2024年8月24日土曜日

8466 浦本修充

 

8466 浦本修充

Naomichi Uramoto
SC82
Suzuka  2024

8465 これで角が1本だったら言うことなしだったんだが

 

8465 これで角が1本だったら言うことなしだったんだが

8464 Irina Dreyt

 

8464 Irina Dreyt

8463 DC2 _7 & NT0091,0092 「ライブラリーのバグ」で暴かれた? 古代象の夢なりき 2

 

8463 DC2


NT0091,0092 「ライブラリーのバグ」で暴かれた?
 古代象の夢なりき 2

前回はこちら

 かなりの数の背景やらモンスターやら描きまくった。3Dモデラ―班が追いつけない程だ。だから、オレも程々のところで3Dモデリングに回ることになった。爆発音、魔法の効果音など、音楽以外の効果音の編集もやった。まぁ、だから、オレが最初に扱えるようになったPCのソフトは、フォトショップどころかワードやエクセルでもない。ライトウェーヴという3Dグラフィックソフトだったのだ。

 冬が過ぎ春になり、初夏ごろになっても、しかし、試しにゲーム画面をテレビに映し出し動かしてみる、ということが出来なかった。プログラマーは、名目は’社長’だった「ちょんまげ」さん。役員の肩書として会長がボス、社長がちょんまげさん、専務が風雅システムの社長であるランエボ氏、というのは前回も書いたが、実際のところ、全体の仕切りはボスが行い、制作統括をランエボ氏が行うという体制だった。ちょんまげさんからは一切の指示指導は受けていなかった。ちょんまげさん、プログラミングに専念していたわけである。

 オレはゲームをしたことがない事は既に書いたが、まして当時ゲーム制作の事などちっともわからなかったけど、さすがに年内(1997年末)のリリースに間に合わすにはタイムリミットを超過してしまっていたらしい。急遽、ランエボ氏もプログラミングに回るものの、ソッコー白旗を揚げ、ランエボ氏の風雅の社長権限なのか何なのか、風雅のプログラマーを連れてきたが、程なくパンクした。

 9月頭にはゲームショーがあり、そこに出展するために、なんとか形にする必要があるのに、ここで最初の行き詰まりを見たわけだ。


 「グレムリン」を離脱して地質調査の会社に入って何年か経ったある日の会社帰りにコンビニで立ち読みした、確か週刊プレイボーイだったと思うが、

 プレイステーションの立ち上がり、サードパーティーの新規参入を促すべく、開発キットを配布したが、特に初期、ライブラリーに致命的なバグがあり、ナムコ、ハドソン、スクエア等々大手は、早々に自分たちでライブラリーを組みなおしたが、勇んで参入した中小のソフトハウスは多くが討ち死にした

 というような記述を見つけ、軽いショックを受け、その場に座り込みそうになった。つまり、グレムリンは討ち死にしたone of themだったわけだと。プレイボーイの記述が本当だったかどうか、今となってはいくらネットを検索しても、そのようなことが書かれたページは見当たらなかったので、本当かどうかはわからない。

 だとしても、当時、そういう訳で、悪いのはちょんまげさん、と決めつけていたが、今になって思う。作ったデータがゲーム画面に表示されない、ということ、ちょんまげさんは決して隠していたわけではない。多少その時々楽観的なことを言っていたとしても、タイムリミットを過ぎるころまでそれに対してほとんど手当してこなかったのは、ちょんまげさんだけの責任ではないのである。


 画像のDC2、「風雅の大田君」こと後の楓牙氏が当時乗っていた車がこの型、この色だったのだ、が、2ドアだったか4ドアだったか、実のところよく覚えていない。


2024年8月18日日曜日

8462 XSR900GP

 

8462 XSR900GP

8461 自棄になったので羽つけてみた

 

8461 自棄になったので羽つけてみた

8460 のん(能年玲奈)_6

8460 のん(能年玲奈)_6


8459 3413GT _3

 

8459 3413GT _3

250GTO 3413GT

NT0090 NTR幽霊と傷痍軍人

 「なろう」など、と書けば、場合により、カクヨムやアルファポリスなど、ラノベ投稿サイトも含む、コピー機がその昔メーカー問わず「ゼロックス」と言われていたり、車載型移動式クレーンが 同じく「ユニック」と呼ばれていたりするのと、他にもあると思うが、まぁ、同じと思っていいのではないかと思う。それぞれのサイトに愛着があり、それを認めないという方もいると思うが、この際それはご容赦いただきたい。要するに投稿ラノベの話。

