2021年12月5日日曜日
7244 Valentino Rossi 1997_4
ヴァレンティーノ・ロッシの事から離れて、1997年の事を少し。
1996年には、三菱銀行あたりが立ちいかなくなって、公的資金を入れるも、責任者が相応のペナルティを受けたと印象がないまま公的資金を入れて立ち直りはしたけれど、それが後のこの国のモラル・ハザードにつながったのではないか、と書いたが、
この年は、遂に支えきれず破綻した、銀行、証券会社、保険会社が続出したという印象。
それほどまでに、不良債権、バブルの時の金融倫理のゆるみの問題は大きかったのか、ということと、国庫のキャパの問題は当然あるだろうけれど、潰れてしまうものは潰してしまえと舵を切ってしまった、三菱は助けてもらったのに、という、三菱が助けてもらえて他がそうじゃない、なんかいまいち根拠不明な所での不平等感が残る。当時の事を伝えるものはいっぱいあるようで、よみこんだわけではないが、なんか、相当ドロドロしていたんだろう。
利害が細分化してしまい、国として社会として明確な方針が打ち出しきれない。ネット時代前夜でそれだったので、何につけ、そんな風になってしまい、誰の言っていることが正しいのか、政府首脳のものであっても、そんなことはないはずだと、反証もまた多く信じられない。何を根拠にしているのか明確ではないままだから。後には、それをいいことに、統計すらまともに取らなくなる官僚の仕事であるが、マスコミもまた、自分たちの妄想のストーリーの中に都合のいいファクトだけを当てはめて、なんてことをしたりして、そういうのを市井の人間が肌で感じているものだから、その内陰謀論的なものがばっこしだして、というのが ←今ここ、という感じなのだと思う。
まず正確なデータ。それを政府が収集して包み隠さず公開することが大切なんだろう。データ取集に関しては官僚が集めて作成するものの他に別系統で収集したものも突き合わせてデータの妥当性を探っていく感じ。それの主体は政府、政治家と呼ばれるポジションの人たちの仕事であり、その過程も細かく公開していく。
官僚の抵抗は大きいだろうな。しかし、まぁ、それにそぐわない役人はバンバン替えていった方がよい。
下っ端はなんかそれらしいペナルティを受けたりもするが、最終的な意思決定をする責任者にはそれが及ばないという印象。それがいけない。
保守というものが、仕組みの大きな枠組みを変えずに、というならそれでもいいが、その為にもへまをしたやつ、不正を働いた奴というのは、特に上の権力を持った奴ほど、ちゃんと更迭、追放していかないと、仕組みの保守は成り立たないと思うが、どうか?
まぁ、失われた10年と呼ばれていたものが、やがて30年となろうとしているのは、このあたりの事が始まりだとおもっている。先行きの不透明感、不安感だけが残り、行き当たりばったりの対処療法だけが繰り返されて、それに対しての明確な処方も意志も示せていない感じ。 なんか同じこと書いてしまったな。
7243 R35_57
思えばR35が、「エンターテインメントとしてのクルマ」の最後だったのではないかとも思う。
この「エンターテインメントとしてのクルマ」というのは、言い換えれば「憧れとしてのクルマ」ぐらいになろうか? ガソリン車はまだもう少し続くし、スポーツカーもR35の後にも、かつてほどではないが発売されている。
しかし、走行性能―走るということに、数値のみならずそのコンセプト、思想まで突き抜けていて、我々をしてスゲーと思わせたのはR35が最後だったんじゃないだろうか? ということ。
クルマの動力性能については、すでに頭打ちだったというのはある。これ以上凄くしたって誰が操縦するのか。
そうなると、制御系の話になる。いっそ、すべてAIが制御してしまうオートパイロットで最速とか。でも、そういうの本当楽しいの?ってなると、その匙加減、ということになる。
価格。一部の石油王とか秒で何億稼ぐとか、そういう人間じゃない、正業についた月給取りにでも買える価格でこの性能。言い換えれば、工業力の問題。
最高速はともかく、加速ではEVの方が上。もう、ガソリンアホみたいに食ってスピード出すなんていうのは許されない。
つまり時代的に許されていた、何とか無理をすれば買えないこともないクルマを人が操り突き抜けるように走っていく、そういう夢としてのクルマ。買う、買わないの問題ではない。極上の美女とのセックスよりもひょっとしたら上なんじゃないだろうか? とさえ思わせる快楽の予感。その辺での憧れと妄想の対象としてのクルマ、である。
そもそも、今、我々は、ガツンと突き抜けるように走っていきたいのか? それを希望しているのか?
