2023年9月18日月曜日

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NT0033,0034 一連のジャニー喜多川こと、喜多川擴(ひろむ)による、所内での権力をかさに着た、未成年タレントに対する性加害の問題に関し 3

 1.ジャニーズ事務所や被害者がこの先どうなるかは、それほど興味がない。


 -①この問題とジャニーズ(事務所、タレント)自体への認識

 -②今回の事務所の対応について 被害者達について


2.マスメディアが、一連の喜多川擴の所業に目をつむり、特に、2003年の東京高裁の文春との訴訟の判決を黙殺してしまったことこそ、一連のこの件に関して、最も問題視するべきものであると考える。


3.BBCの番組に今回の事は端を発しているが、今までいなかった仕掛け人の存在を感じる。


 この3点について、ダラダラ書いていくことにする。



 またしても、古く据えた臭いをはなつようなダメな権力社会構造(のひとつ)は、外圧にしよってしか変わらなかった、と思ってしまうと、わずかに憂鬱な気分になるが、切実に何かを変えたいとき、もう、この国の野党的なものは全くあてにできない現状に、外圧を動かすという選択肢をとる者も現れてもおかしくないのではないか、と、ふと思った。


 そういえば、と、考える。なぜ、アメリカ系のメディアではない、イギリスのBBCだったんだろう? アメリカにはジャニーズは強いコネクションがあると聞いたことがある。喜多川擴自身アメリカに住んでいたこともあるそうだ。となれば、そこのメディア関係者を相手にしていたら、「計画」が漏れてしまう、そう考えたか?


 まだまだ、今までのこの方面の動きとは結構違う事があったことに気づく。


 イギリスメディアであったが、外国メディアであったからこそ、一連の喜多川擴性加虐疑惑が都市伝説レベルの信ぴょう性から一気に真実味を加えることに成功した。外国のメディアという事もあったかもしれないが、日本のメディアであっても断言する(当然裏付けをしっかりとって)ということが大事ということが分かる。

 黙殺はできない。SNSでの拡散。この段階ではしかし日本のメディアは反応しないが、外国人記者クラブで被害者が会見を行う。そろそろ日本のメディアも無視できない状況になる。

 そして日本記者クラブでの会見。


 注目するのは、これらの記者会見で、被害者が、揃いの印象の標準的なスーツにネクタイで登場していること。例えば北公次氏などわずかに残るインタビュー記事等を見るに、如何にも芸能人っぽいというか、要するにチャラい格好でインタビューを受けている。一般に向けて何かを訴えたいとき、どちらの格好の人の言葉がより受け取りやすいか?


 これらが、結構短期間に電撃的に行われたこと。

 時間があれば、ネットの書き込み仕出し何かを利用したジャニーズ側の反撃もあったことだろう。無くはなかったが、組織化され、確実にヘッドクオーターがいるような感じで、結構な数のしかし無駄がない反撃というのが未だなされていない。喜多川擴は目先が利いた人であったようであるから、存命だったら、事が起こる前から、そういう事への準備もやっていたかもしれないが、


 よりによって、2023年のこの時期である。中枢にいたはずの滝沢何とか君が抜けるなど離脱が相次ぎ、ジャニーズ事務所は内部の引き締めに手一杯で、BBCの報道から始まるこの動きに反応しきれなかった。ネットの書き込み仕出しの用意もままならなかった。


 まるで何かの実験、検証を見ているような気分である。


 安倍晋三の、知っている人は知っていた統一教会とのずぶずぶ、というのと、喜多川擴の性加虐、知っている人は知っていたが、多くの場合都市伝説レベルのたわごとと捉えられていたり、そもそも知らなかったりというところで、相似である。


 安倍晋三と統一教会のつながり、初期には、これまであったファクトを並べるだけで、かなり追い詰めることができたが、やがて統一教会という一つの団体であるから組織だった、それに付随する形でネトウヨ、ネット仕出しによる反撃が始まる。論点をずらす、安倍晋三の功績を称えるというやり方。統一教会の事は正面から反論しない。

 一方追い落とそうとする側、これまでの統一教会の所業という手札、数はあったが、それだけ。組織だった戦略も何もない。個々が得意げにそれを披露していただけ。やがて、統一教会の追い落としから、被害者、二世信者の救済の方に論点がずらされていき、野党が国会でそれを持ち出した時点で、あ、負けたな、と思った。実際国葬何ていうものをまんまとされて、負けは確定した。


 あの時俺と同じように感じていた人がいて、あの時の失敗、こうしたらよかったんじゃないか? なんて考えたりして。そういう人物が今回の事を、これから何かをする為の実験なのか、自分なりに何かの落とし前をつけたいのか、それは分からないが、実際にそういう人物がいたのだとしたら、心から「お見事!」と言わせていただくことにする。

 ま、この先どうなるかはわからないがね。以前のように何もなかったように、ジャニーズ事務所が復活してしまう可能性も、まだ十分ある。

 



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NT0031,0032 一連のジャニー喜多川こと、喜多川擴(ひろむ)による、所内での権力をかさに着た、未成年タレントに対する性加害の問題に関し 2

 1.ジャニーズ事務所や被害者がこの先どうなるかは、それほど興味がない。


 -①この問題とジャニーズ(事務所、タレント)自体への認識

 -②今回の事務所の対応について 被害者達について


2.マスメディアが、一連の喜多川擴の所業に目をつむり、特に、2003年の東京高裁の文春との訴訟の判決を黙殺してしまったことこそ、一連のこの件に関して、最も問題視するべきものであると考える。


3.BBCの番組に今回の事は端を発しているが、今までいなかった仕掛け人の存在を感じる。


 この3点について、ダラダラ書いていくことにする。



 オレがこの問題についてジャニーズ事務所や被害者をさておき、一番問題視し糾弾されるべきのはマスメディアであると考えている。


 彼らのスタンダードでは、これが後ろ盾が特になければ頂点にいる芸能人であっても、覚せい剤や不倫と言った醜聞があれば徹底的に叩く。2,3か月、連日その報道をして芸能人として再起不能まで追い込むはずのところだ。

 喜多川擴(ひろむ)は、芸能人でこそなかったが、芸能界で最も影響力のある人物であり、その人物の性犯罪が裁判所で事実であると認定されたならば、芸能界は天地がひっくり返る。


 2003年の東京高裁での文春との名誉棄損を争った裁判で、文春の主張する未成年タレントへの性加虐が事実と認定され、翌年最高裁への上告が棄却されて確定する。民事裁判であり刑事裁判ではない。被害者が訴えれば刑事事件になり得たのかもしれない。そう望んだ被害者もいたのかもしれないが圧力がかかり出来なかったのかもしれない。一切が分からない。

 何しろ、これを伝えたのは、大手メディアでは新聞のベタ記事のみ。テレビは一切報じなかった。あれ程の影響力、権力を持った人物の所業を、である。


 まぁ、ジャニーズ事務所がタレントの出演決定権を盾に、メディアをコントロールしていたのは有名話ではあるが、他にもメディアへの圧力のかけ方は幾通りもあったことだろう。しかし容易にそれに屈してしまった、その過程を明らかにし、関係者が全て偽りのない証言をし、「再発防止策」が本当に必要なのは、ジャニーズ事務所ではなく、マスメディアではなかろうか?


 戦争の時のメディアの挙動について、それほど詳しいわけではないが、権力に付和雷同というのが、当時の挙動そのままという言を見たことがある。だとしたら、当事者ではないオレにとっては、変態爺の性犯罪よりも余程深刻な問題である気がしてしかたない。


 仮に、2003年時点、一社一局の現場でジャニーズに反旗を振りかざすことを決めたとする。理は我にある、というのが大きな強味。しかし、ジャニタレは一斉に引き上げられてしまう。視聴率は下がるが、このころ、ボチボチ聞かれるようになっていたコンプライアンスという言葉、CMのクライアントはどうするか? 2005年から2020年までネスレの社長をなさっていた高岡浩三氏は、喜多川擴の性癖について知っていて、社長在任中はCMには決してジャニタレを起用することはなかったというが、他の企業ならばどうしたことだろう?

 いや世論がジャニーズに対してどんなスタンスをとったことだろうか? 好ましくないまでも、許容してしまうのか? 今ほど厳しく当たることはなかったか? 企業のCMもそれによるだろう。


 それが男子であっても未成年性虐待絶対ダメ、という規範が強くなった今でこそ、野火のようにジャニーズ批判は広まったが、2003年当時判断を保留しなくてはいけないということが多々あったように思う。そして、この判断保留でできた時間の空白に、ジャニーズ側の反撃がある。あらゆる場面で自己アピールをしてきたことだろう。それで、まぁ、仕方ないんじゃない、そこまで厳しくしなくて良いんじゃない、とぐすぐすになり告発側は負けた可能性が結構ある。単に自分たちだけでもちゃんと報道するというのはだめかもしれない。ちゃんと多局多メディア横断的にキャンペーンを張れなくては。タレント出演決定権はジャニーズにあっても放送権はテレビ局が有している。それはなされなかった。マスメディアの再発防止策を考えるなら、その辺の機構上の問題の洗い出しも必要なのかもしれぬ。


 そ書いていて気が付いた。マスメディアの問題は別として、特にこの時代、判断保留、しかも、それでもちゃんと判断する前提で自分からその為の材料を集めるわけではない、他人の動向を見て自分の身のふりを決める的な判断保留は、社会にとって害毒になり得るのではないか?


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NT0028~0030 一連のジャニー喜多川こと、喜多川擴(ひろむ)による、所内での権力をかさに着た、未成年タレントに対する性加害の問題に関し 1

  一連のジャニー喜多川こと、喜多川擴(ひろむ)による、所内での権力をかさに着た、未成年タレントに対する性加害の問題に関し、


1.ジャニーズ事務所や被害者がこの先どうなるかは、それほど興味がない。


 -①この問題とジャニーズ(事務所、タレント)自体への認識

 -②今回の事務所の対応について 被害者達について


2.マスメディアが、一連の喜多川擴の所業に目をつむり、特に、2003年の東京高裁の文春との訴訟の判決を黙殺してしまったことこそ、一連のこの件に関して、最も問題視するべきものであると考える。


3.BBCの番組に今回の事は端を発しているが、今までいなかった仕掛け人の存在を感じる。


 この3点について、ダラダラ書いていくことにする。



 喜多川擴の少年に対する性嗜好とそれ起因するトラブルは、今回の事でネットでいろいろ見ていくうちに、ジャニーズ事務所が開設される1965年のほんの少し前に始まり、死ぬ直前の2010年台半ばまで続いたとされる。そんな昔から?! 訴訟で前た後のそんな時期まで?! 驚くよね、さすがにそれは。


 しかし、喜多川爺の性犯罪自体については、ジャニーズのファンでは断じてないこのオレが知っていたくらいのものだから、多く知られている事だと思っていた。実際、被害者の会の告発があった時も、その前のBBCの番組が世に出た時も、「うん、知ってた」という反応がそれなりにあったのだから、そのはずなんだが、思いのほかその数は少ない。ジャニヲタと呼ばれるような女性ファン、熱烈なコアファンから、普通に、ジャニーズの○○クンいいよね、っていってそうなゆるくジャニタレが好きだった層まで、が、しかし、案外このことを知らない。承知しないでファンをやっていたようだ。推しのダークサイドには目を瞑るのが流儀なんだろうか?


