2025年8月17日日曜日

寝取られ幽霊 第4話 地獄巡り 下


 清彦は、かつての坂本家の玄関先で立ち尽くしていた。秋の午後の日差しが残酷なくらい穏やかに降り注いでいるが、どうやら、本当に残酷な事柄というのは、こういう穏やかさの中でこそ起こるのだと、蓮は今日の夢を見ているうちに予感するようになった。

 テレビのドラマのように、不穏なBGMなんてない。遠くで鳶の鳴く声が聞こえてくるのと、時折風が木の葉を微かに揺らす以外、いや、何やら家の奥で口論も聞こえるか。現代のように道を走る車の音があるわけではない、近所の子供が遊ぶ声が聞こえるわけでもない。そんな午後の風景を、映画か舞台演劇を観るように蓮は眺めていたが、場面は変わる。


 清彦より一年以上前に大沢辰造と共に復員した佐久間秀幸が現れる。時間もそれくらい巻き戻っているようだった。


 やや早回しに場面は展開する。


 佐久間が復員船で舞鶴に上陸したのは、1945年末から46年初頭のことだった。港からまず舞鶴線に乗り、綾部を経て山陰本線で京都に出る。

 そこからは東海道本線・山陽本線を伝って大阪、神戸、岡山、広島と、西日本の主要都市を経由して下関へ向かった。

 当時の復員輸送は急ごしらえの編成で、車内は兵士たちで溢れ、立ったままや通路に座り込んで移動するのが常だった。網棚の上にまで人が寝そべり、天井のつり革や手すりにしがみつきながらうとうとする者もいた。蒸し暑い空気と汗の匂いが充満し、窓を開ければ煤煙と寒気が吹き込む。立錐の余地もない車内では、一人が動けば列全体がぐらりと揺れ、互いの体温を感じながらじっと耐えるしかなかった。駅ごとに炊き出しや地元の人々からの握り飯の差し入れがあり、それに支えられながらの旅である。


 やがて列車は門司を過ぎ、鹿児島本線を南下して博多駅に滑り込んだ。薄曇りの冬の空の下、佐久間は荷を抱え、人波に押し出されるようにしてホームに降り立った。駅舎の壁には煤けた跡が残り、吹き込む風はどこか焦げた匂いを運んでいた。


——空襲か。

  春先の、あの噂は本当だったのか。

 ここから先は、もう自分の足で確かめるしかない――。佐久間は人々の流れを外れて駅前に立ち尽くし、胸に広がる不安を押し殺しながら、焼け跡の街へと歩み出していった。


  佐久間は背嚢を背負い直し、真っすぐ家の方角を目指す。

  足は自然に動いたが、道は記憶のままではなかった。広かった通りは瓦礫で狭まり、焼け落ちた材木の黒い骨組みが空に突き出している。

  ——ここは、本当にあの通りか?

  小学校の角を曲がると、さらに胸が締めつけられた。校舎は屋根を失い、校庭は灰色の土に変わっている。かつて子供たちの声が響いた場所に、今は風が唸って通り抜けるだけだった。

 家があったはずの界隈に近づくと、地図が頭の中から消えていく。あの薬屋の角も、八百屋の軒もなくなっていた。目印を失い、佐久間は瓦礫の海を漂うように歩き回る。

  「……違うか、こっちか……」

  独り言を繰り返しながら、焼け跡を踏み越えていく。足元で瓦が割れる音が、やけに大きく響く。

 やがて、立ち止まった。

  ここらが——そう、このあたりが、あの家のはずだ。土間があり、柱の奥に仏壇があって、夕餉の匂いがした。

  しかし、今そこにあるのは、煤に覆われた地面と、半分溶けた茶碗の破片だけだった。

 後ろから声がした。

  「お探しかね」

  振り向くと、腕に包帯を巻いた老人が立っていた。

  「この辺りの人で、生き残った者はいないよ」

  あまりに簡潔な言葉だった。だが、それで全てがわかった。

 佐久間の膝が、がくりと地面についた。掌が灰を掴み、指の隙間からざらざらとこぼれる。頭を抱えた。額に力が入りすぎて、こめかみが痛む。

  胸の奥で何かが煮えたぎるように熱くなるのに、涙は一滴も出なかった。

  代わりに、腹の底から声がせり上がってきた。

  「おおおおおおおおおっ——!」

  それは言葉ではなかった。

  怒りでも、悲しみでもない。

  全てを押し流す、どうしようもない虚しさが、声になって空へと突き抜けた。

 周囲の瓦礫が、その絶叫を吸い込み、反響させる。鳥が一斉に飛び立ち、遠くで犬が吠える。

  佐久間は、声が枯れるまで叫び続けた。

  灰と煤の匂いが喉を焼き、胸が裂けそうになる。

  それでも叫ばずにはいられなかった。


 清彦の、つまりは蓮の実家は熊本市内とはいえ、郊外にあり、空襲の被害は免れた。しかし、清彦と同じ大学学部を出て(若干佐久間が後輩にあたる)正式なものではないが、なんちゃって軍医をしていたのも同じ。

 清彦は脚を失い、復員も随分と遅れてしまったが、実家は無事だった。佐久間は五体無事に復員できたが空襲で一切合切を失ってしまった。

 何が幸運なのかわからない。


 否、幸運なんてあるものか! 理不尽が多少形を変えてふりかかっているだけじゃないか!



 再び、実家の玄関前にたたずむ清彦の場面に戻る。


 蓮にとっての祖父は、清彦の息子の清志郎であるし、生前の事は知らないが、長い間曾祖父と教えられていたのは、清彦の弟の清司だった。この際だから、蓮は清彦の事を”彦爺”と呼ぶことにした。見た目30歳くらいの幽霊ではあるのだが。



 ひとり。清彦の母、ツヤが玄関から出てきた。


 引き戸の外側まで出てきたところで立ち止まり、清彦をじっと見つめた。ただの一瞬のようでいて、その視線は永遠の長さを持っているかのようだった。

 そこに立つのは、まぎれもなく我が子であるはずなのに、戦地に送られて二度と戻らぬと覚悟したままの「清彦」でもあった。

 目の奥がかすかに潤む。けれども、それを涙として溢れさせてはならぬと、自らに言い聞かせている。唇が震え、今にも「おかえり」と言いそうになるのを、喉の奥で必死に押し殺す。その代わりに、やっとの思いで声を絞り出した。

「……清彦は、戦で亡くなったとば言い聞かされとる。皆、そう思うとるとよ。親戚も、近所も……」


 わずかに震える声。声の端が、泣き笑いのようにかすれていた。

 それでも彼女は涙をこぼさない。母は泣いてはいけない。泣けば、これまで必死に積み重ねてきた「生き残った者として、死者に対する日常」が崩れてしまうからだ。


 ツヤはそっと懐に手を差し入れた。取り出したのは、使い古された茶封筒。角はすり切れ、指に長く触れていたために光沢すら帯びている。そこに入っているのは、何やら一枚の書付と、わずかばかりの紙幣であった。紙幣は皺だらけで、幾度も数え直した跡がある。


「……お父さんの縁のあるお寺よ。……ここで世話になりなさい。うちには、もうあんたの居場所はなか」


 言葉は冷たいようでいて、その指先は小刻みに震えていた。母として拒まねばならぬ立場と、どうしようもなく息子を抱きしめたい思いとが、身体の中でせめぎ合っているのだろう。

 清彦の手に封筒を押しつけるとき、ツヤは一瞬だけ、その手の甲に触れた。だがすぐに視線を逸らし、踵を返して奥へと身を引く。

 背中はまっすぐを保とうとしているのに、肩のあたりが小刻みに揺れていた。

 けれど、彼女は決して振り向かない。振り向けば、堰が切れてしまうことを知っているからにちがいない。


 清彦は、無言で深く、しばしの時間首を垂れた。


 やがて顔を上げたとき、彼の目には涙も怒りも浮かんでいなかった。ただ、夢を歩いている者が、ふと空の模様に見とれるような、どこか現実から切り離された淡い表情だった。


 秋の陽射しが斜めに差し込み、杖の影が細く伸びる。清彦はその杖を頼りに、静かに実家を離れていった。一歩ごとに、土間の音が遠ざかり、家の匂いが薄れていく。

 後ろから慌ただしい足音が迫った。

  「兄さん!」

 振り返る間もなく、若い影が清彦の前に飛び出してきた。弟、清司だ。思えば、清彦は、出征前から清司の、春江に対する淡く若い恋慕に気がついていたような気がする。清彦が戦死したと知らされたのであれば、こうなることもごく自然な事のように思われた。


 彼は道に膝をつき、地面に額をこすりつけるようにして土下座した。

  「兄ちゃん……兄ちゃんに、なんと詫びればよかか……!」

  声は涙でつぶれ、言葉にならない。

 清彦は、じっと弟の背を見下ろしていた。片脚を失っては、視線を合わせるためにしゃがむこともままならぬ。かろうじて、肩に手を置き、穏やかに、ただ淡々と口を開いた。

 「……春江と、清志郎を頼む」

 命令でもなく、懇願でもなく、ただ一つの願いを託すように。


 清司の背中が震え、地面に落ちる涙が土を濡らした。


 清彦は、それ以上言葉を重ねず、土下座する清司をそこに置き再び歩き出す。



 なんてことだ! 蓮は自分の曽祖父の代に起きていたことに対し、どう考え思えばいいのか、夢の中なりに混乱した。あまりに、誰も救われなさすぎじゃないか! 自分の事ではなかったが、怒りであり、悲しみであり、寂寥でもあったし、どれでもなかった。

 そして、彦爺、どうしてこうも静かなんだ?



