2022年1月14日金曜日

2022年1月3日月曜日

7289 Etiénne Quartararo

7289 Etiénne Quartararo

Etiénne Quartararo
RS250R 1986

  写真のヘルメット見て、「ああ、片山敬済氏の写真ね」と、思うじゃない。しかし、緑ゼッケン(=250cc)で#65とかつけてたはずがなく、250cc走ってた頃はヤマハだったしロスマンズではなかったし、って、ロスマンズカラーだけどロスマンズじゃねぇし、この写真、と、2度見3度見して、キャプションも読んで、エティエンヌ・クアンタラロ氏1986年とある。え、この名前って? と思いググってみたら、案の定、2021年プレミア・クラスでタイトル獲ったファビオ・クアンタラロ君の御尊父であらせられるとの事だ。
 写真は250㏄だが、125㏄ではフランスの国内チャンピオンにもなったことがあるそうで、そこそこ能力はあったのだろうが、スポンサー集められなかったのかな? GPには出てきていないはずだ。今まで聞いたことがなかった。さすがにフランスの国内選手権のことまでは知らない。

 しかし、まぁ、片山レプリカのヘルメットといい、ロスマンズカラーなのにロスマンズじゃないところといい、突っ込みどころに事欠かない写真だが、考えてみれば、当時、結構名の知れたライダーも平気でスペンサーレプリカ被ってレース出てたし、当時としてはフツーなのかもしれない。
 まるで、当時のバリバリマシンの読者投稿写真を見るようで、楽しい。どこかに角生えてないかい?

 ということは、このエティエンヌ・クアンタラロ氏、ほぼオレと同世代か。このエティエンヌ・クアンタラロ氏にしても、ヴァレンティノ・ロッシの親父のグラジアーノ・ロッシ氏にしても、四輪ではヨス・フェルスタッペン氏にしても、現役時代、遅くはないにしても、トップまで行くこともない、いまいち地味だったけど、息子が大成してさぞや嬉しかろう。
 トップを走った、ガードナーの息子は今年からプレミアクラス、ドゥーハンの息子は四輪でF1のすぐ下のクラスまで登ってきている。さぁ、どうなるかね?



 

7288 ZX-9R_2

 

7288 ZX-9R_2

ZX900B 1994

2022年1月1日土曜日

7283 Randy de Puniet_2

 


7283 Randy de Puniet_2

Randy de Puniet
ZX-RR
Sepang 2007


7282 330 P4 spyder

 

7282 330 P4 spyder

330 P4 spyder
Paul Hawkins
Brands Hatch 1967


7281 H1 500SS Mach III_3 & 2022元旦所感

 

7281 H1 500SS Mach III_3

元旦所感

 カレンダーが新しいものに掛け替わった、などと言っても、特にカレンダーなど壁に掛けることもなくなって何年も経つ。こういう時、子供がいない家というのは、どうにも新鮮な気持ちで新年を迎える殊勝な気持ちが弱い。ましてコロナ禍、妹夫婦も来ることがなく、老いた両親と三人、しかし、外は子供の時にあったような、そこそこな雪。静かな元旦だ。

 で、カレンダーが掛け替わったというのに、昨年、いや、昨日と同じように、オレはこんなことをしている。勿論年内にはそれなりに大掃除とか料理とか準備はした。

 結構ね、去年は仕事が胃に来た。この年になるまで、そんな仕事をしてこなかったから。まぁ、悪いこととは思っていない。それも人生としてはアリ。若い時は、そういうものから逃げてしまったり、逃げちゃだめだ逃げちゃだめだと思いながらそればかりになったり。気持ちは後ろ向きではなく、ネガティブなことはちっとも思ってないのに、なぜか胃にはしっかり来ているなんていう、これは初めての経験だ。結構面白い。でも、胃が痛い、時々。
 医者に診てもらって、特に悪いところはないようなので、このままいく。仕事、ずっと続くけれど、とりあえず、一区切りまで、うまくやりたいと思う。

 気が付けばカウントダウンに入っている年齢になっている。下手打てば明日この世にいなくなってるかもしれない。今更後悔のない人生を、なんて無理なくらい、後悔が掃いて捨てるほどあるんだが、それなりに整理をつけながらやっていくことになる。