 しかし、オレが爺の所業を知ることになった、北公次氏の告発本が出た時も、糾弾されることはなく、芸能界は、普通の社会とは違う流儀で流れているのかもしれない、と、思うようになっていた。


 結果的に、っていうか最初から知っていたけれど、いる場所からしても容姿からしてもジャニタレ達とは別の生き物であるオレだから、爺がオレに覆いかぶさってくる心配など全くない、以上に、別世界の話のような感覚ではあったが、しかし、北公次告発本以前より、薄っすらとジャニーズ事務所とタレントには嫌悪感があった。オレに限らず当時の世の男性、男子の一定割合以上はそうであったように思う。


 片岡義男氏の「夕陽に赤い帆」という短編集だったと思うが、こういうのがあった。

 場所はある晴れた午後の高原の別荘の一室。テレビがついている。が、部屋には誰もいない。

 テレビでは男性アイドルグループのコンサートの生中継で、グループのメンバーは多忙なためヘリコプターで直接ステージに乗り込むという演出。しかしヘリコプターは着陸せず上空でホバリング。そこから、一人一人アイドルグループのメンバーが突き落とされるという話。テレビの中継のアナウンサー以外のセリフは一切ない。最初はそれも演出と思われていたが、がちの殺人シーンに会場はすぐに阿鼻叫喚、というところでその短編は終わっていた。

 アイドルグループとはビートルズのようなバンド系ではなく、ジャニーズのアイドルを思わせるようなそれであった。

 片岡氏にすれば、この短編について訊かれれば、苦笑しながら「若気の至りだった」というのだろうが、まぁ、そうなれば痛快だろうな、と思って書かれたと思って間違いないと思う。斯くの如く、ジャニーズ的なものへ嫌悪というは存在していたはずだ、絶対に。


 嫉妬のようなものより何より、北公次告発本以前、1965年の訴訟沙汰もそれなりに広まっていたことではあったからのようだ。

 おっさん→爺が少年に襲い掛かる絵図を悍ましい、と感じることは不自然ではないはずだ。


 かつてはそれすらとんでもなかったが、今日的基準で言うならば同性愛というもの自体はあり、ということになっている。しかし、それが「未成年に対し」、「非合意、またはパワハラ的状況で」行われたことが、まず直接的に問題視されていることであり、


 延いては、少女たちが熱を上げる陳列された商品が、実は爺の食べ残しであった、という、詐欺ではないのだろうが、芸能事務所として顧客(ファン)に対して極めて不誠実な姿勢を、言葉にはされていないようだが、ネガティブなイメージになっている、そういう事があるに違いない。


 しかし、オレの「許す-許さない」をここにかぶせる気にもなれない。問題が明らかになる前より、彼らが存在していることは、薄っすらイヤだったんだが、ファンの人も多きことだろうし、オレの所のタイムラインにさえ現れてくれなければそれでいいや、と思っていたし、これからもそう。



 喜多川擴が存命でない以上、件の「謝罪会見」もそんなに意味がある用には思えない。他の「謝罪会見」や「国会の証人尋問」と同じように、中身などあるように思えなかったし。


 喜多川擴が存命で、彼の社会的立場がリアルタイムにズタズタになるのを見ることができたならば意味があったかもしれないが、残った小悪党どもが、如何に困ろうが、如何に切り抜けようが・・・、いや、意味がないことはないのか。ある事のケースの研究としてかんさつしていくことは、ひょっとしたら意味があるかもしれない。


 今後ジャニーズ事務所が、消滅しようが、存続し様がどうでもいい。ただ、うちのfacebookやXなどのタイムラインに、オレが視たいなどちっとも思わないもない彼らのどうでもいい日常に関する記事が、並ぶことがなければそれでいい。



 被害者の方々に対しては、そっか、変態爺に掘られちゃったんだね、お気の毒に、以上の事は思えない。精神的苦痛に対する賠償をもとめるとかなんとかについては、まぁ、うまく分捕れたらいいね、とは思っても、特に応援する気も支援する気もなし。


 被害者に名乗り上げた人たちに限らず、ジャニタレに限らず、そして、ファンもそうだけど、本当にあなたたちは、喜多川擴の性嗜好の話や、ジャニーズ事務所の内部の話、知らずにいたのか?

 ジャニタレの皆さん、一生そこにいるのか、程々で独立するのか、引退するのか、先のことなどわからないだろうけれど、若い人生の大事な時間を過ごすところがどんなところか、事前に調べよう、知ろうとしなかったのか? それは親、家族に対しても同様の疑問。


 高尚な表現を目指して行くところじゃないだろう、ジャニーズ事務所は。女の子にモテたい、あわよくば美人芸能人と懇ろになりたいという動機で門を叩いた少年たちがほとんどだと思う。そこで目がくらんでいて、これでは、同情もそれほど湧いてこない。まぁ、残念だったな、の一言ぐらいは行ってあげても良い。


 正直、喜多川擴の性癖が、2004年、裁判で負けても収まっていなかったのが驚きではあるが、その爺も存命でなく、東山紀之氏が実は、何て言う疑惑はあるものの、ここまで騒ぎが大きくなれば、「再発防止策」なんていう「謝罪会見」につきものの常套句等必要であるとは思えない。

 ジャニーズ事務所がつるし上げられている、という事実以外、細かいことは本当にどうでもいい。そして、つるし上げているという事実、誰が、何を求めて、そして、このことがこの社会にどんな影響を及ぼすかが大事であって、本当に事務所も被害者もどうなったってオレとしては構わないのだ。


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2023年9月10日日曜日

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NT0026、NT0027 読書ノート「アウトサイダー」/ コリン・ウィルソン 1-2

 

 心を、精神をどう拗らせていくのか? そしてそんなことを考えるとき、原因きっかけは何であったかを考えてしまうのは、この章、アンリ・バルビュスの「地獄」の主人公をアウトサイダーとカテゴライズするならば、アウトサイダーになってしまうことは避けなくてはいけない事、となってしまう。

 まぁ、実際にだ、こういう心持でずっといるというのは本人的に非常に厄介で、常に狂気の沙汰と紙一重の気の休まらない日々を過ごすことになる。


 以下、コリン・ウィルソン氏がひねり出しそれを中村保男氏が翻訳したものなのか、その前にフランス語でアンリ・バルビュス氏が紡いだ言葉をコリン・ウィルソン氏が英訳しまとめて、それをさらに中村保男氏が和訳したものかはわからないが、「地獄」の主人公の思考に見られる「アウトサイダー」の特徴を列挙してみる。


〇「人目につかぬ片隅の壁穴」


〇「わたしは、あまりに深く、あまりに多くを見通す」


〇「才能もなく、達成すべき使命もなく、これと言って伝えるべき感情もない。わたしは何も所有せず、何物にも値しない、が、それでもなお、何らかの償いをわたしは欲する。」


〇「哲学の論議にしても、わたしには無意味としか思われない。何も試すことはできず、何も立証することはできない。真理とはいったい何を言うのか?」


〇「死、それこそは、あらゆる観念の中でも最も重大なものだ」


 これだけ読んでも、いや原書原文、それをまるっと翻訳した全文を読んでも、多くの人には、一体何を言ってるのかさっぱりわからないだろう。もっともかなり不穏なものは何となく感じるだろうが。しかし、これだけで反応できる人は、どう言うわけか出来てしまうので始末が悪い。


〇「アウトサイダー」は、自分が見たことを真理と感じている。


 釈迦牟尼だったか、とにかくその系統、仏教の偉い人が言ったような言葉で、忘我の境地とか、執着を捨てるとか、そういう感じの言葉、教えがあるけれど、捨てるべきは、こういうものなのかな? と、一瞬感じたりもする。


 まぁ、現代の、特にビジネス本何かの構成では、一番先に方向をかなりはっきり示して、最初からそこへぐいぐい牽引していくのが常套手段だが、コリン・ウィルソン氏と来た日にゃ、第一章からこういうアウトサイダーを美化するなんてとんでもない、神経障碍持ちとかなんとか、結構扱いが酷い。読者がそちらへ何となく流れていくことを許さないから、ちょっと読みづらくて仕方ない。


 こういう心持の人間を、特に90年代あたりから、適応障碍などと、病のようにいうようになって、オレは文学や哲学の敗北を感じたのだと、前に書いたかな? 書いたよね?

 薬の処方である程度何とかなってしまうようなものらしい。しかし、それが信じられない。そういうものとして存在し続けるしかないのではないか? 薬の処方ではなく、別の出口があるんじゃないか? 今でもそう思っているのだ。



How do we calm our hearts and minds? And when I think about this, I think about what was the cause and trigger, but if we classify the main character of this chapter, Henri Barbus's ``Inferno,'' as an outsider, then we must avoid becoming an outsider. It has become something I cannot do without.

Well, actually, being in this kind of mindset for a long time is extremely troublesome for me, and I end up spending restless days that are always on the edge of insanity.


The following is probably something that Colin Wilson came up with and then translated by Yasuo Nakamura.Prior to that, Colin Wilson translated the words in French by Henri Barbus into English, summarized them, and then translated them into English by Yasuo Nakamura. I don't know if it was translated into Japanese, but I will list the characteristics of an ``outsider'' that can be seen in the thoughts of the main character in ``Hell.''


〇"A hole in the wall in a hidden corner"


〇 “I see too deep and too much.”


"I have no talent, no mission to accomplish, no feelings to convey. I own nothing, am not worthy of anything, and yet I desire some kind of redemption. ”


〇 “Even a philosophical discussion seems to me to be meaningless. Nothing can be tested, nothing can be proven. What exactly is truth?”


"Death is the most important of all ideas."


Even if you read this much, or even if you read the original text or the entire translated text, many people will probably have no idea what you're saying. Most of all, it feels quite disturbing. However, people who can react to this alone are in trouble because they somehow end up doing it.


〇 “Outsiders” feel that what they see is the truth.


There are words and teachings that are said by Shakyamuni or some other great Buddhist figure, such as a state of trance or abandonment of attachment, but I wonder if these are the things we should abandon. ? I felt that for a moment.


Well, in modern times, especially in the structure of business books, it is customary to indicate a very clear direction at the beginning and then lead the reader in that direction from the beginning, but on the day I came with Colin Wilson, It's outrageous to be glorifying an outsider like this from the first chapter, like someone with a neurological disorder or something, and it's a pretty harsh treatment. It doesn't allow the reader to drift in that direction, so it's a bit difficult to read.


I've written before that, especially since the 1990s, people with this kind of mentality have started to be referred to as maladjusted, like a disease, and I feel like literature and philosophy have failed. You wrote it, right?

It seems like it can be managed to some extent with a prescription of medicine. But I can't believe it. Isn't there no choice but to continue to exist as such? Isn't there another way out other than prescription medicine? I still think so.