 夕刻の風は乾いて、耳の奥に虫の声だけを残す。途中の小さな社で足を止めると、拝殿の軒がちょうど雨風を避けるにほどよく、清彦はそこを借りた。賽銭箱の脇に背を預け、杖を横に置く。木の匂い。注連縄の藁に残る手触り。袖口から入り込む冷え。腹の虫が鳴り、遠くで犬が吠え、どこかの家の戸が一度だけ軋んだ。

 同じ野宿だというのに、あのビルマでの半分濡れた泥濘に漬かり、敵兵におびえながらのものを思えば、何と平和な事か! ひょっとしたら清彦は初めて日本に帰ってきたことを実感したのかもしれない。

  夜が降りきると、鳥の気配も消えた。星が軒の切れ間にいくつか見え、それを確かめるように目を閉じた。


 ここからは10倍速。

 朝もやを割るように歩き出す清彦。

 川筋を渡り、田の間を抜け、益城の町並みが近づく。

  「光照寺」と記された板標。山門の瓦。鐘楼の柱の節目。庫裏の土間に伸びる光。


 封筒の書付を見た住職が、何も多くは問わず、ただ一度頷く。


 箒を持つ清彦——落ち葉が掃き寄せられ、山になる。

 井戸の釣瓶を引く——桶の水面が陽を弾く。

 薪割り——鉈がまっすぐに降り、年輪がぱきりと割れる。

 庫裏の離れ——夜更けに体を横たえ、咳一つ飲み込む。


 昼下がり、子供たちが寺の縁側に腰を並べる。

 算盤の玉が小気味よく走り、かなの手本が紙の上に並ぶ。

 間違えると舌を出して笑い、合えば得意げに頷く。

 清彦は、板戸に背を預け、指で空に字の形をなぞってみせる。

 「ここで止める。ここは細く」

 子供の眉間の皺がほどけ、紙に新しい線が一本通る。


 物置の陰、擦り傷の少年に消毒液を含ませた布を当てる。顔をしかめる少年の手を言葉で外す。

 「数えるぞ。いち、にい、さん——はい終わり」

 奥から出てきた祖母が何度も頭を下げる。

 別の日。指を挟んだ青年の爪の際を整え、簡易の副木を添え、布で固定する。

 虫に腫らした腕には冷やした薬草をあてがい、熱を測るときの顔はどこまでも静かだ。

 夕刻の座敷、ほの暗さに線香の煙がまっすぐ伸びる。

 鐘が一度だけ鳴る。音は薄闇を渡って、畑の向こうでほどける。

 そして、夜。

  蝋燭の小さな火。

  清彦の鉛筆は、紙の上を止まりなく進む。

  細く立つ影が、行の端で揺れては戻る。

  何を書いているかは、知ることが出来ない。


 季節の断片が、ぱらぱらと継がれていく。

 柿の橙が庇の外で濃く、霜の白さが夜明けの土を薄く覆い、雨の粒が石段を斑に光らせる。

 袂に入った粉薬の紙包みが増え、子供の背がわずかに伸びる。

 笑い声、泣き声、釜の蓋の鳴る音——それらが一つの輪になって日々を回す。

 ——十倍速のような流れの中で、ただ一度だけ速度が落ちる瞬間を見た。

 夜半、蝋燭の火がふっと短くなり、清彦が筆を止め、宙に視線を置く。

 窓の外、遅い風。

 そのわずかな静止に、彼が何を見ているのかは、わからない。ただ、次の瞬間にはまた鉛筆が動き出し、紙の上に細い線が連なっていった。



 ある晩の事だ。


 厚さにムラがある質の悪い窓ガラス越しに月を見ながらいつものように何かを書いていた時に、窓の外から、息をひそめるように、しかし切羽詰まった声色で清彦に呼びかける声があった。


「坂本さん」


 ビルマで清彦の一年前に、先に復員するために別れた佐久間秀幸だった。傍に人影、女性のようだ。素直に戦友と再び会えたことを清彦は喜んだが、同時に、よりによってこの時間、ただならぬ雰囲気も感じた。

「よく来てくれたな。まぁ、とりあえず上がれ」

 つられて清彦も声を潜めてしまった。


 上がって部屋に入ってきていきなり、佐久間は清彦に土下座して見せた。

「面目ない!」

 清彦は訳が分からない。ひょっとして佐久間にとんでもない不利益を負わされたのだろうか?


 どうも違うようだ。復員して妻子身内一切を失った佐久間は、無気力で自暴自棄になり、気がつけば愚連隊に身を落としてしまったらしい。そういえば、佐久間が身につけているのは、どこかちぐはぐな堅気のものが身につけているものではないように思われた。そういう自分の不甲斐なさを、かつての戦友を目の前にしていたたまれなくなった、と言うのが土下座の一つの理由らしい。


 そして、隣に同じく深くお辞儀をしている女性だ。聞けば彼女は佐久間の愚連隊のボスの情婦だったらしいが、佐久間と同じく福岡の空襲で家族をすべて失い、ボスに心ならずも手籠めにされたのだが、境遇が似た佐久間と心を通わせ、絆され、駆け落ちしたとの事だった。名を澄江という。

 ボスは澄江への恋慕というよりは、メンツをつぶされたことに怒り心頭で、執拗に佐久間と澄江を追跡する。見つけ出して八つ裂きにすると言っているのだそうだ。

 

 不謹慎にも清彦は笑ってしまった。半ば隠遁者のような自分に比べ、この佐久間と澄江の二人、ついでに愚連隊のボスも、なんと、元気というか闘志があるというか、生臭いというか。本当は生きるってこういう事なのかしら、と一瞬考えてしまった。


 「疲れたろう。とりあえず布団は借りてきてやる。休もうじゃないか。明日、此処の住職に相談しよう。」


 笑ってしまいそうになったことをごまかすように、清彦は言った。


 翌朝、清彦は、佐久間、澄江を伴い、光照寺住職松原玄真に、佐久間の身の上を明かしたうえで、何とか佐久間を遠くに逃がすなど、できないか? と相談した。佐久間が自分が属していた愚連隊のボスの名前を言った時、玄真は「あのヤロウ、生きていやがったのか!」と、苦々しく言った。


 結局、佐久間と澄江は、玄真の手引きで日向に逃れることになり、三日後、光照寺を旅立っていった。その後、音信はプツリと途絶える。

 1959年の春先、日向の山中で、男女二人の白骨死体が発見される。ひどく暴行を受けたような痕跡が何とか見て取れたが、他に何の手掛かりもなく、未解決事件として処理された。


 

 寺男をしながら、近所の子供に勉強を教えたり、簡単な医療行為を行ったりして過ごしていた清彦だが、1950年の晩秋、風邪をこじららせて、あっけなく死んでしまった。ビルマでの無理がずっと体に残っていたのだろう。


 小学生になっていた、清彦の息子、清志郎には直接清彦の死が知らされたわけではない。しかし、両親や曾祖父の様子から清彦の不幸を推察してしまった。

 両親は、夜、子供(清志郎や妹たち)が寝静まる時間、座卓で差し向かいで二人して泣いていたし、祖母ツヤは曾祖父の部屋で、入り婿だった祖父寛治は座敷で、それぞれ一人で、うつむき方を震わせていた。清志郎自身は、清彦の事は極幼い頃の記憶しかない。何となく生きていることは知っていたが、養父清司に遠慮もあり、遂に光照寺に会いに行くことはなかった。以来、清志郎から見て、両親や曾祖父は心から笑うことがなくなったように思う。



 更に何年か経ち、光照寺の境内に高校生の少年が訪れた。清志郎である。墓銘も刻まれていない、隅っこの墓の前に立った。しばらくそうした後、しゃがんで手を合わせた。

 特に何をするわけでもない。その後清志郎は、本堂の階段に腰掛けて、何を考えるわけでもない、空を見上げていた。


 ここで、蓮は目が覚めた。寝付いたのが日が出てからだったので、夕方の中途半端な時間に目覚めてしまった。大学は・・・サボりだ。

 それにしても、随分と長い夢を見たような気がする。怖い、という感覚はないが、何とも寂寥感と救われなさが充満したような、ある種の悪夢のようにも思えた。


 そして、曾祖父の、自称守護霊、坂本清彦の幽霊と来た日にゃ、蓮の本棚から「バカとテストと召喚獣」を抜き出して、読んで居やがりましたよ。

 清彦がケタケタと笑いながらラノベをめくる姿を、蓮は呆れたように見ていた。ついさっきまで目にしていた光景――ビルマでの死の脱出劇、佐久間と澄江の末路、家族を泣かせた清彦の死、そして清志郎の墓前での沈黙――。鬱シリアスの主人公じゃなかったんですか、この人? それらと、この半透明の男の姿とが、どうしても結びつかない。

 「同一人物・・・・だよな?」

 思わず口をついて出た蓮の問いに、清彦は少しの間だけ笑いを止め、何とも言えない顔をした。懐かしさ、後悔、そして照れをごちゃ混ぜにしたような表情だった。

  「あぁ、蓮君も清志郎と同じ夢見たんだな。別に僕が演出したものじゃないよ。現に僕が知らない場面も見てるみたいだし。ビルマではいつくばった挙句、脚無くしたのも、蓮君の本見て笑ってるのも、僕なんだと、御承知願いたい。死んじまうと、重たいもんはみんな置いてきぼりにしてくるらしいよ。

 っていうか、本当のことを言うと、僕は若い頃、医者じゃなくて、劇作家になりたかったんだわ。柳屋金語楼って知ってる? 何かな金語楼の落語が進化したらこんな感じになるのか、と、ちょっと嬉しい。あぁいうのの台本を書く人になりたかったんだよ。」


 おや、これは意外な展開。じゃなくて、蓮は清彦に、どうして家の敷居を跨がせてもらえなかったときに、ああも穏やかでいられたのか確かめたかった。が、それを切り出すタイミングがつかめない。


 そうこうしている内に、このスチャラカ幽霊、またバカテスにのめり込み、腹を抱えて笑い出す。

 蓮は、なんとも釈然としない気持ちで溜め息をついた。けれど、その笑い声が不思議と、さっきまでまとわりついていた寂寥感を少しだけ吹き払ってくれるのも確かだった。


 その夜、布団に横になった蓮の耳には、まだ遠く、山中で聞いたような、誰かの泣き声の残響が残っていた。清彦の笑い声と入り交じり、現実と幻の境目が、妙に曖昧に揺れていた。

 それでも蓮は目を閉じた。眠りの中で、また誰かに呼ばれる気がしていた。

  けれど、その声が悲しみなのか、救いなのかは、まだわからなかった。



2025年8月15日金曜日

「贈与」に至る/あらかじめ組み込まれた自壊のプログラム? 4 「デジタル生存競争」要約




 岡田斗司夫氏のYOUTUBEチャンネルで、いつだったか、ダグラス・ラシュコフ氏の「デジタル生存競争」についての話があった。冒頭の紹介で、ちょっとね、これは衝撃的だった、と言えばいいのかな?  


