島の復興のために、三宅島でマン島TTレースのような公道レースを行って観客を集めるとか何とか、そういう構想をブチ挙げて、しかし、よりによって二輪のメーカーやレース関係者の反対を受けて、なにやらよくわからないイベントにスケールダウンして、今はもう立ち消えになったんじゃないかしら? よく知らない。とりあえず検索もしていない。
検索した。2010年でそのようなイベントは終わっている。おそらく東日本大震災により継続するような雰囲気ではなくなってしまったのだろう。
Wikipediaによれば、GPも走ったことのある宮城光氏などが反対し、ホンダや他の日本のメーカーも石原氏とは「レースに対しての考え方が違う」と協力をしなかった、一方でハーレーダヴィッドソンやBMWが割りと積極的に協賛に応じようとした、とある。
実際、1966年には藤井敏夫氏、2006年の前田淳氏、2013年の松下佳成氏と、三氏が落命しているし、毎年一人か二人亡くなるのが普通、というところなのではあるが、しかし、それにしても、三宅島の件でも海外のメーカーが協賛しようとしたりしたのも然り、それだけ危険なイベントであっても、ゆるぎなく連綿と歴史が刻まれるところを見ても、日本では考えられないことである。
facebookをみても分かる。今年のTTでもそうだったし、パイクスピークでもそうだった。死亡者がでてしまったら、ずらっと「R.I.P.」の三文字、即ち、Rest In Peace、安らかに、という言葉が並ぶ。死んでしまったことについては盛大に悲しむ。しかし、日本人と違うのは、であるから、死を絶対悪とし、ソレを避けることが何によりも優先する、とは決してならないところだ。
実際、1966年には藤井敏夫氏、2006年の前田淳氏、2013年の松下佳成氏と、三氏が落命しているし、毎年一人か二人亡くなるのが普通、というところなのではあるが、しかし、それにしても、三宅島の件でも海外のメーカーが協賛しようとしたりしたのも然り、それだけ危険なイベントであっても、ゆるぎなく連綿と歴史が刻まれるところを見ても、日本では考えられないことである。
facebookをみても分かる。今年のTTでもそうだったし、パイクスピークでもそうだった。死亡者がでてしまったら、ずらっと「R.I.P.」の三文字、即ち、Rest In Peace、安らかに、という言葉が並ぶ。死んでしまったことについては盛大に悲しむ。しかし、日本人と違うのは、であるから、死を絶対悪とし、ソレを避けることが何によりも優先する、とは決してならないところだ。
寧ろ、死のリスク、ソレに対する恐怖すら乗り越えて、自分の望む方向に突き進む者、一人一人が例え無名であっても英雄で、それを実に直截的に体現しているレーシングライダーがその際たるもの、ということが、欧米では確実にあるのである。10年ほど前であるならば、ヒデトシ・ナカータよりもテツヤ・ハラーダやダイジロ・カトーの方がヨーロッパでは知られた日本人であったというのも、そういうところからであろうよ。
ただ、逆に欧米では人の死に対し、過剰に躁状態になり、ということもないのかもしれないが、悲しみや死に対する恐怖を乗り越えるための精神状態をアクティブに作り出すための心の動かし方をするのかもしれない。
日本土着のものとしては、死というのはもっと静かに受け止めるものだったのではないか? そのように感じるようになったのが、東日本大震災からのことである。
そして、それらのいずれとも違う、死は絶対悪であり、何としても、最優先に避けなければいけないものという考え方が、多くの場合、この日本では現在の主流であり、こういった流れの中で、モータースポーツというものが済みに追いやられているのではないか、そう感じているのだが、この問題は、この何週間、何ヶ月間、トップニュースになっている、集団的自衛権の問題、その反対派の意識の大きな柱ではあるのだけれど、逆に、緻密で実のある反駁立論を不可能にし、結果内閣、政府の動きを抑止できなかった、というところにつながるのではないかと感じている。柔軟な理論構成を出来なくしてしまっている、ような。
日本土着のものとしては、死というのはもっと静かに受け止めるものだったのではないか? そのように感じるようになったのが、東日本大震災からのことである。
