2025年6月23日月曜日
2025年6月22日日曜日
アンパンマンの贈与倫理──やなせたかしの戦争体験と「正義」の再定義4 「過剰な贈与」の倫理的考察
「過剰な贈与」の倫理的考察
贈与の概念は、人類学や哲学において長らく議論されてきたテーマである。マルセル・モースの『贈与論』では、贈与が単なる一方的な行為ではなく、返礼を伴う「交換」の一形態として捉えられている 25。 モースは、「自己を滅して他者への犠牲とするのではなく、お互いに自己犠牲を回避しつつも、自己を他者に対して与えあうという思想」を示し、過度な「贈与」一辺倒と「譲りえぬもの」一辺倒という極端な社会的態度を退け、中庸を貫くことの重要性を説いた。これは、贈与が社会システムを維持するための互恵的なメカニズムであり、自己を完全に消滅させるような「過剰な贈与」は推奨されないという立場を示している。
アンパンマンは「正義の味方」と名乗るが、実際には単純な勧善懲悪構造では捉えきれない複雑さを持つ。ばいきんまんという敵役も、実のところ飢えていたり孤独だったりすることがあり、「完全なる悪」ではない。彼を完全に抹殺することなく、毎回逃がす/追い払うにとどめるのは、「悪を罰すること」よりも「命を奪わないこと」への倫理的配慮とも読める。
さらに、アンパンマンの倫理は、国家的イデオロギーに還元されることのない、「顔の見える」他者との関係性に根差している。これは、エマニュエル・レヴィナスが語る「顔の倫理」──他者の顔に出会うことで自己が倫理的責任を引き受けるという思想──に通じる。
ジャック・デリダの贈与論において、真の贈与とは「返礼を期待せず、自己認識すらされない純粋な行為」であり、そこには矛盾がある。つまり、与えたと認識された時点でそれは贈与ではなく、交換あるいは誇示となる。では、アンパンマンの贈与は果たして純粋か?アンパンマンは、顔を差し出しながらも、その行為が周囲に認識されている。そして何より、その行為によって彼は「ヒーロー」としての役割と敬愛を獲得する。これはデリダのいう「贈与の不可能性」に抵触するようにも見える。
しかし、その一方で、アンパンマンの贈与には「秘密」が存在する。彼は自身の行為を誇示せず、しばしば無言で実行し、見返りを求めることはない。さらに、顔を与え続けるという行為が彼の存在基盤を脅かしている点──つまり、彼自身が徐々に消耗していく構造──において、その贈与は「自己消滅的な贈与」とも読める。これはデリダの贈与観における「計算なき行為」としての贈与に接近している。
デリダ的に言えば、アンパンマンは「贈与という名の構造的矛盾を受け入れながら、それでもなお贈与する存在」であり、その倫理性は不可能性のなかに倫理を見出す哲学的挑戦ともいえる
デリダの師匠筋にあたるジャン=リュック・マリオンは、贈与を「呼びかけへの応答」として捉える。これは、自己意識や選択のレベルを超え、他者からの根源的な「呼びかけ」を受け取ることで自己の存在が確立されるという考え方である。アンパンマンが困っている人を見捨てられないという「愛」から正義が生まれるというやなせ氏の思想 10 は、このマリオンの「呼びかけへの応答」としての贈与と親和性がある感じがする。アンパンマンは、飢えという他者の根源的な苦痛を「呼びかけ」として受け止め、それに応える形で自己を差し出す。この行為は、意識的な選択や計算を超えた、存在論的なレベルでの贈与じゃないだろうか?
