2022年7月28日木曜日
2022年7月27日水曜日
2022年7月26日火曜日
2022年6月16日木曜日
7507 DB02 A90_7
2022年5月29日日曜日
7506 Jacques Cornu_2 & 法華経の変遷、正直面倒くさい。
仏教成立が2500年ほど前。「釈尊の教え・完全版」とされる法華経が形になったのは、その500年ほど後。釈尊の身の回りの世話をした高弟アナンダが釈尊より聞いたとされる言葉を後世にまとめたもの、らしいが、さてさて、法華経をとっても、どの経文をとっても、それが本当に釈尊が言ったことかなんて言う保証はなく、その後の僧が自己判断で付け加えたものでは決してないという保証も全くないのである。
とりあえず4冊買ってきた法華経関係の書籍、最初に読んでいるのは、中公新書の「法華経とは何か」(植木雅俊著)なのだが、ひとつ法華経という表記にしたところで、今や本当の意味では原典とは言えないサンスクリット語の「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」を日本語にどう訳すかという部分で、近代以降だけですら、それなりに変遷がある、らしい。
学術的研究ですら、「それは正しくないだろう」となる。まぁ、影響力がある経文であり宗教であるのだから、尚更、その辺厳密性の追求というか、突き詰めた推理、検証は必要になるのだろう。意義は理解できる。まして、宗教儀式の現場では、激しく、「あいつは間違っていて、オレこそが正しい」の言い合いになって、時代が時代なら殺傷沙汰にもなってしまったのだろう。
2022年5月28日土曜日
7505 Patrick Igoa retake
しかし、淡々と、それでいて力強く周回を重ね、結果的に、このころの何年かは、GP以上に耐久レースのロスマンズカラーは無敵だったと記憶している。
2022年5月27日金曜日
7503 VAB NBRchallenge
2022年5月26日木曜日
7501 ZN6_10 & 今更ながら厄介な核兵器
2022年5月25日水曜日
7500 XR49_3
2022年5月24日火曜日
7499 RCB 1976 & 「公平・公正」?
まぁ、そうなるといいね、という妄想なのかもしれないが。
2022年5月23日月曜日
7498 ZN6_9 & 攻殻機動隊SAC2045シーズン2 スタート
2022年5月22日日曜日
7497 Skyline Turbo-C_4 & 劣化
ちょっと何を言ってるかわからない。っていうか、本音は医者に患者がかかる数を抑えたいが、例のお役所言語、偉ぶりたいが言質は取らせないアレで、お医者さんも正直困惑しているとおっしゃっていたが、
7495 Jochen Mass_2
7493 Matchless G80 1954 & 「最勝」?
よくみりゃ、ホンダのCBX550Fか400Fの足回りに換えてある。Matchlessって、Match(勝負)がless(無い)? 勝負がない? 試合(レース)にならない? 程無敵? 速い? っていう含意のブランド名なのかしら?
ふと、前にツイッターで読んだ、亡くなった御尊父を偲んだツイートを思い出した。
うん、関係なかったな。
東上線上福岡駅近くに宿をとり、所沢多門通り沿いの会社の敷地を借りての作業、2週間、終わって帰宅後の一発目。この歳になって、客地での解放感から夜遊び、まして池袋にでてまで、などと、事前に考えないでもなかったが、実際には、昼間の業務に神経持ってかれて、そんな余裕もなく、宿でごろごろしていたのだが、その時のためにと持って行った、法華経に関する本、パラパラめくってはみた。読み進めるときは読み進めもしたが、割とそのたびにすぐに倦んでしまい、思ってたほど読めたわけではない。
法華経についての本を読むようになって、っていうか、その方面のこと、いろいろ勉強するようになって、急に聞くようになったのが「最勝」という言葉。いわく、法華経は「最勝」の経文であると。
PCの予測変換の中には入っていたのだから、別にこの方面だけの専門用語的なものでもないのだろうが、「最良」「最強」「最高」又は「最優」、「究極」でもよい。それら辺りをなぜ使わないのか? いや、もっともかどうかはともかくも、優れた経文であることは、唱えてみたら直感的にではあるが理解できるのだが、あくまで「勝ち」にこだわりますか。何なんでしょうね、これって?