Comment pouvons-nous calmer nos cœurs et nos esprits ? Et quand je pense à cela, je pense à ce qui en a été la cause et le déclencheur, mais si nous classons le personnage principal de ce chapitre, « L'Enfer » d'Henri Barbus, comme un étranger, alors il faut éviter de devenir un outsider, c'est devenu quelque chose dont je ne peux plus me passer.

Eh bien, en fait, rester longtemps dans ce genre d'état d'esprit est extrêmement gênant pour moi, et je finis par passer des journées agitées, toujours à la limite de la folie.


Ce qui suit est probablement quelque chose que Colin Wilson a imaginé puis traduit par Yasuo Nakamura. Avant cela, Colin Wilson a traduit les mots français d'Henri Barbus en anglais, les a résumés, puis les a traduits en anglais par Yasuo Nakamura. Je ne sais pas s'il a été traduit en japonais, mais je vais énumérer les caractéristiques d'un « étranger » qui peuvent être vues dans les pensées du personnage principal de « L'Enfer ».


〇"Un trou dans le mur dans un coin caché"


〇 "Je vois trop profondément et trop."


"Je n'ai aucun talent, aucune mission à accomplir, aucun sentiment à transmettre. Je ne possède rien, je ne suis digne de rien, et pourtant je désire une sorte de rédemption."


〇 "Même une discussion philosophique me semble dénuée de sens. Rien ne peut être testé, rien ne peut être prouvé. Qu'est-ce que la vérité exactement ?"


"La mort est la plus importante de toutes les idées."


Même si vous lisez autant de choses, ou même si vous lisez le texte original ou l'intégralité du texte traduit, de nombreuses personnes n'auront probablement aucune idée de ce que vous dites. cela seul est en difficulté parce qu'ils finissent par le faire.


〇 Les « étrangers » estiment que ce qu’ils voient est la vérité.


Il y a des mots et des enseignements qui sont prononcés par Shakyamuni ou par une autre grande figure bouddhiste, comme un état de transe ou un abandon de l'attachement, mais je me demande si ce sont des choses que nous devrions abandonner. ? J'ai ressenti cela pendant un moment.


Eh bien, dans les temps modernes, en particulier dans la structure des livres d'affaires, il est d'usage d'indiquer une direction très claire au début, puis de guider le lecteur dans cette direction dès le début, mais le jour où je suis arrivé avec Colin Wilson, c'est scandaleux. glorifier un étranger comme celui-ci dès le premier chapitre, comme quelqu'un qui souffre d'un trouble neurologique ou quelque chose du genre, et c'est un traitement assez dur. Cela ne permet pas au lecteur de dériver dans cette direction, donc c'est un peu difficile à lire.


J'ai déjà écrit, surtout depuis les années 1990, on commence à qualifier les personnes ayant ce genre de mentalité d'inadaptées, comme une maladie, et j'ai l'impression que la littérature et la philosophie ont échoué.

Il semble que cela puisse être géré dans une certaine mesure avec une prescription de médicaments. Mais je n'arrive pas à y croire. N'y a-t-il pas d'autre choix que de continuer à exister en tant que tel ? N'y a-t-il pas une autre issue que la médecine sur ordonnance ? Je le pense toujours.



Wie beruhigen wir unser Herz und unseren Geist? Und wenn ich darüber nachdenke, denke ich darüber nach, was die Ursache und der Auslöser war, aber wenn wir die Hauptfigur dieses Kapitels, Henri Barbus‘ „Inferno“, als Außenseiter einstufen, dann Wir müssen vermeiden, ein Außenseiter zu werden. Es ist zu etwas geworden, ohne das ich nicht mehr auskommen kann.

Tatsächlich ist es für mich äußerst belastend, über einen längeren Zeitraum in dieser Denkweise zu verharren, und am Ende verbringe ich unruhige Tage, die immer am Rande des Wahnsinns sind.


Das Folgende stammt wahrscheinlich von Colin Wilson und wurde dann von Yasuo Nakamura übersetzt. Zuvor übersetzte Colin Wilson die französischen Wörter von Henri Barbus ins Englische, fasste sie zusammen und übersetzte sie dann von Yasuo Nakamura ins Englische. I don Ich weiß nicht, ob es ins Japanische übersetzt wurde, aber ich werde die Merkmale eines „Außenseiters“ auflisten, die in den Gedanken der Hauptfigur in „Hölle“ zu sehen sind.


〇„Ein Loch in der Wand in einer versteckten Ecke“


〇 „Ich sehe zu tief und zu viel.“


„Ich habe kein Talent, keine Mission zu erfüllen, keine Gefühle zu vermitteln. Ich besitze nichts, bin nichts wert und dennoch wünsche ich mir eine Art Erlösung.“


〇 „Selbst eine philosophische Diskussion scheint mir bedeutungslos zu sein. Nichts kann getestet, nichts bewiesen werden. Was genau ist Wahrheit?“


„Der Tod ist die wichtigste aller Ideen.“


Selbst wenn Sie so viel lesen, oder selbst wenn Sie den Originaltext oder den gesamten übersetzten Text lesen, werden viele Leute wahrscheinlich keine Ahnung haben, was Sie sagen. Vor allem fühlt es sich ziemlich verstörend an. Aber Leute, die darauf reagieren können Allein diese sind in Schwierigkeiten, weil sie es am Ende irgendwie schaffen.


〇 „Außenstehende“ haben das Gefühl, dass das, was sie sehen, die Wahrheit ist.


Es gibt Worte und Lehren, die von Shakyamuni oder einer anderen großen buddhistischen Persönlichkeit gesagt werden, wie zum Beispiel ein Zustand der Trance oder das Aufgeben von Anhaftungen, aber ich frage mich, ob das die Dinge sind, die wir aufgeben sollten. ? Das habe ich einen Moment lang gespürt.


Nun ja, in der heutigen Zeit, insbesondere in der Struktur von Wirtschaftsbüchern, ist es üblich, am Anfang eine ganz klare Richtung anzugeben und den Leser dann von Anfang an in diese Richtung zu führen, aber an dem Tag, an dem ich mit Colin Wilson kam, war das unverschämt Einen Außenseiter wie diesen vom ersten Kapitel an zu verherrlichen, etwa jemanden mit einer neurologischen Störung oder so, und das ist eine ziemlich harte Behandlung. Es erlaubt dem Leser nicht, in diese Richtung abzudriften, daher ist es etwas schwierig zu lesen.


Ich habe schon früher geschrieben, dass Menschen mit einer solchen Mentalität vor allem seit den 1990er Jahren als unangepasst, wie eine Krankheit, bezeichnet werden, und ich habe das Gefühl, dass Literatur und Philosophie versagt haben. Du hast es geschrieben, oder?

Es sieht so aus, als könne man es einigermaßen mit einem Medikamentenrezept in den Griff bekommen. Aber ich kann es nicht glauben. Gibt es keine andere Wahl, als als solches weiterzuleben? Gibt es nicht einen anderen Ausweg als ein verschreibungspflichtiges Medikament? Das denke ich immer noch.



¿Cómo podemos calmar nuestros corazones y nuestras mentes? Y cuando pienso en esto, pienso en cuál fue la causa y el desencadenante, pero si clasificamos al personaje principal de este capítulo, el "Infierno" de Henri Barbus, como un outsider, entonces debemos evitar convertirnos en un outsider, ya que se ha convertido en algo de lo que no puedo prescindir.

Bueno, en realidad, estar en este tipo de mentalidad durante mucho tiempo es extremadamente problemático para mí y termino pasando días inquietos que siempre están al borde de la locura.


Lo siguiente es probablemente algo que se le ocurrió a Colin Wilson y luego lo tradujo Yasuo Nakamura.Antes de eso, Colin Wilson tradujo las palabras en francés de Henri Barbus al inglés, las resumió y luego las tradujo al inglés por Yasuo Nakamura. No sé si fue traducido al japonés, pero enumeraré las características de un "forastero" que se pueden ver en los pensamientos del personaje principal de "Infierno".


〇"Un agujero en la pared en un rincón escondido"


〇 “Veo demasiado profundo y demasiado”.


"No tengo talento, ni misión que cumplir, ni sentimientos que transmitir. No soy dueño de nada, no soy digno de nada y, sin embargo, deseo algún tipo de redención".


〇 "Incluso una discusión filosófica me parece carente de sentido. Nada puede ser probado, nada puede ser probado. ¿Qué es exactamente la verdad?"


"La muerte es la más importante de todas las ideas".


Incluso si lees tanto, o incluso si lees el texto original o el texto traducido completo, muchas personas probablemente no tendrán idea de lo que estás diciendo. Sobre todo, se siente bastante inquietante. Sin embargo, las personas que pueden reaccionar ante solo esto están en problemas porque de alguna manera terminan haciéndolo.


〇 Los “forasteros” sienten que lo que ven es la verdad.


Hay palabras y enseñanzas dichas por Shakyamuni o alguna otra gran figura budista, como el estado de trance o el abandono del apego, pero me pregunto si estas son las cosas que deberíamos abandonar. Lo sentí por un momento.


Bueno, en los tiempos modernos, especialmente en la estructura de los libros de negocios, es costumbre indicar una dirección muy clara al principio y luego guiar al lector en esa dirección desde el principio, pero el día que vine con Colin Wilson, es indignante. Glorificar a un outsider como este desde el primer capítulo, como alguien con un trastorno neurológico o algo así, y es un trato bastante duro. No permite que el lector se desvíe en esa dirección, por lo que es un poco difícil de leer.


He escrito antes que, sobre todo desde los años 1990, las personas con este tipo de mentalidad han empezado a ser consideradas inadaptadas, como una enfermedad, y siento que la literatura y la filosofía han fracasado. Tú lo escribiste, ¿no?

Parece que se puede solucionar hasta cierto punto con prescripción médica, pero no lo puedo creer. ¿No queda más remedio que seguir existiendo como tal? ¿No hay otra salida que no sea la prescripción médica? Todavía lo creo.



我們怎樣才能平靜我們的心靈呢?當我思考這個問題時,我會思考原因和触發因素是什麼,但如果我們將這一章的主角亨利·巴布斯的《地獄》歸類為局外人,那麼我們必須避免成為局外人,這已經成為我離不開的東西。

嗯,其實,長期處於這樣的心態對我來說是非常麻煩的,我的日子過得不安穩,總是處於瘋狂的邊緣。


以下內容可能是科林·威爾遜想出的,然後由中村康夫翻譯的。在此之前,科林·威爾遜將亨利·巴布斯的法語單詞翻譯成英語,進行總結,然後由中村康夫將其翻譯成英語。我不知道不知道有沒有翻譯成日文,但我會列出《地獄》中主角的思想中可以看到的“局外人”的特徵。


〇“隱蔽角落裡的牆上的洞”


〇“我看得太深、太多了。”


“我沒有才華,沒有使命要完成,沒有感情要傳達。我一無所有,不值得任何東西,但我渴望某種救贖。”


〇“在我看來,即使是哲學討論也毫無意義。沒有什麼可以被檢驗,沒有什麼可以被證明。真理到底是什麼?”


