大学の講義が終わって帰り道、近鉄久津川駅から歩いて15分の学習塾で、親ほどやる気がないマイルドヤンキー共を相手に英語の塾講師のバイトをやって、で、そこから更に近鉄に乗りなおして、近鉄向島で降りて住んでたアパートに向かう道をちょっと遠回りして、決して柄が良いとは言えないような商店街の中の、今じゃちょっと成り立っていけないような、小学生の文房具と、漫画とか文庫本とかパラパラと新刊本しか置いてないような個人経営の書店で、F1の写真集ってやつを買った。中嶋悟参戦、前年の事だ。
TBSに代わりF1の日本での放映権を獲得した、当時まだ勢いがあったフジテレビは、とにかくF1放映を成功させようと、様々なメディアミックス戦略をとっていたのだろう、多分。興味のない層には、まだ、何のことやら、という時期の話だが、かつての少年ファンとしてはざわつくものがあった。
写真集、まだ、肝心の中嶋は参戦していないので載せる写真がほとんどない。代わりに、黒いロータスに乗ったブラジル人の写真がやたら目についた記憶がある。
伝説の60年代を受けての、第二期ホンダというは、ちょっと今じゃありえないほど強かった。86年のシーズンの後半ぐらいから、ウィリアムスホンダは勝ちを重ね続け、87年シーズンは圧倒的だった。
しかし、例えば、ピケとマンセル、チームメイト同士の確執とか、当時の日本人の感覚からすると、ちょっとついていけない部分もあったりして、ホンダ参戦、フジテレビ全戦放映、と、いっきに行きたいところに、ちょっと懸念材料ではあったのかもしれない。サーキットの現場ではともかく、メディア的に、ピケ、マンセルといった癖の強いおっさんよりは、若くハンサム、今でいえばイケメンのセナを前面に押し出した方がやりやすい、というのがあったのかもしれない。日本人好みのしそうなストーリーを裏で流しながら、だ。
写真集中、ロータスルノーに限らず、割とどの車も、派手に疾走中、後ろから火花をまき散らせている写真が多かった。それについての説明はなかったが、飛行機の揚力を得るための翼を上下ひっくり返したような空力特性をもつF1マシンの、ちょっとした路面の凹凸で、フロアパンが叩きつけられた時に起きる火花であることは容易に想像がついたが、かつて少年ファンだったころのF1マシン、ひょっとしたらこういう火花も出ていたのかもしれないが、ちょっと記憶になかった。
まるで何かの号砲のようでもあった。