そして、それらのいずれとも違う、死は絶対悪であり、何としても、最優先に避けなければいけないものという考え方が、多くの場合、この日本では現在の主流であり、こういった流れの中で、モータースポーツというものが済みに追いやられているのではないか、そう感じているのだが、この問題は、この何週間、何ヶ月間、トップニュースになっている、集団的自衛権の問題、その反対派の意識の大きな柱ではあるのだけれど、逆に、緻密で実のある反駁立論を不可能にし、結果内閣、政府の動きを抑止できなかった、というところにつながるのではないかと感じている。柔軟な理論構成を出来なくしてしまっている、ような。
こういった、どこかで身に着けてしまった「・・・ねばならない」的なものの考え方というのは、ずいぶんと足枷になってしまうものだ。これ以上は、ここでは、別の話になってしまうが。
モータースポーツから何かインスピレーションを得られるとすれば、それは、まさに、それでも前に進む意志であり、それを、段々と奪われて来てしまっている。その時々、レーサー達の死を契機に。
モータースポーツから何かインスピレーションを得られるとすれば、それは、まさに、それでも前に進む意志であり、それを、段々と奪われて来てしまっている。その時々、レーサー達の死を契機に。
「死のリスクは何としても避けなければならない」という考え方も「死を恐れず、ソレよりもソレを乗り越えて死地を前に進むことが大事だ」という考え方も、それぞれその時々で正しいのであるのであろう。が、今のこのタイミング、とりあえず集団的自衛権の話は脇に置くにしても、一方の「死のリスクを避けることが何よりも最優先」という考え方のほうが、代々なにやらおかしな、怪しげな論者によって変な力を持ってしまっているために、いろいろ変なことも困ったことも起こってるような気がして仕方ない時がある。
(0014/7670)
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加藤大治郎
2014年7月3日木曜日
3478 997 GT3 R_8
997 GT3 R_8 (3478/7670)
997 GT3 R
in 24 Hours of the Nürburgring 2014
driver; Peter Dumbreck, Wolf Henzler, Alexandre Imperatori
3477 GL1000_3 & 手帳術、考察 1
GL1000 (3477/7670)
☆
手帳術、考察 1
個人的な事情として、まぁ、自分自身何とかしなくては、という思いはさて置き、というか、書いていて煮詰まるだけだし、読み返してみると、つまらない。方法は色々あるとしても、なんというか、腑に落ちないわけだよ、色々手に出したところで。50手前でそんなこと言っているのも大変恥ずかしいわけであるが、案外程度の差は遭っても、結構多くの同世代も、そんなことを感じているのではないかと思う次第。まぁ、それなりに、それぞれに方法論は持っているけれど、それがてっていできるかどうかで、今頃ひとかどの人物になっているか、平凡に埋没してしまっているか、というところなのだろう。
まだ、手帳術とか、その辺の言葉に届かない。前置き、長過ぎ。
まぁ、なんだ、子供の頃は、自分に内在するエネルギーというのは、とてつもないものがあって、それをどう使うか、しかし、暢気にそういうことを考えたり考えなかったりして、いつからか、いや、結構このエネルギーというやつも、有限で、とか思い出し、今ではなんと言うか、特に目を見張るほども持っているわけでは当然なく、しかし、それでも何とかしなくては、というところで、いかに無駄なく推進力を得ていくのか、あたりを考えたりするわけだ。
その辺、いろいろと、自己啓発術見たいのは出ているが、それら、すべてが正解で、すべてが誤答であるという事実。もし、このオレが正解を得ても、ソレを書いたところで、読んだ人にとってはそうじゃない可能性が結構高い、ということ。
なんとかしなくちゃ、何とかできたらいいな、というのは勿論なのだが、しかし、まぁ、ある意味、死ぬまでソレを探し続けるというのも実にまっとうな気がしている。ここで、正解を得て、では、と、次に行く、というようなものではないのかもしれない。
