2025年6月19日木曜日

存在と鋼鉄6:ポルシェの身体性

 

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ポルシェの身体性

 ポルシェが戦後に生み出したスポーツカーは、単なる交通手段ではなかった。それは、「個人が自由に楽しむための、性能と美意識の塊」であり、「走る」ことの歓びそのものを凝縮した存在だった。ここには、20世紀の大量生産社会を超えて、再び「個」の欲望が全面に押し出されてくる構造がある。フェルディナンド・ポルシェがナチス体制下で設計した国民車(ビートル)とは対照的に、その後のポルシェ車は、「この私」のための機械、つまり自我の延長であり、自らの存在を賭けて駆動させる道具へと変貌した。
 この変化は、まさにニーチェ的な転回である。ポルシェが体現するのは、「アポロン的秩序」ではなく、「ディオニュソス的陶酔」の領域だ。理性ではなく感覚、抑制ではなく解放、計算された生ではなく速度のなかで生の深奥と直結する感覚。ニーチェが語った「生の力への意志」は、滑らかなボディに、爆発的なエンジン音に、そして鋭く曲がるコーナーで感じるG(重力)のなかに顕れる。
 だが同時に、速度と死は常に隣り合っている。ジャン・ボードリヤールが指摘するように、現代の人間は「死を可能性としてではなく、技術の故障としてしか考えられなくなった」。それでもなお、時速200kmで突き進むポルシェの運転席に座る者は、自らの死を「予感」として抱え込む。モータースポーツにおける事故、あるいは一瞬の判断ミスによる壊滅的な結果は、加速が存在の輪郭を限界まで押し広げることの代償である。そしてそこにあるのは、単なるスリルではなく、「生きている」という実感そのものだ。
 この構造を可能にするのが、20世紀的な「近代技術」の総体である。モータースポーツと近代性は、共犯関係にある。内燃機関、流線型、空力特性、サスペンション制御……それらすべては、「速度と人間」を融合させるために生まれた。だが同時に、機械によって増幅された身体は、「人間らしさ」を脱ぎ捨てる。かつては神にしか許されなかった速度が、今や人間の指一本で手に入るようになった。ここにあるのは、人間中心主義的近代の終着点であり、機械との共生を前提とした「ポスト人間的存在」の胎動でもある。
 この時、身体はどのように変容するのか。ここで参考になるのがメルロ=ポンティの身体論である。彼は身体を単なる「物体」ではなく、「世界と接続する知覚の根」であると見なした。ポルシェの運転席において、身体は車体と融合する。手はステアリングを超えて前輪の摩擦を知り、足はアクセルを踏むことでエンジンの脈動と一体化する。それはもはや「機械を操作している」感覚ではない。身体が車となり、車が身体となる――この現象は、「延長された身体性」という新たな人間観を提示する。
 スポーツカーを運転する、単車を操縦するという行為は、単なる移動でも、所有欲の発露でもない。それは一種の存在論的実験であり、「私は誰なのか」「私はいかにして生を駆け抜けるのか」という問いへの、一つの応答なのである。
 ポルシェが戦後に展開したスポーツカーは、大衆社会の中で個人の自由と嗜好が重視されるようになったことの象徴である。それは単なる移動手段ではなく、「走ること」自体を楽しむための、美意識と性能の塊だった。機能や効率を重視したフォルクスワーゲンの国民車とは対照的に、ポルシェの車は、「この私」が感じ、「この私」が欲するものに応える装置であった。そこにあるのはニーチェ的な意味での「力への意志」——他者や制度に従うのではなく、自らの欲望を駆動させる力としての機械、そして速度。
 だがその速度は、常に「死」と背中合わせである。F1やル・マンでの事故は、その象徴的な現れであり、モータースポーツの世界では、死は不慮の事故というよりも、存在の限界に触れる瞬間に立ち現れる感覚とすら言える。加速し、ブレーキを踏み、コーナーを曲がるその身体感覚には、生の緊張と死の予感が重層している。技術の進歩が人間を守る一方で、人間はその技術の極限において、あらためて「私は今、生きている」と実感する。
 こうした感覚は、モーリス・メルロ=ポンティが語った「身体が世界と接続する根である」という哲学とも深く共鳴する。彼にとって身体は、単なる物質的な器官の集合ではなく、世界と関係を持ち、意味を生み出す感覚の中心だった。私たちは世界を客観的に「見る」のではなく、身体を通して「感じている」。そして、その身体は常に動いており、対象に触れ、重さや速度を知覚し、空間の中で「自分がどこにいるか」を把握している。
 ポルシェのスポーツカーに乗るという行為は、この「身体の根源性」を露わにする。ハンドルを握る手の微細な震え、路面のざらつきを伝えるタイヤ、エンジンの鼓動のような振動。それらはドライバーの身体と機械の間に境界があることを忘れさせるほどに密接で、やがて一体化する。身体がマシンを「操作」するというより、身体とマシンが同じリズムで呼吸しているような感覚すら芽生える。この没入状態において、ポルシェは単なる交通手段ではなく、「感じる器官」としての身体の延長になる。このとき、運転者はもはや単なる主体ではなく、世界の中に浸され、運動と知覚の交差点に立つ存在となる。まさにメルロ=ポンティが言うように、「私は考える、ゆえに存在する」のではなく、「私は世界に触れている、ゆえに私はいる」のだ。スポーツカーの運転という行為は、近代的な合理性や計算可能性を超えて、「生きられる今」に回帰する哲学的経験でもある。ポルシェとは、そのような没入的・身体的知覚の媒介装置であり、思考と感覚、個と世界がひとつの運動の中で融け合う場を提供しているのだろう。

