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手帳術、整理術 考察2
手帳術、整理術というものを一括して考えていくことにする。考えよう、書こうと思いながら、ダラダラ放置していたが、ここらで、少しだけ集中して気合いれて。気合なんていう言葉は好きじゃないんだがな。
書くこととしては大まかに二種類。一般論的、話のネタ的、手帳術、整理術、と、オレにおける手帳、整理の実情という個別の問題。勿論不可分の問題であり、フツーに考えればすべて、オレのことへと向かってくるべきものなのだが、書き物としては、行き先が二つ方向になっていくのではないか、と、予測している。
一般論的な手帳術、整理術。
オレの個別の事情に当てはめる以前に、他人様のノウハウを色々見聞きすることもあるし、一頃ほどのブームではないにしろ、それでも手帳術本などというものは一定数ハケる計算をその方面の出版社はしているようで、そのような現象についても、なにかしら感じることがある。
オレの個別の事情。言わずもがな。ここからスタートしないと仕方ない。
文章の生成のパターン、というか、思考のパターンなどというものはそういうもので、つまり、ワタクシと世間一般、公を行き来するのがフツーで、だから、そういう風に分けてしまうなどと、改めて書くのも、酷くナンセンスのようにも思ってしまうのだが、そこはほれ、整理術だし。
オレは整理整頓が上手くなく、手帳というものも続けられない。50手前のおっさんがそんなことを書くのも、酷くがっかりな話だが、何とかしたいし、そのがっかりさ具合も何とか話のネタにならないものか、などというスケベ根性もある。自分の部屋や自分の車にモノを溜め込んで収拾がつかなくなってる様を見るに付けガッカリもひとしおで、何とかしなくては、何とかしなくては、といつも思いながら、先送り。で、何でやらないのか、などという思考のほうに逃げ込んでみたり。
あまりの収拾のつかなさに、流行りの断捨離などというものも考えないでもないのだが、そこに何か大きな落とし穴を予感している。その大きさがせめて分かるまで、しない方向で。
手帳にまつわるオレの事情については、まぁ、無くても何となくやっているので、無ければ無いで、と居直ることは出来るのだが、手帳術とは一面時間術であるわけだし、自分自身、もう少しマシな人間になりたいと思うのだが、ちゃんとやっていくというのであれば、詳しい反省、検証、考察を加えていく必要を感じている。
まぁ、何はともあれ、今これからのスケジューリングからだ。
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