 実は、このブログに何千と上げている絵みたいもの、これらもその一環だったりする。思った数にはまだ3千程足りない。まぁ、ぼちぼちやっていくしかない。

 ただ、見えないけれど、皆があることを感じ取っている線を一本超えただけの事で、それがめでたいのかどうか、この年になれば、そういう区切りまでとりあえずたどりつけたのは、よかったね、というのはよくわかる。

 また一年、皆様も元気で過ごされますよう、お祈りしております。

2021年12月31日金曜日

7280 Jean Alesi_3

 

7280 Jean Alesi_3

Jean Alesi
Tyrrell 018 Ford
Jerez 1989

「男はつらいよ」に関し 4

 劇中に出てくる単車はネタ切れで、クルマに関してもこれはというものがなく、及川泉ちゃんを演じる後藤久美子氏のリアルのパートナー、ジャン・アレジ氏を描いてみることにした。
 ジャン・アレジ氏というと、息子のレース資金の捻出のため、時価1億円ぐらいするんじゃないかと言われるF40を売却したりとか、最近では実弟のビジネス上のトラブルから起こした爆竹騒ぎでおとがめを受けたりとかというニュースを訊いたりする。ファミリー思いなのは良いが、爆竹騒ぎ、後藤久美子氏が、寅さんが問題を起こしたのを聞いたさくらさんのような表情をしていたのかもしれないと思うと、不謹慎だが笑ってしまった。

 さて、今、男をつらいよ、というタイトルで新作もなかなか作れないだろうと思う、理由の一つに、そのタイトル自体があったりする。矢野顕子氏の「ラーメン食べたい」の歌詞の中で
「男もつらいけれど、女もつらいのよ」
というのがあるが、言ってみても、寅さんシリーズの中の「つらさ」とは、せいぜい女性に振られるつらさであり、寅さん自身、その気になれば、リリーさんというたいそういい女といつでも所帯を持てる状態だった。今現在、男と女、どっちが辛い? 「つらい」じゃなくて「辛い」となり、呑気な惚れた腫れたの次元で語られる話でもなくなってきている。
 女性の社会的不利を辛いとする声が大きい一方で、男性の辛さも寅さんのつらさとは質を変えてしまっている。

 また一個前の投稿の、ウェイン・レイニーもそうだし、日本人なら青木琢磨氏がそうだ。今年亡くなったフランク・ウィリアム氏もそうだが、事故で負ってしまったハンディキャップを持つ方々、事故どころか生来のものもあったりとか。そういう人たちの辛さと比較して「つらい」とか言うのが妥当なのか?
 コロナなどの社会不安で、生き辛い人は?とかね。

 いや、パートナー、恋人を見つけられない辛さはあるさ。しかし、現実にはその辛さは複合的だし、思いつめれば簡単に殺人事件まで発展したりする。寅さん、性格上、もう少しでうまくいく時に限ってなんか逃げてしまうこともある。そんな奴が「つらい」なんて言うな、と言われないためには、これまでのシリーズと違う作りにしていくことも考えなくてはいけないのではないか?

 今までとは急速に姿、質を変えるか、そもそも消滅しつつある「男性」性というものをもう一度吟味してみる必要がある。敢えて「男はつらいよ」というならば、今広がりつつある声に抗していくだけの力がしかもないと。


7279 Wayne Rainey_7

 

7279 Wayne Rainey_7

Wayne Rainey
OWA8
Bugatti Circuit 1989

「男はつらいよ」に関し 3

 満男の愛車として劇中登場したのは、スパーダとGPz400Rの2台では、このウェイン・レイニーのYZRは何かというと、第46作目、「寅次郎の縁談」中、就職活動中、なかなか内定が取れなくてヤサグレてた満男の部屋に貼ってあったのが、ラッキーストライクカラーのYZRに乗って、この画像はコーナーの立ち上がりだが、右コーナーのコーナーアペックス付近、今のコみたいに肘擦りこそしていないものの、フルバンクの姿勢のウェイン・レイニーのポスターだった、というわけだ。
 単に、無造作な舞台背景ではなく、満男のある面へのキャラ付けの意味合いがあることが決定的なんだと思った。
 白時に黒のヘルメットでラッキーストライクというと1989年のことだが、この映画の撮影は早くても1991年、公開が1992年なのだから、こういう映画の性格上公開に割と近い時期まで撮影していた可能性もある。
 無造作に選ぶとすれば、GPでもドゥーハンとか、同じレイニーでもマルボロカラーであるとか、シュワンツでもいい。いや、GPにこだわらなくても、セナ様のポスターの方が調達しやすかったのではないか? わざわざ、でなければ、貼ってあったのが89年のレイニーであることはないようにも思う。あと「HRC」とか「TERRA」っていうステッカーも貼ってあったりする。