存在と鋼鉄5:ポルシェの脱ナチス

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 ハリウッド映画ではあるが、1986年の「トップガン」で、ケリー・マクギリス演じるチャーリーが乗っていたのも、2019年の「Ford VS Ferrari」の冒頭辺り、マット・デイモン演じるキャロル・シェルビーが乗っていたのも、356だったし、事故死したジェームス・ディーンが乗っていたのは550だった。自国の大排気量V8ではなかった。確かにジェームス・ディーンの頃のアメ車は特にJames鈍重だったってことはあるかもしれないが、それを割り引いても、アメ車じゃなく、ポルシェだったというのは、それぞれに意識したわけでもなかったとしても、何かがあったのではないか? ポルシェの脱ナチス

 ポルシェは、どうして国民車ではなく浮世離れしたスポーツカーを作るようになったのか?

 フェルディナンド・ポルシェが手がけた「国民車(フォルクスワーゲン・ビートル)」と、その後彼の名を冠する「ポルシェ」という高級スポーツカー・ブランド」の間には、一見すると断絶があるが、実は思想と時代背景の転換が反映されているように見える。

 1930年代、ナチス政権下のドイツで、フェルディナンド・ポルシェはアドルフ・ヒトラーの構想に応じて、ドイツ国民すべてが手にできる「国民車(Volkswagen)」の設計を担当した。それが、のちに「ビートル」として知られるクルマである。安価で整備が簡単、農村でも使える頑丈な構造で、T型フォードに対応する、ドイツの大衆車だった。 しかし第二次世界大戦の終結とナチスの敗北により、ナチス政権の庇護を受けていたフェルディナンド・ポルシェは、しばらく連合国によって拘束される。その後、彼の息子フェリー・ポルシェが、家業を再建すべく新しい方向性を模索する。

 戦後の混乱期、ドイツでは「大衆車」はフォルクスワーゲン社(のちに完全民営化)が受け持つようになり、ポルシェ家が改めて大衆車を作る余地はほとんどなかった。そこでフェリー・ポルシェは発想を転換し、「自分たちの理想を追求した車を、自分たちの技術でつくる」という方向に進んだ。
 今はそうでもないのかも知れないが、クルマ屋である以上、走る、曲がる、止まるで、自分の作ったクルマがどこのよりも、スゲエと言われたいものじゃないだろうか?