ナタリー・サルトル=ラジュスは「借り」の哲学において、与える側が見返りを期待するか否かにかかわらず、受け取る側には「借り」が生じるという見解を示した。アンパンマンの無償の贈与は、受け手に対して直接的な返礼を求めないが、その極端な自己犠牲ゆえに、受け手にはある種の「負債」や「感謝の義務」といった心理的な「借り」が生じる可能性も指摘できる。これは、贈与が常に純粋な善意として受け取られるとは限らず、受け手側の心理に複雑な影響を与えうるという側面を示唆する。
これらの贈与論の視点から見ると、アンパンマンの行為は、モースが提唱する互恵的な贈与の枠組みを超え、デリダやマリオンが探求するような、より根源的で無条件な贈与の領域に踏み込んでいる。彼の自己消費的な贈与は、現代社会の「give and take」という教義 に挑戦し、資本主義的な交換の論理を突き破る哲学的な可能性を提示している。
2025年6月21日土曜日
アンパンマンの贈与倫理──やなせたかしの戦争体験と「正義」の再定義3 アンパンマンの「贈与」の様相と自己犠牲
アンパンマンの「贈与」の様相と自己犠牲
アンパンマンの贈与行為は、単なる慈善や助け合いの範疇を超え、深い象徴的意味と倫理的メッセージを内包しているように見える。その行為の具体的描写は、やなせたかし氏の思想がどのように物語に具現化されているかを明確に示しているかのようだ。
〇顔を与える行為の具体的描写と象徴的意味
アンパンマンが自らの顔を与えるところというのは、毎度おなじみのシーンなんだと思うんだが。飢えに苦しむキャラクター、なんかいっぱいいて、よくわかんないけど。調べりゃ名前ぐらいは分かるが、ここで列挙することもあるまい。とにかくいっぱいだ。そう言うキャラクターたちに、アンパンマンの顔が分け与えられる。顔の一部を与えられたアンパンマンは、そのたびに力が失われ、ふらふらになったり、飛べなくなったりする。この弱体化は、自己犠牲が伴う痛みを視覚的に表現しているということだ。
でも、アンパンマンの物語はここで終わらない。ジャムおじさんやバタコさん(これくらいは分かる)、時には他のキャラクターによって新しい顔が届けられ、交換されることで、アンパンマンは再び「元気百倍!」となり、力が回復する。この一連のプロセスは、単なる食べ物の提供ではなく、「自己犠牲」「助け合い」「無償の愛」の象徴として描かれている。自分の身を削ってでも他者を助けるという、揺るぎない正義の形を示しているというわけだ。
この顔を与える行為と、それに続く再生のサイクルは、単なる慈善行為を、自己を空にし、共同体の力によって再び満たされるという、深く儀式的なプロセスへと昇華させている。アンパンマンが力を失い、共同体の助けによって回復するという描写は、真の自己犠牲が一方的な消耗ではなく、共同体による支えと、行為そのものが持つ内的な充足感によって持続可能であることを示唆している。アンパンマンは孤立した超人ではなく、彼が守る共同体によってもまた支えられているのである。この循環的な再生は、アンパンマンの贈与が、物理的には極端でありながらも、病的な意味での「過剰」ではなく、むしろ持続可能な倫理的実践であることを示唆する重要な要素だ。
〇「傷つくことなしに正義は行えない」という思想の具現化
やなせたかし氏は、「本当の正義というものは、決して格好のいいもんじゃないし、そしてそのためにかならず自分も深く傷つくものです」と述べている。アンパンマンが顔をちぎって与える行為は、まさにこの「捨身、献身の心なくしては正義は行えません」という思想を体現しているわけだ。アンパンマンは、スーパーマンのような華やかなヒーロー像とは一線を画し、「アンパンチ以外に必殺技は持たず、水に濡れたり、カビが生えるだけでも力が出なくなるヨワヨワヒーロー」として描かれている。
この「ヨワヨワヒーロー」としての描写は、従来のヒーロー像が強調する無敵で圧倒的な力、華々しい外見とは対照的だ 。アンパンマンの弱さは、彼が自己犠牲的な存在であることと不可分に結びついており、脆弱性そのものを美徳へと昇華させている。真の正義は、支配や容易な勝利から生まれるのではなく、共感、困窮する人々と共に苦しむ意志、そして地味で目立たない献身から生まれるというメッセージを伝えている。やなせは、戦争を通じて、力によって振りかざされる「正義」がいかに恣意的で破壊的であるかを痛感したのだろう。アンパンマンの弱さは、そのような「力による正義」への批判であり、正義が物理的な力ではなく、「愛と勇気」という内的な道徳的資質から生まれることを示している 。この視点は、真の英雄性が、無敵であることや華やかであることではなく、他者のために自らを脆弱にすることにあるという、英雄像の根本的な再定義を提示している。アンパンマンの贈与は、その物理的な「過剰性」が、この再定義された、人間中心的な正義の必要かつ深遠な表現であることを示している。