もういいだろう。
ワタミの、今では創立者で国会議員という肩書きになるのか、渡邉美樹氏の手帳本や、その元ネタとなったといわれる「七つの習慣」。ためになるといえば、ためになるのだが、エンターテインメントの一種といってしまえば、そうともいえる。この二冊や類書に限らず、多くのビジネス本、自己啓発本、クソみたいなものもあるにはあるが、うまく書かれているものを読めば、体が熱くなるような錯覚を覚えたりするのかもしれない。なんというか、昔のヤクザ映画みたあとの観客、映画館を出ると、やたら、肩で風を切って歩きたがる、みたいな? 明日からオレも変わるのだ、みたいな、決意めいたものがあって、そのとおりに出来る人も勿論いるのだけれど、そして、真面目に書いてあることをなぞる人もいるのだけれど、例えば、後者は書かれていたとおりやってみても、何やら、いつまでたってもご利益が得られない。オレはどこか間違っているのだろうか? などと、傍目には実にお気の毒な状況に陥ってみたり、そもそも、オレのように、何ら実行に移せず終わってみたりするのが、かなりの割合じゃないかと睨んでいるが、どうか?
それでも、数ある方法論の中で「手帳術、ノート術」なんていうのは魅力的なのだろう。理由は色々思い当たる。次にはその辺を整理して書こうかな、と。
(0013/7670)
2014年7月2日水曜日
3474 Chevy 1956
Chevy 1956 (3474/7670)
☆
本日のエクササイズ 2014年7月2日分
●crunch 70 (30+20+20)
900/460200, 0.20%
●arm curl 2kg 200×L,R
1000/920400, 0.109%
体調がよろしくない。腹を下している。ほとんど水便。
2014年7月1日火曜日
3469 Mean Streak & 本日のエクササイズ 2014年7月1日分
Mean Streak (3469/7670)
☆
本日のエクササイズ 2014年7月1日分
●sit up 200 (50+40+30+40+20+20)
●crunch 100 (20+20+20+20+20)
830/460200, 0.18%
●arm curl 2kg 100×L,R
1000/460200, 0.217%
3467 S1 White Lightning & a woman & 「してやられた話」
S1 White Lightning (3467/7670)
☆
「してやられた話」1
集団自衛権に関する憲法解釈の変更が閣議決定されたそうで。
まぁ、なんだ、きっと書いてしまうと、我ながら顔をしかめてしまうぐらい無責任な物言いとなるが、行くところまで行くしかない、というか、もう一度死ぬほど痛い目に遭う、日本人も民族の滅亡一歩手前まで、ひょっとして滅亡してしまったとしても、オレには残せる血がないわけであるから、その辺、できればオレ自身が死ぬまで大したことがないのであれば、という部分もあり、子や孫や、などと考えなきゃいけない人から比べたら、いや、本当に無責任な立ち居地だ。心から申し訳ない。だからこそ、いろいろ見えたりすることもあるので書いてみる。
心情的にこの解釈変更に反対する人たちの心情といえば、どちらかといえばオレもそちらに近いので察してあまり部分があるのだが、だからこそ言わせてもらえば、「友達が、恋人が、夫が、息子が死ぬことがあったことを想像すれば…」的モノ言いや、また「詭弁に詭弁を重ねて」的な論理の矛盾を突くモノ言いというのは、最早まったく力を持たなかったわけであるが、ソレについて考察されたところを、多分、勉強不足であることもあるのだろうけれど、遂に一度も目にしていない。
それらのモノ言い自体、何らかの方法で無力化されてしまっていることと、もうひとつ、現実的にそこに見えている「中国の脅威」というものについてどう考えているか? もっと言えば、そんな脅威などない、と、説得力のある論法で内閣や支持派を皆に分かる方法見える方法でで論破してしまうか、そういった反対側が、内閣や支持派に先んじて中国を押さえ込むような甲斐性を見せるべきではなかったか? そのいずれもされていない。