 その結果生まれたのが、1948年に登場したポルシェ356。軽量、コンパクト、精緻な操作性とバランス感覚。高級であるというよりは、「技術的純粋さ」を追求したモデルだった。

 やがてそれは富裕層の心をつかみ、「ステータス・シンボル」となっていく。1950年代以降の経済復興(いわゆる“奇跡の復興”)とともに、ヨーロッパには「遊びとしての車」「趣味としてのスピード」が求められるようになる。つまり、経済と文化の成熟にともなって、ポルシェは“使われる”より“見られる”車になっていった
 20世紀初頭など、走りを志向し起こしたメーカーがステイタスを獲得した後、ふやけた高級車ブランドに堕してしまったところも結構あるのだが、ポルシェの凄い所は、「どこのクルマよりオレんとこのクルマはスゲエ」を常に証明しようとし続けているところにある。もっとも、クルマの能力がとっくに人間の操縦能力を超えたものになってしまっているので、その辺の路地を走る分には、ふやけていようがどうだろうが関係なくはなっているのだが。それでもだ。

 国民車の理想は、ある意味で「国家による福祉的自動車政策」だった。そこには「ひとつの民族・ひとつの国家・ひとつの車」という全体主義的な響きもあったと言えると思う。
 一方、ポルシェがつくったスポーツカーは、「個人が自由に楽しむための、性能と美意識の塊」。つまり、20世紀の大衆社会の中で、個人の自由、個人の嗜好にこだわる文化が花開いたことの象徴でもある。

 フェルディナンド・ポルシェの歩んだ道は、戦前の「大衆のための合理主義」から、戦後の「個人のための情熱主義」へと転換したドイツ社会の縮図とも言える。国民車からスポーツカーへ――そこには、戦争、敗戦、復興を経て変容した人間観と価値観の変化が刻まれている。


 ポルシェが戦後に手がけたスポーツカーは、単なる交通手段ではない。それは、「個人が自由に楽しむための、性能と美意識の塊」であった。そこにあるのは、「移動する」ことの機能性ではなく、「走る」ことそのものへの欲望――すなわち、人間の内なる衝動への応答である。フェルディナンド・ポルシェとその子フェリー・ポルシェが創出したそれらの車は、合理性を極めた産業製品でありながら、同時にニーチェ的なディオニュソス的陶酔に応える器でもあった。

 ニーチェは、「芸術とは生の肯定である」と語った。美と速度と音の融合体であるポルシェの車は、まさにそうした生の躍動の表現である。それは、国家や民族といった「共同体の機能」の中に人間を埋没させようとしたナチズム的構造への反転であり、「この私が、今、ここで、生きている」という個の感覚を極限まで浮上させる道具だった。

 一方でハイデガーの視点を借りれば、こうしたスポーツカーは「技術=ゲシュテル(囲い込み)」の最先端にある存在でもある。自然と人間を計量化し、制御可能なものとして対象化するこの時代において、ポルシェのマシンは、技術が「人間存在そのものを規定し始める」ことの一つの表現でもある。だが同時に、それは「ただの手段」に堕すのではなく、操る者に一種の存在論的な歓喜をもたらす装置ともなりうる。すなわち、「ハンドルを握ることで、私は世界の中に投げ出され、速度と重力のなかで、存在の限界を体感する」――それは機械と人間の新しい合一のかたちでもある。

 ポルシェは、かつて「国家のために設計された大衆車」の設計者であったが、戦後には「個人のための陶酔装置」を生み出す者となった。その変化は、20世紀のヨーロッパにおいて、「人間とは何か」という問いが、集団性の中から、再び個へと引き戻されていったことを象徴しているのかもしれない。


2025年6月18日水曜日

存在と鋼鉄4:成長と完成の神話――近代とその亡霊たち

 


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成長と完成の神話――近代とその亡霊たち

 いつからだろう。「なぜ生きるのか」という問いが、「どう生きれば最も効率的か」に変わってしまったのは。
あるいは、「これでよいのか」という問いが、「まだ足りないのではないか」という焦燥にすり替わってしまったのは。
 成長・向上・改善――。
この一見ポジティブに響く言葉たちが、21世紀の人類を“数字”に閉じ込める檻になるとは、誰が予想しただろうか。