 オレから見て、もうこの文明には先がない、と言う見方というのは、単にオレが暗愚なだけで、頭のいい奴等にはちゃんと、この世界の未来像は描けているに違いない。普段は、「あと、二、三世代で人類は絶滅近くまで衰えるさ」とか「そろそろ生態系総入れ替えがあるんじゃない?」なんてうそぶいているオレだが、どこか楽観しているところがあった。


 ところがだ、今を時めくテック系スーパーリッチたちは、ちっとも人類の未来なんて考えていない、という、これはラシュコフ氏の考えではなく、氏が実際見聞きしたことであるというところがね、なんともはや。 



 物語の始まりは、ラシュコフ氏が高額な講演料を提示され、「未来について語ってほしい」と依頼される場面だ。


 彼はテクノロジーに関する一般的なカンファレンスかと思って出向くのだが、実際には遠隔地の高級ホテルに通され、待っていたのは5人の超富裕層の男性たち――すべてテクノロジー業界の成功者、つまり現代の「支配階級」とも言える億万長者たちだった。

 彼らは次々と質問を投げかけますが、その内容は彼の予想を大きく裏切るものだった。「ニュージーランドとアラスカ、どちらが気候変動後により安全だと思うか?」とか、「地下施設の空気循環をどうすべきか?」とか「AIを使って警備員の忠誠を管理する方法はあるか?」とか、「自分の資産を守るには、どのような技術が必要か?」等々。 


 つまり彼らは、「いかにして文明の崩壊後に自分だけが安全に生き延びるか」というテーマにしか関心がなかったのだ。しかもその議論は、世界の修復や共有の未来を築くための話ではなく、「他者から切り離された自分だけのシェルターで生き延びる」という、徹底的に利己的なもの。  ここでのラシュコフ氏が受けた衝撃たるや。岡田氏のチャンネルを聞いて、自分でも読んで、オレだってそうだった。彼らは社会をより良くするテクノロジーの活用ではなく、テクノロジーを「逃避装置」として利用している。しかも、こうした考え方――自分たちが創った問題の影響から自分だけを守ろうとする姿勢――は、実は現在のテック業界全体に広く浸透している「思考様式(The Mindset)」であると彼は分析している。



 このまま第一章、行っておこう。

 第一章では、冒頭で提示された「マインドセット(The Mindset)」という考え方をさらに深掘りしている。

 ラシュコフ氏が言う「マインドセット」とは、現代のテック億万長者たちが共有する、非常に特徴的な世界観のようだ。それは以下のような前提に基づいている。


 〇人間社会は根本的に壊れている。

 〇進歩とは、テクノロジーによって自然や人間性を「制御・超越」すること。

 〇問題は「修復する」よりも、「脱出する」方が合理的。

 〇富と技術こそが生き延びる手段であり、倫理や共感は贅沢品。


 このマインドセットにとらわれることで、富裕層は世界の不平等や気候危機といった「自分たちが加担してきた問題」から目を逸らし、むしろそれらを前提として自己防衛にリソースを注ぐようになる。

 しかも彼らは、社会的連帯や制度の改善よりも、「仮想通貨」「AI」「宇宙移住」「地下シェルター」「サイボーグ化」といった“個人だけが逃げ切るための技術”に投資していく。


 ラシュコフ氏はこれを「テクノロジー信仰の終着点」だと批判する。もともと、インターネットやIT革命は人々をつなげ、知識や権力を分散させるためのものでした。しかしその理念は、今や富裕層によって乗っ取られ、「選ばれた者だけが“後”を生き延びる」ための道具へと変質してしまったのだ。


 また、ラシュコフ氏は「このマインドセットがテック界だけでなく、一般市民にも影響を与えている」とも指摘している。たとえば多くの人々が、資本主義に不満を持ちながらも「自分もいつか勝者になれる」と思ってしまう幻想に取り込まれているというのだ。


 この章では、ラシュコフ氏が非常に重要な問いを投げかけている。 「本当にテクノロジーは進歩しているのか? それとも“逃げ方”が進化しているだけなのか?」


 この問いを軸に、この本は今後、ビジネス、教育、仮想通貨、AI、宇宙開発などの分野で「マインドセット」がどう作用しているかを見ていっている。



 さて、困ったね。棹差せば何とかなるなんてことはないけれど、今の流れに身を任せていても、ジリ貧からの破滅的衰退しかないようですよ、人類ったら。


 第二章以下をざっと要約していく。 


 第二章:暗号通貨と脱中央集権の誤算

 仮想通貨は自由と平等の理想を掲げつつ、現実では投機と格差再生産の手段となる。リバタリアニズムとの親和性が個人主義と自己保存に結びつく問題を浮き彫りに。 


 第三章:宇宙と身体からの脱出願望

 火星移住や意識アップロードは、人類共通の修復より“選民の脱出”を目指す極端な思想。テクノロジー信仰を宗教的救済と見なす視点で、現実逃避を批判。 


 第四章:教育とビジネスにおける階級再生産

  教育とビジネス構造がエリート層を選抜し、連帯を弱める。企業家精神や競争が社会的責任を後景に追いやり、構造的格差を固定化するメカニズムを明らかに。 


 第五章:自己中心的社会の進行

  競争主義と個人主義が倫理や共感を圧殺し、情報格差と孤立を助長。人々を“個別化”し、協力と連帯感を失わせる結果として、社会全体が分断されていく危機を描写。


 第六章(仮称):改革への処方箋

  テクノロジーを社会的連帯の道具とし、共感と協力を基盤に教育・ビジネスを再設計。富の再分配・贈与的経済への転換を目指し、人間らしさの回復を提言する。


 最終章(まとめ/展望) 

 マインドセットを批判し、個人と社会の再編を訴える。選民的思考から協力型社会へシフトすることで、持続可能で倫理的な未来が構築可能であると結ぶ。


  どうする? 革命でも起こす? まぁ、誰もそんなガッツないよね。やっても明るい未来が来るとは思えない。さっきから、オレの中のジョニー・ロットンが、囁くどころか、「No future for you!」ってがなってるんだが。 


 ラシュコフさん、マインドセットをどんなふうに変えるのか、そういう提言で終わっているが、まぁ、告発までは衝撃的だった。でも、それへの対処はなんというかな、これまで切り返されてきた優等生的結論の域を出ていない。  確かに、そんな風に変わって行けたなら素晴らしいけれど、どんな形を目指すべきかは言えても、そこまでのロードマップが提示されていない。


 どうやったら変えていけるんだ?  いったいどうやったら変えられるんだ?

2025年8月14日木曜日

《創作》寝取られ幽霊 第3話 地獄巡り 中

 



 結果を言えば、清彦が膝下を撃たれ翌日、3人を取り囲んでいたのは、アブドゥル・カリム・ソーという名のムスリムをリーダーとしながら、それぞれの部族のコミュニティのやり方に与することを良しとしなかった。メンバーはムスリムのほか、カレン族など仏教系の山岳民族で構成され、かつて所属していた部族からも、英蘭中軍や日本軍からも逃れるように山中を転々としていた。
 日本軍は勿論、比較的に新しいビルマ政府も、英蘭中も信用していなかったが、それでも、リーダーのムスリム、アブドゥル・カリム・ソーは、英国に医学で留学経験があり、更には日本語にも通じている、なかなかのインテリだった。

 清彦などは膝を撃たれていたが、そうじゃなくとも3人とも相当衰弱していたので、このグループに保護され、終戦まで行動を共にすることになった。仮に清彦が撃たれていなかったとしても、彼らは結局、日本軍には辿り着けなかった。それ位、1944年夏以降のビルマでの日本軍は壊滅的だった。行軍路に、白骨から漂う甘ったるい匂い、ふらつく兵の荒い息、乾いた金属音が、その現実を物語っていた。

 その様を夢で見ていた蓮は、あぁ、ひい爺ちゃん此処で死んだんじゃなかったんだな、と、少し安心した。っていうか、もう清彦が自分の曽祖父であることを受け入れていることに、我ながら、ちょっと驚いた。

 一度、清彦がアブドゥルに訊いたことがある。なぜ自分たちを助けたのかと。アブドゥル・カリム・ソーはこう答えた。

「ここには日本軍に村を焼かれたものもいるが、イギリス軍や中国軍に焼かれたものもいる。もし、お前たちが、そうすることを決めた人間だったら、此処で八つ裂きにしているところだが、そうじゃないだろ? 誰かが決めたことで村を焼かれた人間が、誰かが決めたことで死にそうになっている人間を助けることは、間違っているとは思わない。」

 清彦は膝下を撃たれ、ジャングルの中で感染は避けられず、腐敗は進んでいた。通常なら、ただ死を待つだけだったろう。だが、アブドゥル・カリム・ソーには医術があった。混乱の中、彼は手術を決行し、膝下を切断した。山奥の家にこもり、妻のアミナ・ノーとともに、清彦の命を保ち続けた。3人とも、決して豊富とまでは言えなくとも、体力が緩やかに戻るくらいの食事にはありつけた。清彦は脚の事もあり敵わなかったが、佐久間や大沢はグループの人間に交じり狩りや簡単な農耕もこなした。

 
 昭和二十年、戦争はようやく終わった。
 だが、終わったと誰が決めるのか。前線にいた者たちは、玉音放送など聞いていない。弾が止まり、敵が姿を消し、食料が届かなくなり、やがて静けさが腹の痛みや傷のうずきに変わる。それが終戦だった。