アンパンマンの顔を作り直すジャムおじさんは、命を補給する存在として神的役割を担う。ここに、一種の神話構造や、管理された循環系としての社会秩序が内包されているともいえる。
〇『フランケンシュタイン』や『青い鳥』など、創作の源泉に見る贈与の哲学
やなせたかしは、童話版アンパンマンの着想源がメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』であることを明言している 。特にジェイムズ・ホエール監督の映画版に衝撃を受け、「パンが生命を持つ」というモチーフを得たらしい 。
童話版アンパンマンは、『フランケンシュタイン』の怪物と多くの点で共通性を持つ。両者は「外見の親近性」(醜さや不格好さ)を持ち、子どもとの接触において罵倒され、外見への誹謗・中傷に晒される 。また、善意が報われず、最終的には結末の曖昧さも共通している 。でも、醜い外見ゆえに拒絶され、悪の道に進む怪物に対し、アンパンマンは外見を気にせず人々を助け、罵られても人類への愛を失わないのは対照的だ 。
この『フランケンシュタイン』の影響は、アンパンマンの贈与の哲学に深みを与えている。アンパンマンは、フランケンシュタインの怪物と同様に、創造された存在だが、その生来の善意が、その異質な性質や外見のためにしばしば理解されず、拒絶される。それでも、彼はその拒絶にもかかわらず贈与を続ける。この行為は、無条件の愛と自己犠牲の力強い肯定であり、外見で判断し、真の善意を見過ごしがちな世界に対するメッセージとなる。
さらに、メーテルリンクの『青い鳥』に登場する「パンの妖精」のイメージも、アンパンマンに付与されたらしい 13。『青い鳥』が幸福の探求と、身近なものの中に幸福を見出すというテーマを持つことを踏まえると、アンパンマンの「パン」という日常的な存在が、最も根源的な幸福(飢えの解消)をもたらすという構図は、この影響を強く受けていると考えられる。朝ドラが実話にどれだけ則しているか分らんが、パン、アンパンは、やなせ氏にとって少年の時から大事なものであったようだ。これらの文学的源泉は、アンパンマンの贈与行為が、単なる物語上の設定を超え、人間存在、社会との関係性、そして真の幸福とは何かという普遍的な問いと深く結びついていることを表している。
8784 NSR500 1988 (再掲)

for Wayne Gardner
1988年のNSR500には、実のところこれと言った印象はない。前年チャンピオンを獲ったワイン・ガードナーはケガや何やで、エディ・ローソンにチャンピオンの座を奪われている。やはりというか、ワイン・ガードナーは目標を見上げてそこに向かっていくときにこそ力を発揮するが、一度それを獲ってしまうと、集中力をなくすタイプなのかもしれない、とも考えている。
あの頃の峠文化というものも不思議なものだった。まぁ、結構イキってるくせに下手糞な奴もいただろうし、最初はそもそもみんな下手糞だ。新車で峠に乗りつけて、いきなりコケてカウルバキバキにして涙目、なんてことはフツーにあったことだろう。
あぁ、こんなことがあった。そいつの単車がNSRだったかTZRだったかは忘れた。見てないんで。当時学生でも普通に建設現場のバイトに行くことが出来た。今じゃ労働衛生法とか何とか縛りが厳しくてそういう訳にはいかないみたいだが。
エンジンとかブレーキとかって部分はそういう訳にもいかないが、バブルの時とは言え、如何に金を浮かすかに腐心する峠小僧。それが長じておかしな改造とかをし始めてそれが流行りになったりする。あと、あのころ流行ったヘルメットの角なのかアンテナなのか、あれ、何だったの? はたまた変なところにBOØWYの歌詞が貼ってあったりしてな。
時は経ち、1年位前かな、MC18、88(ハチハチ)のロスマンズカラーのNSR250Rが近所のコンビニに停まっていた。どんな奴が乗ってんだろう?とみていたら、ほんのちょっと若いがほぼオレと同世代のおとっつぁんだった。当時、たくさん売ってたくさん廃車になったNSRだ。大事に乗ってくれたらいい。そう思った。
アンパンマンの贈与倫理──やなせたかしの戦争体験と「正義」の再定義2 やなせたかしの戦争体験と「正義」の原点
2025年6月20日金曜日
アンパンマンの贈与倫理──やなせたかしの戦争体験と「正義」の再定義1 なぜこんなものを書き始めたか?