 ここでは、「成長信仰」および「完成への執着」がどのように形成され、どのような思想的系譜に依拠し、どのような転倒を招いているのかを、思想史の視点から描いていく。

 近代の誕生と「神のいない世界」

 ルネサンスから啓蒙主義へ――人間は神の庇護から自立し、世界を自らの手で説明しようとした。逆に言うと、それ以前の人間の思考野が信仰というもので、ロックがかかっていたところがあった、という事だろうか? 神様からのお仕着せの言葉で、自ら思考し既定することなく世界の枠組みを受け入れてきた。自らそれを考えだそうとした試みの始まりである。

 フランシス・ベーコンは「知は力なり」と述べ、知識を手段とした世界支配を掲げた。
 デカルトは「われ思う、ゆえにわれあり」と、外部から切り離された自己の確実性を主張した。

 この流れのなかで、「世界は測定可能であり、理性によって制御できる」という信仰が生まれた。当時の空気感は、一種の万能感に支配されていたのかもしれない。人間が世界を規定していくのだという、自負やら傲慢やらが入り乱れたような。
 このとき、人類は「永遠の問い」よりも、「無限の成長」という新しい神話を手に入れた。思えば、この選択が例えば今の行き詰まりを産んでいるとオレは思っているが、それは言っても詮無き事だ。問題は「永遠の問い」があることを忘却してしまったこと。


 資本主義と効率の論理

 マックス・ヴェーバーが喝破したように、プロテスタンティズム(とくにカルヴァン派)は、労働と勤勉、節制と貯蓄を通じて神の選民であることを証明するという倫理を育んだ。包括的に存在論的思考全体の話にはならなかったのは、時代の不明だろうか?

 神の不在が明確になるにつれ、この倫理は資本主義の歯車として独り歩きしはじめる。利潤は善であり、効率は美徳であり、生産性は道徳であった。

 「(経済的に)成長しているか?」という問いが、「存在していていいか?」という問いと合一するようになるという、オレから見ればある種の不幸を人類は背負い込むことになった。


 ニーチェとハイデガー――進歩への懐疑

 ニーチェは『ツァラトゥストラ』において、「人間は乗り越えられるべき橋である」と語った。
 しかしそれは、近代的な成長とは別の文脈にある。

 ニーチェにとって、成長とは個としての意志=力への意志(Wille zur Macht)に根ざした創造的行為であり、「他者から優れている」ことではなく、「自己を更新すること」にこそあった。
 そしてハイデガー。
  彼は『存在と時間』において、「現存在(ダス・ザイン)」が死に向かう存在であることを明らかにした。それゆえ人間は、完成に至る存在ではなく、常に不完全のまま、開かれている存在である、とした。

 だが現代は、そのような“開かれ”よりも、“完成されたプロダクト”としての自己を目指す。
 彼が批判した「技術による世界把握(ゲシュテル)」は、現代の成長主義そのものである。


 ナチズムの夢と破滅

 ナチス・ドイツが求めたのは、「完成された国家」であり「純化された共同体」であり「強化された人間」であった。ニーチェの思想を恐らくは恣意的に誤読し、超人思想を民族優越主義に置き換えた。技術を信仰し、「フォルクスワーゲン(人民の車)」で未来社会を夢想した。フェルディナンド・ポルシェのエンジニアリングは、戦争と機械の神話を支えた。

 だが、「完成」は常に排除と破壊を伴う。完成しないもの、不完全なもの、非効率なもの――それが「敵」とされる。
 そして、「完成」されようとした国家は、もっとも野蛮なかたちで崩壊する


 成長の終点と、ポスト成長の倫理

 いま、われわれは「成長し続けることが前提である社会」の限界を目撃している。気候危機、格差拡大、精神の空洞化――どれも「過剰な最適化」の帰結だ。
 では、脱成長は可能か? 「問いの復権」は可能か?

 バタイユが述べたように、「無駄」「非生産」「蕩尽」こそ、人間的な営みである。
 イヴァン・イリイチが描いたように、道具が人間に奉仕する社会から、人間が道具に奉仕する社会への転落に抗う必要がある。
 ハイデガーが言ったように われわれはただ、なおも問う者としてのみ、存在の真理に近づける。


 いま必要なのは、「完成すること」でも「成長しきること」でもなく、未完のまま、関わり続ける勇気でなないか。生きるとは、「なにかになること」ではなく、「問い続けること」「揺らぎつづけること」ではないだろうか?