支持派のうちの大多数でも、出来れば、自衛官には死んで欲しくない。しかし、ある意味自衛官はそれが仕事である。そういうものなのである。その辺の心情に訴えかけるキャンペーンは次の選挙に際しても、おそらくは無効だ。
そして、政治とは、実のところ、論理的なものではない。実に、非論理的なものなのだ、という理解がなかなかなされず、ソレに従っての政治行動というのもなかなか起こってこない、反対側には。ある意味罠にはめられていることに気づいていない。反対派のアタマのいいほうのクラスタは。そういうところで、論理的整合性などというものを求めたとしても、ソレをすべてだと考え、それに合致しないから正しくない、反対である、というのも、又無効。
他にも反対の切り口はあるのだろうが、とりあえず最近見たもので今思いつくのはこんなところ。他の切り口も含めて、しかし、見事なまでに押さえ込まれているのはなぜか? どのように押さえ込まれるようになったのか? その辺の検証も、「右傾化」とかなんとか、実に大雑把な言い方しかなされず、詳細な考察もなければ、それに対抗する行動もない。それはなぜなのかも含めて、まぁ、いろいろ考えてみたりもするわけである。
(0012/7670)
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2014年6月30日月曜日
3463 Mercury Cougar XR7 1970 & 本日のエクササイズ 2014年6月30日分
Mercury Cougar XR7 1970 (3463/7670)
☆
本日のエクササイズ 2014年6月30日分
●crunch 100 (40+30+20+10)
●leg raise 90 (30+20+20+20)
530/460200, 0.115%
●isometrics brest push 200sec.
●isometrics brest pull 200sec.
●isometrics curl 200sec.×L,R
800/460200, 0.173%
3460 直線番長_8 & 本日のエクササイズ 2014年6月29日分
直線番長_8 (3460/7670)
☆
本日のエクササイズ 2014年6月29日分
●sit up 150 (40+30+30+30+20)
●crunch 40 (20+20)
340/460200, 0.074%
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2014年6月29日日曜日
3459&0038 加藤大治郎_1&ver.2 and 「又も加藤の死についての繰言」
加藤大治郎_1 ver.2 (3459/7670)
Daijiro Kato
on NSR250
@ Jerez,Spain
Grand Primo de Espana
rd.3 GP250,WGP 2001
☆
「又も加藤の死についての繰言」
今年のMotoGP、誰も言わないけど、誰もが思っている。マルク・マルケスの独走で興味が薄まったと。オレ的には、マルク・マルケスが登場しなくても、この何年か、段々とGPへの興味が下がってきてしまっている。それはどうしてなのか、考えないではないのだが、ソレについてはここでは書かない。
せめて日本人が活躍してくれれば、もうちょっと見ていて楽しめるのではないかとも思うのだが、青山博一選手にしても下のクラスの中上貴明選手にしても頑張っているのはよくわかるのだが、チャンピオン争いに絡むというのとは程遠い状況だ。
老いた両親の楽しみの一つに海外旅行があるが、何年か前、スペインに旅行で行ったときに、丁度トニ・エリアスが最上クラスで初優勝した時で、国を挙げて大騒ぎだったそうである。両親、海外まで行って、トニ・エリアスという名前を覚えてきた。あと、イタリアに行ったときは、ロリス・カピロッシという名前とか。ヴァレンティノ・ロッシの名前は母は覚えていたんだが。
今更書くまでもなく、ヨーロッパでは二輪のライダーは老いたるものも知るほどポピュラーな存在だが、二輪の最大の製造国にして、あらゆるレースカテゴリーでトップ争いを演じるメーカーを有する日本での、彼ら二輪のレーサー達への認知の低さはどうしたことだろう?