 1ジャンルに「NTR」=寝取られ物、というのがある。パートナーを寝取られることで妙に興奮して、まぁ、それが快感になるという展開は少数だが、過激な断罪に走るようなパターンが多数派。読者それぞれに思い当たることがあるのか、オレなんぞありまくりなんだが、

 暇に任せて、こういうストーリーを考えてみた。まぁ、恋人を寝取られ、悲嘆にくれる以前に訳の分からないショックを受けて何も考えられずにいる青年がいたとしよう。社会に出て何年かたった20代後半ぐらいにしておくか。多分な、オレのもう薄っすらしてる割に輪郭だけは割とはっきり残ってる記憶を基にするならば、はしご外された感覚に近い?急に明日からのビジョンが喪失してしまう、というのが一つあったかと思う。そういうところで、人によっては自殺しようかとすると思うのだが、そこに幽霊が現れるわけである。男の幽霊。

 弱り目に祟り目とはこのことかと青年は思うのだが、どこかで見たことがある顔の幽霊は、話を聞くと、実の曽祖父にあたる人物であるらしい。戦争で出征し、ビルマ戦線で行方不明になり戦死とされていた。当時割と聞いた話であるのだが、曾祖母は曾祖父の弟と再婚。青年の祖父は実の曽祖父の実子であったが、曾祖父の妹、大叔母たちは曾祖父の弟の実子らしい。
 重傷を負った曽祖父は現地の老夫婦にかくまわれていたが、発見され復員。しかし、妻はすでに弟と家庭を持っており、実家にはすでに居場所がなかった曽祖父は、実家からやや離れたところにある寺に寺男として住むこむことになる。そこで、寺の下仕事をしたり近隣の子供たちに読み書きを教えていたりしていたが、復員から5年ほど経って病没してしまう。

 自分とは事情がかなり違うが、そういう曽祖父の幽霊に血筋というか親近感を感じてしまう。というところで、その後の展開、どうしようか? と、考えているところ。


 そこまで考えて、そういえば、オレが小学生のころまで、高岡駅前地下街の隅で、脚や片手を失った傷痍軍人が、ものも言わず、じっと土下座をして物乞いをしていた。子供心に何か恐ろしい、触れてはいけないもののように思っていた。彼の終戦からはどのようなものだったんだろう? そんな高度経済成長期の、街角の隅にあったような闇を時々思い出してしまう。今ではそんなことなどすっぱり忘れ、清潔そうだが何もない箱が無様に建ち並ぶ。

 あの傷痍軍人はいつまであそこにいてああやっていたのかは知らない。

8458 Vincent BlackShadow _2

 

8458 Vincent BlackShadow _2

2024年8月17日土曜日

8457 MISTの最後に出てくるような奴 _2

 

8457 MISTの最後に出てくるような奴 _2

8456 Rachel Cook _17

 

8456 Rachel Cook _17

8455 C291 _2

 

8455 C291 _2

C291
Karl Wendlinger
Nürburgring  1991


8454 Z1000R _21

 

8454 Z1000R _21

8453 表皮が爛れ過ぎた。しかも微妙にコング。

 

8453 表皮が爛れ過ぎた。しかも微妙にコング。

8452 志田音々 _2

 

8452 志田音々 _2

2024年8月16日金曜日

8451 初代セルシオ & NT0088,0089 違和感 (古代象の夢なりき 1)

8451 初代セルシオ

NT0088,0089 違和感

古代象の夢なりき 1

前回

 富山市市街地のハズレのあたり。もうちょっと歩けば田園地帯が始まるようなそんな場所に、「グレムリン」はあった。面談に3名、お茶を出してくれた1名。その時そこには4人いた。

 一緒に仕事してたオレより10コ弱ほど若い大田君、その後は楓牙という名前で漫画描いているそうで、以降此処では当時乗っていた車に因みインテグラ君とする。楓牙名義のXのアカウントに以下のようなツイートがあった。