 成長とは、人間を測る単位ではなく、人間が測りきれない何かに出会うための、偶発的な現象であると思う。


ポチは鳴かない、オレも特に正直というわけでもない、裏の畑の話

  裏の畑、ずっと父親が丹精してきたが、主治医の見立てでは、若い頃ちらっと触れたアスベストが祟り、肺患いで体力が激減し、同じく介護が必要な母と一緒に、有料老人ホームというカテゴリーの施設に入所することになってしまった。

 いろいろ家の事を一人ですることになってしまった子供部屋おじさん。掃除だのなんだの、月一で様子見に来てくれる、関西に住む妹も助けてくれて、文字通り家の中の事はボチボチやっている。

 が、裏の畑だよ。
 オレは、今まで畑はノータッチだった。そういう暇があったら絵を描かねば文章を打たねば、と思ってきた。
 それはそうなんだが、困ったぞ、と。春から夏にかけ、手入れをする者がいない畑では、雑草が伸びる。もう伸び放題。
 今年はムリでも、来年の春先からかなぁ。そんなことも考えたりする。facebookの、高校の同級生や大学の後輩も家庭菜園を始めたという投稿をしていた。中学の同級生の女の子(という年でもないがな)なんて、もうベテランの域だ。

 この前帰ってきていた妹と辛子大根の話をしていたら、栽培してみたらいいと言われた。そうか、やるか。

 それにしても、まぁ、来年からならいらぬ心配だが、ジャガイモ去年はどのへんで栽培してたっけ? ということを思い出す。連作障害という言葉ならオレも知っている。それを避けるにはどうしたらいいんだろう? と思った。

 ChatGPTさんに訊いてみよう。



Me:

 ほらジャガイモとか、連続して同じ畝で栽培したらダメってあるじゃないですか。地力を持っていかれてるからって。追肥とか石灰撒くと化してもダメ?

ChatGPT:

 はい、確かにジャガイモなどを同じ場所で連続して栽培することは、土壌の疲弊を招く可能性があります。ジャガイモは特に土壌の栄養を消耗しやすい作物で、連作すると病害虫の問題が増えたり、栄養が不足して収量が落ちることがあります。
 追肥や石灰を撒くことで、土壌のpHを調整したり、栄養を補充することはできるけれど、根本的な土壌の疲れや病害虫の蓄積を解消するのは難しいかもしれません。連作を避けるためには、作物のローテーションを取り入れたり、休閑地を設けて土壌を回復させることが推奨されます。
 例えば、ジャガイモの後に、根菜や豆類など、異なる種類の作物を栽培することで、土壌のバランスを保つことができます。もし同じ畝でジャガイモを続けて栽培する場合は、しっかりと土壌改良を行い、病害虫の対策をしたり、肥料を過剰に与えないように調整することが重要です。

Me:

 詳しいサイトとか紹介してもらえる? 無理だったら自分で探すけど

ChatGPT:

 ジャガイモの連作に関する情報をお探しですね。以下のサイトが参考になるかもしれません。



参考になるサイト

1.農業総合研究所(農研機構)
  〇農業に関する研究や技術情報を提供しています。
  〇連作障害や土壌管理に関する研究成果が掲載されていることがあります。
  〇公式サイト: https://www.naro.affrc.go.jp/

2.農業技術センター(各都道府県)
  〇各都道府県の農業技術センターでは、地域特有の土壌や気候に合わせた栽培技術や土壌改良方法が紹介されています。
  〇例えば、富山県の農業技術センターのサイト: https://www.pref.toyama.jp/sections/1010/

3.農業関連書籍や専門書
  〇農業書籍や専門書では、連作障害の原因や対策、土壌改良方法について詳しく解説されています。
  〇書店やオンライン書店で「ジャガイモ 連作 障害」や「土壌 改良」などのキーワードで検索すると関連書籍が見つかるかもしれません。


 これらの情報を参考に、ジャガイモの栽培に関する理解を深めていただければと思います。もし具体的な質問や他の情報が必要であれば、お気軽にお知らせください。

Me:

 腐植土で肥料過剰というのは起こりうるだろうか?

