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6434 SR_1 retake
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6420 Camaro II_13
6413 片山敬済_34
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6408 Kojima KE007 Cosworth
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2021年3月28日日曜日
6399 E39A VR-4 & ぷれーとてくとにくす2
当地、富山というところは日本一地震被害の少ない所なんだそうだ。まぁ、そうタカをくくっていると、ある日ガツンとやられたりすることがあるのだが。古文書等を含め、記録に残る限り、域内に震源があり死者を出す以上の被害があった地震というのは、1586年の天正地震と1858年の安政飛越地震の2回きりである。
どちらも巨大地震で、天正地震については養老断層とともに庄川断層が一番最初に大きくずれたのではないか、と言われている。安政飛越地震は、同じく、大地震が集中して発生した時期に、安政東海地震に誘発されてという説が有力なんだとか。跡津川断層が震源である。
広告、グラフィッカーとしてゲーム制作をやって、何を思って地質調査の求人に飛びついたか、今となってはちょっとあいまい。当時付き合ってた女性と所帯持つにはそういう感じの仕事を、なんてことを考えていたことを薄っすら思い出す。ところが、そこに、つまり一個前の会社に就職したとたん、その女性には振られてしまうのだが。
何はともあれ、そうやって入った会社だが、ある日の事。暑くもなく寒くもなく、だから、せいぜい初夏の頃だったのではないかと思うが、神通川沿い、猪谷のアンカー工事、斜面の一番上あたりにいたりした。歩いて登れば、それだけで一日の仕事が終わってしまうが、すでに仮設してあるせいぜい50㏄の2ストロークエンジンで引っ張るモノレールで登ったのだから、さほど汗もかいていない。そこには何度か通ったが、一か所スイッチバックするところがあり、そこに、カモシカを心ならずも追い込んでしまい、進退窮まったカモシカは逆にこっちに突進してきて、結構の斜度の斜面、焦った、ということもあったのだが、それはそうと、そのアンカー工事をしている斜面の一番上でのことだ。
ちょうどそこは跡津川断層上(正確にはその周辺の茂住祐延断層)にあり、っていうか、この斜面の形成にはかの断層が少なからず作用していると思われるのだが、まあ、山々の緑のフラクタルノイズや谷筋稜線を乱暴に横断するするように一本、かすかにではあるけれど確実に、一本ズレの筋が見えた。
まぁ、そんなものをざらにあるのである。山がちな所での川なんて、かなりが断層伝いだったりするのだし、高校の地学の教科書にも載っていたし、専門書にも口絵にも使われる濃尾地震の時にできた、畑と道を見事に切断して見せた断層の写真やら、最たるものが衛星写真をつなぎ合わせた日本列島の写真の左下を横に走る中央構造線。
本当は霞ヶ浦のあたりかららしいが、オレがそうだと目に見えるのは諏訪のあたりから、最初は右に曲がるものの、渥美半島、伊勢湾くぐって紀伊半島を横断し、また海を潜って、四国を横断、海、九州は、阿蘇を通り、雲仙天草のあたりまで。
地球をリンゴに例えるなら、地殻というのは、いわば赤い表面の皮のようなもので、そこに何とかへばりつくように、人間も他の動物も植物もなんとかかんとか振り落とされないようにやっているのだけれど、まぁ、まったくそういうことに頓着せずに、時折バツンとずれてみたりするわけだ、地球様は。何たる理不尽さ!
リアルにそういうものを見て、ほんの少しばかり圧倒されていたオレの横で、当時の上司が言ったものである。
「俺たちは、こういう何万年の時間を相手に商売してるんだよなぁ。」と。まぁ、こういう意味のこちらの方言で、なんだけどな。
あぁ、そういうことなんだ、何がそういうことかはよくわからないが、妙に臓腑に落ち着くものがあった。子供の時から地面の下の事が妙に気になるのも、ダラダラ緩くこの業界の末席を汚し続けているのも、あの時の上司の言葉のようなことがあるからなのかもしれない。
ウチの79歳の母は、特撮物のゴジラとかジュラシックパークが大好きで、なぜかというと、どうやら、ビルとか踏みつぶしていく理不尽さに一種のカタルシスを感じているようなのだが、まぁ、似ていると言っちゃ、似ているのかな?
