2015年9月27日日曜日

5842 川島なお美_3


川島なお美_3 (5842/8036)

川島なお美さんの訃報で思ったことをだらだらと 1

 川島なお美氏を追悼する、とか言いながら、追悼すると言ってもな、というのもなくはない。それほど熱心はファンだったことはなかったから。
ただ、少しばかりショックではあったかな、と思う。それはある。
 川島なお美氏よりは忌野清志郎氏の時の方が、オレは、ショックと言えばショックだったので、これが、今回のことがなければ、つまり存命であり続けたならば川島なお美氏のことはやがて段々と記憶の奥にうずもれていくような、そういう芸能人であったはずだ。

 オレと同世代の男性ならば、女子大生タレントとして登場してきた時代、そしてヌード写真にお世話になったという向きも多いはずだ。だからショックだった、と。いや、しかし、これは昔のガールフレンドとか身近の好きだった女性の訃報に接した時の、ましてや伴侶やリアルタイムのガールフレンドの死のショックとは、重なる部分もないではないのかもしれないが、明らかに違うもののような気がする。

 また、同世代の女性。若い時も、そしておそらくは近年の川島氏も、女性受けするタイプのタレントは思いにくい。若い時は若い男性向けのグラビア等など、女性からすれば男性に媚ているような感じがむんむんとしていたのではないか、そのようにも思う。見方によっては非常に計算高くも見え、それが鼻もちならぬと感じていた女性は少なからずいたのではないか、そういう佇まいの女の子であったように思う、若いころの川島氏は。それが、さすがに死んだあとにディスることはしないだろうけど、案外と思うことが多いような女性が多いようにも思われる。

 人類史上死ななかった人間とは一人としていないのである。まして、向こうはテレビモニターの向こう、印刷された紙やPCのモニターの中の存在であることがほとんどで、身近な人間を失うような悲しみや喪失感があるわけではないのだが、今感じているこの感覚は一体何だというのだろうか?

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