 あ、でも、89年頃撮影した時のセットがそのまま残ってるという可能性もあるな、確認はしていないけれど。どうでもいいか。


 2019年の「おかえり寅さん」、あ、ネタバレ注意、なんて、今の今までよりによってこのオレが書くとは思っていなかった言葉を書いてみる。まぁ、大したことは書かないんだけど。満男クンはオレよりはほんの少しだけ若いんだけど、シリーズを通じて、善人たちが幸せ等なのが辛い、というのとは別に、オレと同じ種類のバカで観ているのが辛かったりする。だから、誰もいない、娘も視ていないところで伯父さん思い出してめそめそするの、オレもおなじことやっちゃったりするんだろうか? と思ったりもするが、同じ音のミツオがいっているとおり、「いいじゃない、人間だもの」なのかもしれず。

 山田洋次氏ではなく、庵野秀明氏を連れてきて「シン・男はつらいよ」でも作らない限り、いよいよ、シリーズこれが最後なんだろう。山田洋次氏の作風でこれから映画を作るのも難しいし、敢えて作風を変えてまでそれをすることを、ファンが許さないかもしれない。
 底に流れる精神はそのままに、それでも、「男はつらいよ」のリメイクなり続編なりを作っていくとしたらどうなるだろうと、妄想してみた。

 まず、満男クン、単車乗りに復帰しろ、と。娘の高校受験もあるだろうが、次作がおそらく露天商、即ちテキ屋に関することらしいので、つまりは伯父寅次郎氏がモデルなのは明白で、となれば寅さんがした通り、日本中を放浪するように旅しながらノマド小説家となるしかない。まぁ、次作の時には娘の高校受験もひと段落してそうだが、しかしむすめをひとりにするわけにもいかず、というところで、池脇千鶴氏が演ずるところの担当編集者が名乗りを上げて、住み込みで娘の世話をするようになる。「おかえり寅さん」劇中、ほのかに、満男クンとの仲が進展するかもしれない、という描写があるのだが、
「君の事は信頼しているし、君もボクの事をよく理解してくれてると思ってる。ある意味きみがいるから、小説家としてやっていけるんだけど、でも、だからと言って、結婚とは結び付かないんだ。結婚って何だろう?」
的な若い子が言いそうなセリフを、50を過ぎても満男クンは平気で言いそうではある。まぁ、かの編集氏、さくらおばあちゃん、博おじいちゃんをはじめ周りの人には、そのように認知されていく中で、
 満男クンの日本準で体験したエピソードが映画として綴られていくわけである。寅さんがそうであったように、ちょくちょく葛飾柴又には帰ってきたりするんだけど。あと、寅さんのような艶話とはちょっと違うエピソードな。
 さあ、富山県、そうなったら積極的にロケ、誘致し給え。


 「う~ん、なんて言うかな、ほら、”ああ、生まれてきてよかったな”って思うことが、何遍かあるじゃない、ね? そのために人間生きてんじゃないのか?」

 どのエピソードで寅さんが満男クンに言ったセリフか、ちょっとわからないが、回想として「おかえり寅さん」に出てくる場面である。オレなんかね、生きる意味に結構拘泥しすぎてしくじったと思ったりしているクチだが、若い奴にそんなこと質問されたら、オレならどう答えるだろう? 