「最良」「最強」「最高」ではなく、「最勝」としたのは、いつ頃誰からで、何故敢えてこの言い方なのか? その辺もこの後のテーマ。
しかし、「勝ち」「負け」というのは、対象があっての物で、絶対的なものではない相対的なものだ。そんなこと言えば「最も」なんていうのも、数多ある中で一番なんたらということなんだから、きりがないけれど、輪郭をはっきりさせる代わりに、何か価値を薄っぺらいものにしないか? というのが第一印象。「良」や「強」、「高」なら、幾分柔らかくはなっても、絶対感は強く、「勝ち」は、或る一定のフィールドにおいてのみ、というニュアンスが紛れ込まないか?
いや、逆に経文なんて言うのはそういうものだ、という謙虚さのあらわれなのか? そんなものよりも大切なことがこの世にはたくさんあると。
いやいや、ちょっとまてよ。え?え~? 実は経文の価値なんてそんなもの、というのは、確かに、巷の凡夫の皮膚感には近いけれど、え?え~? そしたら、その程度の物に、歴史のある時点ではリアルに殺傷沙汰になるくらい、正偽について議論、対立してきたわけ? うそでしょ~?
勝ち負けこそが、人生の価値を最終的に決める最重要なファクターだ、という価値観によるものか? って、それだと、法華経も、現代の薄っぺらな二流の自己啓発本やビジネス本程度の物になってしまう気がする。それともそんなことを言ってしまうオレのような了見自体を問題にしているんだろうか? オレにしたところで「2番じゃダメなんですか?!」なんて言ってしまうつもりはないが、しかし、その辺を宗教には急かされたくはないものだ。
とはいえ、実際のところ、原始仏教、どうやら釈尊が述べたかったことは、つまりは心をどう整えるかということで、ある意味方便として宇宙観みたいのは説いているが、呪術的なものは極力排除したかった、っぽい。さっと斜め読みした現段階の印象によると。かなり形而下の感情も問題にしていたのではないか? ある意味自己啓発本っぽいかも。儒教、道教も神仙思想に力の根源を持つらしいが、あれも、生きていく作法の話っぽいし。
ついでにいうなら、法華宗だけじゃなかった。開祖、教祖が入滅した後、後継者をめぐってとか、教義をめぐって分裂するなんて言うのは、ほぼどの宗教でも見られる。キリスト教もイスラム教も、仏教他宗派も。あいつには勝たなきゃいけない、なんていうのは、もう、偉大なご教祖様でもどうにもできない、人間の業なんだろうか?
などと。
ホント、この「最勝」という言葉、法華経関係の書籍等には度々出てきて、そのたびに違和感を感じている。敢えてこの言葉を使っている真意も知りたい。
2022年5月7日土曜日
7492 CB750four_40 retake & オレにとってはGW最後の日
調べてみるに、日蓮自身はそんなことを言うはずはないような気がしている。どちらかというとそんなことは興味がなさそうな印象を持っている、今のところは。その認識はあとで改まるかもしれない。いずれにしろ、誰が言い出したか地獄に行く人間の骸は黒く縮こまる説、でたらめ認定である。
祖父の魂はどこに行ったのだろう? 浄土か?地獄か? いや、ただ虚空に消えていったのだろう。その時からそう思っている。
まぁ、一般にはGW最終日の明日、オレは所沢に移動しなくてはいけないので、明日がGW明け。で、そこで待っているのが少々オレの手には余ってるプロジェクトで、がぶり四つで組まなきゃいけない以上、あんまり時間的精神的余裕もないはずだが、まぁ、ボチボチとやっていきます。
2022年5月6日金曜日
7490 CB750four_66 & なぜに内ゲバ?
2022年5月5日木曜日
7489 CB750four_65 & 内部抗争がお家芸