 膝下を失った清彦はまだ動くわけにはいかなかったが、佐久間秀幸と大沢辰造は、アブドゥルの伝手で、一足先に復員することになる。二人が旅立つ日、ミイトキイナ脱出の日には出なかった涙だったか、一番若い大沢など大泣きする場面もあった。

 早回し、早回し。

 佐久間秀幸と大沢辰造は、ラングーンより復員船「白山丸」に乗せられた。聞けば同じ船に乗っていた日本兵は、部隊ごと、というわけではなく、佐久間、大沢に似た事情、敗走の末、なんとかラングーンにたどり着いた者が多かった。
 ラングーンと言えば、日本軍のビルマ方面司令部がおかれていたが、もはや見る影もなく、英軍が闊歩しているような状況であった。アブドゥル・カリム・ソー達といた時は、伝聞で日本は負けたのだとは聞いていたが、実感としてはなく、ラングーンの街並みを見て初めてそれを実感したような有様だった。何やら感慨らしきものが湧いてきそうにもなったが、疲れ切っていた佐久間、大沢以下、復員船に乗る日本兵は何ら騒ぐことなく、白山丸に押し込められた。

 佐久間達と偶々近くに居合わせた田島信一は、信州出身で、筑豊炭田で働いていたところを徴兵されたという境遇では大沢辰造に似ていた。1945年3月のメイクティーラ攻防戦に参戦していたが、白山丸に登場した時点で、マラリアでひどく消耗していた。佐久間、大沢はミイトキイナ脱出間際に、マラリアで埋葬した石塚恒夫軍曹を思い出した。二人はアブドゥル達といたおかげで、比較的健康状態は良い方だったが、それ以外の搭乗した日本兵の健康状態はかなり悪いようだった。

 田島は、熱にうなされながらも調子のいい時は饒舌に故郷の伊那谷の事をしゃべっていた。船上のある日のことだ、船倉の湿った空気に、消毒薬と海水の匂いが混ざっていた。田島の息は次第に浅くなり、やがて波の音にかき消された。次の瞬間、船倉の空気は、誰も言葉を発せぬ沈黙で満たされた。ミイトキイナの石塚軍曹の埋葬の時は泣かなかった大沢辰造だが、田島の水葬の時は清彦やアブドゥル達と別れるときのように大泣きした。翌日には本土の島影が見えた、その前日の事である。

 舞鶴に上陸した二人。佐久間は福岡に、大沢は働いていた筑紫ではなく故郷の秩父へと旅立っていった。


 それは良いんだが、ひい爺ちゃん、どうなったの?


 容態の安定が必要だった清彦が復員したのは、終戦から丸2年経った1947年秋の事である。この時はすでに日本政府による復員船はなく、アブドゥルの伝手でバンコクからの難民船「比婆丸」の片隅に乗っての復員となった。
 神戸に着いたとき、空の色はビルマの地のそれのような残酷な群青とは似ても似つかない穏やかな青だったが、岸壁には、古びた荷役クレーンが錆び色に光っているのみ。旗を振る人も出迎えの声もなく、ただ自分の影だけがそこに立っていた。
 清彦は帰国したという安堵や喜びよりも、糸の切れた凧のような所在のなさを強く感じていた。自動的に列車に乗せられ、故郷の熊本に戻ったのは、上陸した次の日のことである。

 帰国した次の日の夕方少し前、夢の冒頭、幼かった蓮の祖父、清志郎が清彦の膝の上で甘えていた、かつての蓮の実家の門の前に、片脚を失い杖をついた清彦は立っていた。
 わずかに逡巡した後、清彦は門をくぐる。妻の春江が玄関横の庭の掃除をしていたが、顔を上げ清彦の顔を見て、驚き、しかし、何やら悲しそうな複雑な表情をした。

 いや、そこは、喜ぶところじゃないのかよ?

 口元を押さえ春江は家の中に駆け込んでいく。何やら複数人の声が聞こえてくるが何をしゃべっているかはわからない。しかし、清彦は何となくこの後の自分の運命を予感していた。


プレスコードと戦後言論空間の歪み、その継承

 


0.プレスコードという見えない鎖

 敗戦の年、1945年の秋。焦土と化した街に、アメリカ軍のジープが土埃をあげて走る光景があった。空襲で黒焦げになったビルの残骸を背景に、占領軍の兵士たちは軽い口笛を吹きながら通りを歩く。その背後で、日本人は焼け跡に腰をおろし、瓦礫の中から鍋や茶碗を掘り出していた。

「日本は自由になった」——そう新聞は書いた。だが、その紙面の裏側では、まだ知られていない規則が息をひそめていた。
 GHQが日本の新聞社や放送局に配布した「プレスコード(新聞発表用規程)」である。そこには31項目にわたり、報道してはならない事項が並んでいた。占領軍批判、連合国批判、原爆被害の詳細、戦前の戦争責任の追及に触れることも許されない。

 江藤淳は、この時期を「言語空間の占領」と呼んだ。彼は著書『閉ざされた言語空間』でこう述べている。
「占領期の日本人は、自らの母語で、自らの現実を語ることを禁じられた。」
 それは単なる検閲ではなく、思考の土台そのものを組み替える作業だった。


 この「組み替えられた土台」は、占領が終わった後も日本人の中に残った。一見すると自由な言論空間だが、そこには“見えない線引き”が存在する。そして人々は、気づかぬうちにその線を避けて言葉を選ぶようになった。それは現在にも継承されている。どういう訳かノイジ―マイノリティーに弱い報道。

 原爆の被爆者差別は、その典型的な副産物だろう。広島・長崎の惨状は、長く断片的にしか報じられなかった。瓦礫の街でケロイドを負った子供を抱く母の姿も、内部被曝に苦しむ人々の証言も、
 占領下では“国民に見せてはならない”ものとされた。そのため、国民全体の理解が遅れ、やがて「被爆者=不健康で危険な存在」という偏見が根付く。

 西部邁は、晩年の講演でこう語っている。
「言論統制とは、単に言葉を封じることではない。それは人々の沈黙を習慣に変えることだ。」

 プレスコードは、まさに沈黙を習慣化させた。それは、戦後の保守も革新も等しくその上に立ち、思考を育てることになった「見えない鎖」だった。


1.右翼も左翼も、大間違い

 保守であれ革新であれ、政治的立場を持つことは悪くない。むしろ、思想は立場を持ってこそ鍛えられる。
 だが、現代日本の右翼と左翼の多くは、その立場を論理的に組み立てる力を失っている。ネット上で飛び交う罵倒は、論理ではなく感情の応酬だ。

 ネトウヨと呼ばれる右派の一部は、「日本は素晴らしい国だ」と叫ぶが、その理由づけは歴史的検証よりも感情の昂ぶりに依存している。
 一方で、パヨクと呼ばれる左派の一部もまた、「権力は悪だ」という反射的な姿勢に固執し、現実的な解決策を提示できない。


 渡部昇一は、かつてこう指摘している。
「自分が正しいと確信する者ほど、相手の正しさを想像できなくなる。」

 この想像力の欠如こそ、議論を分断へと導く。論破を目的とすれば、相手は敵でしかなくなる。
 だが、説得や合意形成を目的とすれば、相手は「引きつけるべき他者」に変わる。

 百地章は、憲法学の立場からこう述べた。


「立憲主義とは、異なる立場の間に“争える共通基盤”を維持することだ。その基盤が失われれば、言論はもはや共存を目指さない。」

 しかし、現代の保守も革新も、この「共通基盤」を育てようとしない。相手を「無知」か「悪意」と断じるのは容易だ。だが、その瞬間に言葉は届かなくなる。


 プレスコードによって制限された言論空間で育った世代が、「自分の立場の正しさ」だけを磨き続け、「他者の立場とどう向き合うか」という思考をあまりにも鍛えられなかったのではないか?
 それは世代を超えて受け継がれ、今日のSNS上で、奇妙に過剰で、かつ浅い議論として現れている。


2.鎖が外れても、足は前に出なかった

 1952年、サンフランシスコ講和条約の発効とともに、占領軍による直接的な検閲は終わった。
 新聞は再び自由に記事を書けるはずだったし、ラジオも自由に放送できるはずだった。

 だが、江藤淳は『閉ざされた言語空間』で、こう述べている。
「言論統制は解除された。しかし、解除されたことを自覚できる人間は少なかった。自由を行使する習慣が、すでに失われていたからである。」

 この「習慣の喪失」が、戦後日本の革新陣営に深く染みついていた。戦前、共産党や社会主義者は激しい弾圧にさらされ、獄中で歳月を過ごした者も多かった。だからこそ、占領期のプレスコード下でも、彼らは「また抑圧されるかもしれない」という予感を捨てきれなかったのかもしれない。

 西部邁は、戦後左派の体質をこう評している。
「彼らは戦前の抑圧に対するルサンチマンを、未来への理念に昇華できなかった。その結果、戦争反対と反権力が自己目的化し、時代が変わっても身動きが取れなかった。」

 プレスコード解除は、思想を鍛え直す絶好の機会だったはずだ。戦前の記憶を踏まえつつ、新しい現実に合った論法や政策を模索できた。 だが、実際には旧来の「闘争の文法」にしがみつき、保守との間に新しい対話の形式を築くことはなかった。

 その背景には、もうひとつの心理的な要因があったように思う。長年「被害者」としての自己像を支えにしてきた人々にとって、相手と対等に議論するという行為は、その自己像を手放す危険をはらんでいるとかんじていたのではないか? だからこそ、ルサンチマンは次の世代へも受け継がれてしまった。
 結果として、革新は自らの支持基盤を拡大できず、むしろ社会の中で孤立を深めていった。それはこの何年か顕著だが、共産党や社民党の縮小として表面化し、「もう店をたたむべきでは」という声すら出る事態につながっていく。


3.受け継がれた怨念という遺産

 戦後の革新陣営が、戦前の弾圧の記憶に囚われたまま動けなくなったことはすでに触れた。だが、より奇妙なのは、その怨念が世代を超えて受け継がれたという事実である。
 戦争を直接知らない世代が、あたかも自らが被害者であるかのように語り、同じ怒りや不信感を、血の中に溶け込ませるかのように継承してしまう。それは教育現場や文化サークル、労働組合、学生運動などの場で、繰り返し語り直され、情念として保存された。

