2022年3月31日木曜日

7428 Valentino Rossi_34

 

7428 Valentino Rossi_34

Valentino Rossi
Audi R8 GT3
Imola 2022


 ロッシが4輪で走るというのは既定路線で、そういう意味では新鮮味はない。が、彼のアイデンティティともいえるこの黄色のカラーリングは、不思議と気持ちが沸き立ってしまう。

 しかし、まぁ、なんと申そうか、イタリアからウクライナまでは距離があり、日本からウクライナとなると更にある。戦火に追われる人、銃を持つ人、銃を突きつけられる人、銃を突きつけることを強要される人、ふんぞり返る独裁者、過剰な躁状態で祖国防衛を謳う元コメディアン。そんな人々の事を思うと、それでも定例行事としてこういうことに楽しみを見出そうとする自分の心に苦笑いが出てきてしまう。勿論、こんな時だからこそ、という言い方もできる。

 それにしても、やはりネットで受け取る情報というのは信用ができないというか、伝え聞くに、ウクライナは陥落寸前、という話を聞く一方で、ロシア軍状態がひどく、ロシア政府内部もかなり不安定になっているなんて話も出てくる。どちらが本当か? どちらも本当か? どちらも嘘か?結局のところ、ネットで動向をつかもうにもなにひとつわからない。

 想像するに、大勢の人数の命を奪い多くのものを破壊しながら、紛争以前の元のさやに戻ろうとしているが、今は交渉で有利な材料を得るための小競り合いに移行しつつあるのではないか、と思ったりもする。有志連合の多国籍軍の介入は、いよいよ戦術核なんぞ使用されたらシャレにならなくなるから、最後までない、という結末?

 いや、本当に、日本人的感覚で背景も一切無視して何があっても戦争は止めるべきだ、というのは、自分の不明を告白するようなものだから、それこそやめた方がいいよ。一瞬の死も悲しいが、何十年何百年、何代にも及ぶ、理不尽なロシアへの塗炭の苦しみ、屈辱も、ウクライナ人にとっては許容できないことであると思った方がよい。それを理解せず、ただ戦争をやめるべきなどという言葉が、何にも貢献しないことを理解するべきだと思っている。

 戦争反対の伝統的な市民運動が戦争抑止にほとんど役に立たない、か、むしろ、逆説的にそれすら戦争遂行をしようとする者の、権力基盤を強化してしまっているかもしれないことにも、そろそろ気づいてはどうか? 政治にかかわるあらゆる背景を鑑みず、自分の感覚のみで手軽に戦争反対なを唱えることが、ひょっとしたらただの害悪でしかない、その可能性について考えてみるべきだ。


2022年3月30日水曜日

7427 G200 Charade De Tomaso

 

7427 G200  Charade De Tomaso


 画像とは全く関係ない、今日ふと思ったことです。

 広告やってゲーム作って、1998年から地質調査、っていうか土質ボーリングの会社に勤めていた。今の会社もその流れなんだが、21世紀に入ってすぐぐらいか、鬘のおじさんが国会に呼ばれて、何かもちゃもちゃやっていた耐震偽装疑惑なんてのがあって、ホントはその前、阪神淡路大震災あたりから、住宅はじめ小規模建築物なんて言われる建物に地盤調査やらないと建築確認降りないよ、という時代になって。

 前いた会社もやりましたよ、所謂スウェーデン式サウンディングってやつ。なんでスウェーデンかというと、まぁ、それ始めたのがどっかそこの辺、っていうだけの話。サウンディングというのは、ずばりサウンドで音を聞くのが重要ですよ、ってことなんだけど、それをわからずにやってるその方面の方も結構いる。
 なんか、そんな感じで地面に穴開けたり、土の硬さの評価をしたりするやり方について、それを始めた地域の名前がついてたりすること、結構あって、日本でも井戸なんか掘るのに上総掘りなんていうのがあったり、そう、忘れちゃいけない。道路なんか造営するのに、California Bearing Ratio、略してCBRなんていうのがある。ホンダのバイクの名前じゃありません。いや、この世界はいる前はオレもホンダのバイクとばかり思っていた。

 一昨年からか、国交省で、スウェーデン式サウンディングと呼ばず、Screw Weight Soundingと呼ぶことにいたしましょう、ということになったんだが、やる事は同じです。昔付き合ってた女性は「なんかねじねじするやつ」といってました。そう。ねじねじするんです。

 でね、その入り方、回転抵抗とか、入る早さとか、手に伝わる感触とか、そう、上に書いたように音。それを総合的にかんがみたうえで、ある程度経験も経て、このあたりの深さはたぶん(間違いなく)砂だろう、とか、粘土だろうとか、後、経験的に得られた数式に当てはめて、N値と言われる、地面の硬さを「推定する」わけですよ。

 オレが前いた会社は、従って手回しにこだわっていた。便利な機械もあるんだけど、樹落としてしまう情報が多いから。一人が回して一人が支える。何しろ100㎏のおもり(土木の世界では1キロニュートンという単位系を使います。本当は0.98キロニュートンだけど)を乗せて、そういう力をかけて地面にねじ入れていくわけですから。
 非常に疲れる仕事でありました。若くないとできません。健康じゃないとできません。

 で、住宅用、隅4点真ん中1点、計5点そういう作業をして、人件費だけ、利益率非常に低く抑えて、5万円。あ、そうそう、オレがいた会社、2メートルまで、手彫りで穴開けて、本当にサウンディングの見立て通り、砂なのか粘土なのか、変なゴミ埋まってないか、水がわいてこないか、調べて、そのお金でやってました。

