2025年9月7日日曜日

「贈与」に至る / 糸口を探す 1 ジョルジュ・バタイユ、TZ250

 

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 ジョルジュ・バタイユがもし1980年代あたりに元気に活動していたと仮定したら、彼はきっと「モータースポーツ」「単車」「スピード」みたいなものに惹かれたのではないかと思えて仕方ない。

 バタイユの思想には「極限体験」「逸脱」「共同体の陶酔」が根っこにある。したがって、1980年代に元気なら例えばこんな展開が考えられるかもしれぬ。


 F1ブームとの親和性はどうか? セナやプロストが全盛を迎える直前だ。寧ろマンセルとピケが同じチームで丁々発止やってたころ。スピードと死の接近、スポンサー資本の華美さと人間の肉体の限界が交差する場所として、バタイユ的には非常に「エロティック」な場であったことだろう。「消尽(dépense)」なんて、F1マシンの燃料やタイヤに重ねて語りそうだ。


 二輪文化については? 特にヨーロッパのカフェレーサー文化から日本の族車カルチャーまで、暴走や事故を「神聖な瞬間」として描きそうだ。単車の爆音を「共同体的祝祭」として読み替えるわけだ。


 バタイユはおそらく消費社会批判と結びつけることだろう。1980年代は消費資本主義の絶頂期。スポンサーだらけのマシンや、レーサーが広告塔になる姿を「神聖さの堕落」と批判しつつも、同時にそこに「崇高な笑い」を見出すにちがいない。


 絶頂にいた当時の日本との接点があったなら、ホンダNSRやカワサキGPZに夢中になりつつ、走り屋や峠文化を「神聖な浪費」として愛でたかもしれぬ。


 もっと妄想を膨らませると、1980年代のバタイユは「パリ・ダカール・ラリー」に強烈に惹かれた気もする。死のリスク、砂漠という空虚な空間、マシンと人の極限。これ、完全に彼のテーマと重なるように思える。


 バタイユがのめり込むのが単車なら、例えば、市販のTZ250で、サーキットでコケまくりながらも、アマチュアながらレースにのめり込んだりしてな、とか考える。

 市販レーサー、ヤマハTZ250、まさに80年代のプライベーターが血反吐を吐きながら走らせるマシン。いわゆるレーサーレプリカどころじゃない、特にパイプフレームの頃の、なんて、本当に「レースやりたい奴向け」のマシン。公道走行不可、ナンバーも付けられない。サーキット専用。2ストロークで、ピーキーで、パワーバンド外すと一気に失速して、逆に入ったら暴力みたいに吹け上がる。素人が乗れば確実にコケる。いや、上手くてもコケる。F1の華やかさよりずっと「肉体と機械がギリギリでぶつかる場所」って感じがする。


 バタイユがもしそこで生きてたら、こんな風景が浮かぶ。人類の文学史における変態とか、闇の哲学者とか、そういう評価はもう散々されているんだが、ただ机に向かって文字ばっかり打ってた御仁ではなかったようだ。

 転倒と破壊を肯定するだろう。「勝つ」よりも、転倒しながら肉体とマシンを削り取っていくことそのものを「至高の浪費」として捉えるのではないか? ガチ勢にはひょっとしたら迷惑な奴かもしれないが、「レースは死と交わる祝祭だ」とか言いそうだ。


 バタイユの運動神経がどうであったかはよく知らないし、ライダーとして大成したかどうかもわからないが、多分、アマチュアにこだわったに違いない。プロの華やかな舞台より、地方サーキットの埃っぽいパドック、ビール片手にオイル臭の中で仲間と語らう空気を「共同体」として愛したことだろう。その中で「コケる瞬間」を、破局に向かう笑いの爆発として解釈したような気がする。


 TZ250の特性としては、特にアルミフレームの公道用TZRとほぼほぼ同じになる前のものはイメージとして、ピーキーで、パワーバンド狭くて、乗り手を振り落とすような性格だったに違いない。バタイユなら「理性を裏切るマシン」として詩的に讃えそうだ。そして「TZは私を裏切る。だがその裏切りにこそ真実がある」とか書きそう


 そんなバタイユにとって、サーキットは則ち宗教的思想的聖域だったろう。彼にとってサーキットは教会や闘牛場の延長線だ。転倒や事故が供犠になり、消費されるガソリンやタイヤが「神聖な供物」として語られるわけだ。

 


 つまり80年代のバタイユは「プロにはなれないが、サーキットに自分を燃やすアマチュアレーサー」として、身体を削り、笑いながらコケて、その体験を思想の言葉で書き散らす…そんな姿が想像できてしまう。


 オレがこんなことを思ってしまうのも、生前結構ヤバめな秘密結社、「アセファル(首なし人)」なんてのをやってたのを読んだからだ。いや、それをやるなら絶対サーキットで目剥いて走ってただろって思ったわけだ。

