7427 G200 Charade De Tomaso
画像とは全く関係ない、今日ふと思ったことです。
広告やってゲーム作って、1998年から地質調査、っていうか土質ボーリングの会社に勤めていた。今の会社もその流れなんだが、21世紀に入ってすぐぐらいか、鬘のおじさんが国会に呼ばれて、何かもちゃもちゃやっていた耐震偽装疑惑なんてのがあって、ホントはその前、阪神淡路大震災あたりから、住宅はじめ小規模建築物なんて言われる建物に地盤調査やらないと建築確認降りないよ、という時代になって。
前いた会社もやりましたよ、所謂スウェーデン式サウンディングってやつ。なんでスウェーデンかというと、まぁ、それ始めたのがどっかそこの辺、っていうだけの話。サウンディングというのは、ずばりサウンドで音を聞くのが重要ですよ、ってことなんだけど、それをわからずにやってるその方面の方も結構いる。
なんか、そんな感じで地面に穴開けたり、土の硬さの評価をしたりするやり方について、それを始めた地域の名前がついてたりすること、結構あって、日本でも井戸なんか掘るのに上総掘りなんていうのがあったり、そう、忘れちゃいけない。道路なんか造営するのに、California Bearing Ratio、略してCBRなんていうのがある。ホンダのバイクの名前じゃありません。いや、この世界はいる前はオレもホンダのバイクとばかり思っていた。
一昨年からか、国交省で、スウェーデン式サウンディングと呼ばず、Screw Weight Soundingと呼ぶことにいたしましょう、ということになったんだが、やる事は同じです。昔付き合ってた女性は「なんかねじねじするやつ」といってました。そう。ねじねじするんです。
でね、その入り方、回転抵抗とか、入る早さとか、手に伝わる感触とか、そう、上に書いたように音。それを総合的にかんがみたうえで、ある程度経験も経て、このあたりの深さはたぶん(間違いなく)砂だろう、とか、粘土だろうとか、後、経験的に得られた数式に当てはめて、N値と言われる、地面の硬さを「推定する」わけですよ。
オレが前いた会社は、従って手回しにこだわっていた。便利な機械もあるんだけど、樹落としてしまう情報が多いから。一人が回して一人が支える。何しろ100㎏のおもり(土木の世界では1キロニュートンという単位系を使います。本当は0.98キロニュートンだけど)を乗せて、そういう力をかけて地面にねじ入れていくわけですから。
非常に疲れる仕事でありました。若くないとできません。健康じゃないとできません。
で、住宅用、隅4点真ん中1点、計5点そういう作業をして、人件費だけ、利益率非常に低く抑えて、5万円。あ、そうそう、オレがいた会社、2メートルまで、手彫りで穴開けて、本当にサウンディングの見立て通り、砂なのか粘土なのか、変なゴミ埋まってないか、水がわいてこないか、調べて、そのお金でやってました。
でも、なんか、機械もちこんで、一人で作業(手で掘って地面の中を見ず、ねじねじ穴開けるだけ)してその半額でやっちゃう業者が増えちゃって、なんだかな、と。一応ね、技術と知識を誇りにやってたわけです。買いたたかれるのはちょっと楽しくない。Screw Weight Sounding、住宅の、止めちゃったんです。楽しくないし割に合わないし。どうしてもと請われれば5万円いただきますよ、って。
あ、でも、同じくサウンディングと呼ばれる別の、Automatic Ram Soundingてやつもやってて、それはさすがに機械なんだが、それは結構お呼びがかかりました。今日、ニュース映像、調布の陥没現場での調査風景に、それ、出てまして。なんか久しぶりに視たな、とい感じ。
で、です。今の所沢の作業場というのは、かつての会社の同業者、地質調査を専門にしている会社の敷地なんですが、そこでScrew Weight Sounding、機械式でやってデータを取る必要があって、でも、また近々行くにしても、ちょっとそのために今動くわけにはいかないので、というところで、しかし、その敷地の地質調査屋さんも、オレの前の会社と同じ、サウンディングは手回しにこだわっていて、機械式じゃなく、やむなく、その近くにある機械式でやってる業者にお願いすることになって。機械式の大きな利点としては、調査を行う人間の技量に関係なく標準化されたデータが上がってくるという点にある。あと、一軒当たりの作業は楽だし。欲しいのはまさに標準化されたデータだったんだが、その業者の人と電話で話していて、いや、知ってたけど、そのかかる料金に、泣きそうになった。そんな安いお金でやってるの?って。まぁ、もうちょっと払ってもいいんだよ、なんていう権限もないので、ああそうですか、それでお願いします、なんだけど。
なんだかな。Blanky Jet Cityが解散したころの浅井健一氏が、コンピュータが出てきて、人の3分の1で仕事ができるようになって、じゃあ、残りの3分の2の時間、豊かに過ごせるようになったかというと、そうじゃなく、人間の労働の価値が3分の1に削られて、3倍の仕事やらないといけなくなった、みたいなことを何かのインタビューで言っていたのを読んだ、それに似たようなことを考えた。仕事一軒の作業、身体はそれだけは楽になったが、数こなさないと生活に追いつかない。結果余計疲れる。時間も無くなる。
知見が増えるのはいいことだが、便利になって、その実なんか不幸になってるよね、って。
ちょっとやるせない思いになってしまいましたとさ。