 でも、なんか、機械もちこんで、一人で作業(手で掘って地面の中を見ず、ねじねじ穴開けるだけ)してその半額でやっちゃう業者が増えちゃって、なんだかな、と。一応ね、技術と知識を誇りにやってたわけです。買いたたかれるのはちょっと楽しくない。Screw Weight Sounding、住宅の、止めちゃったんです。楽しくないし割に合わないし。どうしてもと請われれば5万円いただきますよ、って。
 あ、でも、同じくサウンディングと呼ばれる別の、Automatic Ram Soundingてやつもやってて、それはさすがに機械なんだが、それは結構お呼びがかかりました。今日、ニュース映像、調布の陥没現場での調査風景に、それ、出てまして。なんか久しぶりに視たな、とい感じ。

 で、です。今の所沢の作業場というのは、かつての会社の同業者、地質調査を専門にしている会社の敷地なんですが、そこでScrew Weight Sounding、機械式でやってデータを取る必要があって、でも、また近々行くにしても、ちょっとそのために今動くわけにはいかないので、というところで、しかし、その敷地の地質調査屋さんも、オレの前の会社と同じ、サウンディングは手回しにこだわっていて、機械式じゃなく、やむなく、その近くにある機械式でやってる業者にお願いすることになって。機械式の大きな利点としては、調査を行う人間の技量に関係なく標準化されたデータが上がってくるという点にある。あと、一軒当たりの作業は楽だし。欲しいのはまさに標準化されたデータだったんだが、その業者の人と電話で話していて、いや、知ってたけど、そのかかる料金に、泣きそうになった。そんな安いお金でやってるの?って。まぁ、もうちょっと払ってもいいんだよ、なんていう権限もないので、ああそうですか、それでお願いします、なんだけど。

 なんだかな。Blanky Jet Cityが解散したころの浅井健一氏が、コンピュータが出てきて、人の3分の1で仕事ができるようになって、じゃあ、残りの3分の2の時間、豊かに過ごせるようになったかというと、そうじゃなく、人間の労働の価値が3分の1に削られて、3倍の仕事やらないといけなくなった、みたいなことを何かのインタビューで言っていたのを読んだ、それに似たようなことを考えた。仕事一軒の作業、身体はそれだけは楽になったが、数こなさないと生活に追いつかない。結果余計疲れる。時間も無くなる。
 知見が増えるのはいいことだが、便利になって、その実なんか不幸になってるよね、って。

 ちょっとやるせない思いになってしまいましたとさ。

2022年3月29日火曜日

7426 EF Si_3

 

7426 EF Si_3


 東京なら首都高C1とか、まぁ、警察が名前を付けると「ルーレット族」なんて、珍走団ほどじゃないが、ダサい名前になるのは、どうやらわざと、らしいが、かつて大阪、阪神高速環状線に跋扈していた、AGからEFシビック乗りを題材にした漫画「なにわ友あれ」は「湾岸ミッドナイト」ほどにはメジャーにはならなかった。オレ自身件のマンガ、読んだことがない。どうやら走り以外にも登場人物たちのやんちゃが過ぎて、結構読者を選んでしまったようなところがあるらしい。

 フロントウィンドウに「primo」のステッカー貼ったAG、所謂「ワンダー」シビック、そのころよく見かけたし、知り合いにも正直、いました。
 バイト先に乗りつけてきたやつがいた。嬉々として。先輩に譲ってもらったのだと。30万円で。しかし、だ、EFが主流になりつつあるときである。案の定、よく見りゃ、結構、あちこち痛んでる。他のバイト仲間はみんな思ってた。「ぜってー、だまされてる」でも、口に出さない。

 で、割とすぐ、エンジンいかれて廃車。そいつ、涙目になっていました。よくある話です。で、そうやって僕らは大人の階段を昇っていくわけですわ。立派な大人かどうかは別として。

2022年3月27日日曜日

7424 A calm day

 

7424 A calm day


 別にウチの近くの風景というわけではない、ネットで拾った多分日本のどこかの風景。でも、ウチの近くにもありそうな感じのありふれたもので、ふと、ね、いろいろおもいたったことがあり、facebookで走り書きみたいな書き込みしたんだが、それをいかに転載することにする。

 Facebookでお友達になっていただいた神村真さんと宇津木慎司さん、神村さんはリアルで今やってる業務のアドバイザーで大変お世話になっている。宇津木さんは土質とか防災に関するFB上でグループの主宰されている。

