2024年9月8日日曜日

8496 高瀬川

 

8496 高瀬川

8495 Z1 _71

 

8495 Z1 _71

8494 石田ゆり子 _28

 

8494 石田ゆり子 _28

8493 虎に翼(w

 

8493 虎に翼(w

8492 島村みやこ _5

 

8492 島村みやこ _5

8491 F12 TFC _5

 

8491 F12 TFC _5

8490 Celine Farach

 

8490 Celine Farach

8489 RGB Triumph _2

 

8489 RGB Triumph _2

2024年8月24日土曜日

8466 浦本修充

 

8466 浦本修充

Naomichi Uramoto
SC82
Suzuka  2024

8465 これで角が1本だったら言うことなしだったんだが

 

8465 これで角が1本だったら言うことなしだったんだが

8464 Irina Dreyt

 

8464 Irina Dreyt

8463 DC2 _7 & NT0091,0092 「ライブラリーのバグ」で暴かれた? 古代象の夢なりき 2

 

8463 DC2


NT0091,0092 「ライブラリーのバグ」で暴かれた?
 古代象の夢なりき 2

前回はこちら

 かなりの数の背景やらモンスターやら描きまくった。3Dモデラ―班が追いつけない程だ。だから、オレも程々のところで3Dモデリングに回ることになった。爆発音、魔法の効果音など、音楽以外の効果音の編集もやった。まぁ、だから、オレが最初に扱えるようになったPCのソフトは、フォトショップどころかワードやエクセルでもない。ライトウェーヴという3Dグラフィックソフトだったのだ。

 冬が過ぎ春になり、初夏ごろになっても、しかし、試しにゲーム画面をテレビに映し出し動かしてみる、ということが出来なかった。プログラマーは、名目は’社長’だった「ちょんまげ」さん。役員の肩書として会長がボス、社長がちょんまげさん、専務が風雅システムの社長であるランエボ氏、というのは前回も書いたが、実際のところ、全体の仕切りはボスが行い、制作統括をランエボ氏が行うという体制だった。ちょんまげさんからは一切の指示指導は受けていなかった。ちょんまげさん、プログラミングに専念していたわけである。

 オレはゲームをしたことがない事は既に書いたが、まして当時ゲーム制作の事などちっともわからなかったけど、さすがに年内(1997年末)のリリースに間に合わすにはタイムリミットを超過してしまっていたらしい。急遽、ランエボ氏もプログラミングに回るものの、ソッコー白旗を揚げ、ランエボ氏の風雅の社長権限なのか何なのか、風雅のプログラマーを連れてきたが、程なくパンクした。

 9月頭にはゲームショーがあり、そこに出展するために、なんとか形にする必要があるのに、ここで最初の行き詰まりを見たわけだ。


 「グレムリン」を離脱して地質調査の会社に入って何年か経ったある日の会社帰りにコンビニで立ち読みした、確か週刊プレイボーイだったと思うが、

 プレイステーションの立ち上がり、サードパーティーの新規参入を促すべく、開発キットを配布したが、特に初期、ライブラリーに致命的なバグがあり、ナムコ、ハドソン、スクエア等々大手は、早々に自分たちでライブラリーを組みなおしたが、勇んで参入した中小のソフトハウスは多くが討ち死にした

 というような記述を見つけ、軽いショックを受け、その場に座り込みそうになった。つまり、グレムリンは討ち死にしたone of themだったわけだと。プレイボーイの記述が本当だったかどうか、今となってはいくらネットを検索しても、そのようなことが書かれたページは見当たらなかったので、本当かどうかはわからない。

 だとしても、当時、そういう訳で、悪いのはちょんまげさん、と決めつけていたが、今になって思う。作ったデータがゲーム画面に表示されない、ということ、ちょんまげさんは決して隠していたわけではない。多少その時々楽観的なことを言っていたとしても、タイムリミットを過ぎるころまでそれに対してほとんど手当してこなかったのは、ちょんまげさんだけの責任ではないのである。


 画像のDC2、「風雅の大田君」こと後の楓牙氏が当時乗っていた車がこの型、この色だったのだ、が、2ドアだったか4ドアだったか、実のところよく覚えていない。


2024年8月18日日曜日

8462 XSR900GP

 