“死亡是所有想法中最重要的。”


即使你讀了這麼多,或者即使你讀了原文或整個譯文,很多人可能也不知道你在說什麼。最重要的是,這感覺很令人不安。但是,能夠反應的人僅此一項就有麻煩了,因為他們最終以某種方式這樣做了。


〇“外人”覺得自己看到的就是事實。


釋迦牟尼或其他一些偉大的佛教人物說過一些話和教義,比如出定狀態或放棄執著,但我想知道這些是不是我們應該放棄的東西。?我有一瞬間這麼覺得。


嗯,在現代,特別是商業書籍的結構中,習慣上是在開頭就指明一個非常明確的方向,然後從一開始就把讀者引向那個方向,但是我和科林·威爾遜一起來的那天,這太離譜了從第一章就這麼美化一個局外人,比如神經病什麼的,處理得相當嚴厲,不讓讀者往那個方向走,所以讀起來有點困難。


我以前寫過,尤其是20世紀90年代以來,有這種心態的人開始被稱為不適應,像一種疾病,我感覺文學和哲學都失敗了。你寫的吧?

看來靠處方藥可以在一定程度上解決問題,但我不敢相信,難道就只能繼續這樣存在了嗎?除了處方藥之外,難道就沒有別的出路了嗎?我仍然這麼認為。



Hur lugnar vi våra hjärtan och sinnen? Och när jag tänker på detta tänker jag på vad som var orsaken och triggern, men om vi klassificerar huvudpersonen i detta kapitel, Henri Barbus ``Inferno,'' som en outsider, då vi måste undvika att bli en outsider, det har blivit något jag inte kan vara utan.

Tja, faktiskt, att vara i den här typen av tänkesätt under en lång tid är extremt besvärligt för mig, och det slutar med att jag tillbringar rastlösa dagar som alltid är på gränsen till galenskap.


Följande är förmodligen något som Colin Wilson kom på och sedan översatte av Yasuo Nakamura. Dessförinnan översatte Colin Wilson orden på franska av Henri Barbus till engelska, sammanfattade dem och sedan översatte dem till engelska av Yasuo Nakamura. I don Jag vet inte om den har översatts till japanska, men jag kommer att lista egenskaperna hos en "outsider" som kan ses i huvudpersonens tankar i "Helvetet".


〇"Ett hål i väggen i ett gömt hörn"


〇 "Jag ser för djupt och för mycket."


"Jag har ingen talang, inget uppdrag att utföra, inga känslor att förmedla. Jag äger ingenting, är inte värd någonting, och ändå önskar jag någon form av inlösen."


〇 "Till och med en filosofisk diskussion förefaller mig vara meningslös. Ingenting kan testas, ingenting kan bevisas. Vad är egentligen sanning?"


"Döden är den viktigaste av alla idéer."


Även om du läser så mycket, eller till och med om du läser originaltexten eller hela den översatta texten, är det förmodligen många som inte har någon aning om vad du säger. Framför allt känns det ganska störande. Men människor som kan reagera på bara detta är i trubbel eftersom de på något sätt gör det.


〇 "Outsiders" känner att det de ser är sanningen.


Det finns ord och läror som sägs av Shakyamuni eller någon annan stor buddhistisk figur, såsom ett tillstånd av trance eller övergivande av bindning, men jag undrar om det är dessa saker vi borde överge.? Jag kände det för ett ögonblick.


Tja, i modern tid, särskilt i strukturen av affärsböcker, är det vanligt att ange en mycket tydlig riktning i början och sedan leda läsaren i den riktningen från början, men den dagen jag kom med Colin Wilson, Det är skandalöst att glorifiera en outsider så här från första kapitlet, som någon med en neurologisk störning eller något, och det är en ganska hård behandling.Det låter inte läsaren glida åt det hållet, så det är lite svårt att läsa.


Jag har skrivit innan det, speciellt sedan 1990-talet, människor med den här typen av mentalitet har börjat omtalas som missanpassade, som en sjukdom, och jag känner att litteratur och filosofi har misslyckats.Du skrev det, eller hur?

Det verkar som att det till viss del går att hantera med recept på medicin.Men jag kan inte tro det.Finns det inget annat val än att fortsätta existera som sådan?Finns det ingen annan utväg än receptbelagd medicin? Det tycker jag fortfarande.



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2023年9月9日土曜日

8103 Impulse(Piazza) Turbo

 

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8102 深田恭子_8

 

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NT0024、NT0025 読書ノート「アウトサイダー」/ コリン・ウィルソン 1-1 バクシーシ山下氏とか北方謙三氏とか

 

 まずは、発掘したコリン・ウィルソンの「アウトサイダー」1957年出版、これは何刷目のものかはわからない、である酷くボロボロなオレの蔵書の状態を見ていただく。

 わ、目次ねぇや。尻拭いたんかなぁ。などと。






 これを書くにあたって思い出したことがある。政治学科の後輩でもあったガールフレンドがゼミで読むのだと、しかしよりによって、この本かと思いながら、まぁ、貸しても良かったんだが、売る本探す、と、二人して京都中の古本屋回って、この本探したことがある。すると、なんと、驚愕の事実! この本、実はハードカバーがあったのだ。彼女はいまもこの本もってるんだろうか? まぁ、どうでもいいけどね。


 それはそれとして、第一章、アンリ・バルビュスという作家の「地獄」という小説を取り扱っている。何十年ぶりか読み返すたびに、当時思ってたこと、バクシーシ山下氏かカンパニー松尾氏か。チョコボール向井氏ではなかったと思う。多分バクシーシ山下氏だったはず、と思い、確認するために検索したら、画像のトップ、高校の同級生の釣埼清隆君との対談のスナップ、二人が並んで写っている写真が出てきて、吹いた。

 あぁ、釣埼、君はそう奴だったよ。

 大学入って、最初に住んだのは、京都の南の端の向島。とても治安が良さげな所とは言えない場所だった。何しろ100年前は巨椋池という巨大な水たまりの水の底で、陸地になってから住みついた人たちも・・・って。まぁ、今はかなりその辺改善されて、九龍城並みのスラムだった団地も明るい感じになったのだと聞くが。

 その片隅にあった、その時は前の道舗装すらされていないようなところの書店でなぜか「オレンジ通信」というアダルトビデオ紹介誌のライター欄を立ち読みしていた。なぜ、そんなページを選んで立ち読みしてたんだろう?とにかくそのライター紹介欄で釣埼清隆の名前を見つけたのさ。お前、慶応行ったんじゃなかったのか? まぁ、大学行きながらアルバイトなのかもしれないが。


 って、釣崎の事はこの際いいんだよ。バクシーシ山下氏が確か、「キン〇マ軽くしときゃ、この世の7割方の悩みなんて消えてなくなるんだよ」みたいなことを行ってたような気がしていたので、実際どう言っていたのか確認するためだったが、それらしき大昔の言葉出てこなかった。

 似たような言葉で、北方謙三氏の「ソープへ行け」っていうのもあるな。


 ひどく乱暴な言い方であるが、まぁとにかく、万全とは言わないまでも、然るべき時期、なるべく早いうちに、性生活が充足されていれば、割とその後のぐじゃぐじゃした感情は回避できる。かなりの確率で確かであるように思う。

 逆ベクトルで言えば、性的な部分で虐げられることなく全ての女性が思ったような王子様と結ばれることができるなら、フェミニズムなんて生まれなかったかもね。

 まぁ、どちらにしても、それらはちょっと考えれば理論的に不可能であることはすぐわかるんだが。


 最も必要なときに、性生活性衝動を充足満たされなくて、問題がそれだけで済まなくなり、っていう話ではあると思う。


 言ってみれば、アンリ・バルビュスの「地獄」というのは、田山花袋から先ごろ亡くなった西村賢太氏に続く、私小説と言っていい。作家は負の感情を原稿用紙、またはキーボードに叩きつける。読み手は疲労感とか何か名状しがたい暗い気持ちのお裾分けを、しかし、喜んでいただいているのだから、私小説を読む行為というのも、なかなかマゾヒスティックな所業であるのかもしれない。


 それぞれが全く別の個別の物語であるから、文字通り私小説なんだが、その中でついつい類型的なものを考えたり、自分と似ている又は同じものを感じ、重い気持ちになったり、明らかに自分とは違うところを見出し、なぜか安心してしまったり。


 なぜかね、その時のぐじゃぐじゃな感情をちゃんと刮目して見定めよ、と、ゴーストが囁いたりするんだが、まぁ、そんな感じで読み進めていく。



First of all, I would like you to take a look at the state of my very dilapidated book collection, Colin Wilson's ``The Outsider,'' published in 1957, but I don't know what edition it is.

Wow, there's a table of contents. I wonder if I wiped my ass. etc.


I remembered something when writing this. My girlfriend, who was also my junior in the Department of Political Science, was going to read this book in a seminar, so I thought it was this book, but I could have lent it to her, but the two of us went to used bookstores all over Kyoto, looking for a book to sell. I've been looking for this book. Then, what a surprising fact! This book actually had a hardcover. Does she still have this book? Well, it doesn't matter.


That being said, the first chapter deals with the novel ``Inferno'' by a writer named Henri Barbus. Every time I read it again for the first time in decades, I think back to what I thought at the time: Mr. Bakshishi Yamashita or Mr. Company Matsuo. I don't think it was Chocoball Mukai. I thought it was probably Mr. Bakshishi Yamashita, so I searched to find out and found the top image, a snapshot of his conversation with his high school classmate Kiyotaka Tsurisaki, and a photo of the two of them side by side. blew.

Ah, Tsurisaki, you were that guy.

The first place I lived after entering university was Mukojima, the southern tip of Kyoto. It was not a very safe place. After all, 100 years ago, people lived at the bottom of a huge puddle called Ogura Pond, after it became land... Well, I hear that things have improved quite a bit now, and the housing complex that used to be a slum like Kowloon City has become brighter.

In the corner of the bookstore, the road in front of which wasn't even paved at the time, I found myself browsing the writer section of an adult video introduction magazine called ``Orange Tsushin.'' Why did you choose such a page to browse? Anyway, I found Kiyotaka Tsurisaki's name in the writer introduction section. Didn't you go to Keio? Well, I might be working part-time while going to university.


Well, Tsurisaki is fine at this point. I had the impression that Mr. Bakshishi Yamashita was saying something like, ``If you lighten up a bit, 70% of the worries in this world will disappear,'' so I'd like to confirm what he actually said. However, I couldn't find any such ancient words.

A similar phrase is Kenzo Kitakata's ``Go to the soap.''


It's a very rough way to say it, but in any case, even if it's not perfect, if you have a satisfying sex life at the appropriate time, as early as possible, you can avoid the messy feelings that come afterward. I think that's pretty likely.

To put it in the opposite direction, if every woman could marry the prince she wanted without being sexually oppressed, feminism might never have been born.

Well, either way, if you think about it a little, you'll quickly realize that it's theoretically impossible.


I think the problem goes beyond just not being able to satisfy your sexual urges when you need it most.