ChatGPT:

 腐植土自体は土壌に豊富な有機物を含んでおり、通常は植物の栄養源として非常に有用ですが、「肥料過剰」という状態が発生することはあります。腐植土に含まれる有機物が分解されると、植物に必要な栄養(窒素、リン酸、カリウムなど)が徐々に供給されます。したがって、腐植土を適切に使用すれば、長期間にわたって土壌の肥沃度を保つことができます。
 ただし、以下のような条件では肥料過剰が起こる可能性があります。

1.腐植土の過剰な使用
  腐植土を過剰に使用すると、土壌の栄養濃度が高くなり、特に窒素やカリウムなどが過剰になることがあります。これにより、作物が肥料過剰による障害を受けることがあります。

2.過剰な追肥
  腐植土に加えて、追肥(化学肥料)を過剰に施すと、肥料過剰による問題が悪化します。特に窒素の過剰は、根の成長を妨げたり、病害虫を引き寄せる原因となることがあります。

3.土壌の養分バランスの崩れ
  腐植土は、比較的豊富な栄養を供給するため、他の肥料と合わせて使う場合に、土壌のバランスが崩れることもあります。特に、カルシウムやマグネシウムなどのミネラル成分が不足しやすくなることがあります。

4.排水性や通気性の問題
  腐植土を過剰に使用すると、土壌が重くなりすぎて排水性が悪化することがあります。この結果、根が酸素不足に陥り、過剰な栄養素が根に吸収される前に、土壌が過湿になり、栄養の過剰が植物に悪影響を与える可能性があります。

 腐植土自体が肥料過剰の原因になるわけではなく、過剰な使用や他の肥料とのバランスが問題になります。腐植土を使う際には、他の肥料と組み合わせて使う量を調整し、土壌の栄養バランスを維持することが重要です。また、土壌のpHや栄養素の状態を定期的にチェックし、必要に応じて改善策を講じることが大切です。
Me:

腐植土だけの栽培だと弱くなるかな?

ChatGPT:

 腐植土だけで栽培することは、一長一短があるので、作物によっては弱くなる可能性もあります。腐植土は有機物が豊富で土壌の改善には役立ちますが、栄養素の供給が完全にバランスの取れたものではないため、いくつかの問題が生じることもあります。

腐植土だけの栽培での主な課題:

  1.栄養素の不足
    腐植土は、植物に必要な栄養素を提供しますが、特に窒素(N)やカリウム(K)カルシウム(Ca)、**マグネシウム(Mg)**など、作物が大きく育つために必要な栄養が不足する場合があります。特に成長期の作物には、これらの栄養素を補うために追肥が必要になることがあります。

  2.栄養供給のスピード
    腐植土の有機物が分解される過程で栄養が供給されますが、その速度は遅いことが多いです。そのため、急速に栄養を必要とする作物には不十分な場合があります。腐植土の栄養は、長期間にわたって徐々に供給されることが前提なので、成長速度が遅くなることがあります。
  3.栄養の偏り
    腐植土は多くの微量栄養素や有機酸を含んでいますが、必ずしもすべての栄養素がバランスよく含まれているわけではありません。特に、**リン酸(P)やカリウム(K)**など、特定の栄養素が不足することがあり、それが作物の成長に影響を与えることがあります。

  4.pHの管理
    腐植土のpHは土壌によって異なりますが、一般的に腐植土は酸性に傾きやすいです。土壌が酸性すぎると、特にカルシウムやマグネシウムが不足し、作物が育ちにくくなることがあります。

腐植土のみで栽培をうまく進めるためのポイント:

  〇適切な作物選び: 腐植土だけで栽培する場合、栄養分の少ない作物や比較的栄養が少なくても育つ作物(例えば、根菜類や一部のハーブ)を選ぶと良いでしょう。
  〇作物ごとの肥料調整: 栽培する作物に必要な栄養素が不足している場合は、追肥を補うことを考えましょう。腐植土に加えて、必須の栄養素(特に窒素やカリウム)の補充が必要です。
  〇土壌診断の実施: 土壌のpHや栄養素の状態を定期的にチェックし、必要に応じて石灰やミネラルを補うと良いです。

結論
 腐植土だけで栽培することは、土壌改良や有機栽培には非常に有効ですが、栄養の供給が十分でない場合、作物が弱くなる可能性があります。そのため、腐植土を使用する際には、適切な作物の選定や、足りない栄養素を補うための工夫が重要です。

Me:

 狭いスペースで行う家庭菜園で、連作対策、前年の畝からどれくらい話すべきか? 畝間の通路を翌年の畝にすることは可能か?

ChatGPT:

 狭いスペースで家庭菜園を行う際、連作対策は非常に重要です。特に、畝の面積が限られている場合、連作を避けるための工夫が必要です。以下に、連作対策や畝間の通路を翌年の畝に使う方法について説明します。

1. 連作対策と畝の距離

 連作障害を防ぐために、畝間のスペースを十分に取ることが推奨されます。具体的には、前年に使用した畝から少なくとも30cm~50cmは距離を取るのが理想的です。畝間を挟んで土壌を休ませることができるので、病害虫や栄養の偏りが解消され、次の作物が元気に育ちやすくなります。

 しかし、家庭菜園のような狭いスペースでは、完全に畝間を別のスペースとして分けるのは難しいこともあります。この場合、作物ごとのローテーションが重要です。例えば、根菜→葉菜→果菜など、異なる作物を交代で栽培することで、特定の作物が土壌を使い尽くすことを避けられます。

2. 畝間の通路を翌年の畝にすることは可能か?

 畝間の通路を翌年の畝に使うことは、慎重に行えば可能です。ただし、いくつかのポイントに気をつける必要があります。

  〇土壌の回復時間: 畝間として使われた土は、圧縮されていることが多いため、土壌が乾燥しにくく、栄養素が少ない場合があります。そのため、畝間を翌年の畝に使う前に、土壌をよく耕すことが必要です。  〇土壌改良: 畝間で使っていた土壌は、栄養が乏しくなっている可能性があるので、腐葉土や堆肥を加えることで土壌を改良すると良いです。また、必要に応じて石灰でpH調整を行うと、作物の育ちが良くなります。
  〇根菜系は避ける: 畝間を使う際、根菜類(ジャガイモやニンジンなど)は土壌を掘り返すことが多いため、できれば避けた方が良いです。これらの作物は土壌の圧縮や栄養の偏りに敏感です。

3. 工夫を加えて連作障害を軽減

 狭いスペースで連作障害を軽減する方法として、以下のような工夫があります。

 〇作物ローテーション: 畝の場所を年ごとに交代させることで、同じ種類の作物が同じ土に長期間栽培されないようにします。例えば、今年ジャガイモを育てた場所に来年はトマトやレタスを栽培するようにすると良いです。

 〇土壌改良と追肥: 連作障害が起こりやすい土壌には、肥料を適切に追肥して栄養の不足を補うことが重要です。また、堆肥や腐葉土を使って有機物を補充することで、土壌の健康を維持します。

 狭いスペースでの家庭菜園で連作対策をする場合、畝間の距離を30~50cmは取ることが理想ですが、スペースが限られている場合は、作物ローテーション土壌改良をしっかり行うことが重要です。また、畝間を翌年の畝に使うことも可能ですが、土壌の耕作や栄養補充をしっかり行うことをお勧めします。



 なんてな。鬼も笑い死ぬ来年の話だ。軽く現実逃避が入ってしまった。とりあえずどうする?目の前の草ぼうぼう。文字通りWWWWWWWWWWWW。

 ホームセンターで電動コード式の草刈り機を買ってきた。混合ガソリン仕様とか、バッテリー仕様だと高い。コード式は不便だが、裏の畑でやるなら延長コード、ドラムリールなら持っている。なんとかなるだろう。

 まぁ、こんな感じですわ。


これが、

こうなった、と。