 渡部昇一は、この現象を「歴史的現場の記憶の擬似相続」と呼んでいる。
「自分が体験していない出来事に、体験者の感情をそのまま借りて加担する。それは本来、冷静な歴史理解を阻む危険な行為である。」

 これは保守側にも同じことが言える。
 明治や昭和初期の“栄光”を、体験してもいないのに自分のものとして誇り、その輝きにふさわしい日本を取り戻せと叫ぶ。いずれも現実から遊離した感情の継承であり、論理的な組み立てを欠く。

 百地章は、戦後思想史を論じる中でこう述べている。
「自由な言論空間を持ちながらも、感情的な歴史解釈を温存するのは、言論の自立を放棄するに等しい。」

 ここに、プレスコードの影はありはしないか?
 占領期の日本人は、「本当のことを言っても仕方ない」という沈黙を習慣化させられた。その習慣は、真実を検証する努力よりも、感情の物語を維持することに傾きやすくする。

 そして、それは保守にも革新にも等しく作用した。


 世代が変わっても、怨念の火種だけが形を変えて残る。もはや戦争体験者がほとんどいない時代になっても、右も左も、それぞれの物語に沿った「敵像」を守り続けている。それは、未来のために過去を使うのではなく、過去のために未来を犠牲にする姿だ。


4.歪みの増幅と、出口を探す試み

 今生きている社会は、戦後の言論空間が抱えた歪みを、より複雑に、より激しく増幅させた場所である。
 SNSのタイムラインは、一見すると自由闊達な討論の場のように見える。しかし実際には、同じ意見の者同士が集まり、相手を攻撃することで仲間意識を確認する空間になっていることが多い。

 江藤淳が指摘した「解除されたことを自覚できない言論空間の住人」は、今では検閲のないネットの世界でも、自ら検閲に似たバイアスをかけている。都合の悪い情報を見ない、見ても信じない、信じても発信しない。その代わり、感情を刺激するフレーズや画像が共有され、拡散される。

 西部邁は、生前こう警告した。
「自由とは、好き勝手に叫ぶことではなく、他者の自由を守るために自分を制御する技である。」
 この制御の欠如が、現代の言論の質を著しく下げている。右派は左派を、左派は右派を「論破」しようとし、説得ではなく撃破を目指す。その結果、議論は分断を深め、本来の目的である「共に社会を改善する」という視点を失う。

 百地章が言う「争える共通基盤」を再構築するには、自分と異なる立場の人を“倒すべき敵”ではなく、“引きつけるべき他者”と見なす習慣が必要だ。
 そのためには、プレスコード時代に培われた「沈黙と物語優先」の癖を、世代のどこかで断ち切らねばならない。

 渡部昇一の言葉を借りれば、
「相手の正しさを想像できる者だけが、自らの正しさを確かめられる。」
 この単純だが難しい姿勢を取り戻せれば、保守も革新も、今よりはるかに深い議論を交わせるはずだ。

 共産党や社民党が店をたたむべきかどうかは、単に党勢の問題ではない。「古い物語を引きずったままの言論空間」を続けるか、それとも新しい論法と関係性を築くか——その選択を迫られているのは、実は日本社会全体なのだ。
 もし出口があるとすれば、それは相手を引きつける論法を学び直すことだろう。そして、そのためには自分自身の“物語”を一度疑う勇気が必要だ。

 戦後80年近くを経た今、その勇気こそが、新しい時代の言論空間を開く鍵になるはずだと睨んでいる。
 しかし現実には制御がなく、論理よりも感情が優先され、分断が深まっている。
 百地章は「争える共通基盤」の再構築を、渡部昇一は「相手の正しさを想像できる者だけが、自らの正しさを確かめられる」と提唱した。この視点こそが、今の日本の言論空間に欠けているものだ。

 共産党や社民党の衰退は、単なる党勢の問題ではない。古い物語を引きずった言論空間の構造そのものが、現代の分断や浅薄な論争を生み出している。相手を引きつける論法を学び直し、自分自身の物語を一度疑う勇気にあるのやらどうなのやら。その辺が出口なんじゃないかと思うのだが。

 戦後80年近くを経た今、沈黙の習慣とルサンチマンの連鎖を断ち切り、自由と責任を両立させた言論空間を作るタイミングにあると考えている。


2025年8月13日水曜日

ハザードマップを越える水

7231 211121 氷見 久目 (再掲)


はじめに

 以下の文は、何ら学術的権威もない、土木建設の現場を極めたわけでもない、20数年、地質関係から何となく土木業界の末席にいただけだが、それでも、それなりに本等では勉強はしたオレが、ここ数年、特に今月に入ってからの大雨災害について思うことを書きしたためたものである。

 この関係の仕事、正直、もう体力的にきついと思い、ほかのしごとを探してはいるのだが、しかし持っている知識では、ここ最近の降雨土砂災害に対し、特に土木としてもうやれることはないのではないか? と、ちょっと辛くなったりした。もう一度だけ、その関係の本を開いたりしたのだが、例えば、大地震に対して建築というものは、耐震基準を厳しくすることで、それに準拠すれば、いくらかマシなんじゃないか、と言うことになっているが、降雨災害に対して、特に今年8月の洪水災害に対しては、土木でやれることの余地というものはほとんど残されていないのではないかと、改めて思ってしまった。

 そのような結論は、単にオレの浅学故のものであって、ちゃんと処方は用意されうるのかもしれない。それはそれとして、今わかること、考え得ることを綴ってみた。 
 「九州の豪雨」というのは、現地の方々には大変申し訳ないのだが、まぁ、起きがちな所だよね、という印象をそれ以外の地域の人間は思いがちだ。しかし、2025年8月の豪雨というのは、その程度の認識では済まされないものであると思わされた。

 それは只の「大雨」ではなかった。気象庁は早々に線状降水帯の発生を発表し、レーダー画像には九州北部から南部まで、太く青黒い帯が居座り続けた。熊本県玉名市では、6時間で370ミリ、24時間で400ミリを超える雨が降ったと記録されている。数値を並べれば一見ただの統計のようだが、現地に暮らす人にとってはそれが現実であり、生活を破壊する力となった。

 問題は、その被害の範囲だった。冠水や浸水は、かつてハザードマップで「安全」とされてきた区域にも及んだ。多くの住民は驚きを隠せなかった。「ここは浸水区域じゃないはずだった」と嘆く声は、SNSやテレビ報道で繰り返し流れた。
 これは、ハザードマップの信頼性の問題ではない。むしろ、マップは与えられた条件下では正しく機能している。しかし、条件そのものが変わってしまったのである。過去の降雨データをもとに作られた想定を、近年の極端な降雨は容易に飛び越える。
 この現象は九州だけではない。日本各地で「マップ外浸水」が現れ始めている。これまで“安全”とされた場所が、安全ではなくなる。そんな事態が年々増えている。

 本論では、この現象の背景にある「ハザードマップの限界」「都市構造の弱点」「土木技術の物理的・社会的限界」を掘り下げ、今後求められる方向性を探る。

1:ハザードマップと現実の乖離

 ハザードマップは、行政が住民に「どこが危険で、どこが比較的安全か」を示すために作られる。国交省や自治体は河川の流域ごとに、過去の降雨記録や流量データをもとにシミュレーションを行い、浸水想定区域を色分けして地図に落とし込む。基準となるのは「○年に一度」という確率降雨量だ。
 多くの場合、その設定は50年確率や100年確率降雨量。つまり「100年に一度クラスの雨が降ったとき、どうなるか」という想定だ。
 しかし、気候変動の進行とともに、その「100年に一度」が数年おきに発生してしまっている。これがマップの機能不全を招く。
 昨年2024年の能登の豪雨災害は記憶に生々しいが、その前2019年の石川県豪雨では、マップの浸水区域外で広範囲の冠水が発生し、行政は被害把握と支援の遅れを余儀なくされた。今回の九州豪雨も同じだ。マップは過去の統計の上に成り立っているため、統計を飛び越える雨には対応できない。

 もう一つの問題は、マップが多くの場合、河川氾濫(外水氾濫)に特化していることだ。都市部の多くの浸水は内水氾濫、つまり下水道や排水路の能力を超えた雨水が街に溢れる現象だが、このリスクはマップに十分反映されていない。


 結果として、住民は「マップ外だから大丈夫」という誤った安心感を抱きやすくなる。だが、降る雨はマップの境界線を考慮してくれない。

2:マップ外の浸水リスク

 都市部におけるマップ外浸水の最大の原因は内水氾濫だ。
 下水道の排水能力は、多くの自治体で時間雨量50〜75mm程度を想定して設計されている。これを超える雨が降れば、マンホールから水が噴き出し、道路が川になる。特に市街地の低地や地下街は危険だ。

 さらに、河川の支流や暗渠化された水路が氾濫するケースもある。こうした小規模水系は管理が後回しにされやすく、浸水想定の解析が行われていないことも多い。
 加えて、山間部では豪雨が地盤を緩ませ、土砂崩れが発生し、その土砂が排水路や橋梁を塞いで水をせき止める二次被害が発生する。

 マップの整備状況も課題だ。国の方針で全ての河川について浸水想定を作ることになっているが、予算と人員の制約で進捗は遅い。未整備区域は事実上「空白地帯」となり、今回のような被害が発生しても事前周知は難しい。

3:九州豪雨から見える“盲点”

 今回の九州豪雨では、報道映像やSNSの投稿からも、従来の想定を超える浸水の構図が浮かび上がった。
 熊本県内のある市街地では、わずか30分で道路が膝まで冠水し、駐車中の車のナンバープレートが水に隠れた。鹿児島県の中小都市では、河川の氾濫がなくても市中心部が完全に冠水し、商店街のアーケードを水が流れていった。
 これらの場所は、自治体のハザードマップ上では「安全域」に色分けされていた。