2021年12月30日木曜日

7278 GPz400R_5

 

7278 GPz400R_5

「男はつらいよ」に関し 2

 第44作「寅次郎の告白」の最後の方、ちらっと出てくる満男君の愛車、シレッとした顔して、スパーダからGPz400Rに替わっておりました。流すところですが、あの鹿児島まで行ったいわば相棒、さらっと買い替えてしまったか、山田洋次さん、小道具スタッフが替えてしまったことにも頓着しなかったか、それとも、まぁ、それなりに時間も経ち、映画で語られないところで買い替えのドラマとも言えない何かがあったことにしたのか。まぁ、ホントどうでもいいですね。
 いや、どうでもよくないか。公開当時、「寅さん」なんて見なかった、単車乗りを中心にした満男と同世代が、今更「男はつらいよ」シリーズ見ることもあると思うんだが、多分、山田洋次氏的には、その当時のよくいる若者のキャラ付けするための小道具以上の意味はなかったように思うんだが、スパーダからGPz、ホンダからカワサキへの買い替えって、ないわけではないが、それなりの事はあったと思うし、単車に乗っていたという事実自体、満男のキャラクターメイキングにそれなりのポジションを占める事実であったと思われる。当時としては確かに特別、というほどの事ではなかったとは思うが、伯父に影響を受けた、という部分では効果的な小道具ではなかったと思われる。思い付き、思い込みで鹿児島まで行っちゃうところとかね。満男クン、例え泉ちゃんが絡んでいなくても、いろいろ経験したのかな、GPzに乗って、とか、想像してしまう。

 さて、寅さん、車寅次郎氏のことである。シリーズ通じてである。繰り返すが、何度もじっくり見たわけではないので見落としがあるのかもしれないが、テキ屋をやっていて、商材の仕入れの場面ってあったんだろうか? と思ったりするが、ちょっと思いつかない。商売として、あれは成り立っていたんだろうか?と。
 売り口上はほぼ超が付くくらいの一流だったとしよう。しかし、旅姿は、空色のダボシャツ、辛子色のジャケットを腕を通さずにはおるだけ、ソフト帽を外すことはめったになく、あとは古ぼけた革のトランク一つ。商材を持ち歩いているようには思えないし、高額で利益率の高いものを売っているようにも思えない。行く先々で伝手で商材を仕入れ、その場で売っていたということなんだろうか? あの世界の事は全くわからないが、なんかちょっとな、今じゃ絶対あり得ないし、寅さんが活躍した高度経済成長期末期からバブル期、平成の何年間かの間であっても、それだけでやって行けたとはとても思えないのだが、そこは蛇の道は蛇なのかな?
 あと性格。一応振られはするけれどもてないわけではない、なぜか気になるチャーミングな人物ということになっているが、殊現在、リアルであんな人が身近にいたら、ちょっと困る。
 そういう人物も受け入れられたおおらかな時代、といえばいいのかしら? でも、やはりスクリーンの中だけにしていただきたいんじゃないかしら?

 まぁ、寅さんは極端にしても、みんな優しく、弱いけれど強く、聖人でもないが悪人でもない。一所懸命生きている。悲しい顔をすることはあるけれど、暗い目はしない、そういう人たちの時代。ノスタルジーに浸るだけなんだろうか? オレの場合はNETFLIXで確認がてらみてるけれど、やがて物悲しくなる。

 

7277 VT250 Spada

7277 VT250 Spada

「男はつらいよ」に関し 1

 当地富山と、四国のどこかだったかが、遂に「男はつらいよ」のロケ地にならずに、渥美清氏の死去によりシリーズ終了を迎えてしまったため、富山県民的にはちょっとしたトラウマになってしまい、山田洋二監督の次のシリーズ「釣りバカ日誌」ではいち早くロケ誘致に動いたのだが、これも三国連太郎氏の死去でシリーズ終了。そこそこ人気はあったものの「男はつらいよ」ほどではなかったのではないか、と思われる。
 富山市岩瀬など、そのロケ誘致に熱心だったのだと聞き、49作目の制作に際し、山田氏渥美氏などは前向きだったが、松竹映画との交渉が不調だった、らしい。また、一説では、そこまで当地が後回しになったのは、渥美氏が結核など大病を患っていた若いころ、不義理をした女性が当地の女性だったから、当地が後回しになった、なんて話も聞いたことがあるが、それについては確認が取れない。まぁ、若いころの苦い思い出が人生に陰影を与えることもあるわけで。

