7240 CBX550F
画像はCBX550Fであるが、このころはバイクブームの奔りの頃。車体がそっくり同じで、エンジンブロックもほとんど同じで、ボアストロークだけ変えた、というパターンが結構あった。まぁ、免許制度の所為もあったのだろう。
で、多分、この文、文中のMも読む。「こんなこと書くなよ~」とか、まぁ、程々に抗議してくる。深刻なようなら修正するか削除するかすることになると思う。
通っていた高校には紙パックのpiknikだったかのジュースの自動販売機が入り口横に置いてある食堂はあったのだが、所謂購買というものはなかった。中学の時はあったんだけど。代わりに、小腹が空けばこの前書いた間島とか床鍋とか。教科書は高岡駅高校にある学海堂、文房具はその反対側にある、名前は忘れた文房具屋さん。
休み時間に文房具を買いに出た。正門から。
中学の時の同級生、他の高校に進学したが、その様子では学校に行ってないのだろう、Mが赤いCBX400Fにまたがって、所在なさげにしていた。何を会話したかは覚えていないが、まぁ、CBXの話だよ、当然、多分。
時は流れる。何しろ、同じ中学だったからと言って、ほとんど当時話をしたことがない奴だったから。
インターネット、SMSのおかげで、子供の時はそれなりに交流があった同級生とも交流がなかった同級生とも、そこそこ仲良く、飲み会で一緒に酒を飲んだりする。
まぁ、オレらが社会に出てすぐぐらいから使われだした、ヤンキーだったんだが、ちょっとニュアンスが違ってたやつだった気もする、Mは。そういうわけで、特に親しくないうえに、SMSとか使いだしたのが40代からであったから、奴の年譜なんて全然知らないが、要するに長距離のトラック運転手で、奥さんと二人いた娘のうち一人と死別していると。
奴の口から聞いた。いつもはにやけ顔の奴だけど、その時はさすがに表情が消えていた。その時点で何年前の事かも知らない。傷は癒えているのだろうか? いや癒えるはずなんてないんだ。できるのは、気持ちにどうやって折り合いをつけるのか?
Mは50代半ばの今になっても、スカジャンにリーゼントで、関西や名古屋で時々あるロカビリーのイベントに出かけて行っているようだ。しかし、まぁ、そんな話を聞いた途端、なんというか、底に流れているのは、ロカビリーではなくゴリゴリのブルースであるような気がしてしまった。でろんでろんのスワンプギターが流れてるような。
手に余る感情、本人が本当は何を考えていたのか、全然わからない。大変だったな、としか言えることはない。
しかし、奴は、今、偶に張り込んだ食事をインスタとかに上げたりする。何とかやっている。偶におめおめ生きている自分自身の卑怯をなじったりすることもあるのかもしれない。どうなのかはわからない。
あのときは無邪気な子供だった。ヤンキーもテストで運動が得意だった子も点数獲るのが多少得意だったやつもそうなじゃないフツーの子も。
まぁ、そろそろ親は当然、本人までも逝っちゃうようなお年頃で、そうじゃなくても、子供の時には想像してなかった苦労をしょい込んでる話も聞いたりする。或いは健康に不安を抱えてるとか。
因みに、通っていた中学は、当時市内では一番ワルな中学だったそうで、県内にその悪名を轟かせていたそうなんだが。特にオレの代。
でも、一つ上や一つ下に比べても、物故者が少なく、同窓会の出席も多く、なんか、大人になった今の方が仲良しだ。不思議なものだ。
コロナ禍で、なかなか飲み会も開けなくなったが、ひとたびほろ酔いの同級生を見ていたら、なんかこんな感じで続けていけたらいいな、と素直に思う。
でだ、奴の赤いCBXなんだが、あの後、割とすぐ、廃車になってしまうような事故に遭ったそうである。もったいねぇ。
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