 高校の10個先輩のYoshihiko Aimotoさんとは、FB上で、割と大きめの川の合流点での洪水の危険性について話し合いさせていただいたし、まぁ、オレもそういう商売をしているので知識はそこそこ持っているが、しかし高度な知識をすべて持っているかというとそうでもない、そんな感じで、
 自分の家のあたりの地図にハザードマップ、重ねてみたことあります? 重ねて、しかし、思わしくない様子だったとして、じゃあ、どうする?って話なると面倒くさくなってやっぱ見るのやめた、ということになってしまうことも多いかも。いまさらそんなことを言われてもねぇ、というところで。
幸い、当地、自然災害とは比較的縁遠いところではある。猪にはぶつかるけれど。でも、起こらないと思ったらひどい目にあうというのがここ数年のこの国のパターンで、とりあえず、今日明日、一年以内に対策しなくても、ちょっと覚えておいた方がいい、かも。
 当地やそれ以外関西、大体500m以内の範囲でお住まいの位置を把握しているお友達について考えてみた。
 まず何に気を付けなくてはいけないか? ハザードマップの種類でもあるが、水害の危険、地震や大量の降雨による土砂災害の危険、強烈な地震による液状化の危険、その他を想定する。
 一人ひとり言及してもいろいろ問題あるんだろうが、いくつかのパターンがあるので、それに当てはめて考えてみた。
 当地、高岡で、多分大丈夫、というのはごく狭い範囲で、在来線の駅から古城公園あたりまでの、高岡段丘の上、だけ。一人お友達の実家が堀と道路を挟んで経っている。洪水ハザードマップで色がついていないし土砂災害の恐れもごく少なく(城の堀の法面以外)地盤硬く液状化の心配もない。
 次に高岡段丘を含む埋没した出尾根の上にある、瑞龍寺とかそのあたり。総持寺も含まれる。よほどの水位の洪水がない限りここも大丈夫かな?
 在来線を挟んで北と南で考える。北、つまり海側。洪水、あります。液状化、します。ただ平野であるから、地滑りなどの心配はありません。
ただし、伏木に住むお友達。段丘崖の上に住んでおられるが、家の位置、ちゃんとは知らないが、洪水、津波の心配はいらないものの、土地の造成のやり方次第で、地震などがなくても不等沈下の危険があったり、地滑りがけ崩れの危険がないかチェックが必要。あと、熊に注意な。
 海の近くにこの何年になって引っ越した奇特な友達もいる。富山湾の津波の危険。怖いのは呉羽山断層の地震で、断層の北の端、海の中で大きくずれれば5,6mの津波が起こり得る。地層にそういう履歴があるらしい。どうかうまく逃げてくれ。家はたぶん一応は海岸砂丘の上に建っていると思うんだが、外れていれば液状化、真っ先にする。
これは、Yoshihiko Aimotoさんともお話したが、そこそこ大きな川の合流点、2年前の広島岡山で起きた洪水のパターン。そうじゃなくても、ウチなんかそうだが、庄川、明治に大洪水起こしてる。その時は対岸だけど。南郷大橋のたもとの分譲住宅地に住むお友達の懸念はそこ。そこだけに関していえば、あとは割と心配は少ない。
が、高岡市内、概して川の近くは水害に加え液状化が起きないか、機会があればチェックしておかれるのがよろしかろ。
 在来線の南側、更に、二塚から佐野にかけて自噴する井戸があるそのあたりより山側、木造住宅に限り硬さに関しては申し分ない。ただし、多分、前の会社で地盤調査しているあたりだと思うのだが、戸出の線路沿いにご実家があるお友達。あのあたり、製材所の跡地であり、木くず大鋸屑が埋まっていたらこれはまずい。腐ったらその分基礎が沈む。あと、庄川右岸、にご実家があるお友達。砺波平野東縁断層がある。動いたらそこそこデカい地震になる。西縁断層は天正地震の時動いて木船城が液状化と屋根雪の重みで爆散しているが、立野のあたり、からその辺、小矢部川の周り、水害の危険、液状化の危険がある。
 旧松任の白山市に住むお友達、多分大丈夫のような気がする。手取川の水害には気を付けて。金沢小立野に住むお友達、崖崩れに気を付けてね。
桂川と宇治川の合流点近くに住むお友達の近所は何年か前、実際に水害に見舞われた。まぁ、オレに言われるまでもなく、対策どうしようかと考えているとは思うが。
奈良の丘の上に住んでいる友達。そこ、ほぼ心配ないです。近くのため池だけ気を付けていてください。
 西宮にすむ妹。南海トラフ地震とか、時間に多少余裕はあるが、津波あるかも、だから、さっさと逃げろよ。
 大地震の後のライフラインの心配まではできない。
あと、ちょっと大げさに書いたかもしれない。生半可な知識で、こういう心配があると書き連ねてみたが、逆に言うと日本で何の心配もないところなんてほとんどないんで、危険性に優先順位をつけてそれに従って対処していくしかない。まずはオレなんかより信頼できる人に判定してもらってください。
 ウチに関していうと、液状化の心配あるにはあるが、それを引き起こす断層は微妙に離れている。津波も、多分来ない。となれば水害で、正にこの地で降る豪雨も心配だが、ちょっと上流側、砺波から飛騨にかけて豪雨が続けば用心しなきゃいけない、といったところ。


7423 Ryuichi Sakamoto

 

7423 Ryuichi Sakamoto

白髪とかメガネとか、アンディ・ウォーホルに似てるな、意識してるのかしら?よ、ちらっと思ったり、
あと、何度も石野卓球になりかけて焦った。

7422 RS200

 

7422 RS200

2022年3月26日土曜日

7421 Green Brave Mark X

 

7421 Green Brave Mark X

Green Brave Mark X
Taku Banba, Shigekazu Wakisaka
Autopolis 2017


7420 RGB Triumph 875

 

7420 RGB Triumph 875


 RGBというと、PCでグラフィックいじってる人間なら、Red、Green、Blue、の光の三原色を思い浮かべるだろうか? 単車なら、昔のスズキの500㏄のスクエアフォーを積んだレーシングマシンRG-Bなんていうのがあったが、この画像のRGBは製作者Richard Gary Bryan氏の名前に由来する。'80年代後半、第一線をすでに退いていて世田谷でショップを開いておられた生沢徹氏がB.O.T.T.に出走するために日本に持ち込んだ個体だったはずである。以下、昔読んだバイク雑誌の記事、しかも今手元にあるわけではない、記憶だけで書き連ねることになるので、誤謬があれば指摘していただければ幸いである。

 このリチャード・ゲイリー・ブライアン氏という方、サイドカーレースか何かの事故で車いす生活を余儀なくされて、ビルダーへと転向したのではなかったか? 恋人が去り、老いた両親に挟まれて撮った写真がなにかひどく印象に残っている。薄情な女性だったのか、ブライアン氏が荒れて忍耐の限界を超えたのか、ライフプランの大変更を余儀なくされたので一応は円満に話し合いをした結果なのかはわからない。いずれにしろ何もかもを失って単車にすら満足に乗れなくなったけれど、それでも、こういうやり方だってあるのだ、という、なんというか、人間としての根っこの強さを訴えた記事だったように思う。
 ネットでは、多くの友人、そして、かのマイク・ヘイルウッド氏も彼を支援していた、というのを読んだことがある。

 それにしても、この当時で年代物のトライアンフのツインというのが、何やら象徴的だ。'80年代後半と言えば、単車の世界では、日本車が最速。4ストロークならマルチシリンダ―、4気筒全盛で、年代物のトライアンフツインなど、勝ちを狙うなら、ありえない選択なのだが、それはそれ、単車は所詮趣味なので、ならば、2気筒だけのレースで勝ち負け決めましょう、という動きもあった。それにしても、空冷でもベルト駆動のデスモドロミックツイン、ドゥカティがいたりして、650㏄を875㏄にスープアップしてもいずれは、というところだった。
 
 何をさして勝ち負けという? 競技ならその競技空間だけに限定すれば話は早いが、生きていくうえで、勝ち負けって? いや勝ち負けじゃないだろ、生きるって、となる。いやいやしかし、何らかの誇りは生きていくうえで必要なのではないか?