夏も終わりましたがアンシャントロマンの怖い話を一つ。先のツイートで「風雅システムとは別の制作会社が作った」と書きましたが、その制作会社はアンシャントロマンを作るために作られた会社です。そこの社員は全員ゲームを作ったことがありませんでした。全員です。お察しください。おわり。
午前0:56 · 2021年9月22日

 オレなんざ、「ゲームを作ったことがない」、最たるものだった。作ったことがなかったどころか、コンシューマ機(家庭用ゲーム機)を買ったことがなければ、当然プレイしたこともない。この話がなければ、興味もなかったのだ。
 ランエボ専務が、何処かで聞いたこと見たことがある話を継ぎ接ぎしたような話を、今から作ろうとしているRPGのあらすじとして語る語る。ボス曰く、ランエボ専務の頭の中に、これから作るゲームのすべてが入っているのだと。それを聞いたのはこの時だったと思う。
 正直、ゲームのストーリーってそんな程度でよかったの? とこの時ちらっと思った。まぁまぁ、しかし、オレなんぞそれまでゲームのまるっきり門外漢だったわけだし、ランエボ専務、風雅システムというスマッシュヒットも出したゲーム会社の社長もやっているという事だったので、そんな人物に対してゲームド素人のオレが此処で口出しすることはないか、と、その時思ったのだ。オレは絵を描いてお金にできればそれでよかったのだ。

 参加したての時は、1枚いくら、という形で参加していた。翌日からオレは描きまくったのだが、ゲームをやったことがなくても、画面の絵、タッチが違ってしまってはダメなことぐらいは想像がついたので、とにかく、ランエボ専務に、これでもか、というくらいに作業を進めたのだが、どうもランエボ専務の反応が薄い。気に入らな過ぎて口に出せない、という雰囲気ではない。どうにもな、こっちとしても、違和感と不安を抱えて、しかし、1枚なんぼなので、描く手は止めないのである。

 オレと同時期に、同じくキャラデザイン等をするために参加したそれより数歳若い青年がいた。俳優をしておられた矢崎滋氏に似ていたので仮に「矢崎君」としておく。
 ネットでアンシェントロマン関係で一番出てくる画像「理不尽にも吹き飛んだおじさん」のキャラデザインは矢崎君によるものだったと思う。モブ、主人公系以外のキャラデザインをやっていた。
 他に誰もいないタイミングで矢崎君が、「何かこのゲーム、ダメだと思いません?」と言ってきた。確かに、ストーリーは陳腐な気はしていた。その時は返事をごまかしていたのだが。
 矢崎君、ランエボ専務に意見して嫌われたか何かして、途中で離脱していったのだが、作ったことはないにしろ、オレよりは遥かにゲームの事を知っていたはずだ。そして、このゲームの事を早い時期に端的に理解していたのだと思う。

 まぁ、とにかくこのころのオレは、描いた物が作ろうとしているゲームから乖離してしまう事を恐れていたのだが、「作品の中のことは全て頭に入っている」というランエボ専務の頭の中にあったものは、しかし、酷く浅薄で雑で稚拙なものだった、と、今になって思う。最大の問題は当時は他の事を思っていたが、ゲーム全体像のこの曖昧さこそが最大の問題だったのだ、と。


 画像のセルシオは’ボス’が当時乗っていた事に因み。画像のものとは細かいところで違っていたような気がする。


 

8450 Moriwaki Zero X7 _3

 

8450 Moriwaki Zero X7 _3

2024年8月15日木曜日

8449 プロンプトは忘れたが、何か禍々しい触手系爬虫類

 

8449 プロンプトは忘れたが、何か禍々しい触手系爬虫類

8448 Olivia Culpo

 

8448 Olivia Culpo

8447 935/76 _2

8447 935/76 _2

 

8446 Jeremy McWilliams & NT0086,0087 ジェレミー・マクウィリアムスとブラフシュペリアの組み合わせから、ト―マス・エドワード・ロレンスを連想し、現在の中東情勢まで思いをはせてみる

 

8446 Jeremy McWilliams

Jeremy McWilliams
Brough Superior Moto2
Silverstone  2014

NT0086,0087 ジェレミー・マクウィリアムスとブラフシュペリアの組み合わせから、ト―マス・エドワード・ロレンスを連想し、現在の中東情勢まで思いをはせてみる