 特に顕著だったのは、内水氾濫と外水氾濫の複合だ。
 市街地の排水路が豪雨で処理能力を失ったところに、上流の河川が氾濫し、水が逆流する。こうなると、通常の排水計画は全く役に立たない。ポンプ場は稼働していても流し先の河川があふれていれば、水を送り出せないからだ。

 被害は物的損壊にとどまらなかった。
 広域避難指示が出され、九州全体で300万人以上が対象となったが、実は避難所の数とキャパシティは全く足りなかったらしい。避難所そのものが浸水リスク区域にあった例もあり、住民は「どこに行けばいいのか」分からず、避難を断念した人も少なくないとのことだが、そもそも、避難所に避難する以前に被災すると言うことが圧倒的だったのではないかという印象がある。

 こうした事例は、ハザードマップの想定の枠を大きく超える現実を示している。そして、その背景にあるのが次章で述べる「土木技術の限界」だ。

4:土木の限界 — 洪水ゼロは幻想か

 日本の治水は戦後、世界的に見ても高いレベルの成果を挙げてきた。ダムの建設、堤防の強化、河川改修、遊水地整備など、数十年かけて築かれたインフラは、確かに多くの洪水被害を防いできた。
 しかし、近年の気候変動がもたらす豪雨は、その設計思想そのものを揺さぶっている。

①. 設計降雨量と現実の乖離

 従来の多くの河川計画は、100年確率降雨量を基準にしてきた。戦後の統計では、時間雨量50〜80mm、日雨量200〜250mm程度が目安だった。
 ところが、ここ10年で、時間雨量100mm超、日雨量300〜400mm超の雨が毎年のように観測されている。設計基準の倍近い降雨が現実になりつつあるのだ。

②. 物理的限界

 堤防をいくら高くしても、必ず「設計を超える雨」が降る可能性は残る。高さを上げればコストも上がり、構造的安定性の確保が難しくなる。また、川幅の拡張や遊水地の増設も、都市の土地利用や住民移転の問題で簡単には進まない。

③. 経済的・社会的制約

 仮に全国の都市部を「時間雨量150mm対応」に改造しようとすれば、兆単位の予算と数十年の工期が必要になる。その間に気候変動がさらに進めば、また想定を見直す必要が出る。「いたちごっこ」からは抜け出せない。

④. 洪水ゼロから“共存”へ

 洪水を完全になくすのは現実的に不可能である。必要なのは、被害を減らす構造と運用への転換だ。たとえば、堤防や排水設備は被害を遅らせる「時間稼ぎ」として設計し、その間に避難を完了させる。
 また、住宅や公共施設は一定の浸水を前提にした構造(高床化、防水壁)に変える。こうした発想は、オランダやドイツなど洪水常襲国で広く採用されている。

 結論として、「現在の土木知見だけで洪水をなくす」のは幻想だ。むしろ、土木は「水と共に生きるための環境を整える」方向で進化すべきだろう。

⑤:未来の治水と都市デザイン — 水と共に暮らす社会へ

 これからの日本の治水は、「防ぐ」から「耐える・逃げる・回復する」へと発想を変えなければならない。
 そのためには、ハードとソフトの両面での改革が必要になる。


①. ハード面の方向性

1⃣多層防御の発想
 一つの施設や計画に依存せず、堤防、遊水地、雨水貯留施設、地下放水路などを組み合わせて被害を分散させる。都市部では、大規模地下空間(東京外郭環状放水路のような構造)を増設し、雨水の一時滞留機能を強化する。

2⃣グリーンインフラの導入
 コンクリートによる排水一辺倒ではなく、雨水を浸透させ、地表で遅らせる仕組みを都市に組み込む。透水性舗装、雨庭(レインガーデン)、屋上緑化など、小規模だが面的に広げることで効果が出る。

3⃣水害耐性住宅の普及
 住宅地は高床化や1階非居住化、防水性の高い開口部、電気設備の高所設置など、被害を最小化する仕様を標準化する。新築だけでなく改修支援も不可欠だ。

4⃣危険区域の撤退と転換
 河川氾濫常襲地や土砂災害危険地帯からは、段階的に居住を撤退させる「移転促進政策」を実施し、その跡地を公園や遊水地として利用する。これには長期の住民合意形成が不可欠だが、海外では既に事例がある。



②. ソフト面の改革

 1⃣ハザードマップの高度化
 現在の「静的マップ」から、降雨予測やリアルタイム河川データを反映した「動的ハザードマップ」へ。スマートフォンアプリやデジタルサイネージで住民に随時更新情報を提供する。

 2⃣避難行動計画(タイムライン)の普及
 自治体ごとに、雨量予測に応じた避難開始時刻を明確化し、住民が自分の家のリスクに応じて先手で避難できる体制を整える。

 3⃣訓練と地域ネットワーク
 年1回の避難訓練だけでなく、地域単位での避難経路確認や高齢者支援の仕組みづくりを常態化する。特に高齢化率が高い地域では、物理的インフラよりも人的ネットワークのほうが被害軽減に寄与する場合が多い。

 4⃣情報伝達の多重化
 防災行政無線だけでなく、スマホ通知、SNS、地域放送、ボランティアの戸別訪問など、複数の手段を同時に活用することで「情報の取りこぼし」を防ぐ。



③. 法制度の課題と展望

 現在の日本の都市計画や土地利用制度は、基本的に「被害を受けないこと」を前提に作られている。しかし、現実には被害ゼロは達成できない。したがって、法制度の思想そのものを転換する必要がある。

・水害常襲地での新規建築制限:現行の都市計画法や建築基準法を改正し、一定リスク以上の区域では新築住宅や公共施設の建設を制限する。

・災害適応型都市計画:洪水や高潮に適応した街区構造(高台移転、空間利用の変更)を長期計画に組み込む。

・補償と移転支援制度の拡充:住民が安心して危険地から移転できるよう、土地買い上げや補償を制度化する。


 これらは財政負担や住民の合意形成という難題を伴う。洪水災害に限らず地震災害を考えた時でも液状化リクすの大変高い土地、津波被害が予測される沿岸地域に対して、指定を厳しくし移住を促す法案が出そうになっても、土地所有者や不動産業者などが猛反発し立ち消えになったことが何度あったことか。しかしこれは、気候変動の影響が確実に強まる今、避けては通れない議論である。

 今回の九州豪雨というものは、雨量そのものの想定も然ることながら、都市機能が如何に歯が立たないか思い知らされた。
 ハザードマップは万能ではなく、土木構造物も無敵ではない。
 100年に一度の雨が数年おきに来る時代、私たちは水害を完全に防ぐことはできない。それは敗北ではなく、自然の規模に対する現実認識だ。

 これから必要なのは、被害を受けても命を守り、迅速に回復できる社会の構築だ。水を敵視するのではなく、共に暮らし、その力を受け流す都市と暮らしの形を探らざるを得ない。
 オランダのことわざに「神は世界を創ったが、オランダを創ったのはオランダ人だ」というものがある。彼らは水を完全に防ごうとはせず、水と折り合いをつける文化を築いてきた。日本もまた、その道を歩む時が来ているのではあるまいか?

 治水はもはや土木技術者だけの仕事ではない。政治家、都市計画家、建築家、地域住民、そして私たち一人ひとりが、その形を決める当事者だ。土木工学、英語ではcivil engineering、よくいったものだ。
 洪水ゼロという幻想は手放さざるを得ない。水と共にある未来を設計する覚悟こそ、これからの防災社会の出発点になるのではあるまいか?


 なんかふわっとした結論ですみません。

《創作》寝取られ幽霊 第2話 地獄巡り 上

8836 Burma 1944


  明晰夢とはこういうものの事を言うのだろう。蓮はそう思いながら、眼前に展開される、物語、なんだろうか、ある男、って、ぶっちゃけさっき目の前に現れた、自称守護霊、曾祖父だという坂本清彦の生涯を早回しで見せられていた。何倍速?


 九州帝国大学の医学部を出て、地元熊本の古田病院に勤務。のちに、それはそのまま知らされた曾祖母となる山岸春江を娶り、一男をもうける。

 そのふたりの間に生まれた男の子、蓮にとっては祖父にあたる清志郎が建て替えたのが現在の蓮の実家で、その建て替え前の家の縁側で、まだ2歳か3歳の清志郎が、清彦の膝で「とうちゃ」と甘えていたのが酷く印象に残った。


 招集、というより従軍と言うべきか、清彦は56師団の軍医としてビルマ、ミイトキイナに赴任していた。秩父出身ながら筑紫炭鉱で炭鉱夫見習いをしていた18師団の若い上等兵、大沢辰造を弟のように気にかけていたのだが、18師団の居残りになるほどの負傷をしたため、内地に返すこともできず、ずっとミイトキイナに留め置きになっていた。面倒を見ていた清彦もまた、1944年の7月末まで、辰造の面倒を見るために、ミイトキイナに居残っていたわけである。



 穴は浅かった。濡れた土は重く、シャベルは半ば柄が折れていた。

  それでも清彦と佐久間は黙々と穴を掘り続けた。大沢辰造はまだまだ漸く傷が塞がったところで、この後のことを思えば、ここで体力を使わせるわけにもいかず、横に荷物を持って立たされていた。