 究極的に言えば、空冷バーチカルツインは勝ちに行けるエンジンではない。しかし、それでも価値を目指す。結果としての勝利にはこだわらないが、それでも、勝ちを目指す。若いと、ちょっと何のことかよくわからない。結構老いた今でも、うっかりすると何を言ってるか自分でもちんぷんかんぷんになるが、卑屈にならない、自分に誇りを持つ、一つの大きな仮説なのかもしれない。もっとうまく表す言葉がありそうなんだが、ちょっと思いつかない。

 さて、RGB氏、Facebookにもページを持っておられ、今もご健在である。しかし、写真を見る限り、オレも人のことは言えないが、この世を仕舞う時、どんな感じであるか容易に想像できる体形をして車いすに乗っておられる。お互い、もうちょっと痩せましょうや、ブライアンさん。

7419 Guy Martin_19

7419 Guy Martin_19

Guy Martin
PC40
Iale Of Man 2017


 

7418 田中みな実

 

7418 田中みな実

7417 Giacomo Agostini_14

 

7417 Giacomo Agostini_14

Giacomo Agostini
MV Agusta 500
Ballaugh Bridge,  Isle Of Man 1971

7416 Desmosedici RR_2

 

7416 Desmosedici RR_2

2022年3月24日木曜日

7415 Gulf - Mirage M6_4

 

7415 Gulf - Mirage M6_4

Gulf - Mirage M6 #602
Howden Ganley
Watkins Glen 1973

2022年3月23日水曜日

7414 気嵐

 

7414 気嵐

7413 片山敬済_44

 

7413 片山敬済_44

Takazumi Katayama
TZ350 spl.
Paul Ricard 1977


 オレは1983年、高校生の時からのGPのファンで、1977年というと、スーパーカーブームからの流れで四輪のF1を田舎の小学生なりに、何か月か遅れでおっかけてた感じだった。
 このころのGPや四輪のF1もそうだ、なんか、今のとは雰囲気が違うように思えてならない。そしてこのころのその雰囲気に何かすごく惹かれるものがあった。それは何かについて時々考えたりする。勿論暇た時だよ、と、言い訳がましく言ってみる。

 1988年、いや、89年か? 四輪のF1で中島悟氏がレギュラードライバーで走っていたけれど、他のホンダエンジンユーザー、マンセル、ピケ、セナだったかな、ピケ、プロスト、セナだったかな? に比べて見劣りするリザルトを重ねているときで、日本国内のファンからは若干の失望の声が聞こえていた時期の事だ。
 雑誌で、片山敬済氏は、それまでレギュラードライバーとしてF1を走った日本人がいない中で、それがどんなにすごいことなのかと中島氏を擁護する文章を読んだことがある。

 GPにしろ四輪のF1にしろ、国内でトップを獲って満を持して世界に挑戦するというのが一つのパターンで、中島氏はそのパターンだったが、一番脂が乗ってる時期を逃すぐらい、待たされた、のだそうだ、いろんな話によると。
 対して片山氏、GPの出走資格を得た1974年、マシンの貸与以外何のサポートもないまま、強引に日本を飛び出しGPの挑戦を始めた、とある。メカニックすらおらず、整備やチューニングも一人でやっていたそうだ。GPを走った日本人はそれ以前もいないわけではなかったが、フルシーズン、ワークスでもないのに走るなんて、そんなロールモデルはそれまでなかった中での話。
 サーキットの中の話だけではない。EUができたのが1993年、それ以前はECなんてあったけど、国をまたぐ移動は通関手続きとかなんとか、面倒ごと、すべて一人でやって、なんて、ちょっと現在では考えられないことをやっている。
 よくは知らないで書くが、今のコ達、サーキットに行って、マシンは用意されていて、それに乗って、その日のタスクが終われば、ホテルに戻って、特にコロナのこのご時世、部屋にこもってゲームやってるようなイメージがある。もし本当にそうなら走ることに集中する、という意味では非常に合理的ではあるが、今から40年前のGPではそうだった、それができたのは、一重に熱、走る意志、戦う意志が強かったからなんだろう。
 
 1980年代後半の中島悟氏はその点ではまだ恵まれていたんだろうが、一番肝心なシーズン通して客地で一人モチベーションを維持していくというのは、確かに大変なことだったのだろう。

 だろうだろう、で、文章進めちゃってるが、田舎の元小学生、今おっさんは、こういうことは、ちょっと聞いただけの事を想像力で膨らませるしかない。

 ITと言えばいいのかどうかわからないが、四輪のF1など、マシン、夜は一か所に集められ管理されているそうな。夜間の整備は禁止ってな。MotoGPでも多分同じシステムなんだろう。
 いろんな記述で見るが、かつてのGP、昼間のプラクティスでこけた修復を徹夜で行うことも、いつも一つ前を走ってるライダーを食うために一工夫チューニングを施すことも、ライダーが納得いくチューニングするなんてことも、夜、パドックでは普通にあったことなんだろう。そのすぐ横には、金持ちのチームは立派なモーターホーム。それほど金持ちでは無ければ中古のキャンピングカー、爪に火を点すようなチームならおんぼろのワンボックスカーが並び、ライダーもそこで明日に備えて寝てりゃいいのに、マシンが気になって、いや、切実に整備の手が足りなくて、のこのこ寝床を這い出してマシンをいじってたりして。
 時にはチューニングの方針についてメカニックと激しい口論もあっただろう。