ちゃんと希望しているのであれば、自動車メーカーのブランドイメージのためにこういう車は必要となるが、そう希望することを忘れてしまったのではないか? または、そう希望する、そういう意思をうばわれてしまっているのではないか?
直接、強硬にそういうことを禁止するということはしないようだ。かえって逆効果だから。徐々にパイを奪っていく。愛好者を少しずつ削っていく。年をとり、そういう愛好者が死滅してしまえば完了、という感じで。
ブランドイメージに寄与するものがなければ、売れないものをカタログからは消去する、速攻で。株式会社は、顧客のものでも社員のものでもなく、株主のものであり、株価の根拠である複利配当に、しかも即時的に反映されないような企業活動は差し止められる。そんな製品の製造は停止させられるのだ。社員がどんなに希望していたとしても。
物言う株主とやらにちゃんと対抗しうるような結果を出している経営者でない限り、製造者、開発者の意志、顧客というかファンの希望なんていうのは三の次なのである。
逆に言うと、そういう経済の理屈の中にありながら、そういう夢を顧客にすらなれなかった、一ファンとして見られた時代を知っている俺たちは幸せだったのかもしれない、という言い方しかできないのかもしれない。
2021年11月28日日曜日
7242 Jean-Louis Albera
他にジャン・ルイス・アルベラの名前、フランス語pdfで見かけたが、1980年はカワサキには乗っていないという、GPにフルに出ていたわけでもなければ、大した成績も上げていなさそうだ。
多分、テストか何か。
非常に胡散臭いし、どこかおおらか。それはこの当時のGPの魅力でもある。
7241 Valentino Rossi 1997_3
ヨハン・ザルコも”連中”の抗議が入る前は旭日旗をヘルメットのデザインに取り入れていたのだが、旭日旗については前に書いたので、ここでは書かない。
で、その後は、可能な限りかかわりにならないようにする、と。
7240 CBX550F
画像はCBX550Fであるが、このころはバイクブームの奔りの頃。車体がそっくり同じで、エンジンブロックもほとんど同じで、ボアストロークだけ変えた、というパターンが結構あった。まぁ、免許制度の所為もあったのだろう。
で、多分、この文、文中のMも読む。「こんなこと書くなよ~」とか、まぁ、程々に抗議してくる。深刻なようなら修正するか削除するかすることになると思う。
コロナ禍で、なかなか飲み会も開けなくなったが、ひとたびほろ酔いの同級生を見ていたら、なんかこんな感じで続けていけたらいいな、と素直に思う。
でだ、奴の赤いCBXなんだが、あの後、割とすぐ、廃車になってしまうような事故に遭ったそうである。もったいねぇ。
2021年11月27日土曜日
7239 ZX10R 2005_4
2021年11月25日木曜日
7238 Valentino Rossi 1997_2
そういえば、この手の単車、シートは申し訳程度に薄いウレタンをシートカウルに張り付けてあるだけだったりするが、どっしり腰を落ち着ける場所ではない以上、それでいいのかもしれない。
ホンダのRC211Vなんて、最初の試作は、モトクロッサーのシャシーに5気筒1000CCを積んだやつで、とにかく、前輪を押さえつけて操ることを主眼にしたらしいが。しかし、ホンダも新規にレーシングマシンを作るときは、着想をモトクロッサーに求めるのが好きな所だ。NS500の時は、ヤマハのTZ買ってきて、エンジンほっぽって、自分処のモトクロッサーのエンジンを積んだ奴から始まった、というのだから。
いろいろ考え方も変わるものだと。それにつれて乗り方も変わる。
2021年11月24日水曜日
2021年11月23日火曜日
7235 Valentino Rossi 1997_1
で、ロッシだが、125㏄で、2位以下、上田、眞子、坂田、徳留の4人の日本人を抑えてチャンピオンになっている。この年、ポディウムの中央に上がったのは、ロッシと上田のみ。
7232 Valentino Rossi 1996_3
何について知りたかったかというと、金融機関の破綻に際し、公的資金が投入された、それはいい。それに際し、資金を投入する代わりに、経営責任を明確化、つまり、責任者の更迭などの処分を求めたが、金融機関側がこれを、つまり責任者が責任を取る事を拒否した、というのが当時のニュースの第一報で、結局それがまかり通ってしまったということであったと思うが、当時の内実と、その後の話はどうであったかのかと思ったわけだ。