2021年3月27日土曜日
6398 Jacky Ickx_1 retake & ぷれーとてくとにくす
言葉を覚えた幼児とその親に待っているのはなぜなに期で、しかし、それくらいの子供の親の年代は、せいぜいアラサー、まあ、20代が多数派なのかもしれない。母親は、一種使命感を持って、それに真摯に向き合おうとするのかもしれないが、それを台無しにするのが父親で、結構テキトーな事を子供に教え込む、なんてことも少なくないはずだ。
「『うらめしや』って何?」
という、幼児だったオレの問いに、ウチの父は
「それは、家の裏に飯屋があって、そこの飯が、酷く不味くてなあ」
などと言い、隣にいた、オレのイッコ下の娘(従妹)を持つ義叔父(母の妹の夫)は、
「飯粒をひっくり返すと、よく見ると一本筋があって、その両端が少し広がって、まるで弓矢の矢にみえるところが・・・」
などと、本当、アラサー(当時)の父親って仕方ない。
かと思えば、幼稚園児だった頃の事だ。多分、関西に住む結婚前の父の弟である当時教員をしていた叔父が、ウチに泊まりに来た時の朝、「マントルって何?」という問いに、台所のさっき食べた朝食の味噌汁の残りが入った鍋がかかったコンロの前に連れていき、火をかけ、地球の中心はものすごく温度が高いマグマ(厳密にいえば違うが幼児にはあえてそう言ったのだろう)があって、それはちょうど、この鍋の下の火のようなもので、その上、この地面の下に、このマントルというみそ汁のようなものが、ちょうど、こんな感じでうねうね動いている。これが対流というやつ、みたいな感じで教えてくれた。
いや、幼稚園児に言ってもわかんねーし、というようなことは実はなく、まぁ、マグマ大使は年代的にちょっと上の世代のもので、オレは「帰ってきたウルトラマン」ぐらいの世代で、それらに出てくる用語としてなじみがないわけではなく、まぁ、なんとなくは頭の中に思い浮かべることはできた。
しかし、長らく、マントルというと味噌汁のような液体というイメージが抜けなかった。本当はそれはそれで高温高圧にさらされている岩質のものであるというのに。
アニメ、特撮の影響もあったのだとは思う。それらのストーリーに合わせて虚構にすり替えられたものではないが、幼児、小学生ぐらいの子供に向けてかみ砕かれた内容ではあったとは思うが、しかし、そういう地面の下のこと、或いは宇宙の星のこと。そういうものは目にできる限りは一通りすべて目を通し見聞きする子供であったとは思う。
学校で話を合わせるために、長嶋が引退して監督になった巨人の話、1番柴田、又は高田、2番土井、3番張本、4番王、とか、何しろ、当地、正力松太郎の生地が近所にあり読売の本貫地的なところがあるし(ついでに言うなら、角川源蔵、春樹親子も当地出身。KADOKAWAは体制、ずいぶん変わってしまったが)、阪神ファンとか中日ファンとか広島ファンということはあまりない。パリーグ、何それ?である。話を仕入れたりはしたけれど、本当のところ、あまりその辺には興味はなく、地面の下のこと、星のこと、あと、車とか飛行機のことの方により興味を持っていたお子様だった。
ゴンドワナ大陸が、パンゲア大陸が・・・あまりの稀有壮大さに、それを思うと手が止まる。まれにだけどそんな感じでボーとしてたこともある子供ってどーよ?、て気もしないではない。
高校では文系理科で地学を選択した。今はよく知らないが、昭和60年ごろ理系に進んでいれば受験科目の関係でそういう選択はありえず、文系理科でも大多数は生物を選択するような時代だった。
今現在のオレの職業、かつては広告をやったりゲームの製作もをしたこともあったが、土木の、地耐力がうんたら、というようなことをやっている。フラグは幼児の時に立っていたのかな、とも思う。
2021年3月20日土曜日