 夜というのに、それこそサーカスのバックヤードのような静かな喧噪が普通にあった、と想像する。

 田舎の子供はそういう熱にあこがれていたんだと思う。


7412 935 K3_3

7412 935 K3_3

935 K3 1980


 まだ引っ張る出張前後の話。作業一日目は結構暖かだったのに、二日目以降、霧雨みたいな雨は降るし、豪ぇ寒いでやんの。いや、北陸在住者にとっての関東など、と、舐めてました。
 東北で何人かなくなるほどの大きな地震があって以降、結構大げさな寒の戻りもあったりして、気が付けば酷く電力供給がひっ迫している非常事態なんだと。

 単車とかクルマとか、化石燃料燃やして走るものが好きなオレにとっては、脱炭素化社会とかEVシフトなんて言葉、受け入れざるを得ないとわかっていてもなんか憂鬱なものでしかなく、そうじゃなくても、この2,3年のSDGsとかいうやつ、あのカラフルなアイコン並べたアレ、なんか非常に胡散臭いもののように思っている。クルマにさほど興味がない人であってもそういう感覚は少なからずある人か結構いるようなのだが、いい大人だし、ことがない限り口にはしないらしい。まぁ、なんだかんだいって、生活があるし、この局面で、じゃぁ、どう社会を回していくかってことがあるわけだし。

 路上を走るクルマ、ほぼすべてBEVにするなんて言う政策が大きいリスクを持つということ、2年前? 去年? もうその辺あいまいだけど、関越自動車道で大雪の中かなりのクルマが何十時間も立ち往生した時の、EVに乗ってたら凍死する、以上のネガだろう。今回の電力供給ひっ迫の件。現状の電力インフラの下では、こんな時EVに乗るなんて、ちょっと犯罪的ですらある。
 消費者が購入時、選択肢としてEVというのがあってもいいが、ほぼすべてをEVに置き換えるのは、少なくとも現時点では誤りだということだと思う。

 二酸化炭素が温暖化を引き起こす、どう言えば一番正確な言い方なのかわからないが、要するにこんな感じの事に異を唱える人が結構いるが、その辺オレはこの見解に反対するわけではない。感覚的にはよくわかる。そして単に気温を押し上げる以上に気候を極端なものにしてしまっていると思っている。
 が、解せないのは、例えば地球温暖化対策の国際会議で、各国の産業をどのように抑制するかという議論に終始していて、樹をもっと植えましょう、世界で一番二酸化炭素を吸収して酸素を供給してくれるアマゾンを持つブラジルとか、他にも大森林がある国土を持つ国にもっと保護のための資金を供給したり、砂漠を緑地化するためのお金を拠出しましょうという話にならない。最初の頃はそういう議論もあったはずなのに、最近何回かはそういうの、聞こえてこない。
 逆に言えば、そういうのも必要なんだろうが、二酸化炭素排出量がそんなことじゃ追いつかず、本当は今の産業規模を何分の一にしてしまうとか、文明ほぼを手放してしまわなければいけないぐらい事態は急を要しているところを、なんか、もちゃもちゃやってるだけ? という感じなのかもしれない。

 資本主義を完全に諦めて、なんてことがやはりできない。いや個人的にはもいいや、って人も結構いるんだろうが、社会全体そうなってしまうと、たちどころにパニックだ。そういうところで、何とか折り合いをつけようという涙ぐましい努力の結果が、あのうさん臭くカラフルなアイコンが並んだアレ、なんだろうが、別の視点で言うと、日本人にとっては「持続可能」なんていうのが如何に嘘っぽく、この世は諸行無常だろうが、なんだけどな。

 どこに向かっていけばいいのかわからない現状、かのSDGsキャンペーンというのが、とりあえずどうしようもなくて湧いて出た窮余のなんとか、なんだが、多分ベストなソリューションでは全然ない。そんなもんじゃ、恐らくは何も解決しない、というのが本当のことなんだろうが、

 なんか、それに依って蠢動する奴らが目に付く。多分近い未来身の回りにあるものは、モノから社会の仕組みまでみんなガラクタで使い物にならなくなる。ゲームチェンジャーに気が利いた奴らはなりたがり、ロシアがウクライナに対してしていることも、新しい時代が来る前の駆け込み的現状変更を意図しているのかもしれない。

 理性的でありたいと、まぁ、多くの人は思っている。でも、理性的であろうとするために立ち止まってしまうというのが、如何にもまずい局面になりつつある。個々人が、周りに注意し、注視すべきものには注視し、判断材料と知見を蓄え、判断すべき時は素早く判断しなくちゃいけない。実質初見でも的確に動かなくてはいけない、非常に、面倒くさい、というより、もう、しんどい時代が来ているのかもしれませんぜ、だんな。

 

7411 Mazda 6_2 retake

7411 Mazda 6_2 retake

Mazda 6
Daytona 2013


 さて、3回目の所沢出張を明日に控えて、の晩の事だ。いろいろ準備があって、定時より1時間半ほどの残業で、日が暮れてしまってから帰宅となったわけだ。ウチの会社、本貫地こそ、子供のころからのオレの縄張りにあるけれど、実際勤務するところというのは、車で普通に走って自宅から20分ほどのところにある。会社の間を通る片側2車線の国道160号線を高岡にむかい、途中で国道8号線に入る。途中海老坂という低い峠を超える。でも、山道とは言えないどこにでもある切通のアップそしてダウンなんだが、まぁ、建物はごく少なく、街灯もない。片側は山で片側は、法面が落ちている、そんな感じの所、