今更書くまでもなく、ヨーロッパでは二輪のライダーは老いたるものも知るほどポピュラーな存在だが、二輪の最大の製造国にして、あらゆるレースカテゴリーでトップ争いを演じるメーカーを有する日本での、彼ら二輪のレーサー達への認知の低さはどうしたことだろう?
90年代から今世紀の初めぐらいまでは、それでも日本人ライダーもトップ争いの一角にはいたものだが、2009年のGP250の最後のチャンピオンを青山選手が獲って以来、パッとしたところがない。
2003年の加藤大治郎の死で、何か終わっちゃったんだろうな、という気がする。あの時にしたって、トップカテゴリーで始めての日本人チャンピオンになれる可能性が現実的にあった青年の死よりも、首都圏の川に紛れ込んだ調子ハズレのゴマフアザラシのほうが、重大ニュースとして扱われていたのだが。
四輪にしてもそうだ。1994年のセナの死で、実質日本のF1ブームはプツリと終わってしまったのだ。その後のトヨタの新規参入などで無理やり盛り上げようとしたことはあったとしても、ヨーロッパの様にポピュラーな文化として定着することはなかった。一部の好事家の供物に留まることとなった。
本気でこれではいけない、何とかしなくては、と、思うのであれば、どうしてそのようになったか、色々検証しなければいけないこともあるのだろうが、ここでは、即ち、日本人の死生観に沿わないものなのだろうか? ということを考える。
などと、大上段でかまえてみたが、今のオレではそれをある程度論じる材料にさえ乏しいことに気づく。2013年の大地震の時の夥しいばかりの死に対してどうであったかを考えた時、ここで書こうとしたことに、些か矛盾が生じるような気がしたのだ。土着あった死生観と、ひょっとしたら死生観とは言えない戦後作られた妙なイデオロギーの二つがある予感がした。欧米のような、簡単に割り切ったように、ソレを乗り越え進んでいく勇ましさというのは、いずれにしろないのだが、とりあえず、ここで、いつも想定しているほどの文章量ではとても書ききれるものではない。もう少し整理が必要なようだ。
などと、大上段でかまえてみたが、今のオレではそれをある程度論じる材料にさえ乏しいことに気づく。2013年の大地震の時の夥しいばかりの死に対してどうであったかを考えた時、ここで書こうとしたことに、些か矛盾が生じるような気がしたのだ。土着あった死生観と、ひょっとしたら死生観とは言えない戦後作られた妙なイデオロギーの二つがある予感がした。欧米のような、簡単に割り切ったように、ソレを乗り越え進んでいく勇ましさというのは、いずれにしろないのだが、とりあえず、ここで、いつも想定しているほどの文章量ではとても書ききれるものではない。もう少し整理が必要なようだ。
(0011/7670)
☆
加藤大治郎_1 (0038/7670)
2003年夏ごろ
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再掲
3458 Guy Martin_6
Guy Martin_6 (3458/7670)
Guy Martin on GSX-R1000
@ Colorado
Pikes Peak International Hill Climb 2014
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スズキ
2014年6月28日土曜日
3440 ZL900 & 本日のエクササイズ 2014年6月28日分
ZL900 (3440/7670)
☆
本日のエクササイズ、2014年6月28日分
Facebook上のイヴェントで、6月いっぱい腹筋を鍛えるというのがあって、それに参加したのだが、半分を過ぎたあたりで脱落。日ごとセットがきつくなっていくが、当然時間もかかるようになるわけで、ちょっと1日やれない日があったら、そこからなんかなし崩し的に…。
とはいえ、腹筋もこの20年鍛えてなかった分、やらなきゃいけないわけで、腹筋に限らず、まぁ、ここで公開することを励みに続けなければな、と思っている。
●crunch 100
●leg raise 50
150/460200 0.027%
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