 強い雨だった。葉を打つ音が重なり、音の境界が消える。

  穴のそばには、一枚の破れた毛布に包まれた遺体が横たえられていた。


 石塚軍曹。

  数日前からマラリアにうなされ、水も口にせず、今朝方、息を引き取った。


 遺書もなければ、家族のことも何も語らなかった。

  ただ、写真らしいものを一枚、濡れた包みの中に忍ばせていたのみだった。


 「……石塚軍曹、失礼します」


 坂本が目を閉じて一礼し、佐久間がそっと毛布の端をかぶせた。

  誰も泣きはしなかった。泣けるほどの体力も、涙も残っていない。



 土を戻す音だけが、雨音に混ざって、静かに続いた。


 土をかぶせ終えたあと、しばし誰も動かなかった。

  静寂のなか、清彦が両手を合わせて口を開く。


 「……南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」

  低く、短く、それだけ。

 佐久間がちらりと目を動かし、仕方なさそうに続けた。

  「……南無妙法蓮華経……なんまみょうほうれんげきょう……」

 少し間が空いて、大沢も慌てたように手を合わせる。

  「……南無大師遍照金剛……」

 妙な沈黙が落ちた。三人、それぞれ微妙に目を合わせかけ、そらした。

  誰も口にしなかったが、心のどこかで「ん?」という思いはあった。

 「……ま、気持ちだけでもな」

  と、誰かがぼそりと漏らし、他の二人はうなずきもしなかった。

 それ以上は何も言わず、再び雨の音に沈んだ。



 突然、甲高い声が響いた。


 「――整列ッ!」


 反射で数名の兵が体を起こした。何人かは顔をしかめた。

  声の主は、あの栗山曹長だった。一言で言えば、嫌われ物の上官。かつてはよく怒鳴り、下士官相手に威を張り、食料の配分をめぐって口論を繰り返した男。それでいて、上役には媚びへつらい、下士官たちにはうっすら軽蔑されていたのだが。


 その栗山曹長、その立ち姿にはいつもにはない、静けさと緊張感があった。


 「坂本伍長、佐久間軍曹、大沢一等兵、前へ!」


 三名が静かに前へ出る。栗山は一歩進み、鋭く叫んだ。


 「敬礼ッ!」


 全員の右手が、一瞬、揃って額へと上がる。

 背後から足音。栗山が振り返り、一歩下がって姿勢を正す。


 水上少将が現れた。軍帽の庇の奥から鋭く光る眼差し。泥と疲労にまみれた軍服の上に、なお将官の風格があった。


 「……石塚軍曹の埋葬は終わったか。…貴官らが殿となった。本陣地より移動を命ずる。」


 それだけを口にすると、少将は三名の顔を順に見た。

 「栗山曹長、準備は?」

 「はっ。包帯、モルヒネ、乾パン一日分、弾薬三装填分。すでに配備済みです」


 少将はうなずいた。


 「坂本伍長、貴官に命ず。佐久間軍曹、大沢一等兵とともに、南方突破を実行せよ。

  敵前線を避け、後方陣地との連絡を図れ。……我らの記録と意志を、生かして届けよ」


 沈黙が落ちる。

 やがて坂本が、少将に向かってゆっくりと敬礼を返す。それに倣って、佐久間と大沢も静かに腕を上げた。


 栗山が再び前に出る。


 「なおれ!」


 三人の手が下がる。


 「――右、向けェ、右ッ!」


 三名の身体が揃って、東方のジャングルへと向き直る。湿った風が、倒れかけた遮蔽物の布を揺らした。


 「行軍、始め!」


 張り上げた声で言った後、栗山は呟いた。声は、誰にも届かぬほど小さかった。


 「……命令は、俺が出した。もし帰れたら、そう伝えろ」


 坂本は振り返らなかった。

 ただその背だけが、過去を背負い、密林へと消えていく。



  誰も声をかけなかった。足音も、枝のきしむ音も、やがて風に紛れて消えた。全員が、しばらくその方角を見ていた。だが、やがて一人、また一人と視線を落とす。


 そして、その直後だった。


 ――乾いた銃声が、一発。

 それから少し間をおいて、もう一発。


 音は遠く、だが明瞭だった。風が一筋、遮蔽物の布を静かに揺らす。


 誰も何も言わなかった。ただ、そこにいた者たちの背筋が、いくらか正された。



 夜明けと共に、三つの影が音もなく木々の隙間を縫うように進んでいた。

  空は鉛色。雲は重く垂れ込め、密林の奥まで湿った光が差し込んでいる。土はすでにぬかるみ、足元には無数の棘を孕んだツルや、濡れ落ち葉の層が積もる。呼吸を抑えながら、一歩ごとに脚を運ぶ。それでも、湿った空気が喉を焼くようにまとわりついた。


 先頭を行くのは坂本清彦。伍長。軍医部所属、医師をしているときに徴兵されたが正式な軍医ではない。かろうじて衛生兵としての訓練を受けただけの、いわば“臨時”の命を背負う者だった。

  彼の後を追うのは佐久間秀幸。軍曹。坂本と同じくらいか幾分若くで、軍医補佐として中隊の後方に常駐していたが、ミートキーナの崩壊後は逃げ延びる仲間を選ぶ暇などなかった。かつての整然とした陣形は、もう存在しない。

  最後尾、大沢辰造。一等兵。19歳。初年兵として合流してからわずか4ヶ月、階級章もまだ洗い立てのように白く、負傷の予後ではあったが無言の背中に必死でついている。


 銃を構えることなく、だが常に二手先を警戒しながら、彼らは歩いた。坂本は手信号で前方の茂みを指し示し、佐久間が一歩踏み込み、枝をかき分けて進む。大沢は振り返ることもなく背を守る。言葉は交わさない。声は死を呼ぶ。


 水を含んだ蔦が脚に絡む。蒸した泥が靴に食いつく。全員の装備は最小限に削られ、銃と弾薬、乾パン少量、そして包帯とモルヒネ。食料も医薬品もすでに配給は絶えて久しい。


 坂本はこの方向を選んだ。南東へ。ジャングルの尾根筋を伝ってバモーへ向かう。生きている部隊がいるかもしれない。彼らは誰からも命じられていないが、自分たちが戻らなければこの敗走の記録さえ残らない。

  それが、脱出前に水上少将から託された唯一の言葉でもあった。


 空が完全に明るくなった頃、三人は小さな沢を越えた。川幅はわずか一間。だが深さはある。佐久間が先に膝まで浸かって渡り、対岸で待つ。大沢が続き、最後に坂本。木の枝を杖にして体を支える。苔が滑る。慎重に、音を立てないように。

 そのとき、微かに何かの気配がした。

  佐久間の指が止まった。すぐに右手を下げて地面に伏せる動作。坂本と大沢も即座に従う。


 静寂。密林の息づかいだけが周囲を包む。

 その中に、革靴が濡れ枝を踏む乾いた音が一つ。さらに、小さく囁くような声。中国語だ。

  斥候部隊か。向こうも慎重に動いている。銃声はない。接敵距離が近い。目視すれば終わりだ。

  三人は泥に沈むように地面へ身体を預けた。全身の筋肉が緊張で硬直する。鼻腔に泥の匂いが満ちる。目の前を、三人編成の中国兵がゆっくりと通り過ぎていった。

  顔を見ずとも、肩にかけた装備と銃の形状で分かる。軽装の偵察隊。だが機関銃を背負っていた。発見されたら、逃げ場はない。


 やり過ごすまで、呼吸を止めるほどの時間が流れた。ようやく音が遠のくと、佐久間が小さく頷いて再び立ち上がった。

 坂本も無言で頷く。斥候がこのエリアを使っている。ということは、このルートは補給路か、監視線上にある。別の尾根筋へ移動しなければならない。

 東へ数百メートル迂回し、再び南下する道を選び直す。


 午後に入り、雨が降り出した。最初は、密林の葉が微かに擦れる音だけだった。葉の上に溜まった雫が一つ、また一つと滴り落ち、それが地面の泥を打つ。匂いは、急に濃くなる。湿った土に、腐りかけた落ち葉の甘酸っぱい匂い、どこか遠くで咲いている花のむせ返るような香りが混ざる。雨粒が頬や首筋に触れるたび、ひやりとした感覚と、すぐにぬるくなる温度変化が肌を這った。


 三人は樹幹を縫いながら進む。足元の泥は、踏み込むたびに吸い付くように靴底を離さない。ぐっ、という重たい音とともに靴が引き抜かれるたび、泥が糸を引く。そこに細かい砂が混じり、指でこするとざらついた感触が残る。ときおり、足首にまとわりつくように細い蔦が巻きつき、それを手でほどくと、生温い水滴が掌を伝った。


 山の背をひとつ越えたあたりで、前方の竹藪から銃声が裂けた。乾いた破裂音が木霊し、すぐ近くの土がぱちりと跳ねた。反射的に三人は伏せた。耳の奥に、銃声の余韻がいつまでもこびりつく。雨音の層が、その上に薄く積もる。


 狙われている。胸の奥で心臓が一拍ごとに熱を持つ。姿は見えない。だが射手の位置は、葉の揺れ方と音の方向で分かった。坂本は右の潅木に滑り込もうとした瞬間、左脚膝に衝撃を感じた。石をぶつけられたような鈍い衝撃の直後、焼けるような痛みが遅れて押し寄せる。視界の端が赤く滲む錯覚があった。


 佐久間が無言で駆け寄り、坂本の腰の包帯を引きちぎって膝の上を縛る。指先は迷いなく動き、結び目が一瞬で締まる。その手は血と雨で滑っていたが、力強かった。大沢は背後を警戒し、反対側の斜面への退避を合図する。


 膝の痛みは脈打つたびに鋭くなり、坂本は歯を食いしばって立ち上がる。佐久間の肩を借りて斜面を下りる。泥と落ち葉が滑り台のように身体を押し出し、腕で幹を掴むたびに、樹皮の湿った匂いと、そこにこびりついた苔の匂いが鼻を満たした。


 銃声は追ってこない。奇襲ではなかったのか、それとも威嚇か。だが油断はできない。雨脚は強まり、視界の輪郭が白くにじむ。


 やがて三人は樹の陰に身を寄せ、坂本の脚を改めて確認した。弾は膝のすぐ下をかすめ、骨は砕かれていない。それでも歩行は難しい。雨水が包帯に染み込み、血と混ざって暗い色を帯びていく。


 今夜は移動できない。三人は、根元の開いたバナナの木の下に潜り込んだ。葉が幾重にも重なり、上から落ちる雨粒が葉を叩く音が、太鼓のように低く響く。下は湿った土で、手をつくと、指の間からぬるりとした冷たさが這い上がってくる。


 匂いは濃い。土、葉、雨、そして自分たちの汗と血の匂い。湿気が肺にまとわりつき、息を吸うたび、ぬるい空気が喉を擦る。遠くで何かが鳴いた。甲高い悲鳴のような声。鳥か猿か、あるいは人か、判別がつかない。すぐにまた別の音――葉がかすかにこすれる音。風か、それとも何かが移動しているのか。