 いつものように走ってたわけですよ。

 それが突然、バン!とか、ドカン!って衝撃。え、何々?!!って思う間もなく、前に転がっていく毛むくじゃらの何か、って、猪だし。刹那、思考も停止したが、とにかく、ただじゃすまないはずなんで、路肩に停まり、状況確認。車を降りると、脇の藪がガサガサ言ってる。猪も必死に逃げて行ってるのだろうが、彼も瀕死で必死なはず。友人宅近くの北陸自動車道で何年か前熊がやはり車と衝突した時、やはり夜で、警察が結構必死にあたりを探したみたいだが、案の定、ちょっと離れたところで熊の亡骸を発見した、なんてことがあったと思う。あの猪もそう長くはあるまい。

 って、野生の王国じゃないんだから!と、誰に突っ込むわけにもいかず。このオレが携わる一連の業務、なんか猪に縁があって、前に現場に切った深さ50センチ幅1メートルほどの排水溝に、朝行ったら、猪落ちて死んでしまってた。氷見市の農政課に回収してもらったが、しかし、お前、都会育ちじゃない、野生の猪だろ? そこのあたりこそ、里山の山すそで猪は珍しくないにしても、落とし穴じゃない、それぐらいのギャップにハマって死ぬなんて。どうもこの界隈の猪はなんか鈍くさいのかもしれない。

 で、クルマである。右前バンパー、へこんで外れて、うわぁ、これだけで20万コース。と、ハザード出して、さて、これから落ち込もうとしましょうか、というところで、ハザード出して停まろうとしてるアクアが一台。聞けばオレのクルマのパーツ、思いっきり踏んづけたらしく。
 こういうの、警察呼ぶ案件? 一瞬迷ったが、まぁ、そうなんだろ。呼びました。第一当事者の私が、です。トラブルだし、保険屋にも連絡か。

 警察来ました。アクア君は、路上にあったものを勝手に踏んづけた、オレは完全に停車していた時で、クルマ本体が接触したわけでもない。何か故障があったとしても別件、アクア君に関してはオレには一切おとがめなし、との警察官の話。

 でさ、そのあとごちゃごちゃと。保険のサービスでレッカーしてもらい、クルマ見てもらってるところでざっと見積もりしてもらったら40万だと。うわぁ。

 K12マーチ、1200㏄の5MTである。それを続けてこれが2台目。前のK12はトラックに後ろ追突されて反対車線に飛ばされて、そこを対向車に衝突されて廃車。それでオレはけがをしていないんだから、よくオレを守ってはくれている。しかし、まぁ、これでこのクルマ諦めたら、つくづく、天寿を全うできないクルマだな、と哀れになる。その前、プレッソとP11プリメーラは乗り潰すまで乗った。あ、でも、プレッソも一度359号線のやはり2車線、結構クルマが多い時間、ファボーレの前で猫踏んづけちゃったんだよなぁ。グキ゚って、いやな感触があって、ちょうどその前後マフラーも外れて落ちちゃって、廃車にしちゃったんだ。20何万キロ走った。

 K12、いいクルマなんですよ。会社の人たちにはオレには似合ってない、なんて言われますけど。気に入ってるけど、もう良いかな、という思いもある。

 でさ、ここから話が変わる。

 MTがいいわけです。で、この燃料代高沸の昨今、マツダのディーゼルターボが気になりだした、というところで、この絵でした。

 それにしても、コロナで物流が滞り、ロシアがウクライナ侵略してエネルギー事情がひっ迫し、と。それ以前のバランスが大きく崩れ、多くのものの生産、物流が滞り、物価が跳ね上がり、上がらないのは日本人の給料だけ、という状況になっている。
 それは蓄積だったのかもしれないが、上の二件は、2001年の911や、その後のリーマンショック以上のインパクトなんじゃないか、とも感じることがある。911やリーマンショックは傷を負いながらも、何とかリカヴァーする目途がたっていたりしたが、コロナやウクライナ動乱はもう取り返しのつかない、不可逆的な出来事なんじゃないかとも感じる。

 コロナに関していえば、飲食業や観光業だけの問題ではない。コロナが収まれば元に戻れる、なんてことはもうないし、ここで延命を試みても、緩慢に、それでいて急速に死を迎えるしかないんじゃないかと思う。社会構造は劇的に変わる。ITが変えるんじゃない、ITは大きなファクターではあるけれど、結局は思想とか何とか、後付けの検証とかでしか全容は分からないものかもしれないが、いささか労多くして功少なき感はあっても、ここで多くの労力を投入するべき局面ではないかと思わないでもない。まずは、どこにどう向かうかをよく考える、と。何かしないと、少なくともよく考えておかないと、悪いところに流されて行ってしまうだけのような恐怖がある。人を批判する思考じゃない。人を差し置いて、というのは良いことではないが、その辺のリアリティも含んだうえで、の話。とにかく自分が前に進むための思考。

 といっても、どうにもオレを世代も含まれるのだろう。今の日本、先の見えない努力を嫌うし、そういうバイタリティを失ってしまったような気がする。先輩たちが、無理筋な話も力技で成してきたような、今回で言えば、それでも、決してサプライチェーンは切らさないとか、そういう「無理」ってしなくなったよね、日本人。良いのか悪いのか。仕事の質も落ちてるし。

 バブル崩壊以来、長らく続く停滞感のなかで、溺れるように小市民的な幸せをむさぼるような社会的価値観があるわけだけど、逆に言えば、自分の持ち分やテリトリーを削られることにすごく過敏に反応する今の日本人。変化を唱えれば、胡散臭いものとしてみてしまう。で、実際胡散臭い詐欺師的な奴も多いから始末が悪いんだが、そんなこともたもた言ってる場合じゃない状況がもうすぐそこまで来てるのかもしれない。
 例えば、大地震一つ来たら、東日本大震災の時のように、東北だけの問題じゃな済まされなくなる。日本人全員が、例えば物流的な意味で被災者になる事だろう。

 と、猪にぶつかられてから、そういうところまで思考が至った。


 

2022年3月22日火曜日

7410 20220319川越 & 川越美和氏のこと

 