グラビアさん
有象無象、と言っちゃ失礼か。ピンからキリまで、いや、これも失礼だな。まぁ、なんだ、地下アイドルやらグラビアアイドルやら、そこそこ名が通ったコから”自称”まで、この世には何人いることやら。ここでは、あえて、彼女たちの事を「グラビアさん」と呼んでしまおう。 名前は知らなくてもどこかで見かけた顔。かつてはフェミニストの論争の的にもなったグラビアさんたちだけれど、近年はあまり目立って叩かれることもなくなったようにも思う。フェミの側も、彼女たちがその世界で生き残るために必死なのを知っているのかもしれないし、下手なことを言えば、手痛く逆襲に遭うからかもしれない。 そもそも、売り出し中の若手女優がまず水着グラビアから始めるなんてこともあるだろう。若手から中堅になりつつある、ある女優さんなど、事務所がとってきたグラビアの仕事を拒否したから干されたんじゃないか、と邪推している。 かと思えば、グラビアこそが自己表現と言わんばかりの、グラビア界の大ベテランもいたりして。 若い頃にはこちらも、いろいろとお世話になった。けれどこの歳になると、グラビアを見る視線が変わってくる。相変わらず体の曲線には楽しませていただいているが。しかし、今や体温や肌の質感や吐息を創造するよりも、彼女たちの背景や生活を想像してしまう。 別にグラビアさんたちの生活に入り込むことなんて考えていない。この撮影があった後、名の通った人なら送り迎えもあるだろうが、一般への認知度が低い駆け出しのコなどの、撮影現場から歩いて駅に行き、電車に乗り部屋に帰る途中でコンビニで何か買い、部屋で、もそもそ、それを食べるところとか。 どんなきっかけでこの道に入ったのか。クラスで一番か二番くらいに可愛くて、スカウトされて、自分のルックスに需要があると踏んだのか。あるいは五番目くらいだけれど、どうしても芸能界に入りたくて、自分を売り込んだのか。もしくは他にやりたいことがあって、その資金を得るために、まずはグラビアで、と決めたのか。たぶん、いろんな子がいるんだろう。 でも、グラビアさんの業界、トップランカーをはるのは、甲子園で優勝するより難しいかもしれないんじゃないか?知らんけど。夢を叶える人間の影で、名もなく消えていく子の方が圧倒的に多いような気がする。少なくとも、あ、このコいいな、と思っても、それっきり二度と拝見できなくなることも珍しくない。 いや、確かにクラスじゃ、どっちかと言えば可愛い方だったかもしれないだろうけど、グラビアでやっけるほどじゃないし、正直キツくね? というコや、確かにそれ位だったら場合のよっちゃクラスで一番かわいかったかもしれないが、残念ながら量産型。または、うわ、表情強張ってる、みたいな明らかに無理しているように見えるコもいて、痛々しい気持ちになる。でも、まぁ、な、世の中それでひるむぐらいなら、最初からやるべきじゃないし、覚悟の上の事だろうが。 