In other words, Henri Barbus's ``Hell'' can be said to be a personal novel, following on from Tayama Hanabukuro and the recently deceased Kenta Nishimura. Writers tap their negative emotions onto manuscript paper or keyboards. However, since the reader enjoys the feeling of exhaustion and other dark feelings that cannot be described, the act of reading a personal novel may be quite a masochistic act.


Each story is a completely different and individual story, so it is literally a personal novel, but I often find myself thinking about similar things, feeling things that are similar or the same as myself, and feeling heavy, or clearly feeling like myself. I found something different about it, and for some reason I felt relieved.


For some reason, the ghost whispers to me to take a closer look and assess my confusing emotions at that moment, but that's how I read on.



Tout d'abord, j'aimerais que vous jetiez un coup d'œil sur l'état de ma collection de livres très délabrée, « The Outsider » de Colin Wilson, publié en 1957, mais je ne sais pas de quelle édition il s'agit.

Wow, il y a une table des matières. Je me demande si je me suis essuyé le cul. etc.


Je me suis souvenu de quelque chose en écrivant ceci : ma petite amie, qui était aussi ma junior au Département de sciences politiques, allait lire ce livre lors d'un séminaire, alors j'ai pensé que c'était ce livre, mais j'aurais pu le lui prêter, mais Nous sommes allés tous les deux dans des librairies d'occasion partout à Kyoto, à la recherche d'un livre à vendre. Je cherchais ce livre. Ensuite, quel fait surprenant ! Ce livre avait en fait une couverture rigide. Est-ce qu'elle a toujours ce livre ? Eh bien , cela n'a pas d'importance.


Ceci étant dit, le premier chapitre traite du roman « L'Enfer » d'un écrivain nommé Henri Barbus. Chaque fois que je le relis pour la première fois depuis des décennies, je repense à ce que je pensais à l'époque : M. Bakshishi Yamashita ou M. Company Matsuo. Je ne pense pas que ce soit Chocoball Mukai. Je pensais que c'était probablement M. Bakshishi Yamashita, alors j'ai cherché pour le savoir et j'ai trouvé l'image du haut, un instantané de sa conversation avec son camarade de lycée Kiyotaka. Tsurisaki, et une photo d'eux deux côte à côte.

Ah, Tsurisaki, tu étais ce type.

Le premier endroit où j'ai vécu après mon entrée à l'université était Mukojima, la pointe sud de Kyoto. Ce n'était pas un endroit très sûr. Après tout, il y a 100 ans, les gens vivaient au fond d'une immense flaque appelée l'étang d'Ogura, après que celui-ci soit devenu terre. .. Eh bien, j'ai entendu dire que les choses se sont un peu améliorées maintenant et que le complexe d'habitations qui était autrefois un bidonville comme Kowloon City est devenu plus lumineux.

Dans le coin de la librairie, dont la route n'était même pas pavée à l'époque, je me suis retrouvé à parcourir la section écrivain d'un magazine d'introduction vidéo pour adultes appelé « Orange Tsushin ». Pourquoi avoir choisi une telle page. Pour parcourir ? Quoi qu'il en soit, j'ai trouvé le nom de Kiyotaka Tsurisaki dans la section d'introduction de l'écrivain. N'êtes-vous pas allé à Keio ? Eh bien, je travaille peut-être à temps partiel tout en allant à l'université.


Eh bien, Tsurisaki va bien à ce stade. J'avais l'impression que M. Bakshishi Yamashita disait quelque chose comme : « Si vous vous détendez un peu, 70 % des soucis dans ce monde disparaîtront », alors j'aimerais pour confirmer ce qu'il a réellement dit, mais je n'ai pas trouvé de mots aussi anciens.

Une phrase similaire est « Allez au savon » de Kenzo Kitakata.


C'est une façon très dure de le dire, mais de toute façon, même si ce n'est pas parfait, si vous avez une vie sexuelle satisfaisante au moment opportun, le plus tôt possible, vous pouvez éviter les sentiments désordonnés qui surviennent par la suite. Très probablement.

Dans le sens inverse, si chaque femme pouvait épouser le prince qu’elle voulait sans être sexuellement opprimée, le féminisme n’aurait peut-être jamais vu le jour.

Bon, de toute façon, si vous y réfléchissez un peu, vous vous rendrez vite compte que c’est théoriquement impossible.


Je pense que le problème va au-delà du simple fait de ne pas pouvoir satisfaire vos pulsions sexuelles lorsque vous en avez le plus besoin.


En d'autres termes, « l'Enfer » d'Henri Barbus peut être considéré comme un roman personnel, à la suite de Tayama Hanabukuro et de Kenta Nishimura, récemment décédé. Les écrivains transcrivent leurs émotions négatives sur du papier manuscrit ou sur des claviers. Cependant, comme le lecteur aime le sentiment d'épuisement et autres sentiments sombres qui ne peuvent être décrits, l'acte de lire un roman personnel peut être un acte assez masochiste.


Chaque histoire est une histoire complètement différente et individuelle, c'est donc littéralement un roman personnel, mais je me retrouve souvent à penser à des choses similaires, à ressentir des choses qui sont similaires ou identiques aux miennes, et à me sentir lourde, ou clairement à me sentir moi-même. J'ai trouvé quelque chose de différent et, pour une raison quelconque, je me suis senti soulagé.


Pour une raison quelconque, le fantôme me murmure de regarder de plus près et d'évaluer mes émotions confuses à ce moment-là, mais c'est ainsi que j'ai continué à lire.



Zunächst möchte ich Sie bitten, einen Blick auf den Zustand meiner sehr heruntergekommenen Büchersammlung „The Outsider“ von Colin Wilson aus dem Jahr 1957 zu werfen, aber ich weiß nicht, um welche Ausgabe es sich handelt.

Wow, da gibt es ein Inhaltsverzeichnis. Ich frage mich, ob ich mir den Arsch abgewischt habe. usw.


Als ich das schrieb, fiel mir etwas ein: Meine Freundin, die auch meine Juniorin im Fachbereich Politikwissenschaft war, wollte dieses Buch in einem Seminar lesen, also dachte ich, es wäre dieses Buch, aber ich hätte es ihr leihen können, aber Wir gingen beide zu Antiquariaten in ganz Kyoto und suchten nach einem Buch zum Verkauf. Ich habe nach diesem Buch gesucht. Was für eine überraschende Tatsache! Dieses Buch hatte tatsächlich ein gebundenes Buch. Hat sie dieses Buch noch? Naja , es spielt keine Rolle.


Das erste Kapitel befasst sich jedoch mit dem Roman „Inferno“ eines Schriftstellers namens Henri Barbus. Jedes Mal, wenn ich ihn zum ersten Mal seit Jahrzehnten wieder lese, denke ich an das zurück, was ich damals dachte: Herr Bakshishi Yamashita oder Mr. Company Matsuo. Ich glaube nicht, dass es Chocoball Mukai war. Ich dachte, es wäre wahrscheinlich Mr. Bakshishi Yamashita, also suchte ich danach und fand das obere Bild, einen Schnappschuss seines Gesprächs mit seinem Highschool-Klassenkameraden Kiyotaka Tsurisaki und ein Foto der beiden Seite an Seite. Geplatzt.

Ah, Tsurisaki, du warst dieser Typ.

Der erste Ort, an dem ich nach meinem Studium lebte, war Mukojima, die Südspitze von Kyoto. Es war kein sehr sicherer Ort, schließlich lebten die Menschen vor 100 Jahren am Grund einer riesigen Pfütze namens Ogura Pond, nachdem diese zu Land geworden war. .. Nun ja, ich habe gehört, dass sich die Lage mittlerweile deutlich verbessert hat und der Wohnkomplex, der früher ein Slum wie Kowloon City war, heller geworden ist.

In einer Ecke des Buchladens, dessen Straße zu diesem Zeitpunkt noch nicht einmal gepflastert war, stöberte ich im Autorenbereich eines Video-Einführungsmagazins für Erwachsene mit dem Titel „Orange Tsushin“. Warum haben Sie sich für eine solche Seite entschieden? zum Stöbern? Wie auch immer, ich habe den Namen von Kiyotaka Tsurisaki im Abschnitt mit der Einführung des Autors gefunden. Bist du nicht bei Keio gewesen? Naja, vielleicht arbeite ich nebenbei, während ich zur Universität gehe.


Nun, Tsurisaki geht es zu diesem Zeitpunkt gut. Ich hatte den Eindruck, dass Herr Bakshishi Yamashita so etwas sagen würde wie: „Wenn Sie ein bisschen lockerer werden, werden 70 % der Sorgen auf dieser Welt verschwinden“, also würde ich gerne um zu bestätigen, was er tatsächlich gesagt hat. Ich konnte jedoch keine derart alten Wörter finden.

Ein ähnlicher Satz ist Kenzo Kitakatas „Go to the Soap“.


Es ist eine sehr grobe Art, es auszudrücken, aber auf jeden Fall, auch wenn es nicht perfekt ist, wenn man zum richtigen Zeitpunkt und so früh wie möglich ein befriedigendes Sexualleben hat, kann man die chaotischen Gefühle vermeiden, die danach aufkommen. Ich denke, das ist so Ziemlich wahrscheinlich.

Anders ausgedrückt: Wenn jede Frau den Prinzen heiraten könnte, den sie wollte, ohne sexuell unterdrückt zu werden, wäre der Feminismus vielleicht nie entstanden.

Nun ja, so oder so, wenn man ein wenig darüber nachdenkt, wird einem schnell klar, dass es theoretisch unmöglich ist.


Ich denke, das Problem geht darüber hinaus, dass man seinen sexuellen Drang nicht befriedigen kann, wenn man ihn am meisten braucht.


Mit anderen Worten kann man Henri Barbus‘ „Hölle“ als einen persönlichen Roman bezeichnen, der an Tayama Hanabukuro und den kürzlich verstorbenen Kenta Nishimura anknüpft. Schriftsteller tippen ihre negativen Emotionen auf Manuskriptpapier oder Tastaturen. Da der Leser jedoch Freude daran hat Wenn man ein Gefühl der Erschöpfung und andere dunkle Gefühle hat, die man nicht beschreiben kann, kann das Lesen eines persönlichen Romans ein ziemlich masochistischer Akt sein.


Jede Geschichte ist eine völlig andere und individuelle Geschichte, es handelt sich also im wahrsten Sinne des Wortes um einen persönlichen Roman, aber ich ertappe mich oft dabei, dass ich über ähnliche Dinge nachdenke, Dinge fühle, die mir ähnlich oder gleich sind, und mich schwer fühle oder mich eindeutig wie ich selbst fühle. I Ich fand etwas anderes daran und fühlte mich aus irgendeinem Grund erleichtert.


Aus irgendeinem Grund flüstert mir der Geist zu, ich solle genauer hinschauen und meine verwirrenden Gefühle in diesem Moment einschätzen, aber so lese ich weiter.



En primer lugar, me gustaría que echara un vistazo al estado de mi muy ruinosa colección de libros, "The Outsider" de Colin Wilson, publicado en 1957, pero no sé qué edición es.

Vaya, hay un índice. Me pregunto si me limpié el culo, etc.