7410 20220319川越


 まだまだ通わなくてはいけない所沢の仕事場だが、資材を当地から運ぶために、4tユニックやら4tダンプやらで行かなきゃいけない。それだけで半日だ。朝出て行って、その日現場でできることはあまりない。それはいい。
 所沢と言っても、所沢と川越と狭山に挟まれたようなとこで、川越市街から10キロもない所なので、大きなクルマが停められる川越駅から近い宿に投宿していたのだが、舐めてました、川越。8,9キロのところ40分ぐらいかかるし、道狭いし。結構ストレスだった。それもいい。

 で、川越で思い出した。そういや、昔川越美和ちゃんっていうアイドルいたなぁ、って。土地の川越とはほぼ関係ないけど。別にそんなファンだったってわけでもないが、下のCMが強烈だった。

グリコ いちごキディTVCM 1995年


 確か孤独死したんだよね。芸能人の女の人、そういう人案外多いよな。2008年の事だったそうな。そんなになるか。mixiやってたとき、その事についてちらっと書いたことがあるような気がする。

 といっても、改めて書くことも今更ないんだよね。ただ、頭の中「オッレゴン産のっ、いっちごをかっける♪」っていうのがリフレインしてしまうこと以外。


 なんとか、自分に降りかかる孤独とか挫折とか何とかに負けないで生きていきたいと思うわけだけど、ま、無理なときは無理なんだよね。頑張ったら余計だめらしいし、そういうのって。出会いなのかな? 彼女の周りに、そういうのに寄り添ってあげようって思う人が、そういう人に出会えなかったのが不幸だったのか。



7409 Rachel Cook_12

7409 Rachel Cook_12

 

7408 RC30_5

 

7408 RC30_5

RC30 1989
rider ;  Fred Merkel

2022年3月21日月曜日

7407 高橋国光_3

 

7407 高橋国光_3

Kunimitsu Takahashi
RC162
Solitudering 1962

…ride in pradise

7406 Matchless G50_2 & 2022年3月あたりの近況なんぞ 2

 

7406 Matchless G50_2


 3月20日の作業こそ、今回のメインイベントとなるも、作業量としては大したことなく、午前中いっぱいで所沢を切り上げ、ゆるゆる関越道~上信越道を移動し、小諸で降り下道で佐久に折り返し投宿。21日、同じく下道で東御を目指したわけであるが、一つ前のポストに書いた通り、新幹線や高速道路ではそれほど実感できなかった地形の起伏を存分に感じたわけである。
 左手に浅間山とかそれに連なる山々を見ながら、いや、まず浅間山からいこうか。何日か前の降雪でそれは綺麗な白の成層火山だった。煙は出てなかったけど。

 ふと、高校生の時読んでいた「軽井沢シンドローム」という漫画を思い出して、主人公たち、この辺でわちゃわちゃやってたんだなぁ、と思った。
 オレもいい加減変な高校生だったのかもしれないが、ド東京、渋谷、原宿よりは西東京、福生とかあと、吉祥寺、国立、そのあたりにあこがれていたし、いつか単車で晩秋の信州を走ってみたいと思っていた。
 まぁ、よくある話なのかもしれない。漫画とかの影響だから。

 前者は、例えば「河より長く緩やかに」という吉田秋生氏の漫画とか、片岡義男氏の小説とか、RCサクセションの曲だったりが影響していたように思えるが、後者、あ、これも片岡義男氏のがまずある。「ときには星の下で眠る」が、地名は明らかになっていないものの、恐らく信州界隈が舞台だったように思う。

 で、「軽シン」だよ。主人公相沢耕平のような、目くるめくセックスライフ、のちのエロゲーみたいな展開の青春、田舎の少年で憧れない奴の方が少数派だと思うのだが、それは決めつけか? でも、晩秋の信州を単車でとは関係ないような気がする。にしても、2022年において、信州のこの界隈は程よく田舎で、それがやがて40年前(!!)にもなろう当時、都会だったはずがなく、良くて、ところどころ国道18号線沿いのいかがわし気なスポットで若いコがたむろしているぐらいのものだったろう。なんで、そんなのにあこがれてたかね?

 それはともかく、目くるめくセックスライフなんて良いものにはついにありつけずに来てしまうし、一度大学生の時、それこそ晩秋、単車でこのあたりを走ったのだが、三笠教会の横の道を鬼押出に向かう途中こけちゃって、ブレーキレバーとフロントフォークを曲げて、フットブレーキはへし折れ、佐久のバイク屋で応急処置をして、霙の中泣く泣く京都まで走って帰ったことがあったんだった。現実はそんなもんさ、と。

 まだ、高校生の時、晩秋の信州を単車で走ってみたいと思った理由、一つ書いてない。
 それは、多分信州ではなかったと思うが、高校生当時のインスタントコーヒーのCMで冬枯れのアップダウンをマチレスが疾走し、最後にライダーがコーヒーを飲むというのがあったんだ。マチレスと言っても画像のG50ではないと思うが。G50といえば、今のデスモセディチかRC213Vみたいなもんだから、そんなのが田舎を単騎で駆け抜けるはずがない。でも、あのCM、かっこよかったんだよなぁ。それに片岡義男氏の小説が重なったんだろう、きっと。

 とか考えながら、4tダンプで駆け抜ける信濃路は、あまり楽しくないのである。重いし、慣れないし。忘れてたけど、ちょっと頑張って、コケて泣く泣く走った大学生の時よりはもうちょっといいコンディションで、もう一度単車で走ること目標に、ちょっと頑張ってみようか、などと、ひそかに思ってしまったのでありました。

7405 東御20321 & 2022年3月あたりの近況なんぞ

 