 2014年イギリスGPのワイルドカード、マクウィリアムスが乗ったブラフシュペリア。申し訳ないが、往年のSS100や現代にリブートされたものに比べて、なんともモッサリした形で、ちょっと残念な気がした。
 ジェレミー・マクウィリアムスは、オレより2つほど年上か。ワイルドカードならそれでもありだが、この時で50歳。顔は寧ろ、ピーター・オトゥールより、現在に残るT.E.ロレンスの肖像に似ている。
 ブラフシュペリアというと、まず思い浮かべるのが、そのT.E.ロレンスの愛車であったということ。現代のクルマで言えば、フェラーリどころではない、ブガッティやパガーニくらいのランクのブランドだったようだ。単車で言えばステータスという事では、RC213VとかNRとかになるのだろうか?ちょっと違う気もするな。ヘスケスとかだと性能がちょっと落ちるかな? ブラフシュペリアのSS100っていうと当時のスーパースポーツバイクだったらしいし。

 で、単車乗りのうちの一定割合、

 「スピードの中で精神は肉体を超越する」

 というT.E.ロレンスが、「知恵の七柱」の中で述べているとされる言葉を連想する。ところが、オレの高校の同級生によれば、そのような記述は原文の中には見当たらない、とのこと。意訳に意訳を重ねたりしたんだろうか? 原文を探してよく読み込むしかないか。

 日本に舞台を換えれば、トム・クルーズが「ラストサムライ」でやったような立場だったわけだ、「アラビアのロレンス」は。政治的に緩かったのか、ハリウッドが気骨を見せたのか、むしろ逆に政治的意図があったのか、ちょっと分からない。

 「サイクス・ピコ協定」と「バルフォア宣言」。大英帝国の2枚舌、3枚舌外交の中で翻弄されたか、T.E.ロレンス。そしてそれは世界中、末代まで祟る。
 うちのブログ、イスラエルからの閲覧数が、母国日本より多い。っていうか、日本人には見向きもされない? まぁ、それはこの際はいいとして、そういうイスラエルからの閲覧がそれなりにあるにもかかわらず、敢えて書くと

ナチスからされたことをパレスチナで行うイスラエルはナチスを批判する資格を失った。

Israel, which does in Palestine what the Nazis did to it, has lost its right to criticize the Nazis.

ישראל, שעושה בפלסטין את מה שהנאצים עשו לה, איבדה את זכותה לבקר את הנאצים.

Israël, qui fait en Palestine ce que les nazis lui ont fait, a perdu son droit de critiquer les nazis.

 ハマスに対して、と言っているが、やっていることはナチスがやったこと、或いはコソボ紛争で行われた民族浄化と何ら変わらぬように見える。

 とまぁ、ネットで書いてみても、何か変わるようにも思えぬ。とりあえず意見表明だけはしておくが、我々はその意見表明すら逆方向に利用されるような時代にいる。もっと深く考えてみないといけないと思っている。


2024年8月14日水曜日

8445 何とか立ったが、熊

 

8445 何とか立ったが、熊

8444 足立梨花

 

8444 足立梨花

8443 Didier Pironi _3

 

8443 Didier Pironi _3

Didier Pironi 
Tyrrell 008 Ford-Cosworth DFV
Autódromo Oscar Alfredo Gálvez, Buenos Aires  1978


8442 RC8 _7

8442 RC8 _7

 

NT0084,0085 気が付けば動物天国?

 NT0084,0085 気が付けば動物天国?

これから文明は加速度的に衰えていく! んじゃないかなぁ、と、思っている 2


前回はこちら

https://selgeykattvinsky.blogspot.com/2024/08/nt0076.html


 8月に入ってからだったか、同じ日、姫路の大学の先輩と、オレと同じ高岡市内に住む中学の同級生が、それぞれ隣地にアライグマ、猪が現れ、(家庭?)菜園の野菜を食い荒らす被害が出ている、という投稿をFacebookに行った。野生動物さんたち、人間をナメて何かやりたい放題、って感じです。単純に言い切ることは禁物ではあるが、どんどん人間の生活圏というか勢力圏が狭くなっている事を端的に表しているように思った。

