7311 S30Z_46
明け方、大分、宮崎の方でそれなりに大きい地震があったそうだ。プレート境界面の、割と地中深いところが震源なんだそうで、それが、境界面伝いに段々とせりあがってきたら南海トラフ地震となる。
太平洋辺縁の地殻活動の相関、時系列の記録を見れば素人でも何か関係があるとは思うものだが、あいにくとまだ、確立された法則のようなものは見つかっていない。トンガの海底火山の大噴火、衝撃波による高潮のような津波。太平洋辺縁に限らず地球全球で地殻の活動期なんだそうだ。
コロナ禍。なんなんだろうな、コレ。病気自体も然ることながら、社会構造の不都合、脆弱性を次々暴き、機能不全に追い込む。年寄り二人と心臓を患ったことがある初老の中年男のウチにウィルスが入り込んでしまったら、西宮の妹は3人分の葬式を出さなきゃならないことになる。
つまりは怯えてる。地震とかコロナとか。せめて少しでも苦痛の少ない穏やかな仕舞を望んでいたのだが、それもかなわなくなるかもしれない。
日々、目に見えて身体の機能が低下していく老いた両親。しかし、まだ二人とも存命なのだから、オレはラッキーなのかもしれない。そして遠からずそれはわが身で、しかも、その日を一人で迎えなければならない。そういうものだろうと、そのことについては諦めだけがあり、怯えとかはないけれど、ドスンと腹の奥に重しになっている。
突き抜けたい、と、若いころ思っていた。まぁ、若いころのそれは、色恋ごとについてだったんだが、今となっては、もう、この衰え行く身体、そして精神全体について、だ。
それはそうと、こうして、単車やらクルマやらオネエチャンやら風景やらの絵のようなものを舐ってるのだが、10000枚も描けば、遂に一廉の人物になれそうもないオレでも、なにかになれるかな?と淡い期待をもっているのだが、線を追う、色を分ける、そんな作業をやっているとき、ふと、小学生のころピアノを弾いていてバイエルの教本で鍵盤を追っかけてるときの感覚を思い出したりする。熱狂はない、が、他では案外味わうことが少ない、自分が一転に収斂されていく奇妙な楽しさだ。
尻に感じた猛烈な横G加速G、それを思い出したり想像したりしながら、案外それで、憂鬱は少し軽くなり、とりあえず明日の分のモチベーションは回復したりする。
そんな甲斐性もなく、ヘタレでビビりだから、アクセルを踏み込めず突き抜けて走り去るなんて遂にできそうもないけれど、それでも、どこかでそんな自分を夢想したりするときがある。
50過ぎて会社で今やってることのために、まさか、小学生の時毎日前を通ていた鉄工所の門をくぐることになるとは思わなかったか、その鉄工所の前あたり、緩いカーブになっていて、小学校の帰り、そのカーブの向こうから、白い、普段見ないような車が走ってきた。細いバンパーの前の型のポルシェカレラ(901ボディの所謂ナローポルシェ)かな、とも、思ったが、近づくにつれてそれが、S30Zであることが分かった。そういうことがあった。まぁ、フェアレディZなら田舎でもそんなに見ないことはないけれど、すれ違う時、小学生のオレは「かっこいい~」って興奮した。
日本車の性能が世界のトップレベルの成るにはまだ数年要する頃で、フェラーリやランボルギーニが、時速302キロとか300キロとか言ってた時に、条件が良いところを走っても200キロ何とか届くか届かないか、という時ではあったけれど、スーパーカーブームに毒されたニッポンのオトコのコにとっては、フェアレディは、ニッポンの誇りだった。