2021年11月21日日曜日
7229 Valentino Rossi 1996_2
ロッシの1996年の姿を見てみる。まぁ、単車に乗ってるところ。ロッシの、というわけではないが、この年、WGPも四輪のF1も、日本企業のスポンサーステッカーが、さっと消えた年であったと記憶している。少しばかり感じた寂寥感も。
折からのバブル崩壊、金融システムショックがあったり、前年、1995年には、阪神淡路大震災、オウム事件。日本全体が委縮してしまった年で、思えばあの感覚は晴れることなくずっと続いている。
そんな馬鹿な、とも思わなくもないが、多分それより前のバブルの時の全能感を知っているからだろう。頭では、これが案外普通かもよ、とわかっていても、どこかで、もっとましなあり様があるのではないか、と、ずっと思っていたりする。それは間違いだとわかっているので、なんとかその辺折り合いをつけるなんていう、無駄な努力なんてしてみたりもする。
それはそれとして、努力をしないわけではない。オレが、というわけじゃない、日本が、というところで、寧ろ相当もがいたような気がする。しかし、掛けた労力のうち、ちゃんとした推進力になったものは少なかった、という感覚。
それまで、バブル前夜まで、確としたレールがちゃんとあり、それに乗っかって瑕疵なくやる事やっていれば、形になった。本流にそれがあったから、レールから多少外れていても、引っ張られるように何とかなった。せいぜいその範囲で精進するのが努力と呼ばれるものだった。
もがくけれど、本当にこの方向が正しいのか、常に疑念が頭をよぎり、何処か力が入りきらない、そしてそのことへの焦り。
バブルもバブル崩壊も、もう遠い昔の出来事のはずなんだが、そこに流れる何かをいつも総括しきれない。1995年の出来事も、2001年9月11日のニューヨークの事も、2013年3月11日の事も。
すんません。1996年のヴァレンティーノ・ロッシの印象が、オレにはなかったため、1996年自体の事が膨らんでしまった。
2021年11月20日土曜日
7226 Valentino Rossi 1996
ヴァレンティーノ・ロッシが引退ということで、GP125での世界選手権デビューが1996年だから、えっと? 25年、四半世紀、彼はあの場にいたことになる。彼の四半世紀自体凄いことなんだが、四半世紀かぁ。空恐ろしくなる、時間の流れの速さには。
125㏄の最初の一年目のロッシのことは、全く覚えていない、というより、知らなかった。
まぁ、国元に帰って、ぶっちゃけ都落ちの気分で、しかし、まぁ、いろいろとっ散らかっていたオレには、GPをおちついてみるということができなかった、っていうか、田舎だし、この年の中継、テレビで見ることができたのかどうかわからない。
今はネットなんてものがあって、Wikipediaなんて便利なものもあって、1996年のランキングぐらいならすぐに検索できる。
500ccのチャンピオンは、ミック・ドゥーハン。今では息子が4輪のF3に乗る。500㏄の日本人最高位は5位のヤマハに乗る阿部典史。あとは、クリビーレとかカダローラとか。ドゥーハンが強すぎてあとは小粒に見えてしまうメンツ。
250㏄はマックス・ビアッジ。真木蔵人に似てる。ナオミ・キャンベルとも浮名を流した人。ロッシとは非常に仲が悪かったらしい。でも、ビアッジと仲が良かった人はいない、とも聞く。日本人は5位宇川徹、7位青木宣篤、8位原田哲也。
125㏄は日本人祭り。1位から青木治親、徳留真紀、眞子智実。ルーキーロッシは9位。
なんだそうです。全然覚えてない。青木治親が125㏄のチャンプ獲ったこと以外。あ、あと、500cc、阿部典史がヤマハのエースだったけれど、この年のヤマハ、全然走らなくて・・・。うん。全然見てなかった。結果を後で知っただけ。
うん。余裕なかった。この年の後半からゲーム制作の仕事に携わるようになるが、まぁ、楽しかったけれど、ちょっと人間の生活サイクルではなかったな。その前は、主に個人的心理的理由で、やはり余裕がなかったが、その辺詳述しても、面白いように書くことは、ちょっとできないかな? いや、いろいろこの時思ったことをベースに書くことはできるんだが、エピソード的には全く面白いことがなかった。
今のこの季節にはもうゲームを作っていて、休憩時間にコンビニで缶コーヒー買って、ガードレールに座ってタバコ何本か灰にしながら夜空見上げてたかもしれない。夜食に牛丼食いに出たりとか。
