ジャコモ・アゴスチーニは、大藪春彦の「汚れた英雄」の原作に、実名、出てきたかな? どうだったかな? 1960年代から70年代に前世だったイタリアのグランプリライダーで、オレがリアルタイムでレースを追いかけだした頃は、ヤマハのチームディレクターだった。
日本よりはるかにその方面に熱心なイタリア人にとってレジェンド中のレジェンドみたいな人。
ジャコモ・アゴスチーニは、大藪春彦の「汚れた英雄」の原作に、実名、出てきたかな? どうだったかな? 1960年代から70年代に前世だったイタリアのグランプリライダーで、オレがリアルタイムでレースを追いかけだした頃は、ヤマハのチームディレクターだった。
日本よりはるかにその方面に熱心なイタリア人にとってレジェンド中のレジェンドみたいな人。
2011年3月11日は、高岡市長慶寺のローソン新築に向けたボーリング調査をしていた。小矢部川と千保川の合流地点よりはわずかに上流であるけれど、一級河川、それなりの規模の川の中下流域で、小矢部川が右に蛇行している地点の内側となれば、普通に軟弱な地盤の所ではある。実際の所、住宅は少なく、工場とかごみの焼却施設とか、国道160号線沿いにはガソリンスタンドとか車屋とかそういうのがあるようなところ。
鉄骨平屋であれば、判断によってはボーリング調査など行わず、スウェーデンサウンディングで地盤調査を済ませてそれで確認申請を取ってしまうようなところではあるが、一括してローソンの新規店舗の建設を請け負っている、多分この時は全国展開をしているハウスメーカー、建設会社ではなかったかと思うが、そこの方針でボーリング調査一択であった。
で、まぁ、今はボーリングマシンの動力、電動モーターというのも増えつつあると思うのだが、結局電源の事を思えば、ヤンマーの汎用ディーゼルエンジンで動かすのが多くの場合で、おかげで左耳難聴になってインフルエンザにとどめを刺されて、片耳聴こえなくなってしまったのだが、音も然ることながら、振動もかなりのもので、足場単管で組まれたボーリングの足場の上は結構揺れる。おまけに試験地は軟弱地盤の上を走る国道160号線のすぐ横で、大型が通ればそれだけで揺れる。だから14時26分、当地は震源から離れているので震度3だったそうだが、揺れが到達したのは何分後だったんだろうか? とにかく、そんな大きな地震が来ているとは知らなかった。春の浅い時期で晴れてはいたけれど、冬のような防寒着が必要な、なんとも微妙な季節だった。今もそうなんだが。
夕方、会社に帰る途中のカーラジオで、大地震が来てしまったことを知る。しかし、丁度津波が遡上していた名取川とか、どこにあるのか知らず、静岡のあたりなんだろうか? 四国の方なんだろうか? と思っていた。
オレのあの日の東日本大震災の体験はそんなところである。被災地以外の多くの人と同じように、津波などの映像で心を痛めたりしたり、津波の恐怖におののいたりした。今もしている。
同時代の日本人として、思うことは多々ある。しかし、募金以外何もしていない。ある程度落ち着いて以降、あのあたりに旅行に行くことすらない。間もなく、同程度の地震が、同じ東北地方か東海地方又はその以西にやってくると言われているが、次、この国はもうちょっとましなことができるんだろうか? そのためにオレは何かやれたんだろうか? と思うが、言うまでもなく、特に何もやっておらず、恥じ入るばかり。
マグニチュード8だの9だのというのは、幸いにして起きることは考えにくいところに住んでいる。しかし、7弱程度のものであれば、天正大地震と安政飛越地震、記録にある限り2度起きている土地柄だ。この地の震度がそれほどでなくても、狭い日本だ、日本のどこかで起きれば受ける影響はとてつもなく大きい。
本当に起きた時は、この前よりもうちょっとマシなことをしたいものだ。
多分5歳の頃だったと思う。同じころにあさま山荘事件、ずっとテレビでやってたのを覚えているから、寒い時期だったのではないかと思う。その頃は父の勤務地の都合で福井市に住んでいたのだが、特に身体に不都合を感じていた覚えはないのだが、「肺炎」で入院していたことがある。両親にすればその親、オレからすれば祖父母が近くにいるわけではない、不安も多々あっただろう。
福井駅にほど近い割と大きめの病院だった。
とにかく、身体に特に不都合、何らかの症状を感じていないお子様だったから、親の目を盗んでは病院の中、いろいろ歩いて回った、ような記憶がある。それほど大した病気ではなかったのだ。
両親の故郷の高岡から、母方の、だったかな、父方のだったかな、祖母が見舞いに来た。何しろ病院中ぺたぺた歩き回るくらい退屈していたお子様だったので、病院の売店でお絵描きセットを買い与えられた。お絵描き帳と何色かのカラーペンが、厚紙をビニールで包まれたバックに入ったヤツ。
オレのは、赤いレーシングカーが右から左に疾走中のやつで、入院もしていない妹にもなぜか、恐らくは細川智栄子氏の絵柄と思われる少女のキャラクターが描かれたもの。
脱線する。細川氏の「王家の紋章」、いまだ連載中というのを最近知った。びっくりした。その作品のほとんどは1970年代のもので、「王家の紋章」も連載開始が1976年とwikipediaには書いてある。どのようなペースでの連載化は知らぬ。よく長期連載で引き合いに出される「ゴルゴ13」「こち亀」「ドラえもん」「ちびまる子ちゃん」ほどの掲載頻度ではないのかもしれない。良く知らないのだけれど、wiki情報では氏も、ウチの両親と同世代。長生きしていただけますように。
で、「王家の紋章」ではなく、赤いレーシングカー。
教員を勤め上げた叔父によれば、教育心理学か発達心理学か、その辺の学問で、そういう事例について学ぶこともあるそうなのだが、物の全体像、あるいはほんの一部分を見てそれが何であるか正確に言い当てる幼児というのは、割といるそうで、オレの大学の名古屋出身の先輩もそうであったらしいのだが、人様の言葉を満足にしゃべる前から、クルマの形、全体像は勿論、ミラーやテールランプだけを見て車種を言い当てるお子様だったらしいですよ、オレは。
とにかく、自動車がそんな頃から好きだったらしい。
因みに、その「肺炎」なんだが、誤診であったと聞かされた。子供、幼児だったから詳しいことは聞かされてはいない。親は当然というか、釈然とした表情ではなかったと思う。
大人になって、今現在福井市に在住している方に聞いた話では、その病院、福井市民にはやはりというか藪医者との評判だっただそうだが、とっくに代替わりもしたはずで、でも、50年経った今もそれなりに結構の規模で営業しておられるらしいので、実際はそうではないのかもしれない。