大丈夫? 悪い大人に騙されてない? って。本人が「やる」と決めたなら、そのコの生き方だ。応援することにやぶさかではない。でも、う~ん、どうなんかねぇ? 自分の娘じゃなくてよかった、と正直思う。娘がこういう生き方を選んだら、親としては反対しちゃうような気がする。心配で、背中を押してあげるなんてできないんじゃないかな? 無責任な消費者としてなら「身体に気をつけてな。うまくいけばいいな」とか言ってあげられるが。
2025年6月19日木曜日
存在と鋼鉄6:ポルシェの身体性
存在と鋼鉄5:ポルシェの脱ナチス
ハリウッド映画ではあるが、1986年の「トップガン」で、ケリー・マクギリス演じるチャーリーが乗っていたのも、2019年の「Ford VS Ferrari」の冒頭辺り、マット・デイモン演じるキャロル・シェルビーが乗っていたのも、356だったし、事故死したジェームス・ディーンが乗っていたのは550だった。自国の大排気量V8ではなかった。確かにジェームス・ディーンの頃のアメ車は特にJames鈍重だったってことはあるかもしれないが、それを割り引いても、アメ車じゃなく、ポルシェだったというのは、それぞれに意識したわけでもなかったとしても、何かがあったのではないか?
ポルシェの脱ナチス
ポルシェは、どうして国民車ではなく浮世離れしたスポーツカーを作るようになったのか?
フェルディナンド・ポルシェが手がけた「国民車(フォルクスワーゲン・ビートル)」と、その後彼の名を冠する「ポルシェ」という高級スポーツカー・ブランド」の間には、一見すると断絶があるが、実は思想と時代背景の転換が反映されているように見える。
1930年代、ナチス政権下のドイツで、フェルディナンド・ポルシェはアドルフ・ヒトラーの構想に応じて、ドイツ国民すべてが手にできる「国民車(Volkswagen)」の設計を担当した。それが、のちに「ビートル」として知られるクルマである。安価で整備が簡単、農村でも使える頑丈な構造で、T型フォードに対応する、ドイツの大衆車だった。 しかし第二次世界大戦の終結とナチスの敗北により、ナチス政権の庇護を受けていたフェルディナンド・ポルシェは、しばらく連合国によって拘束される。その後、彼の息子フェリー・ポルシェが、家業を再建すべく新しい方向性を模索する。
戦後の混乱期、ドイツでは「大衆車」はフォルクスワーゲン社(のちに完全民営化)が受け持つようになり、ポルシェ家が改めて大衆車を作る余地はほとんどなかった。そこでフェリー・ポルシェは発想を転換し、「自分たちの理想を追求した車を、自分たちの技術でつくる」という方向に進んだ。
今はそうでもないのかも知れないが、クルマ屋である以上、走る、曲がる、止まるで、自分の作ったクルマがどこのよりも、スゲエと言われたいものじゃないだろうか?