Recordé algo al escribir esto. Mi novia, que también era mi junior en el Departamento de Ciencias Políticas, iba a leer este libro en un seminario, así que pensé que era este libro, pero se lo podría haber prestado, pero Los dos fuimos a librerías usadas por todo Kyoto, buscando un libro para vender. He estado buscando este libro. Entonces, ¡qué hecho tan sorprendente! Este libro en realidad tenía tapa dura. ¿Ella todavía tiene este libro? Bueno , no importa.


Dicho esto, el primer capítulo trata de la novela "Inferno" de un escritor llamado Henri Barbus. Cada vez que la leo de nuevo por primera vez en décadas, pienso en lo que pensé en ese momento: Sr. Bakshishi. Yamashita o el Sr. Company Matsuo. No creo que fuera Chocoball Mukai. Pensé que probablemente era el Sr. Bakshishi Yamashita, así que busqué y encontré la imagen superior, una instantánea de su conversación con su compañero de secundaria Kiyotaka. Tsurisaki, y una foto de los dos uno al lado del otro explotó.

Ah, Tsurisaki, tú eras ese tipo.

El primer lugar donde viví después de entrar en la universidad fue Mukojima, el extremo sur de Kioto. No era un lugar muy seguro. Después de todo, hace 100 años, la gente vivía en el fondo de un enorme charco llamado estanque Ogura, después de que se convirtiera en tierra. ... Bueno, he oído que las cosas han mejorado bastante ahora, y el complejo de viviendas que solía ser un barrio pobre como la ciudad de Kowloon se ha vuelto más brillante.

En la esquina de la librería, cuyo camino ni siquiera estaba pavimentado en ese momento, me encontré hojeando la sección de escritores de una revista de presentación en video para adultos llamada "Orange Tsushin". ¿Por qué elegiste esa página? ¿Para navegar? De todos modos, encontré el nombre de Kiyotaka Tsurisaki en la sección de introducción del escritor. ¿No fuiste a Keio? Bueno, podría estar trabajando a tiempo parcial mientras voy a la universidad.


Bueno, Tsurisaki está bien en este punto. Tuve la impresión de que el Sr. Bakshishi Yamashita estaba diciendo algo como: "Si te relajas un poco, el 70% de las preocupaciones en este mundo desaparecerán", así que me gustaría para confirmar lo que realmente dijo, pero no pude encontrar ninguna palabra tan antigua.

Una frase similar es "Ve al jabón" de Kenzo Kitakata.


Es una forma muy aproximada de decirlo, pero en cualquier caso, incluso si no es perfecto, si tienes una vida sexual satisfactoria en el momento adecuado, lo antes posible, puedes evitar los sentimientos desagradables que vienen después. Muy probable.

Para decirlo en la dirección opuesta, si cada mujer pudiera casarse con el príncipe que deseaba sin ser oprimida sexualmente, es posible que el feminismo nunca hubiera nacido.

Bueno, de cualquier manera, si lo piensas un poco, rápidamente te darás cuenta de que es teóricamente imposible.


Creo que el problema va más allá de no poder satisfacer tus impulsos sexuales cuando más los necesitas.


En otras palabras, se puede decir que "El infierno" de Henri Barbus es una novela personal, continuación de Tayama Hanabukuro y del recientemente fallecido Kenta Nishimura. Los escritores plasman sus emociones negativas en papel manuscrito o en teclados. Sin embargo, dado que el lector disfruta del sensación de agotamiento y otros sentimientos oscuros que no se pueden describir, el acto de leer una novela personal puede ser un acto bastante masoquista.


Cada historia es una historia completamente diferente e individual, por lo que es literalmente una novela personal, pero a menudo me encuentro pensando en cosas similares, sintiendo cosas similares o iguales a mí, y sintiéndome pesado, o sintiéndome claramente como yo mismo. Encontré algo diferente y por alguna razón me sentí aliviado.


Por alguna razón, el fantasma me susurra que mire más de cerca y evalúe mis confusas emociones en ese momento, pero así es como sigo leyendo.



首先,我想讓你看一下我的非常破舊的藏書,科林·威爾遜1957年出版的《局外人》,但我不知道它是什麼版本。

哇,有一個目錄。我想知道我是否擦過屁股等等。


寫這篇文章的時候我想起一件事,我的女朋友,也是我政治學系的大三學生,要在研討會上看這本書,所以我以為是這本書,但我本來可以藉給她的,但是我們兩個人跑遍了京都各地的二手書店,想找一本可以賣的書。我一直在找這本書。然後,令人驚訝的是,這本書居然有精裝本。她還有這本書嗎?嗯, 沒關係。


話雖這麼說,第一章是關於亨利·巴布斯(Henri Barbus)作家的小說《地獄》。幾十年來,每次我再次讀到它時,我都會回想起我當時的想法:巴克什什先生山下還是Company Matsuo先生。我不認為是Chocoball Mukai。我認為這可能是Bakshishi Yamashita先生,所以我搜索了一下,找到了最上面的圖片,是他和高中同學Kiyotaka談話的快照突崎,兩人的並肩合照炸了。

啊,津崎,你就是那個傢伙。

我進入大學後住的第一個地方是京都南端的向島,那裡並不是一個很安全的地方,畢竟100年前,人們住在一個叫小倉池的巨大水坑的底部,後來它變成了陸地。 .. 嗯,聽說現在情況已經好多了,以前像九龍城那樣的貧民窟的住宅區也變得明亮了。

在書店的角落裡,前面的路當時還沒有鋪好,我發現自己正在瀏覽一本名為“Orange Tsushin”的成人視頻介紹雜誌的作家部分。為什麼選擇這樣的頁面瀏覽?總之,我在作家介紹欄裡找到了吊崎清隆的名字。你不是去慶應義塾嗎?嗯,我可能一邊上大學一邊打工。


嗯,Trisaki在這一點上還好。我印像中Bakshishi Yamashita先生說過“如果你稍微放鬆一點,這個世界上70%的煩惱就會消失”,所以我想為了證實他到底說了什麼。但是,我找不到任何這樣的古詞。

類似的短語是喜多方賢三 (Kenzo Kitakata) 的“去肥皂劇”。


說起來很粗暴,但無論如何,即使不完美,如果你在適當的時間、儘早的擁有一次滿意的性生活,就可以避免隨之而來的亂七八糟的感覺。我想那就是很有可能。

反過來說,如果每個女人都能嫁給自己想要的王子,而不受性壓迫,女權主義可能永遠不會誕生。

好吧,無論哪種方式,如果你稍微思考一下,你很快就會意識到這在理論上是不可能的。


我認為問題不僅僅是在你最需要的時候無法滿足你的性衝動。


換句話說,亨利·巴布斯的《地獄》可以說是一部繼田山花袋和剛去世的西村健太之後的個人小說。作家們把自己的負面情緒投射在稿紙上或鍵盤上。然而,由於讀者喜歡的是疲憊感和其他無法描述的黑暗感覺,閱讀個人小說的行為可能是一種相當受虐的行為。


每個故事都是一個完全不同的個人故事,所以它實際上是一本個人小說,但我經常發現自己在思考類似的事情,感受與自己相似或相同的事情,並感到沉重,或者明顯感覺像自己。發現了一些不一樣的東西,不知為什麼我感到鬆了口氣。


出於某種原因,鬼魂低聲對我說,讓我仔細觀察並評估我當時令人困惑的情緒,但這就是我繼續讀下去的方式。



Först och främst skulle jag vilja att du tar en titt på läget för min mycket förfallna boksamling, Colin Wilsons "The Outsider", publicerad 1957, men jag vet inte vilken upplaga det är.

Oj, det finns en innehållsförteckning. Jag undrar om jag torkade mig i rumpan osv.


Jag kom ihåg något när jag skrev detta.Min flickvän, som också var min junior på statsvetenskapliga institutionen, skulle läsa den här boken på ett seminarium, så jag trodde att det var den här boken, men jag kunde ha lånat ut den till henne, men vi två gick till begagnade bokhandlar över hela Kyoto och letade efter en bok att sälja. Jag har letat efter den här boken. Sedan, vilket överraskande faktum! Den här boken hade faktiskt en inbunden bok. Har hon fortfarande den här boken? , det spelar ingen roll.


Med det sagt, det första kapitlet handlar om romanen ``Inferno'' av en författare som heter Henri Barbus. Varje gång jag läser den igen för första gången på decennier, tänker jag tillbaka på vad jag tänkte då: Mr. Bakshishi Yamashita eller Mr Company Matsuo. Jag tror inte att det var Chocoball Mukai. Jag trodde att det förmodligen var Mr. Bakshishi Yamashita, så jag sökte för att ta reda på det och hittade den översta bilden, en ögonblicksbild av hans samtal med sin gymnasieklasskamrat Kiyotaka Tsurisaki och ett foto av de två sida vid sida blåste.

Ah, Tsurisaki, du var den där killen.

Det första stället jag bodde efter att jag kom in på universitetet var Mukojima, Kyotos södra spets. Det var inte en särskilt säker plats. Trots allt, för 100 år sedan, bodde människor längst ner i en enorm pöl som heter Ogura Pond, efter att den blivit land. .. Tja, jag hör att saker och ting har förbättrats ganska mycket nu, och bostadskomplexet som brukade vara ett slumområde som Kowloon City har blivit ljusare.

I hörnet av bokhandeln, vars väg framför inte ens var asfalterad vid den tiden, fann jag mig själv och bläddrade i skribentsektionen i en videointroduktionstidning för vuxna som heter "Orange Tsushin". Varför valde du en sådan sida. Hur som helst, jag hittade Kiyotaka Tsurisakis namn i författarens introduktionssektion. Gick du inte till Keio? Tja, jag kanske jobbar deltid medan jag går på universitetet.


Nåväl, Tsurisaki mår bra vid det här laget. Jag hade intrycket att herr Bakshishi Yamashita sa något i stil med, "Om du lättar upp lite kommer 70 % av bekymmer i den här världen att försvinna", så jag skulle vilja för att bekräfta vad han faktiskt sa, men jag kunde inte hitta några sådana gamla ord.

En liknande fras är Kenzo Kitakatas "Gå till tvålen."


Det är ett väldigt grovt sätt att säga det, men i alla fall, även om det inte är perfekt, om du har ett tillfredsställande sexliv vid lämplig tidpunkt, så tidigt som möjligt, kan du undvika de röriga känslorna som kommer efteråt. Jag tror att det är Ganska troligt.

För att uttrycka det i motsatt riktning, om varje kvinna kunde gifta sig med den prins hon ville utan att bli sexuellt förtryckt, kanske feminismen aldrig hade fötts.

Nåväl, hur som helst, om du tänker efter lite kommer du snabbt att inse att det är teoretiskt omöjligt.


Jag tror att problemet går längre än att bara inte kunna tillfredsställa dina sexuella drifter när du behöver det som mest.


Med andra ord kan Henri Barbus ``Helvete'' sägas vara en personlig roman, efter Tayama Hanabukuro och den nyligen avlidne Kenta Nishimura. Författare trycker sina negativa känslor på manuskriptpapper eller tangentbord. Men eftersom läsaren njuter av känsla av utmattning och andra mörka känslor som inte går att beskriva, kan handlingen att läsa en personlig roman vara en ganska masochistisk handling.