 これは、鳥獣保護法とか動物愛護法とかそのあたりの縛りで、人間がやすやす危害を加えることが出来なくなった。罠を仕掛けることさえ鳥獣保護法では規制されていて、禁止の罠があるなど罠も効き目があるのかどうか怪しいものしか使えなかったり、免許が必要だったりするらしい。


 猪やら鹿やら、平気で市街地、京都、東京の大都市圏であっても出没するらしいが、何より熊だ。こちら有害鳥獣指定になっていても、狩る方に危険があるにもかかわらず、法律の縛りが多く、持ち出しが多くて報酬がほとんどない、ということで、自治体によっては猟友会がもう熊の駆除は引き受けないなどと言いだしたところもあるくらいだ。

 その辺の事情、ラノベではあるが「北海道に魔物が出たので地元ハンターが出動してみた」https://ncode.syosetu.com/n1111fb/ を読めば大体そのような事情らしい。猟友会が猟協会に変更させられたそうだが、異世界の怪物と対峙することにはなっても、こちらの事情はほぼ現実の通りとのこと。


 鳥獣保護法、動物愛護法の是非は個々では論じない。しかし、これは高度経済成長期からその傾向はあったが、過疎から限界集落、遂に廃村となる山村も、かつては人がいて、山林の管理もちゃんと出来ていたころは、こうも野生動物が下に降りてくることはなかった。なんてことはない。人が放棄したからそこに熊鹿猪がやってきて、そのままもっと下に降りてきているのだと。


 こういうこともある。能登半島地震のあと、復興は遅々として進まない。元々が過疎高齢化が問題だったところで、これでいよいよこの場を放棄しようという動きも少なくない。復興が遅いのは、第一に政治家の無能は巷間言われている通りではあると思うが、人もいないところにお金をどうかけるべきなのか決めかねている、ということはあるのだろう。そこにお金をつぎ込めばまた人が戻ってくるなどと言う単純な話ではないように思う。


 要するに人口の問題であり、人口政策の失敗であるのだが、迂闊に政治家が「産めよ増やせよ」というと非難ごうごうな時代だ。んで、そこで声高に非難する向きと、被災地復興を最優先に、と声高に叫ぶ向きは、非常に重なっているように思う。先立つもののない不幸はしかし、国家プロジェクト的経済政策や国防を削って、などと言っているが、国家統治の形、国際社会の形が現在の延長線上にある以上、どこまでそんな可能と思っているのかはわからない。


 人口、数が減ったから、それに見合った形で勢力圏は、単純に削られる。動物さんたちが我々の所にやってくる、なんていうのは、まだ序の口のような気がする。もっと深刻な不都合がいろいろ現れているように思えてならない。


8441 空飛ぶピラニア型のモンスター

 

8441 空飛ぶピラニア型のモンスター

8440 Elizabeth Elam

 

8440 Elizabeth Elam

8439 CP9A EvoV _2

8439 CP9A  EvoV _2

 

2024年8月13日火曜日

8438 GV73A GSX-R1100 M

 

8438 GV73A GSX-R1100 M

8437 四つん這いだけどいい感じ

 

8437 四つん這いだけどいい感じ

8436 田中みな実 _9

 

8436 田中みな実 _9

8435 Cherokee & T0082,0083 古代の象の夢なりき episode 0 バランスの悪い男

 

8435 Cherokee

T0082,0083 古代の象の夢なりき episode 0 バランスの悪い男

前回はこちら


 うちの母は、真矢みき氏が嫌いなのだ、と言ったのはかれこれ10年以上は昔のことだ。その前には黒木瞳氏の顔立ちが嫌いと言っていた。宝塚が嫌いなんだろうか? そんなことも思ったりもしたが、そもそも、普段より、母どころか一家して、タカラヅカは興味の外の外。真矢氏黒木氏がタカラヅカ出身であることも知らぬ可能性の方が高い。個別に嫌いなのか、共通して纏った空気が嫌いなのか。ま、どっちでもいい。
 で、真矢みき氏である。朝のテレビ番組で、ある時、ある若い男が作った文章、その男、何かやらかしたんじゃなかったかな? を評して精神のバランスが悪いのが透けて見える、とか何とか、そんな感じのことを言っている場面を偶然目にした。