その結果生まれたのが、1948年に登場したポルシェ356。軽量、コンパクト、精緻な操作性とバランス感覚。高級であるというよりは、「技術的純粋さ」を追求したモデルだった。
やがてそれは富裕層の心をつかみ、「ステータス・シンボル」となっていく。1950年代以降の経済復興(いわゆる“奇跡の復興”)とともに、ヨーロッパには「遊びとしての車」「趣味としてのスピード」が求められるようになる。つまり、経済と文化の成熟にともなって、ポルシェは“使われる”より“見られる”車になっていった。
20世紀初頭など、走りを志向し起こしたメーカーがステイタスを獲得した後、ふやけた高級車ブランドに堕してしまったところも結構あるのだが、ポルシェの凄い所は、「どこのクルマよりオレんとこのクルマはスゲエ」を常に証明しようとし続けているところにある。もっとも、クルマの能力がとっくに人間の操縦能力を超えたものになってしまっているので、その辺の路地を走る分には、ふやけていようがどうだろうが関係なくはなっているのだが。それでもだ。
国民車の理想は、ある意味で「国家による福祉的自動車政策」だった。そこには「ひとつの民族・ひとつの国家・ひとつの車」という全体主義的な響きもあったと言えると思う。
一方、ポルシェがつくったスポーツカーは、「個人が自由に楽しむための、性能と美意識の塊」。つまり、20世紀の大衆社会の中で、個人の自由、個人の嗜好にこだわる文化が花開いたことの象徴でもある。
フェルディナンド・ポルシェの歩んだ道は、戦前の「大衆のための合理主義」から、戦後の「個人のための情熱主義」へと転換したドイツ社会の縮図とも言える。国民車からスポーツカーへ――そこには、戦争、敗戦、復興を経て変容した人間観と価値観の変化が刻まれている。
ポルシェが戦後に手がけたスポーツカーは、単なる交通手段ではない。それは、「個人が自由に楽しむための、性能と美意識の塊」であった。そこにあるのは、「移動する」ことの機能性ではなく、「走る」ことそのものへの欲望――すなわち、人間の内なる衝動への応答である。フェルディナンド・ポルシェとその子フェリー・ポルシェが創出したそれらの車は、合理性を極めた産業製品でありながら、同時にニーチェ的なディオニュソス的陶酔に応える器でもあった。
ニーチェは、「芸術とは生の肯定である」と語った。美と速度と音の融合体であるポルシェの車は、まさにそうした生の躍動の表現である。それは、国家や民族といった「共同体の機能」の中に人間を埋没させようとしたナチズム的構造への反転であり、「この私が、今、ここで、生きている」という個の感覚を極限まで浮上させる道具だった。
一方でハイデガーの視点を借りれば、こうしたスポーツカーは「技術=ゲシュテル(囲い込み)」の最先端にある存在でもある。自然と人間を計量化し、制御可能なものとして対象化するこの時代において、ポルシェのマシンは、技術が「人間存在そのものを規定し始める」ことの一つの表現でもある。だが同時に、それは「ただの手段」に堕すのではなく、操る者に一種の存在論的な歓喜をもたらす装置ともなりうる。すなわち、「ハンドルを握ることで、私は世界の中に投げ出され、速度と重力のなかで、存在の限界を体感する」――それは機械と人間の新しい合一のかたちでもある。
ポルシェは、かつて「国家のために設計された大衆車」の設計者であったが、戦後には「個人のための陶酔装置」を生み出す者となった。その変化は、20世紀のヨーロッパにおいて、「人間とは何か」という問いが、集団性の中から、再び個へと引き戻されていったことを象徴しているのかもしれない。
2025年6月18日水曜日
存在と鋼鉄4:成長と完成の神話――近代とその亡霊たち
成長と完成の神話――近代とその亡霊たち
いつからだろう。「なぜ生きるのか」という問いが、「どう生きれば最も効率的か」に変わってしまったのは。
あるいは、「これでよいのか」という問いが、「まだ足りないのではないか」という焦燥にすり替わってしまったのは。
成長・向上・改善――。
この一見ポジティブに響く言葉たちが、21世紀の人類を“数字”に閉じ込める檻になるとは、誰が予想しただろうか。
ここでは、「成長信仰」および「完成への執着」がどのように形成され、どのような思想的系譜に依拠し、どのような転倒を招いているのかを、思想史の視点から描いていく。
近代の誕生と「神のいない世界」
ルネサンスから啓蒙主義へ――人間は神の庇護から自立し、世界を自らの手で説明しようとした。逆に言うと、それ以前の人間の思考野が信仰というもので、ロックがかかっていたところがあった、という事だろうか? 神様からのお仕着せの言葉で、自ら思考し既定することなく世界の枠組みを受け入れてきた。自らそれを考えだそうとした試みの始まりである。
フランシス・ベーコンは「知は力なり」と述べ、知識を手段とした世界支配を掲げた。
デカルトは「われ思う、ゆえにわれあり」と、外部から切り離された自己の確実性を主張した。
この流れのなかで、「世界は測定可能であり、理性によって制御できる」という信仰が生まれた。当時の空気感は、一種の万能感に支配されていたのかもしれない。人間が世界を規定していくのだという、自負やら傲慢やらが入り乱れたような。
このとき、人類は「永遠の問い」よりも、「無限の成長」という新しい神話を手に入れた。思えば、この選択が例えば今の行き詰まりを産んでいるとオレは思っているが、それは言っても詮無き事だ。問題は「永遠の問い」があることを忘却してしまったこと。
資本主義と効率の論理
マックス・ヴェーバーが喝破したように、プロテスタンティズム(とくにカルヴァン派)は、労働と勤勉、節制と貯蓄を通じて神の選民であることを証明するという倫理を育んだ。包括的に存在論的思考全体の話にはならなかったのは、時代の不明だろうか?