Varje berättelse är en helt annan och individuell berättelse, så det är bokstavligen en personlig roman, men jag kommer ofta på mig själv med att tänka på liknande saker, känna saker som liknar mig själv, och känner mig tung eller tydligt som mig själv. hittade något annorlunda om det, och av någon anledning kände jag mig lättad.


Av någon anledning viskar spöket till mig att jag ska ta en närmare titt och bedöma mina förvirrande känslor i det ögonblicket, men det är så jag läser vidare.


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8098 Bimota CB750four II

 

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2023年9月6日水曜日

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NT0023 仲秋の飛騨、晩秋の信州 (The heart asks pleasure firstとStairway to Heaven) 1


  小学校5年生ぐらいからかな、中学校1年の夏までピアノを習っていた。妹がそれより前から習っていて、オレより後に習うのをやめた。妹がやってるからオレも、というわけではなかったと思うが、なんでだろ? 結構ピアノ曲で好きなのがいっぱいあったからかもしれない。まぁ、好きだったのはどれ一つ弾けずにいるけどな。


 覚えているのはピアノ相対性理論。ピアノ弾いてると、2時間ほどがほんの数分の体感時間、なんてことがあった。後にも先にもそうそう何かに没入できることなんて無かった。また習いたいとはそれほど思わないが、それでも偶に中古の安い電子ピアノ買ってきて暇なときに練習しようかしら、なんて思ったりもするが、やりたいことが他にいっぱいあって、何か手に付けられずにいる。

 自宅にはもう誰も弾かなくなったアップライトのピアノがある。なんか哀れに思わなくもないが、今のご時世うっかり音を出すと近所からの苦情が大変だ。


 ある行為に没入する。わが身が一点に収斂していく感覚というのは、今ではなかなか得難い。それは周りの事情もないこともないが、というより、まず老いて文字通りにしろ、心の、にしろ体力がなくなったこと。何か変に執念深い所は、いまだにそうだったりするのに行為につなげていく根性がない。歳をとるっていやぁねぇ、とか思ったりする。


 車の運転。一人で、この辺なら奥飛騨のワインディングを、しかし、そんな腕自慢ではないから、それなりに、それでも気持ちいいペースで走った記憶。これもまた時間を忘れて行為そのものに没入できた体験だった。「液体のようにワインディングを駆け抜けていった」シルビアではない、同系のエンジンを積んだP11プリメーラだったけど、そういう時はカーオーディオは使わない。ただ、やっぱり頭の中では「The heart asks pleasure first」が流れていたりした。秋が深まりかけた天気の良い日だった。


 まぁ、余人から見たならば、滑稽な自己陶酔なんだが、人に大きな声で吹聴するのでないなら、自己陶酔も立派な幸福感の要件である。

 プリメーラはFWDだったから、ドリフトなんてしない。そんな腕もない。直線ではアクセルを、コーナー手前ではブレーキをしっかり踏んで、必要十分にステアリングを切り、ドリフトはしないけど、偶にタックインはかましてみたりする。これが日曜の午後となれば、高山に来てた名古屋あたりからの観光のクルマもいなくなり、随分と走りやすい。

 確かにそういう時間はあったんだが、なんだか夢の中の出来事だったみたいな感覚だ。


 無茶はいろいろな意味でもうできないけれど、んで、今のクルマはオートマのライトバンだけど、でも、それでも、公道最速の呼び名高いサクシードだったりする。なかなか、ね、今抱えてる案件型がつかないので気が休まらないが、段落ついたら何年振りか、行ってこようかしら、と、ふと思った。奥飛騨にさ。



I took piano lessons from around the 5th grade of elementary school until the summer of my 1st year of junior high school. My sister started learning before I did, and she stopped learning after I did. I don't think it was because her sister was doing it, so I was too, but why? "Maybe it's because there were a lot of piano songs that I liked." Well, I can't play any of the ones I liked.


What I remember is piano relativity. When I was playing the piano, about two hours felt like just a few minutes. It was rare to be able to immerse myself in something so much before and after. I don't really want to learn again, but even so, I sometimes think about buying a cheap second-hand electronic piano and practicing it in my spare time, but there are so many other things I want to do, and I'm thinking of doing something. I can't help it.

There is an upright piano at home that no one plays anymore. I can't help but feel sorry for him, but in this day and age, if I accidentally make a noise, I get a lot of complaints from the neighbors.


To immerse yourself in a certain action. Nowadays, it is difficult to feel that our bodies are converging to a single point. You could say that it was because of the circumstances around me, but rather, it was because I got older and lost physical strength, both literally and mentally. There's something strangely vindictive about it, and even though it's still there, I don't have the guts to put it into action. Sometimes I think it's a shame to get old.


 Driving a car. I remember running alone at a comfortable pace, even if it was around Okuhida, but I wasn't proud of my skills. This was also an experience where I was able to forget about time and immerse myself in the act itself. It was a P11 Primera with a similar engine, not a Silvia that "drove through the winding roads like liquid," but I don't use the car audio in such cases. However, I kept hearing Michael Nyman's rendition of ``The Heart Asks Pleasure First'' playing in my head. It was a sunny day in the depths of autumn.


Well, from an outsider's perspective, it's a comical narcissism, but if you don't yell at people, narcissism is also a requirement for a splendid sense of happiness.

"The Primera was FWD, so I don't drift." I don't have that skill. Press the accelerator in a straight line, firmly press the brake before a corner, turn the steering as much as necessary, and do not drift. But sometimes I try to tuck in. If this is Sunday afternoon, there will be no sightseeing cars from around Nagoya that came to Takayama, and it will be much easier to drive.

It's true that there was a time like that, but it feels like it happened in a dream.


In many ways, I can't do anything unreasonable anymore, so my current car is an automatic light van, but even so, it's still called the Succeed, which is the fastest on public roads. It's hard to relax because I can't decide on the type of project I'm currently dealing with, but I suddenly thought that once I've settled down, I might go back for the first time in a few years. In Okuhida.



J'ai suivi des cours de piano depuis la 5e année du primaire jusqu'à l'été de ma 1re année de collège. Ma sœur a commencé à apprendre avant moi et elle a arrêté d'apprendre après moi. Je ne pense pas que ce soit parce que sa sœur je le faisais, donc moi aussi, mais pourquoi ? "Peut-être que c'est parce qu'il y avait beaucoup de chansons pour piano que j'aimais." Eh bien, je ne peux jouer aucune de celles que j'aimais.


Ce dont je me souviens, c'est la relativité du piano. Quand je jouais du piano, environ deux heures me paraissaient quelques minutes. C'était rare de pouvoir m'immerger autant dans quelque chose avant et après. Je n'ai pas vraiment envie de réapprendre. , mais quand même, je pense parfois à acheter un piano électronique d'occasion bon marché et à le pratiquer pendant mon temps libre, mais il y a tellement d'autres choses que je veux faire, et je pense faire quelque chose. Je ne peux pas aide le.

Il y a un piano droit à la maison sur lequel personne ne joue plus, je ne peux m'empêcher de me sentir désolé pour lui, mais de nos jours, si je fais du bruit accidentellement, je reçois beaucoup de plaintes de la part des voisins.


Se plonger dans une certaine action. De nos jours, il est difficile de sentir que nos corps convergent vers un seul point. On pourrait dire que c'était à cause des circonstances qui m'entouraient, mais plutôt parce que j'ai vieilli et que j'ai perdu mon physique. force, au sens littéral et mental. Il y a quelque chose d'étrangement vindicatif là-dedans, et même si c'est toujours là, je n'ai pas le courage de le mettre en action. Parfois, je pense que c'est dommage de vieillir.


  Conduire une voiture. Je me souviens avoir couru seul à un rythme confortable, même si c'était autour d'Okuhida, mais je n'étais pas fier de mes compétences. C'était aussi une expérience où j'ai pu oublier le temps et me plonger dans l'acte lui-même. C'était une P11 Primera avec un moteur similaire, pas une Silvia qui "roulait sur les routes sinueuses comme un liquide", mais je n'utilise pas l'audio de la voiture dans de tels cas. Cependant, j'ai continué à entendre l'interprétation de Michael Nyman de "The Heart". "Demande le plaisir d'abord" jouait dans ma tête. C'était une journée ensoleillée au cœur de l'automne.


Eh bien, du point de vue d'un étranger, c'est un narcissisme comique, mais si vous ne criez pas après les gens, le narcissisme est aussi une condition nécessaire pour un splendide sentiment de bonheur.

"La Primera était à traction avant, donc je ne dérive pas. " Je n'ai pas cette compétence. Appuyez sur l'accélérateur en ligne droite, appuyez fermement sur le frein avant un virage, tournez la direction autant que nécessaire et ne dérivez pas. Mais parfois j'essaie de rentrer. Si c'est dimanche après-midi, il n'y aura pas de voitures touristiques des environs de Nagoya qui viendront à Takayama, et ce sera beaucoup plus facile à conduire.

C'est vrai qu'il y a eu une époque comme ça, mais on a l'impression que c'est arrivé dans un rêve.


À bien des égards, je ne peux plus rien faire de déraisonnable, donc ma voiture actuelle est une camionnette légère automatique, mais malgré tout, elle s'appelle toujours la Succeed, qui est la plus rapide sur la voie publique. C'est difficile de se détendre parce que je ne peux pas décider du type de projet sur lequel je m'occupe actuellement, mais j'ai soudain pensé qu'une fois installé, je pourrais peut-être y retourner pour la première fois dans quelques années.. À Okuhida.



Ich nahm etwa von der 5. Klasse der Grundschule bis zum Sommer meines 1. Jahres der Mittelschule Klavierunterricht. Meine Schwester begann vor mir zu lernen und hörte nach mir auf zu lernen. Ich glaube nicht, dass es an ihrer Schwester lag Ich habe es gemacht, also habe ich es auch gemacht, aber warum? „Vielleicht liegt es daran, dass es viele Klavierlieder gab, die mir gefallen haben.“ Nun, ich kann keines von denen spielen, die mir gefallen haben.


Woran ich mich erinnere, ist die Relativitätstheorie des Klaviers. Als ich Klavier spielte, fühlten sich etwa zwei Stunden wie nur ein paar Minuten an. Es war selten, dass ich vorher und nachher so sehr in etwas eintauchen konnte. Ich möchte nicht wirklich noch einmal lernen , aber trotzdem denke ich manchmal darüber nach, ein billiges gebrauchtes E-Piano zu kaufen und es in meiner Freizeit zu üben, aber es gibt so viele andere Dinge, die ich tun möchte, und ich denke darüber nach, etwas zu tun. Ich kann nicht Hilf ihm.

Zu Hause gibt es ein Klavier, auf dem niemand mehr spielt. Er tut mir unheimlich leid, aber wenn ich heutzutage aus Versehen ein Geräusch mache, beschwere ich mich oft von den Nachbarn.