まぁ、そんなわけで、この年のGPについて、ロッシについて、何か語れるわけではないのだが、それでも、まぁ、思うところもないわけでもないのである。(続く)
2021年11月17日水曜日
2021年11月14日日曜日
7222 AE86 Levin_6
オレの小学校の時は、なんかどこかそこか、鉄筋新築校舎に建て替え中だった。中学、高校の時は安定のおんぼろの木造校舎だったか、そっくり同じ学校に通った妹など、小中高とも建て替え工事中で、卒業してから新校舎が完成した、そういうめぐりあわせを時々ぼやく。大学は、オレは新築一年目の新校地だったが、妹がいった女子大はどうだったかは知らない。まぁ、爆発的に数が増える団塊ジュニアのほんの少し上の世代あるあるである。
それが今では高度もの数も減って、我が街の中心市街地では、一つ、来年から合併で消える学校がある。少子化にしっかり貢献しちゃったオレとしては、すみません、としか言いようがない。
そんなわけで、オレが言っていた高校も、それが卒業してしばらくしてから、線路を挟んだところにあった、富山大学の工学部跡に移転した。で、オレが言ってた高校の場所には高岡市美術館ができたんだけど、そうなってしまうちょっと前、オレが高校生のときの御話。っていうほどの事でもないが。
高校の正門を出たところに、似たようなおんぼろの店が二件並んでいた。「間島商店」と「床鍋商店」、この二つの店の関係ってどんなんだったんだろ? と、当時もちらっと考えたことがあるが、良くは知らない。どちらも、20段ソフトと、何も他に具が入っていない素うどんが売りで、ウチの高校や、すぐ隣の、昔、ウチの高校から別れた、高岡工芸高校、富大工学部の学生、他にも、電車通学のコは、高岡龍谷高校や向陵高校のコも越中中川駅で乗り降りしていた子もいるそうだから、そういう子たちも、要するに小腹すかした若い子がポケットに残っていた小銭で食べられるようなものを出すような店だった。こちらも、間島の方は廃業、床鍋の方はたこ焼き屋になってしまって、true tearsというアニメで、劇中出てきた今川焼屋のモデルになったりしている。
角が床鍋、その向かって左横が間島。床鍋の横がクルマでは通れないぐらいの道幅の小路で、越中中川駅に続いている。その道を挟んだ、間島の反対隣り、床鍋から見れば左隣の民家の玄関先に、赤黒ツートンのAE86レビンが停まっていたこと、同級生諸兄は覚えているものなのだろうか?
今では浪人のリスクを避け、出来る子でも東大を目指さず何処かの医大を志望する子が増えちゃって、東大に入る子が減っちゃったらしい母校であるが、まぁ、進学校であることは確かで、それは昔からで、そういうところで、車やバイクの話をするなんていうのははばかられたものだから、学校の前に、当時は新車のレビンが停まっているなんてことも話題になることはなかった。イニシャルDの20年弱ぐらい前の話だから、「ハチロク」なんて言い方も知らない。カローラ・レビン、である。
小学生の時にはスーパーカーブームの洗礼も受けているし、そういうのに興味が出て売る年代だし、全く素地がなかったわけではないと思うがどうか?
このレビンと、学校帰り線路わきに止めてある、カワサキZ250FTを見て、2,3秒うっとりするのが高校生の時の日課だった。何しろ田舎だったから、そうバリバリのスポーツカーやらバイクやらお目にかかることはないのだ。
レビン、っていうかAE86といえば、そういうわけで赤黒ツートン奈のだ。大学のいっこ上の先輩の最初の車がやはり赤黒のこちらは86トレノ。イニDの白黒なんかじゃない。まぁ、個人的な見解だけど。
そういうものに熱狂して、周りに多少迷惑もかけ、顰蹙も買い、自分自身も痛い目に遭い、優しさというものを知り、どこかで折り合いを付けるという術を身につけ、いいおとっつあんになっていく、社会化っていうのはそうしてしていくものではなかったか?
いささかリスクはあるが、若い時の鬱屈はそれと同等以上のリスクとなり得ることがある。それの調整弁的な役割を果たしたことは、歴史の上では確かにあったはずだ。
例えば秋葉原事件の加藤智大被告が、もっと満足行くぐらいFD3Sで走り回れる環境にあったなら、かのような事件は起こさなかったかもしれないように思う。「無敵の人」を量産する社会になってしまったのは、クルマも取り上げられて、鬱屈を晴らすところがなかったから。極端な言い方をすれば、それで、かつては夜の峠道で当事者が死んでいたのが、今や、列車の中や普通の歩道で無関係の人間が死ぬようになった、と。あまり理路生存とはしていないが、そんな風にも感じられる。