 さて、画像の赤のVTスパーダ、車寅次郎氏の甥、吉岡秀隆氏演じる諏訪満男クンの最初の愛車で、今はジャン・アレジの奥さんが若いころ演じていた満男君の後輩の及川泉ちゃんが鹿児島でへこたれてるのを聞いて、葛飾柴又から鹿児島まで満男君がこれに乗って駆け付けるなど、大活躍だった。それと同型のバイクである。

 満男君の親父の弘さんは、寅次郎氏に助けられたのか邪魔されたのかよくわからないうちにさくらさんとくっつくことができたが、寅次郎氏と満男君は揃いも揃って女性に対しては不器用で、というのがこのシリーズの肝なんだが、寅次郎さんの移動にはほとんど窓が開く各駅停車の国鉄→JRに対し、特に若いころの満男君はこんなバイクに乗ってたりするのだが、いずれにしろ、基本が気ままな旅をする自由人の乗り物で、窓がはめ殺しの新幹線とか、ましてや飛行機なんてものは使っていた記憶がない。まぁ、全部をじっくり見たわけではないのだけれど。

 さて、あらゆる場面で、この話、現実の、特に今現在の日本では成立しないファンタジーであるというのは、説明要る?
 何百キロも離れた女の子に会いに行くのに、今の子、バイク走らせたりするんだろうか? コスパを考えて、今の子は恋しない、というが、それはお金の話ではなく、それだけの熱量を見せてしまうと、持ってしまうと、却って退かれてしまうというリスクを考えて、ならばと、そこまで入れ込んだりはあらかじめしない、ということなんだと思う。惹かれるだけならまだしも、そこまでやると、半ば犯罪者か精神異常者のような目でみられてしまうから。
 満男、即ち、我々の若いころはどうだったか? 女性との距離感を誤るとこれもまた大事故になってしまうのは今と同じで、オレも懲りずに何度も失敗しているが、まぁ、アリと言っちゃアリだったかな?

 そもそも、今の子でこういう単車に乗るのは、我々の頃よりもはるかに少数派で、時間感覚と距離感覚がマヒしたような単車での自由な旅なんて、ないとは言えないまでも更にかなり少数派なのではないだろうか? 若い子はお金もないしね。大人として大変申し訳ない。

 

7276 青山博一2 retake

 

7276 青山博一2 retake

Hiroshi Aoyama
Avintia Blusens FTR Kawasaki
Valenciana 2012

  金があるチームは速いし、まして威信がかかったワークスチームは金と技術があるからいうまでもなく、という極単純な真理において、では、それを持ちえないチームはどうするか、というと、とにかく金を集めるんだけど、それが閾値に達しなければ、参戦できないし、参戦したとしても下位に沈んでしまえば、テレビ中継に移ることもなく、結局スポンサーが去り、参戦継続が難しくなり撤退する。
 レース、殊、GPぐらいになると年間経費も相当なもので、いろいろ諸経費も然ることながら、まず速いバイク、だ。そしてそれのメンテナンス費用。それが用意できて初めて、報酬額も高いが速いライダーを乗せることができる。

 ならばせめて、トップは走れなくても上位を狙えて、いくらか安いバイクはないものかとなる。昔はTZ500、RGB、RS500なんてあったし、年式落ちのワークスマシンという手もあった。そのような趣旨で’90年代後半NSR500Vなんていうのもあった。
 2ストロークは部品点数も少なく、比較的ローコストで、特に昔は現場のメカニックのアイディアでワークスも凌ぐようなハイパワーを出したりする椿事も無くはなかった。雑と言えば雑、おおらかと言えばおおらか、と、言えないこともなかった。

 4ストローク1000ccに移行して部品点数は格段に増え、精密な組み上げも求められ、現場では手出しができない電子部品も高性能なものが求められ、当然コストも上がる中で、メーカーワークス、準ワークスのサテライトしか残っていないのが現状であるように思われるが、かつては、それでもそうならないように、と、市販公道用のスポーツバイクのエンジンをチューニングしてスペシャルフレームに積んだエントラントの参戦を認めていたである、GPは。

 でも、やはりというか、ワークスには歯が立たなかった、と。

 考えてみれば、これって昔のTTF1であるようにも思われるが、こういうマシンでのレースもあって面白いのではないかと、ふと思った。が、どうなるかね? メーカーはレースの負けが市販車の売り上げを下げるリスクを避け、レースでのガチのバトルを避ける傾向にある。さてさて。