6397 R380A-I_8 & 赤いレーシングカーの時代について
プリンス自動車のスカイライン、一年目は馬鹿正直に紳士協定を守ったら本当にバカを見て、二年目はゴリゴリのマシン作って国産車の中ではブッチギリ、ポルシェにあと少し、というところまで行って、三年目は市販車ベースではこれ以上いけないし、会社として最後の花、ということもあって、作り上げたのがR380とのことだ。終戦後、いや明治以来の、欧米に追いつけ追い越せというムーブの中で、この時代のこのレースにしろ、ホンダのF1や二輪のTTにしろ、報道の扱いは大きかったようだ。今でも、佐藤琢磨氏が「世界三大レースのうちのひとつ」インディ500に勝てば、テレビのゴールデンタイムのニュースに取り上げられるし、トヨタのルマンでの活躍も同様。次、角田選手がモナコGPで勝つことがあれば、おそらくその時も扱いはトップニュースであろう。
60年代、カーレースというのはちょっとしたブームにはなりかけていたように思う。日本製品の性能の向上もあって、日本社会と経済のの明るい未来を投影できたのだろう。
しかし、それは定着することはなかった。なぜか想像してみた。
カーレース、モータースポーツが盛り上がりかけて、しぼんだタイミングというのは、リアルタイムで3回ばかり知っている。いずれも人死があってしぼんでしまった。富士の第一コーナーの観客とイモラのセナと加藤大治郎。または、オイルショック、バブル崩壊、リーマンショック。
60年代、そう思って思い出せば、といっても、モノの本で読んだ知識だが、浮谷東次郎、福澤幸雄。
浮谷東次郎氏と生沢徹氏は、上手くいけば彼らこそ日本最初のF1ドライバーになってもおかしくなかったが、浮谷氏は事故死で、生沢氏はよくわからないが多分相応のバックアップが得られなくて。多分、国内が盛り上がらなかったのとオイルショックもあったかもしれない。生沢氏は言うまでもなく現在御存命である。続いてF1参戦を期待された風戸裕氏も事故死しているが、70年代に入ってからの事。
福澤幸雄氏は、レーサーとモデルを兼業していて、芸能界、ファッション業界、文壇の友人も多く、絵にかいたようなセレブリティーであったわけだ。その非業の死の影響というのは、自然、日本社会に伝播していったことだろう。
レースでの出来事ではないが、その前には、撮影所で遊びでカートに乗っていた俳優の赤木圭一郎氏が事故死していることもあり、基本、そういうものは危険だ、という刷り込みを日本人にしてしまったのではないか、と感じている。
となると、あとは、特に戦後、高度経済期以降、現代の日本人の死生観の問題、ということにもなってくる。即ち、モータースポーツが日本でメジャーにならない、一部の好事家の供物以上のものにはならないのは、その辺と関わってくるということになりそうである。
ニーチェの「悲劇の誕生」とか、そうだな、ヨーロッパの戯曲における悲劇に関する考察は他にもいろいろあると思うが、不謹慎ではあるが、例えば、モナコGPとかが象徴的かもしれないが、上流階級の社交場で、2階席から悲劇の舞台を観劇するがごとく、高所から見下ろし、そこで時には悲劇も起こるけれど、どこかそれすら、生きていくエネルギーにしてしまうような人の業。
福澤幸雄氏の死、近代日本を形作ったキーパーソンの内の一人、福沢諭吉氏の曽孫でもある。それを消化し、または日本にそれを移植し醸成する試みはそこでとん挫した。それは、日本の思想は未熟だったのか、そもそもどこまでいっても異質のものなのか。
まぁ、無責任な事を書いた。何の裏付けも取っていない。当時の断片をいくつか読んだだけで、思いついた事を書いてみた。とりあえず、「悲劇の誕生」ぐらい、もう一度読み直してみたい。
2021年3月14日日曜日