 アセファルというのは、ただの読書会じゃなくて、実際に「人身供犠」をガチで検討してたという話まで残ってる、とんでもなものだった。

 で、それを1980年代に当てはめるならば、秘密結社で供犠をやるくらいなら、絶対サーキットで目剥いて走ってただろ」ってね。


 バタイユが言うところの「首なし」と「フルフェイス」なんて、ちょっと通じるものがありすぎだ。アセファルの象徴が「首なしの人間」だった。80年代のフルフェイスヘルメットって、外から顔が見えないし、レーサーのアイデンティティを消してしまう。つまり、ヘルメットとはアセファルの仮面というわけだ。


 今でこそ、がちがちに安全対策がとられているけれど、当時のサーキット(鈴鹿・筑波・SUGOとか)は、事故死が珍しくなかったように記憶している。まぁ、今より多かったとは思う。そして、「死とスピード」が常に背中合わせの空間、共同体的な祝祭場だった。秘密結社での供犠が「サーキットの転倒・死亡事故」に置き換わるわけだ。


 そしてその場で、タイヤを削り、ガソリンを燃やし、エンジンを焼き尽くし、挙げ句の果てにライダーが骨折しても走り続ける。これはまさに「バタイユ的な贈与の極致」だったに違いない。


 バタイユが仲間を集めてたならどうなったか?

 アセファルの仲間たちがもし80年代にいたら、全員でTZ250やNSR250を買って、秘密結社の集会は「筑波サーキットの走行会」になる。「転倒こそ神聖。骨折は通過儀礼」って感じでね。わ~、迷惑。


 想像すると、秘密結社「TZ首なし団」 みたいなのを作って、夜は酒と議論、昼はサーキットで目を剥きながら走る、っていう光景が浮かんだりするわけだ。彼らの議論は夜の酒場で続く。「供犠とは何か」「共同体の陶酔とは何か」――その答えを求めてね。でも昼間は、ツナギ着て、フルフェイスかぶって、TZでコーナー突っ込んでコケる。 転倒は供犠だ。骨折は通過儀礼だ。そうやって彼らは、「哲学」を現実に置き換えてしまう。

 バタイユが本当に求めていたのは、文字の世界に閉じこもることじゃなかったと思う。いつも「越境」とか「逸脱」とか「破局」とか言ってるけど、それって結局は、肉体が壊れる瞬間とか、共同体が笑いながら死に突っ込む瞬間とか、そういう体験のことだった。机上の理屈じゃなくて、実際に骨を折ること、血を見ること。

 だからこそ、もし80年代に生き延びていたら、あの時代の「サーキット文化」に夢中になってたに違いない。

 F1? いや、あれはちょっと違う気がしてくる。

 確かに80年代のF1はセナやプロストが台頭して、死と隣り合わせのスピードを見せてはいたけれど、バタイユにとっては少し「遠い」。華やかすぎるし、スポンサーにがんじがらめだし、そこに「地下」の匂いはない。

 寧ろ地方サーキットのほこりっぽいパドック、雨で濡れたアスファルトに倒れたマシン、それを仲間とガムテで直してまた走る。そういう場こそが「供犠の舞台」としたのではないか?


 夜は酒を飲みながら、転倒の話で笑う。

 「お前のハイサイドは美しかった」

 「ガソリンぶちまけて火が出た瞬間、俺は神を見た」

そうやって笑い合う共同体。それが「首なし人間たち」の1980年代版。


 バタイユはきっと、フルフェイスを「仮面」と呼んだろう。顔を隠すことによって、ライダーは「誰でもない者」になる。アセファルの首なし像がそのまま形を変えて、ここにある。ヘルメットの中で歯を食いしばり、目を剥いてスロットルを開ける。そこに「理性を越えた陶酔」がある。


 もちろん、死ぬ奴も出る。繰り返すが、80年代の二輪レースなんて、今みたいに安全設備が整ってなかった。それを悲劇として悼むんじゃなくて、「供犠が成就した」として讃える。まぁ、狂ってるわな。しかし、これこそ、完全にバタイユ的な共同体のあり方だったように思う。


 現代の目で見たら狂気以外の何物でもない。でも、あの時代のバイク乗りたち、特にレーサーや峠小僧たちは、世間知らずの甘ちゃんなりにも、どこかで「死ぬかも」というのを嗅ぎながら走っていたのではなかったか?その空気に、バタイユがフィットしないわけがない。


 筑波のパドックとかに、青い目のフランス人が混じっていて、ボロボロのツナギに身を包みながら、コーヒー片手に「今日はどこまで越境できるか」なんて呟いているんだ。笑うよな。走り出したら案の定コケて、仲間に引き起こされながら、「ああ、これだ。これこそ供犠だ」なんて呻いてるわけさ


 結局のところ、「秘密結社アセファル」なんて、20世紀前半の暗黒の時代にしか成立し得なかったものというようにも思う。

 でも80年代にその衝動が残っていたら、きっとそれは「サーキットで死ぬまで走る共同体」になっていたはずだ。血とオイルとガソリンと笑い。その中に「神聖さ」を見出して。

 そんなわけで、バタイユさん、もし生きてたら、きっとTZでハイサイドくらって、骨折して、でもニヤニヤしながら松葉杖でパドック歩いてたでしょ? で、その体験をまた「エロティシズム」とか「至高体験」とかに仕立てて、分厚い原稿を書き散らしてたはずだ。



 想像して、ニマニマしてしまうわけです。