 三人は声を出さずに耳を澄ました。時間が伸びる。音の一つ一つが、雨粒と同じくらい輪郭を持ち始める。水滴が落ちる音、葉の先から落ちる雫が泥に吸い込まれる音、湿った蔦が風で揺れるときの軋み。背後で大沢が息を呑む気配があったが、すぐに静まった。


 その夜は眠れなかった。まぶたを閉じても、音と匂いと湿気が、全ての感覚を塞いでくる。


 熟睡していたわけではない。三人とも、体は横たえていても意識は泥の底を漂うように重く、時折浮かび上がってはまた沈む。耳の奥で雨音が形を変える。遠雷のように響くかと思えば、次の瞬間には誰かの囁き声に聞こえた。その囁きの調子が、柳屋金語楼の軽口に似ていると一瞬思い、清彦は自分でも訳の分からない苦笑をこぼす。すぐにその笑みは引っ込み、今度は長谷川伸の浪曲の節回しが、湿った匂いと共に脳裏を過ぎった。夢と現実の境が曖昧になる。薄闇の中で、葉の影が人影に見え、幹の割れ目が眼のように光った気がした。胸の奥で不安が脈打ち、呼吸は浅く速くなる。ふとした気配にまぶたが開く。雨を背負って立ち並ぶ複数の影――囲まれていた。




2025年8月8日金曜日

AIによるマネタイズ大作戦・・・?  2

  創作物をマネタイズできないか?という話から、実際にどうやって「仕事」にしていくか、ChatGPTと相談しつつ考えてみた記録、の続き。


 マネタイズっていうか、この辺でなんとか仕事を得ようと思っているのだが、どうなんかなぁ? ChatGPT、ほめ殺し気味にオレをおだててくるけれど、本当にそのような質をオレの創作物が持っているものやら?


 んで、いよいよ、お金をいただきます、と言う段階って、すごくハードル高く感じるわけですよ。誰かが作ってくれた仕組みに則ったわけではないところで。


 大きく3本道筋を考えている。


 1.ChatGPTを参謀にして、個人創作で勝負する

  → noteやブログで連載、無料公開からのマネタイズへ。


 2.ネット・ハロワ経由で、実務の現場に触れる

  → 執筆系や制作補助などの実地訓練を狙う。


 3.Webデザイナー等の研修を受講する

  → 技術を身につけて、安定収入も選択肢に入れる。




 一つ目のChatGPTを相棒にして、という事に関して、ざっと前項で選択肢を示してくれた。

 文章を、もっと書いて、完成させて、というところからだなと思う。書きかけがいっぱいあるんすよ。


 二つ目、三つ目は、それはそれでちゃんとスケジューリングしてこなしていきましょう。今週末、親父の四十九日の法要があるから、それが終わってからだな。それらもネタにしていく。


 ではここから、前項のChatGPTとのダイアログの続きを。


Me:

 ”小説・戯曲・脚本の販売”について、想定しているジャンル、一通り無料で公開したのちのほうがいいかな?


ChatGPT:

 結論から言うと、はい、「一通り無料で公開したのち」にマネタイズに移るのは、非常に有効な戦略です。特にナカヤマさんのように、ジャンルが複数にまたがり、文体や構成力で勝負するタイプの創作家には向いています。


無料公開→マネタイズ戦略が有効な理由


1. 読者との信頼構築


 無料で読めるからこそ、新規読者が気軽に入ってこれる。

 その中で「この人の作品は質が高い」と思わせれば、次作・続編・設定資料などで自然に課金される。


2. 評価・レビューの蓄積


 ●カクヨム、note、pixivなどで評価やコメントがつくと、それ自体が「信用」「宣伝」になる。


 ●書籍化や商業オファーへの足がかりにもなる。


3. 「無料分だけでも濃密」という印象が残る


 ●読者は「ただの試し読み」ではなく、「この人の世界観をしっかり見られた」と感じる。


 ●結果、有料でも買う動機になる。




 実行プラン(段階的マネタイズ)

段階やること目的
第1段階主要作品ジャンルを無料公開(カクヨム・note)読者層の開拓・反応確認
第2段階関連資料・設定・制作秘話を有料記事化コアファンからのマネタイズ
第3段階完全新作を有料頒布/書籍化/PDF販売収益化・読者育成の成果活用
第4段階相談サービスや創作指南などの提供知識・ノウハウの収益化

ナカヤマさんに向いている「無料公開→マネタイズ」の例

作品タイプ無料部分有料部分
歴史劇脚本全話公開解説・人物相関図・演出ノート
戦後史を描く小説第一部+人物紹介第二部(家系・因縁編)/電子書籍版
異世界幻想物語冒頭〜中盤まで終盤+設定資料集
設定資料集一部キャラのみ世界観+系譜まとめPDF(有料DL)



具体的な注意点


 ●無料=価値がないと思わせないこと

  → 見せ方・構成・更新ペースを丁寧にすることで「本気度」が伝わる。


 ●連載で引っ張りすぎない

  → 読者を疲れさせない範囲で、一つのまとまりを無料で完結させると信頼度UP。


 ●読者とのコミュニケーションは積極的に

  → コメント返信・進捗報告で「距離感の近い作者」になれる。



 ご希望あれば、ナカヤマさんの具体的な作品構想に応じて「どこまでを無料で出し、どこからマネタイズすべきか」具体的に線引きしてご提案も可能です。





 これまで、HTMLのタグで、しこしこホームページを作っていたころから28年、やがて30年。やりたいことをやりたいようにやってきただけだったので、正直「コアなファン」など・・・いないんじゃないかな? アカン。ちょっとダウナーになってきた。


 とりあえずだ、「連載で引っ張りすぎない」というのと「読者とのコミュニケーションは積極的に」はちゃんとやっとかないと、だな。もう、これまで書きっぱなしだったし。


 となれば、これまで、確かにビュー数は気になっていたが、コメントとか就くようにしていかないとダメか。まぁ、ぼちぼちだな。ビュー数、コメントの取り方、やりながら色々考えていこう。そっか、その前に記録か。


 逆に、どの時点から有料化するか? 今のままなら、別に無くても、いや、あってもなくても。たまたま読んでみた、程度だろう。これがオレの書いた物でも楽しみにしてくださっている方がいる、と、実感できてから、ということなんだろうが、追い追いだな。


 ChatGPTとのダイアログ、もう少し。




Me:


 紙媒体の時代なら文学賞への応募とかあったと思うが?


ChatGPT:


 おっしゃる通りです。かつて(というか今も一部では)文学賞は、「無名でも作品一本で世に出られる」数少ない登竜門でした。紙媒体の時代は特に、


 ●文芸誌(群像、すばる、新潮など)


 ●公募系(太宰治賞、三島由紀夫賞、芥川賞の登竜門である新人賞類)


 が主流でした。



いま現在の文学賞の立ち位置(2025年)

 現代においても文学賞は健在ですが、「賞に頼らない別のルート(ネット発)」が増えたため、以前ほど一択ではなくなっています。ただし、ナカヤマさんのように重厚な構成力・背景設定・歴史観を持つ書き手には、今でも文学賞ルートは非常に有力な道のひとつです。



 実行プラン(段階的マネタイズ)

段階

やること

目的

第1段階

主要作品ジャンルを無料公開(カクヨム・note)

読者層の開拓・反応確認

第2段階

関連資料・設定・制作秘話を有料記事化

コアファンからのマネタイズ

第3段階

完全新作を有料頒布/書籍化/PDF販売

収益化・読者育成の成果活用

第4段階

相談サービスや創作指南などの提供

知識・ノウハウの収益化


ナカヤマさんに向いている「無料公開→マネタイズ」の例

作品タイプ

無料部分

有料部分

歴史劇脚本

全話公開

解説・人物相関図・演出ノート

戦後史を描く小説

第一部+人物紹介

第二部(家系・因縁編)/電子書籍版

異世界幻想物語

冒頭〜中盤まで

終盤+設定資料集

設定資料集

一部キャラのみ

世界観+系譜まとめPDF(有料DL)



賞に応募するメリット


 ●社会的信頼・箔がつく(特に純文学系)


 ●編集者から直接声がかかる可能性


 ●他の収益化(書籍化・映像化)への道が開く


 ●選評による改善点の発見


 ●同じ文脈を理解する読者に届く


 賞に応募するデメリット・注意点


 ●審査期間が非常に長い(半年~1年)


 ●同時応募禁止の賞も多く、拘束力がある


 ●選外だと何も残らない(フィードバックなしが基本)


 ●テーマ性が明確でないと選ばれにくい




ナカヤマさんの場合の方針案


 1.「応募用」作品は明確に切り出す

  → 例:新田修一編のような現代的テーマを「家庭と復讐」に絞って中編化し、太宰治賞や文學界新人賞に応募。


 2.他の作品(蓮や幻想戯曲など)はネットでファン育成・販売

  → 並行して世界観・キャラ・読者を構築。


 3.作品の厚みを活かした「設定資料」や「舞台脚本」を副収入化

  → BOOTHやnoteなど。



具体的アクション(やるなら)


 ●作品を1つピックアップ(たとえば「戦後を背負った男の断罪劇」など)


 ●文字数調整(2~5万字にまとめる)


 ●締切チェック(太宰治賞は例年12月末)


 ●テーマの明文化(何を描くか? なぜこの物語でなければならないか?)




「賞に送る候補作を、今書いている中で選びたい」「このプロット、どの賞向け?」などあれば、こちらで見定め・調整のお手伝いもできます。


 などとChatGPTは言ってくれてはいるが、今は文学賞には手を出す時期ではないか。いずれ、どうする? それも含め、まず、ネットでオレはどれほどのものか見極める必要がある。それに、あまり賞には今のところ執着はない。



 今はまだ、見てくれている誰かがいる実感はない。

それでも、まず書いてみようか。書いたら記録する。公開して、反応を見る、と。


 ……さて、この道、どこまで行けるものやら?