S1 White Lightning (3467/7670)
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「してやられた話」1
集団自衛権に関する憲法解釈の変更が閣議決定されたそうで。
まぁ、なんだ、きっと書いてしまうと、我ながら顔をしかめてしまうぐらい無責任な物言いとなるが、行くところまで行くしかない、というか、もう一度死ぬほど痛い目に遭う、日本人も民族の滅亡一歩手前まで、ひょっとして滅亡してしまったとしても、オレには残せる血がないわけであるから、その辺、できればオレ自身が死ぬまで大したことがないのであれば、という部分もあり、子や孫や、などと考えなきゃいけない人から比べたら、いや、本当に無責任な立ち居地だ。心から申し訳ない。だからこそ、いろいろ見えたりすることもあるので書いてみる。
心情的にこの解釈変更に反対する人たちの心情といえば、どちらかといえばオレもそちらに近いので察してあまり部分があるのだが、だからこそ言わせてもらえば、「友達が、恋人が、夫が、息子が死ぬことがあったことを想像すれば…」的モノ言いや、また「詭弁に詭弁を重ねて」的な論理の矛盾を突くモノ言いというのは、最早まったく力を持たなかったわけであるが、ソレについて考察されたところを、多分、勉強不足であることもあるのだろうけれど、遂に一度も目にしていない。
それらのモノ言い自体、何らかの方法で無力化されてしまっていることと、もうひとつ、現実的にそこに見えている「中国の脅威」というものについてどう考えているか? もっと言えば、そんな脅威などない、と、説得力のある論法で内閣や支持派を皆に分かる方法見える方法でで論破してしまうか、そういった反対側が、内閣や支持派に先んじて中国を押さえ込むような甲斐性を見せるべきではなかったか? そのいずれもされていない。
支持派のうちの大多数でも、出来れば、自衛官には死んで欲しくない。しかし、ある意味自衛官はそれが仕事である。そういうものなのである。その辺の心情に訴えかけるキャンペーンは次の選挙に際しても、おそらくは無効だ。
そして、政治とは、実のところ、論理的なものではない。実に、非論理的なものなのだ、という理解がなかなかなされず、ソレに従っての政治行動というのもなかなか起こってこない、反対側には。ある意味罠にはめられていることに気づいていない。反対派のアタマのいいほうのクラスタは。そういうところで、論理的整合性などというものを求めたとしても、ソレをすべてだと考え、それに合致しないから正しくない、反対である、というのも、又無効。
他にも反対の切り口はあるのだろうが、とりあえず最近見たもので今思いつくのはこんなところ。他の切り口も含めて、しかし、見事なまでに押さえ込まれているのはなぜか? どのように押さえ込まれるようになったのか? その辺の検証も、「右傾化」とかなんとか、実に大雑把な言い方しかなされず、詳細な考察もなければ、それに対抗する行動もない。それはなぜなのかも含めて、まぁ、いろいろ考えてみたりもするわけである。
(0012/7670)
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