 まあ、それはその通り、ぐうの音も出ない、元も子もない、そのようなことを思った記憶がある。一般通念的には間違いなくそうだろう。特に、女性の勝ち組から見たならば、そんな箸にも棒にも引っかからない、故に鬱屈を抱えた若い男の思考など何の価値も感じないどころか、この世にとって有害なものにしか感じないだろう。実際にそう言う鬱屈が悲惨だったり救いようがなかったりする事案を引き起こすことも多かったりするのだから、反論はできない。

 或いは、90年代の前半だ。香山リカ氏が、そう言うのを「適応障害と言う名の病気」と、何かに書き切った。病気にされちまった。

 いちいちその通りで、反論出来ずに名状し難い何かどす黒い物だけが腹の底にどんどん溜まって行く。ただ思った。文学は負けたのだ、と。

 そんなバランスの悪い男は、いつも気を失いそうな心持ちで、ゾンビのように街を徘徊するか、それすら憂いてしまい、引きこもるようになる。物理的にか、精神的にか。

 そんな感じのアラサー男がいたと思いねぇ。


    1996年の10月の後半か11月だったか、高岡駅前の広告制作会社のアートディレクターに連れられていった富山市の外れにある平屋の多分なんかの作業所だったところのゲーム制作会社。その会社の名前は、仮に「グレムリン」としておく。
 出迎えてくれたのが3人。
 この時、オレは丁度30才だったが、オレよ10才ほど年上の背が高いヒゲのイケオジ、「ボス」。この会社の会長なんだそうだ。
 同じく10才ぐらいオレより年上、背は高くなく後ろで髪の毛を括った男性、「ちょんまげ」さん。社長だと。
 そして、もう一人、オレよりは三つ四つ程度の年上だろう、脂っぽい中途半端なロン毛、ガリヒョロの、如何にもオールドスタイルなオタク、乗っていたクルマに因み「ランエボ」氏、専務。

 あともう一人。お茶を出してくれたが、あとの時間はPCに向かってなんか作業していた、当時、ある食堂のお嬢さんと、お付き合いしていて、結婚したんじゃなかったかな?違うかな? 穏やかな感じのオレよりほんの少しだけ若そうな「マスオ」君。

 緊張感があるのかないのかわからない雰囲気で面談が始まった。


 画像のジープチェロキーは、オレを「グレムリン」に引き合わせていただけたとき、高岡駅前の広告屋さんのアートディレクターが乗っておられたものと同系同色のものだ。

 カーステレオで、ギターの曲が流れ出した。「コレなんだかわかる?」アートディレクター氏が訊ねてきた。聴いたことはなかったが、細やかに音を糸のようにつないでいく曲想があの曲っぽいな、と思ったら案の定。
 チェロキーの車内でかかったのは、「Hell Freezes Over」の中の「Hotel California」。このバージョンを聴いたのはその時が初めてだった。




8434 坂田和人 _6

 

8434 坂田和人 _6

Kazuto Sakata
RS125R
Eastern Creek 1992


2024年8月11日日曜日

8429 うん。熊だ。

 

8429 うん。熊だ。

8428 吉岡里帆 _17

 

8428 吉岡里帆 _17

8427 Ayrton Senna da Silva _28, NT0081 あの時何かが終わったと直感したのだ

 

8427 Ayrton Senna da Silva _28

Ayrton Senna da Silva
Toleman TG184 Hart
Mónaco  1984

NT0081 あの時何かが終わったと直感したのだ


 タンブレロに激突しへし折られたファルスは何かの暗喩であると直感した。

 セナという人は、強い意志の人であったと聞いていた。象徴的にこういう例えをしたのを目にしたことがある。
 幅が1.2m程の水路があったとする。まぁ、普通の健康な成人であれば、飛び越えるまでもない、問題なくまたげるだろう。では、高さが100mある二つのビルが隣り合って建っている。隙間は1.2m。屋上から屋上へ飛び移れるか? 普通の人間では同じ幅なのに怖気づき躊躇するだろう。セナは何のためらいもなく渡ってしまう人間だ、と。

 必要なら人の何倍の努力をすることも厭わない。自分自身に停滞することや逆行することは決して許さない。立ちふさがる障害も力技で乗り越える。って、停まったら死ぬって、サメかなんかみたいだな。そういう、なんというか、近現代というものの体現者のような人だったんじゃなかったか?
 これは、彼の死後、いろいろ彼の事について読んだりして抱いた印象なのだが、まぁ、事故の翌日にすでにそんな感じの事を思ってはいた。