7405 東御20321


 あまりそういうことを声高に言うと、会社的に不味いのかもしれないが、50代も半ばで初めての経験でどこか面白がっているところがあるし、一応は再三会社の勤怠アプリからは警告が来ているのだから、会社は悪くない、と言っておこう。25連勤というのは生まれて初めての経験なんだが、睡眠時間を削っているというわけではないので、案外しんどくはない。まだ、少なくとも2、3か月はこんな感じなんだが、とりあえず、明日、明後日は休む。
 まぁ、今の会社に入るまで、結構サボってるような生き方してたので、それもありかな、と思わないでもないが、同世代は、そろそろ仕事的にはリタイヤも視野にソフトランディングの姿勢を取り始めているというのに、少々こんな告白も気恥しいし、関わっている方々には至らぬ私が申し訳ないことが多々あるのだが、実はそれほど気にしているわけでもなく

 そ ん な も ん だ と、諦 め て く だ さ い

だったりする。まぁ、至らぬなりに精一杯やってるので許してね、と。

 それはそうと、ずっと出張出ずっぱりということではないのだが、コロナのこんな時期なのに、というのもあるのだが、仕事柄、人のいないところめがけて、というような感じなので、あまり気にしていない。で、今日まで5日、武蔵野、最終日の今日は付随した形で信州に用があったのだが、とても慣れたものとは言えない4tダンプのステアリングを握りながら、ボーっと思ってたことを書き連ねてみようかと思う。


 沖積平野に広がる田園風景というのがデフォルトであるという感覚があったから、特にこちらの感覚で、水田が広がっているはずのところに畑が広がっている武蔵野というのは、なかなか不思議な感じ、というのも大げさだな、なんというのだろう、やはり不思議としか言いようがないか。都市化が進んでいる現代ではあるけれど、そうではなかったとき、いや、それは水田が広がるところでもそうか、狐狸が結構いたりして、って、あ~、そういえば、車に猪が突っ込んできたんだよ!って。案外、昔に戻っていくのかもな、って、そういうことじゃなくて。
 仕事場は、今の形になる前は畑ですらなく、少し小高い雑木林と脇を流れる水路だったんだそうな。

 武蔵野の町のでき方、道の付き方というのは、地形を模した培養基にプロットした粘菌が作る道筋、集約点の形に酷似してた、なんて読んだことがある。こちらでは、川とか谷筋とか、町のでき方に地形というのはかなりダイレクトに影響しているように思えるが、武蔵野に関してはあんまりそんなこと関係ないみたい。まぁ、良くは知らんのだが。

 無理やり通した道、ということでは、信州もなかなかのものだった。佐久から東御、上田にかけて、恐らく、地形的には若い地形なんだろうな、樹木とか建物とか取っ払ったらグランドキャニオンみたいな地形なんじゃないかしら? 侵食とかまだまだ途上で。なんで、こんなところに道通すよ? と、新幹線や高速道路からではわからなかった、下道走って、そんなことを思う道が結構あった。
 その脇、無造作に補強もされず、例えば上の方の樹木の根とかがよく見えてしまってる法面とかが結構あったのは、武蔵野も信州も同じ。これは行政の問題なんだろうか? それとも、思いのほか安定している? 信州なんか、2年前の台風の時も、千曲川が氾濫しても、そういう法面が崩れたみたいな話は、うっかりしていて聞かなかったなぁ。

 近代の遺構がこっちよりいっぱい残してあったな。とか、道で言えば、地元の方が絶対良い、とか、由無きことを由無き具合に考えながら、慣れないレンタカーの4tダンプのステアリングを握っていたわけでございます。

2022年3月15日火曜日

7404 VT250F_2 & 「君は天然色」

7404 VT250F_2

 「過ぎ去った時間、癪だけど今よりまぶしい ♪」

なんて、負け惜しみいたしません。そんな元気すらないオジサンでございます。昔はリア充的な意味で幸せだった、なんてことはちっともないけれど、それでも何となく浮かれていられた。「あしたはきっと何かあるなんて、甘えたことをぬかしてるジョー」(電気グルーヴ)であります。「他力本願、ハルクホーガン、オレの●ーガン、君のコー●●」であります。

 電気グルーヴじゃなくて、大瀧詠一でしたね。

 この「君は天然色」である。ジャケットのカラフルさとメロディラインのポップさ加減に騙されるが、「A Long Vavation」、なかなか毒の効いた歌詞の曲がそろっている。「君は天然色」も、歌われているのは幸せな恋ではない。
 で、ジャケットの永井博氏のリトグラフかシルクスクリーンか。いや、一枚モノの描きおろしかもしれない。ある明度以下の影は黒のベタ塗りである。その上に、一枚モノの描きおろしというなら、ホルベインのガッシュでいえばアイボリーブラックというよりはジェットブラックの上に原色、チューブから絞ってきてそれほど水で薄めていない色を乗せてあるような、そんな描写。
 若い時は、そういう割り切りが好きだった。でも、この年になると、陰影の中にも書くべきことがいっぱいあるんじゃないか、抽象的な意味だけではなく、直接的そのものずばりの絵であっても、そう思うようになってきた。っていうか、正直、黒ベタ塗りの面を見ているが辛いのだ。

 1981年3月21日、「A LONG VACATION」リリース、1982年5月25日 VT250F発売、ということらしい。この両者、つながりは全くない。この時代からみた、あの時代は・・・という括り以外。
 ただ、何かに酷く焦がれていた、若いころの感情、もう結構忘れてしまっているけれど、どんなんだったかな、と、ちょっとだけ必死に思い出そうとしたら、何となく重なって思えた。

 どうなんだろうな、昔話なんて、結構不健全って言われてしまうことが多いんだけど、実際今のものには逸らない、心が何となく動かないこともあって、それを詳述してしまうと尚更不健全って言われてしまいそうで、でも、あの時のあの感覚というのはすごく大事なものだったようにも思ったりして。

 VT借り出して、小豆島行ったことがある。明石のあたりの国道、アスファルトの照り返しが熱く、大型車の排気ガスがひどかったな。でも、思い出すのはろくな結末を迎えなかった甘い恋ではなく、そういうじりじりした感覚ばかりで、それがひどく懐かしいのだ、不思議なことに。