8462 XSR900GP

8461 自棄になったので羽つけてみた

 

8461 自棄になったので羽つけてみた

8460 のん(能年玲奈)_6

8460 のん(能年玲奈)_6


8459 3413GT _3

 

8459 3413GT _3

250GTO 3413GT

NT0090 NTR幽霊と傷痍軍人

 「なろう」など、と書けば、場合により、カクヨムやアルファポリスなど、ラノベ投稿サイトも含む、コピー機がその昔メーカー問わず「ゼロックス」と言われていたり、車載型移動式クレーンが 同じく「ユニック」と呼ばれていたりするのと、他にもあると思うが、まぁ、同じと思っていいのではないかと思う。それぞれのサイトに愛着があり、それを認めないという方もいると思うが、この際それはご容赦いただきたい。要するに投稿ラノベの話。

 1ジャンルに「NTR」=寝取られ物、というのがある。パートナーを寝取られることで妙に興奮して、まぁ、それが快感になるという展開は少数だが、過激な断罪に走るようなパターンが多数派。読者それぞれに思い当たることがあるのか、オレなんぞありまくりなんだが、

 暇に任せて、こういうストーリーを考えてみた。まぁ、恋人を寝取られ、悲嘆にくれる以前に訳の分からないショックを受けて何も考えられずにいる青年がいたとしよう。社会に出て何年かたった20代後半ぐらいにしておくか。多分な、オレのもう薄っすらしてる割に輪郭だけは割とはっきり残ってる記憶を基にするならば、はしご外された感覚に近い?急に明日からのビジョンが喪失してしまう、というのが一つあったかと思う。そういうところで、人によっては自殺しようかとすると思うのだが、そこに幽霊が現れるわけである。男の幽霊。

 弱り目に祟り目とはこのことかと青年は思うのだが、どこかで見たことがある顔の幽霊は、話を聞くと、実の曽祖父にあたる人物であるらしい。戦争で出征し、ビルマ戦線で行方不明になり戦死とされていた。当時割と聞いた話であるのだが、曾祖母は曾祖父の弟と再婚。青年の祖父は実の曽祖父の実子であったが、曾祖父の妹、大叔母たちは曾祖父の弟の実子らしい。
 重傷を負った曽祖父は現地の老夫婦にかくまわれていたが、発見され復員。しかし、妻はすでに弟と家庭を持っており、実家にはすでに居場所がなかった曽祖父は、実家からやや離れたところにある寺に寺男として住むこむことになる。そこで、寺の下仕事をしたり近隣の子供たちに読み書きを教えていたりしていたが、復員から5年ほど経って病没してしまう。

 自分とは事情がかなり違うが、そういう曽祖父の幽霊に血筋というか親近感を感じてしまう。というところで、その後の展開、どうしようか? と、考えているところ。


 そこまで考えて、そういえば、オレが小学生のころまで、高岡駅前地下街の隅で、脚や片手を失った傷痍軍人が、ものも言わず、じっと土下座をして物乞いをしていた。子供心に何か恐ろしい、触れてはいけないもののように思っていた。彼の終戦からはどのようなものだったんだろう? そんな高度経済成長期の、街角の隅にあったような闇を時々思い出してしまう。今ではそんなことなどすっぱり忘れ、清潔そうだが何もない箱が無様に建ち並ぶ。

 あの傷痍軍人はいつまであそこにいてああやっていたのかは知らない。

8458 Vincent BlackShadow _2

 

8458 Vincent BlackShadow _2

2024年8月17日土曜日

8457 MISTの最後に出てくるような奴 _2

 

8457 MISTの最後に出てくるような奴 _2

8456 Rachel Cook _17

 

8456 Rachel Cook _17

8455 C291 _2

 

8455 C291 _2

C291
Karl Wendlinger
Nürburgring  1991


8454 Z1000R _21

 

8454 Z1000R _21

8453 表皮が爛れ過ぎた。しかも微妙にコング。

 

8453 表皮が爛れ過ぎた。しかも微妙にコング。

8452 志田音々 _2

 