 何が終わったと感じたか? セナをスターに据えた日本のF1ブームは多分終わるだろうとは思ったが、そういうことじゃない。

 多少かぶれていた現代思想的な用語を使うならば、モダンが終わり、これからポストモダンが始まっていくのだ、みたいなこと、違う言葉ではあったが感じていたのかもしれない。それまでは個人にとって意志を貫きうる幸せな時代だった。が、以降、個人というのは負けていく、かなり抽象的だな。何に負けていくというのだ? 機械にか? 不可視な共同体の意思にか?

 しかも、モダンは、自らの意思で幕引きをするのではない、なし崩し的に、しかし、二度と立ち直れない形で、でも、最初は見えないように、そんな感じでこれから負けはじめていくのだ、と、あの時は言葉に出来なかったが、今こうして言葉にしてみると、確かにそういうことを感じていたのだと思う。

 妙な焦燥感だけが次第に肥大化していった。何かしなくちゃいけない。でも何をだ? そして何もできないまま今まで来てしまった。


8426 刀 _39, NT0079,0080 ノート「裏道を行け ディストピア世界をHACKする」番外編

8426 刀 _39

NT0079,0080 ノート「裏道を行け ディストピア世界をHACKする」番外編


において、オレは

「なぜ、〇〇工学をクールと思い、そこに引き寄せられようとするのか?
 恋愛に関していえば、どの時代にも姿を変えて、何やらどこか湿ったフォークロアが存在し、通俗文学やテレビドラマ、映画に姿を変えて世に姿を現す。それに救われる、指針をもらう者もそれなりの数いるだろうが、どうしたって救われず、その湿り具合を嫌悪を持つものには、〇〇工学という言葉の響き、たたずまい、魅力的に考えるのだろう。」

と書いた。恋愛あたりの事に関し、情緒などという湿った自分じゃ手に負えないものを嫌って、分かりやすい数値データ、機構を駆使して乗り越えようとしたが、結局はその情緒とかそのあたりのものに破れてしまうわけだ。

 ふと、な、こんなこと書くのも気恥しいが、若い頃諳んじた漫画の一節を思い出した。

 若さは性急に結論を欲し、問題を切断しようとする

 その前から、少しまとめて書くと、こうだ。

 限界超克の姿こそ男にはふさわしい
 それは一種永続的な闘争であるが、その苛烈な思惟に耐え続けるのは難しい。
 若さは性急に結論を欲し問題を切断しようとする

 年齢的凋落はやがて来るが、再び立ち上がり走り出さなければならない
 初めてアクセルを握った時から何も変わってはいないのだ

 細かいところは間違ってるかもしれないが、こんな感じだったと思う。

 頭が弱い、という言い方はあるが、頭が強い、という言い方がなぜかないのが少々不思議。思考力と一言で言うが、その頭ってやつにも、瞬発力と持久力があるんだと思っている。
 持久力と言ってしまうと、それは限りなく意志力というものに近くなってはしまうものの、瞬発力=瞬間的ひらめきこそないものの、取り乱さず変な飛躍もしない、一歩一歩思考を進められる、最低限そのように少しでもやって行こうとするというのもまた「頭がいい」とはいわないだろうか? いや、あまり言わないかもな。

 答えが出ない事、正解がひょっとしたらないことを考え続けること。それでも、遂に情緒なんて獲得できないかもしれない。
 そして、そのように思考することは現代的とは言えない。考えてダメなら切り捨てて次に行くのが当代の流儀だ。それは正しいことなのか?何より幸せなことなのか?楽しいのか? 直感はそうではないと告げているが、自信はない。

 何かに拘泥することは知らずと気が付けば自分をかなり不味い状況に追いやってることが、特に今では多い気がするので怖くてなかなかそんな感じにはいかない。

 また、他はどうでも、自分は悩み続け考え続け隊と若い時に思ったとしても、気が付いたらそういう自分の若い頃を裏切ってしまうのが人間の弱さ。

 ああ、だからか。

 年齢的凋落はやがて来るが、再び立ち上がり走り出さなければならない
 初めてアクセルを握った時から何も変わってはいないのだ