7275 Walter Villa_3

 

7275 Walter Villa_3

Walter Villa
Aermacchi-Harley Davidson 250RR
1975


2021年12月28日火曜日

7270 Kork Ballington_6

 

7270 Kork Ballington_6

Kork Ballington
KR500 1982

 まさにこの個体かどうかは分からない。でも、確かタンクは無塗装アルミのものだったと思うので、この年このタイプのKR500を軽井沢のペンションの玄関先で見た。
 '80年代前半までカワサキGPチームを率いておられたケン鈴木氏のペンションを訪れたのは晩秋の、大学が学園祭をやっている時期で、カワサキに乗っていたオレには憧れではあったけれど、考えてみれば、これが走っていた時期は、ケニーが全盛、82年はフレディ・スペンサーはまだNSを得ていない、NRなんていう馬力はあるけれど重い単車で苦労していたそんな時期。ルッキネリとかウンティーニとかバリー・シーンとかもいた時期で、カワサキがチャンピオン争いに絡むことはついになかったのではないかと思うのだが、しかし、そういう文脈とは別に伝説みたいに語られる。変なの。
 まぁ、言ってしまえば「参加することに意義がある」なんだけど、参加できてしまえば半分以上やる事は終わった、なんてことはなく、結果的に上位を走れなくても、それでも、なんとか少しでも上に行こうとする、参加賞なら間に合ってる、というか、ちょっとどう言えばいいのかわからないな、あと、1,2シーズンカワサキが続けていたなら、例えば85年のフレディのWタイトルはなかったかもしれないし、その後の勢力図も変わっていたのかもしれない、それぐらいの熱はあった。

 風呂が少し寒かったな。温泉ではなく、外国の大きなたらいに足がついたような湯船で、まだ20代だったのに、オレは随分おっさん臭かったのか、ちょっと風呂には不満だったのを覚えている。
 その時期、客はオレ以外におらず、それを見越して奥様のおばさんたち、を呼んでいたようだった。で、鈴木氏もオレみたいな単車でやってくる若い奴に幾度となく同じ話をしたであろう、トーハツからイタリアのピアジオに移籍し、それからカワサキGPチームの監督になった話、あと、奥さんのおばさんだったか、とにかく世界中から養子縁組をして、そのなかのマリオ宮川氏の話とか。ジャン・アレジのエージェントもやったという人である。
 バイク雑誌で読むような話が語られる。は~とかへ~とか相槌うつしかない。

 でも、結果的によく眠れたし、あの一泊は良かった。それは良い。

 翌日、鈴木氏の勧めもあったし、それがなくても鬼押出の浅間記念館に向かうつもりだった。三笠教会の横から坂道をのぼり左に曲がったところで、舗装が切れて、少し轍もあった。転倒た。ブレーキペダルが折れ、フロントフォークが見た目に曲がった。身体は大丈夫だったと思う。が、目の前が真っ暗になった。
 浅間記念館に行くのは諦め、のろのろ、フロントの調子を見ながら引き返す。佐久の街道沿いのバイク屋で、バイク屋の兄ちゃんと二人がかりで、パイプかませて、フロントを少しだけ見た目はまっすぐに修正したが、勿論そんなものはあてにならない。そこで車載のスパナを針金でブレーキペダルの代わりに括り付け、またのろのろ走り出す。諏訪に抜ける山道で、雪まで舞ってくる。幸いつもりはしなかったが、もうそのころは思考が停止していて、諏訪湖畔に降りたころは雨になっていた。
 下道でと思っていたが、帰らなきゃいけなかったのが京都だからそれでは間に合わない。どこかでもう一泊なんていう金銭的余裕なんてこれぽちもない。伊那で中央道に乗った頃にはあたりはすっかり暗くなっていた。

 悴む手で高速道路を単車で、しかもフロントは曲がってるし、なんて、思考を停止していても、やはり恐怖で、それでも、時速80キロは最低限キープして、名神に合流してから、何にもない羽島PAのトイレの前のタイルの上に、ついつい倒れ込むように寝転がってしまった。山の中を縫う中央道よりは少しは寒さが緩んだような気がしていた。
 いや、さすがにトイレの前でこれはまずいだろうと、体を起こし手目にしたのは、側溝の縁を上り下りするドブネズミだった。なんか呆けてみてしまった。