8452 志田音々 _2

2024年8月16日金曜日

8451 初代セルシオ & NT0088,0089 違和感 (古代象の夢なりき 1)

8451 初代セルシオ

NT0088,0089 違和感

古代象の夢なりき 1

前回

 富山市市街地のハズレのあたり。もうちょっと歩けば田園地帯が始まるようなそんな場所に、「グレムリン」はあった。面談に3名、お茶を出してくれた1名。その時そこには4人いた。

 一緒に仕事してたオレより10コ弱ほど若い大田君、その後は楓牙という名前で漫画描いているそうで、以降此処では当時乗っていた車に因みインテグラ君とする。楓牙名義のXのアカウントに以下のようなツイートがあった。

夏も終わりましたがアンシャントロマンの怖い話を一つ。先のツイートで「風雅システムとは別の制作会社が作った」と書きましたが、その制作会社はアンシャントロマンを作るために作られた会社です。そこの社員は全員ゲームを作ったことがありませんでした。全員です。お察しください。おわり。
午前0:56 · 2021年9月22日

 オレなんざ、「ゲームを作ったことがない」、最たるものだった。作ったことがなかったどころか、コンシューマ機(家庭用ゲーム機)を買ったことがなければ、当然プレイしたこともない。この話がなければ、興味もなかったのだ。
 ランエボ専務が、何処かで聞いたこと見たことがある話を継ぎ接ぎしたような話を、今から作ろうとしているRPGのあらすじとして語る語る。ボス曰く、ランエボ専務の頭の中に、これから作るゲームのすべてが入っているのだと。それを聞いたのはこの時だったと思う。
 正直、ゲームのストーリーってそんな程度でよかったの? とこの時ちらっと思った。まぁまぁ、しかし、オレなんぞそれまでゲームのまるっきり門外漢だったわけだし、ランエボ専務、風雅システムというスマッシュヒットも出したゲーム会社の社長もやっているという事だったので、そんな人物に対してゲームド素人のオレが此処で口出しすることはないか、と、その時思ったのだ。オレは絵を描いてお金にできればそれでよかったのだ。

 参加したての時は、1枚いくら、という形で参加していた。翌日からオレは描きまくったのだが、ゲームをやったことがなくても、画面の絵、タッチが違ってしまってはダメなことぐらいは想像がついたので、とにかく、ランエボ専務に、これでもか、というくらいに作業を進めたのだが、どうもランエボ専務の反応が薄い。気に入らな過ぎて口に出せない、という雰囲気ではない。どうにもな、こっちとしても、違和感と不安を抱えて、しかし、1枚なんぼなので、描く手は止めないのである。

 オレと同時期に、同じくキャラデザイン等をするために参加したそれより数歳若い青年がいた。俳優をしておられた矢崎滋氏に似ていたので仮に「矢崎君」としておく。
 ネットでアンシェントロマン関係で一番出てくる画像「理不尽にも吹き飛んだおじさん」のキャラデザインは矢崎君によるものだったと思う。モブ、主人公系以外のキャラデザインをやっていた。
 他に誰もいないタイミングで矢崎君が、「何かこのゲーム、ダメだと思いません?」と言ってきた。確かに、ストーリーは陳腐な気はしていた。その時は返事をごまかしていたのだが。
 矢崎君、ランエボ専務に意見して嫌われたか何かして、途中で離脱していったのだが、作ったことはないにしろ、オレよりは遥かにゲームの事を知っていたはずだ。そして、このゲームの事を早い時期に端的に理解していたのだと思う。

 まぁ、とにかくこのころのオレは、描いた物が作ろうとしているゲームから乖離してしまう事を恐れていたのだが、「作品の中のことは全て頭に入っている」というランエボ専務の頭の中にあったものは、しかし、酷く浅薄で雑で稚拙なものだった、と、今になって思う。最大の問題は当時は他の事を思っていたが、ゲーム全体像のこの曖昧さこそが最大の問題だったのだ、と。


 画像のセルシオは’ボス’が当時乗っていた事に因み。画像のものとは細かいところで違っていたような気がする。


 

8450 Moriwaki Zero X7 _3

 

8450 Moriwaki Zero X7 _3