神の不在が明確になるにつれ、この倫理は資本主義の歯車として独り歩きしはじめる。利潤は善であり、効率は美徳であり、生産性は道徳であった。
「(経済的に)成長しているか?」という問いが、「存在していていいか?」という問いと合一するようになるという、オレから見ればある種の不幸を人類は背負い込むことになった。
ニーチェとハイデガー――進歩への懐疑
ニーチェは『ツァラトゥストラ』において、「人間は乗り越えられるべき橋である」と語った。
しかしそれは、近代的な成長とは別の文脈にある。
ニーチェにとって、成長とは個としての意志=力への意志(Wille zur Macht)に根ざした創造的行為であり、「他者から優れている」ことではなく、「自己を更新すること」にこそあった。
そしてハイデガー。
彼は『存在と時間』において、「現存在(ダス・ザイン)」が死に向かう存在であることを明らかにした。それゆえ人間は、完成に至る存在ではなく、常に不完全のまま、開かれている存在である、とした。
だが現代は、そのような“開かれ”よりも、“完成されたプロダクト”としての自己を目指す。
彼が批判した「技術による世界把握(ゲシュテル)」は、現代の成長主義そのものである。
ナチズムの夢と破滅
ナチス・ドイツが求めたのは、「完成された国家」であり「純化された共同体」であり「強化された人間」であった。ニーチェの思想を恐らくは恣意的に誤読し、超人思想を民族優越主義に置き換えた。技術を信仰し、「フォルクスワーゲン(人民の車)」で未来社会を夢想した。フェルディナンド・ポルシェのエンジニアリングは、戦争と機械の神話を支えた。
だが、「完成」は常に排除と破壊を伴う。完成しないもの、不完全なもの、非効率なもの――それが「敵」とされる。
そして、「完成」されようとした国家は、もっとも野蛮なかたちで崩壊する。
成長の終点と、ポスト成長の倫理
いま、われわれは「成長し続けることが前提である社会」の限界を目撃している。気候危機、格差拡大、精神の空洞化――どれも「過剰な最適化」の帰結だ。
では、脱成長は可能か? 「問いの復権」は可能か?
バタイユが述べたように、「無駄」「非生産」「蕩尽」こそ、人間的な営みである。
イヴァン・イリイチが描いたように、道具が人間に奉仕する社会から、人間が道具に奉仕する社会への転落に抗う必要がある。
ハイデガーが言ったように われわれはただ、なおも問う者としてのみ、存在の真理に近づける。
いま必要なのは、「完成すること」でも「成長しきること」でもなく、未完のまま、関わり続ける勇気でなないか。生きるとは、「なにかになること」ではなく、「問い続けること」「揺らぎつづけること」ではないだろうか?
成長とは、人間を測る単位ではなく、人間が測りきれない何かに出会うための、偶発的な現象であると思う。