 「行くか」。精神的には疲れていたが、身体はそれほどでもないことにこの時気が付く。ドブネズミさんのおかげだ。途中、米原を過ぎたあたりで、ビカビカの赤い900ニンジャに容赦なくばひゅんと抜かれたりしつつ、21時には銀閣寺前の自分のアパートに戻っていたのだから、案外早い時間だったんだな、と今になって思う。中央道とか高速を走っていたあたりは、永遠に地獄が続くような感覚だったけど。

 で、酒食らって、気が緩んだところで、その後結構な期間後を引く、ささやかな失敗をするんだが、それについては書かない。


2021年12月27日月曜日

7269 Mike Hailwood_14

 

7269 Mike Hailwood_14

Stanley Michael Bailey Hailwood, MBE
RC173
Fuji 1967

 単車というものに興味を持ったころに、ドゥカティのシグネチャーモデルで”マイク・ヘイルウッド・レプリカ”なんていうのがあって、それが彼の名前を知るきっかけになる。国産車に比べれば、「曲がらねぇわ、止まらねぇわ」っていう操縦性で、いや、乗ったことないんでよくわからんが、しっかり開けて、荷重をしっかりかけてやらねぇと、言うこと聞かないたんしゃだったんだろうな、とは思うが、まぁ、どこまで行ってもわからない。

 さて、2輪と4輪、どちらでもレジェンド級の成績を残したのは、ジョン・サーティスしかいない。マイク・ヘイルウッドは2輪ではレジェンドだったが、4輪のF1ではせいぜい中堅だったらしいし、'60年代2輪でのライバル、アゴスティーニは散々アピールし、英国内のF1で自分でチームを作って年式落ちの車にまで乗ったけど、所謂F1GPからは声がかからなかったらしい。ほかに、GPとF1、どっちも走った人っていたかな?

 日本国内なら、高橋国光氏とか? 

 ワイン・ガードナーはGPを引退した後、何年か、日本のGTでスープラ走らせてるし、エディ・ローソンもインディ・カーに乗ってたが、GPにいた時ほどの成績を残した印象はない。
 グレッグ・ハンスフォードはオーストラリアの国内ツーリングカーでそこそこ活躍したみたいだが、あくまでそこそこ。

 ロッシや、ケーシー・ストーナー。ロッシはオフ・シーズンに、余興でラリークロスに出てったみたいだが、2輪を引退した今、さすがにあの年齢ではF1は狙えないだろう。ケーシー・ストーナーはオーストラリアのV8スーパーカーシリーズに出場することもあるみたいだが、フルシーズン走るということはしないみたいだし。

 逆に4輪から2輪に転向した人は皆無。余興としてはミハエル・シューマッハ、シーズンオフには熱心に2輪に乗っていたみたいだが、これもあくまで余興として。

 ただ、このマイク・ヘイルウッドという人、4輪のF1引退してから、2輪に復帰してマン島で2回勝ってるんだよね。基本、単車の人だったんだな、と。


2021年12月17日金曜日

7257 ZL1000

 

7257 ZL1000

20211216分
エアロバイク 83分42秒 31.83㎞ 700.2kcal

BGM

Paranoimia (feat. Max Headroom) [Extended Version] [2017 Remastered Version]Art of Noise
宇宙戦艦ヤマト2009 with Symphonic OrchestraTHE ALFEE
Inner Universe菅野よう子
Beyond ReasonRyuichi Sakamoto
GloriaZIGGY
マグマ大使コール東京
Jumpin' Jack FlashAretha Franklin
Rude Boy(不良少年のうた)Blankey Jet City
旅姿三人男美空ひばり
The GrooverT.Rex
Zip Gun BoogieT.Rex
冒険者 _02矢萩 渉
Brand New LoverDead Or Alive
リンゴの唄 並木路子
ジェラシー井上陽水
Banstyle/Sappys CurryUnderworld
想い出のエア・ポート吉幾三


筋肉バイクというと、V-Maxを思い出すが、同じ時期の対抗馬としてエリミネーターがあったので。