In eine bestimmte Handlung eintauchen. Heutzutage ist es schwierig zu spüren, dass unsere Körper an einem einzigen Punkt zusammenlaufen. Man könnte sagen, dass es an den Umständen um mich herum lag, sondern eher daran, dass ich älter wurde und meine körperliche Leistungsfähigkeit verlor Stärke, sowohl buchstäblich als auch mental. Es hat etwas seltsam Rachsüchtiges, und obwohl es immer noch da ist, habe ich nicht den Mut, es in die Tat umzusetzen.


  Autofahren. Ich erinnere mich, dass ich alleine in einem angenehmen Tempo gelaufen bin, auch wenn es in der Gegend von Okuhida war, aber ich war nicht stolz auf meine Fähigkeiten. Dies war auch eine Erfahrung, bei der ich die Zeit vergessen und mich ganz auf die Tat selbst einlassen konnte Es war ein P11 Primera mit einem ähnlichen Motor, kein Silvia, der „wie Flüssigkeit durch die kurvigen Straßen fuhr“, aber in solchen Fällen nutze ich das Autoradio nicht. „Heart Asks Pleasure First“ ertönte in meinem Kopf. Das war es ein sonniger Tag mitten im Herbst.


Nun, aus der Sicht eines Außenstehenden ist es ein komischer Narzissmus, aber wenn man die Leute nicht anschreit, ist Narzissmus auch eine Voraussetzung für ein herrliches Glücksgefühl.

„Der Primera war FWD, also drifte ich nicht.“ Diese Fähigkeit habe ich nicht. Treten Sie geradeaus auf das Gaspedal, treten Sie vor einer Kurve fest auf die Bremse, drehen Sie das Lenkrad so weit wie nötig und driften Sie nicht Aber manchmal versuche ich, mich einzumischen. Wenn es Sonntagnachmittag ist, kommen keine Sightseeing-Autos aus der Umgebung von Nagoya nach Takayama, und es wird viel einfacher zu fahren sein.

Es stimmt, dass es so eine Zeit gab, aber es fühlt sich an, als ob es in einem Traum passiert wäre.


In vielerlei Hinsicht kann ich nichts Unvernünftiges mehr tun, deshalb ist mein aktuelles Auto ein automatischer Kleintransporter, aber trotzdem heißt er immer noch Succeed, der auf öffentlichen Straßen am schnellsten ist. Entscheiden Sie, für welche Art von Projekt ich mich interessiere Ich beschäftige mich gerade damit, aber plötzlich dachte ich, dass ich, wenn ich mich einmal eingelebt habe, vielleicht zum ersten Mal seit ein paar Jahren zurückkomme.



Tomé lecciones de piano desde aproximadamente el quinto grado de la escuela primaria hasta el verano de mi primer año de la escuela secundaria. Mi hermana comenzó a aprender antes que yo y dejó de aprender después de que yo lo hiciera. No creo que fuera porque su hermana Lo estaba haciendo, así que yo también, pero ¿por qué? "Tal vez es porque había muchas canciones de piano que me gustaban". Bueno, no puedo tocar ninguna de las que me gustaban.


Lo que recuerdo es la relatividad del piano. Cuando tocaba el piano, unas dos horas me parecieron solo unos minutos. Era raro poder sumergirme en algo con tanto antes y después. Realmente no quiero aprender de nuevo. , pero aun así a veces pienso en comprarme un piano electrónico barato de segunda mano y practicarlo en mi tiempo libre, pero hay tantas otras cosas que quiero hacer, y estoy pensando en hacer algo. Ayúdalo.

Hay un piano vertical en casa que ya nadie toca, no puedo evitar sentir lástima por él, pero hoy en día, si accidentalmente hago un ruido, recibo muchas quejas de los vecinos.


Sumergirse en una determinada acción, hoy en día es difícil sentir que nuestros cuerpos convergen en un solo punto, se podría decir que fue por las circunstancias que me rodearon, sino que fue porque me hice mayor y perdí el cuerpo físico. Fuerza, tanto literal como mental. Hay algo extrañamente vengativo en ello, y aunque todavía está ahí, no tengo las agallas para ponerlo en acción. A veces pienso que es una pena envejecer.


  Conduciendo un auto. Recuerdo correr solo a un ritmo cómodo, incluso si era alrededor de Okuhida, pero no estaba orgulloso de mis habilidades. Esta también fue una experiencia en la que pude olvidarme del tiempo y sumergirme en el acto mismo. Se trataba de un P11 Primera con un motor similar, no de un Silvia que "corría como un líquido por carreteras sinuosas", pero en estos casos no uso el audio del coche, pero seguía escuchando la interpretación de Michael Nyman de "The Heart" "Pregunta primero el placer" sonaba en mi cabeza. Era un día soleado en pleno otoño.


Bueno, desde la perspectiva de un extraño, es un narcisismo cómico, pero si no le gritas a la gente, el narcisismo también es un requisito para una espléndida sensación de felicidad.

"La Primera era FWD, así que no me derrapo. No tengo esa habilidad. Pisa el acelerador en línea recta, aprieta firmemente el freno antes de una curva, gira la dirección tanto como sea necesario y no te derrapes. Pero a veces trato de acostarme. Si es domingo por la tarde, no habrá coches turísticos de los alrededores de Nagoya que lleguen a Takayama, y ​​será mucho más fácil conducir.

Es cierto que hubo un momento así, pero se siente como si hubiera sucedido en un sueño.


En muchos sentidos, ya no puedo hacer nada irrazonable, por eso mi auto actual es una camioneta ligera automática, pero aun así, todavía se llama Succeed, que es el más rápido en la vía pública. Es difícil relajarme porque no puedo. Decidí el tipo de proyecto en el que estoy lidiando actualmente, pero de repente pensé que una vez que me haya asentado, podría regresar por primera vez en unos años a Okuhida.



我從小學五年級左右開始學鋼琴,一直到初一暑假。我姐姐比我先開始學,在我學完之後她就不再學了。我不認為是因為她姐姐我也在這麼做,所以我也是,但是為什麼呢?“也許是因為有很多我喜歡的鋼琴歌曲。”好吧,我無法彈奏任何我喜歡的歌曲。


我記得的是鋼琴相對論,彈鋼琴的時候,兩個小時左右感覺就像幾分鐘一樣,前後如此投入,真是難得,實在不想再學了但即便如此,我有時也會想買一架便宜的二手電子琴,在業餘時間練習一下,但是我還有很多其他的事情想做,我就想著做點什麼來幫助它。

家裡有一架立式鋼琴,現在已經沒有人彈了,我不禁為他感到遺憾,但在當今這個時代,如果我不小心發出聲音,就會受到鄰居的很多抱怨。


沉浸在某個動作中,現在已經很難感覺到我們的身體在匯聚到一個點了,可以說是因為周圍的環境,但更確切地說,是因為我年紀大了,體力下降了。力量,無論是字面上的還是精神上的。這裡面有一種奇怪的鬥氣,儘管它仍然存在,但我沒有勇氣付諸行動。


  駕駛汽車。我記得以舒適的速度獨自奔跑,即使是在奧飛騨附近,但我並不為自己的技能感到自豪。這也是一次我能夠忘記時間並沉浸在表演本身的經歷那是一輛配備類似發動機的P11 Primera,而不是“像液體一樣在蜿蜒的道路上行駛”的Silvia,但在這種情況下我不會使用汽車音響。“心先求樂”在我腦海中播放。深秋的一個陽光明媚的日子。


嗯,在外人看來,這是一種滑稽的自戀,但如果你不罵人,自戀也是一種燦爛幸福感的要求。

“Primera是FWD,所以我不會漂移。”我​​沒有這個技巧,直線踩油門,過彎前用力踩剎車,轉向盡量打,不漂移但有時我也會嘗試吃點東西。如果這是周日下午,就沒有名古屋周邊的觀光車來高山了,開起來會方便很多。

確實有過那樣的時刻,但感覺就像發生在夢中一樣。


從很多方面來說,我不能再做任何不合理的事情了,所以我現在的車是一輛自動輕型貨車,但即便如此,它仍然被稱為Succeed,它是公共道路上最快的。決定我的項目類型目前正在處理,但我突然想到,一旦安定下來,我可能會在幾年後第一次回去。



Jag tog pianolektioner från omkring 5:e klass i grundskolan fram till sommaren av mitt första år på högstadiet. Min syster började lära sig innan jag gjorde det, och hon slutade lära sig efter att jag gjorde det. Jag tror inte att det berodde på att hennes syster höll på med det, så det gjorde jag också, men varför? "Kanske är det för att det var många pianolåtar som jag gillade." Tja, jag kan inte spela någon av de jag gillade.


Det jag minns är pianorelativitet. När jag spelade piano kändes ungefär två timmar som bara några minuter. Det var sällan jag kunde fördjupa mig i något så mycket före och efter. Jag vill egentligen inte lära mig igen , men ändå funderar jag ibland på att köpa ett billigt begagnat elektroniskt piano och öva på det på fritiden, men det finns så många andra saker jag vill göra, och jag funderar på att göra något, hjälp det.

Det finns ett upprättstående piano hemma som ingen spelar längre.Jag kan inte låta bli att tycka synd om honom, men i denna tid, om jag råkar göra ett oväsen, får jag många klagomål från grannarna.


Att fördjupa sig i en viss handling. Nuförtiden är det svårt att känna att våra kroppar konvergerar till en enda punkt. Man kan säga att det berodde på omständigheterna runt mig, utan snarare för att jag blev äldre och tappade fysiskt styrka, både bokstavligt och mentalt. Det är något konstigt hämndlystet med det, och även om det fortfarande finns där, har jag inte modet att omsätta det i handling.


  Jag körde bil. Jag minns att jag sprang ensam i ett bekvämt tempo, även om det var runt Okuhida, men jag var inte stolt över mina färdigheter. Det här var också en upplevelse där jag kunde glömma tiden och fördjupa mig i själva akten Det var en P11 Primera med en liknande motor, inte en Silvia som "körde genom de slingrande vägarna som vätska", men jag använder inte bilstereon i sådana fall. Heart Asks Pleasure First'' spelade i mitt huvud. Det var en solig dag i höstens djup.


Tja, ur en utomståendes perspektiv är det en komisk narcissism, men om du inte skriker på folk är narcissism också ett krav för en fantastisk känsla av lycka.

"Primeran var FWD, så jag driver inte." Jag har inte den färdigheten. Tryck på gaspedalen i en rak linje, tryck bestämt på bromsen före ett hörn, vrid styrningen så mycket som behövs och sväv inte Men ibland försöker jag lägga mig. Om det är söndag eftermiddag kommer det inte att finnas några sightseeingbilar från runt om i Nagoya som kom till Takayama, och det blir mycket lättare att köra.

Det är sant att det fanns en sådan tid, men det känns som att det hände i en dröm.


På många sätt kan jag inte göra något orimligt längre, så min nuvarande bil är en automatisk lätt skåpbil, men trots det heter den fortfarande Succeed, vilket är snabbast på allmänna vägar. bestäm vilken typ av projekt jag är håller på med just nu, men jag tänkte plötsligt att när jag väl har slagit mig ner så kanske jag går tillbaka för första gången på några år.