少年ファンだった頃、黒金のロータスの色はかっこいいと思っていたので、それが真っ黄色になってしまうのは、なんか少し残念な気がしていた。マクラーレンの白赤もおなじみだったが、車体形式はMなんちゃらがマルボロ・プロジェクト・4/なんちゃらに替わっていた。ファンとしてブランクがあったのだから、車体も随分変わってしまっていたことは、まぁ、そんなもんだろ、だった。
マクラーレンと言えば、ジェームス・ハント、ロータスと言えば、マリオ・アンドレッティ、ジュディ・シェクター。エマーソン・フィッティパルディは、どっちの印象もある。まぁ、どのドライバーもいろいろなチームで走っているんだけど。
少年ファンの頃から、第二期ホンダのころまで、ブランクが10年。それから、もうやがて30年経とうとしているのだから、ぞっとする。
1987年のマクラーレン・ホンダ、セナとプロストで、16戦中・・・ほら、やはり記憶に間違いない。15勝している。圧倒的。日本人として誇らしいと思った。
とはいっても、F1のマクラーレン・ホンダの動向より、前年、WGPでヤマハのエディ・ローソンにチャンプを持っていかれた、ロスマンズホンダのNSR500の動向への関心の方が強かった。オレ的にはね。
セナが初のチャンプを獲得する。この時は、若い才能があるドライバー、新しい王者、以上の認識はなかった。よくいる、とはいないけれど、まぁ、その次元では至ってフツーのチャンピオンドライバーであるとしか思っていなかった。まぁ、顔というかスタイルはわかりやすいイケメンで、日本でも人気出るんだろうな、とは思った。嫌いではない。ただ、あの世界で、当時ジャン・マリー・バレストル以外嫌いな人物はいなかったので、逆に言えばセナもその中の一人でしかなかった。
結局、最期まで、好き嫌いという感情が働かない人物ではあったのだが、無関心ではいられなくなるのは翌年以降の話である。
ターボエンジン最後の年で、RA168Eという名称の1500㏄でタービンが二つ付いたこのエンジンは、フルブースト掛けると1500馬力出たんそうだ。馬鹿じゃないの? って笑うしかない。今乗る車が1200㏄で100馬力もない。
この後、様々な洗練化はされていくが、ある意味、この年が内燃機関の頂点の年だったのではないかと思う。この時点でこんなすごくて、これから先、どんな凄いのが出てくるんだろう? そんな風に思ったが、どうやらそうは問屋が卸さなかったようだ。
そのような大馬力、人間に扱えるのかどうかどうにも怪しく、制御系を進歩させる方向に行くというのは自然なことであると思われるが、精密でより的確な制御により、より速く、というのが詰まる所のゴールというシンプルなレースの世界において、コストをかければかけるほど速くなるのは、これまた当然で、それをしない、という選択は、そこでの自分の存在意義を否定しかねない。競技の世界であるから年々枷の形は変っていく。それでも、勝てればよく、そこに迷いなく精神と労力を集中できるなら、それは幸せなことだ。
で、すんごいのがその後出てきたかどうかというと、出てきたような出てきてないような。何しろ主観の問題である故、どうともいえないが、そのこと自体、突き抜けて凄いっていうのは、とうとう現れていないような気もする。勿論、その時々の技術やドラマを考えれば、すごいものはいっぱいあるのだけれど。
この年のMP4/4が一番好きかもしれない。
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