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この10年の事 2
東北の大地震の2年後、季節はほぼ同じ、いや、半月ほど後になるが、オレは心筋梗塞を患った。入院して2日後ぐらいに、入院中の病院のテレビで、女優の天海祐希氏が同じく心筋梗塞で仕事がキャンセルされたというのを視た。その番組による彼女の症状や程度がほぼ同じように思えたので、すごく親近感を覚えた。
あとで知ったが、例えば放散痛と呼ばれる、左肩、肩甲骨回りや背中にかけてのダル痛い感じなど、その予兆はあったのだが、遂に発症したのは、新潟県は刈羽村の原子力発電所関連の敷地内での仕事中でのこと。砂丘地形の砂地盤に平板載荷試験を行っている最中で、載荷第二段階に入った直後の事だったと思う。
そこには、しゃれた感じの社宅とテニスコートがあったのだが、テニスコートをつぶして、原寸大の軽水炉型原子炉の模型をつくり、原子炉運営の研修施設にするという話だった。今になって思えば、福島の廃炉作業についていろいろ検討する為に作られたのかなと思わないのでもないが、報道を見る限り、どうにも手を付けられないらしいところを見ると、そうではなかったのかもしれない。
意識はあったが、ただ事ではないと思ったので、救急車を呼んでもらえるように頼んだが、間近の柏崎総合医療センターまで、農道伝いに信号もほぼなくいけるようだったので、連れて行った方が早い、ということで、元請けさんの車の後部座席に転がらされて連れて行ってもらった。
桜が咲く直前のころで、退院した時には葉桜になっていた。その年は、病院の窓から遠くに見る以外、桜を間近に見ることは叶わなかった。
地震から7年後の春の浅い時期には、インフルエンザが直接のトリガーとなって、左耳の聴覚を失ってしまった。わずかながら聞こえるみたいだが、以来ずっと耳鳴りが左耳を占拠しているし、例えば携帯電話が鳴ったり、背後から声をかけられても、どこから聴こえるのかとっさにはわからず、不便で、ちょっとずつストレスをため込んでいる。
老いて衰えていく自分と、なぜか、この日本、この社会とはシンクロしているように思えてしまっている。
それは東北大震災どころか、阪神大震災、オウム事件の頃から始まっていたのかもしれない、とも思う。自分の話ではない、この国、社会は、そのたびなんとなく対策っぽいことをやって、復興したっぽいことやっているけれど、各々の勝手な欲にまみれているからか、どこか頓珍漢で、長期低落は間違いなく。
オレ自身はというと、努力はやらないことはないけれど、結構やったつもりではいるけれど、今一歩足りず、不本意に不本意を重ね、順番に身体の部位に不都合も感じるようになり、まぁ、こんな体たらくだ。
てめえの不摂生を国に重ねるな、と、言われそうだが、国は、社会は、ちゃんと摂生していたというのだろうか?
不甲斐なさに、ついに子を持つことはかなわず、オレのDNAは未来に受け継がれそうにない。オレは別に構わないが、親には少し申し訳ないようにも思う。遠い未来の話ではなく、或いは明日突然かもしれない、オレにも死は訪れるが、どこか、この国、社会も、滅亡とまで行かなくても、劇的に衰えてしまうのも、遠くないように感じているが、それは、子をもうけなかったオレの、非常に勝手な感覚で、大声で言ってしまえば、批難でタコ殴りされてしまうところである。
逆に言えば、国は、オレにつきあって一緒に衰えて行ってくれている。国や社会だけが目覚ましい復興を遂げて、俺だけが取り残され、恐ろしいばかりの孤立感を感じるということがまるでない。優しいといえるのかもしれない。いうまでもなく、これは皮肉であると書かないと、わからない奴が、増えているという所にも、この国の衰えの一端を見る。