2024年6月30日日曜日
8299 綾瀬はるか _8
8298 F40 _6
8267 高山 20210630
8296 ZX-4 _2
8295 Alessandra Ambrosio _13
8294 AE111 Corolla WRC _2
8293 Veilside Fortune FD3S _10
8283 Gilles Villeneuve _20
8292 H2 750SS Mach IV H2R replica
8289 CB1100RD _5
2024年6月23日日曜日
8288 Eclipse II _12
2024年6月22日土曜日
8287 下田沙也加
8286 Emily Feld
8285 ZXR750 (ZX750H1) _32
8284 DBR1 _3
2024年6月18日火曜日
8282 Jiotto Caspita Mk.II
2024年6月17日月曜日
8281 小倉ゆうか _4
8280 白石ひとみ _7
8279 E-CE9A EvoIII _2
8277 平忠彦 _37
8276 GPz900R _30
2024年6月16日日曜日
8275 Melanie Iglesias _79
8274 NR _2
多少器量が劣っていても心が綺麗ならば、などと昭和の伴侶の求め方、条件としてあったように思うが、器量が劣っているが人当たりがよければ「性格がいい」という誤解というか幻想というか、がいつしか生まれ、しかし、ここで言葉が反転し、器量が多少劣っているが性格が輪をかけて最悪だった、というのが木嶋佳苗死刑囚だった。これを打っている時点では刑は未執行で、再審請求とか出てるんだろうか? それが通るような新事実というものはなく、4件の殺人容疑の起訴、1件の未起訴、3件の結婚詐欺罪、3件の未遂、1件の窃盗罪。死刑に関るのは専ら殺人罪のほうであろうが、これらの容疑をすべて否定することは不可能と思われるがどうか?
50過ぎの未婚のおっさんたち、若い綺麗なコとか狙わず身の丈に合った、しかし長く一緒に居れそうな女性を選んだはずが、保険金かけられて殺されたのだ、と理解した。正直、これで婚活などと言うものに腰が引けちゃった男性も少なくないんじゃないか、少なくとも過大な期待ができるものではなく、すぐに逃げられる態勢で臨む、特にそれなりに年齢を重ねた男性が増えてしまったのではないか?
では、何を頼りに望ましいタイミングでパートナーを得られなかった男性は、相手を探せばいいのか? 諦観がひとつ深まったように思うのだ、この2007年から2009年にかけて起きた事案では。
であるのに、もしいたならば自分の娘ぐらいの女性に懸想して、自分の命の次くらいに大事なクルマとバイクを売り払ったお金を見継いだ挙句、見継いだ途端に冷たくされて、その女性をめった刺しした、オレよりほんの少し若い男の話。
この際、相手の女がクソで、めった刺しされても仕方なかった、という見解に異は唱えない。しかし、男の方、なんで、こんなクソ女につかまったかなぁ、とは思う。他の誰のためでもない、彼自身のためにめった刺しなどするべきではなかった。いや、別にしてもいいんだけどね。
言い分として、詐欺同然に何千万取られたのに、警察等はまるで救済してくれないから、などという、まぁ、言ってみれば自力救済。NSX1台、NR1台の売却金額分、どうしたら気が済むか、というのが詰まるところなんだが、それがクソ女一人分の命とめった刺しする時のカタルシスというのであれば、それも、なんというか、安上がりというか、NSXとNRが哀れというか。
一番の悲劇は、その方面、まるで練れることなしに50何年か来てしまったことか。「なろう」あたりの、ざまあがテーマのラノベ読んで喜んでる童貞クンたちと何ら変わらぬ人生と人への洞察の浅さを感じる。しかし、それでも目の前の、見た目はそこそこの女がクソかもしれないという可能性は思い浮かばないか? その辺、50何年かその方面砂をかむような思いを何度もして漸く自分だけのヒロインに巡り合えた、なんていう、童貞くんみたいな気持ちになっちゃったんだろうか?
NSXとNR、十何年か保有していたらしいが、ちょろちょろっと動かして満足していて、突き抜けたように走り回るようなことはしていなかったのかもしれぬ。NRなんてひとコケいくらかかるかわからない。結局のところ、多少の、どころか立ち位置次第では死ぬほど努力しても今の時代、思った伴侶など得られない、というケースは珍しくなくその方面、早々に絶望的と判断すべき男子は多いのだ。その時に生まれるいろいろな心のぐちゃぐちゃを吹っ切る突き抜けるための物であってほしかった。そりゃね、愛とかパートナーとか家庭とか至上の価値を持つもので、という人もいるだろうが、そうじゃない、そもそもどうしたってそういうものが得られないという奴もざらにいる時代なんだから、そういう価値には早々見切りをつけたっていいのである。じゃあ、そういうものを除外するとして他に何を価値とするのか? 何のために生きるのか? それをのんびり、ある時はシャカリキに探す人生だってあっていい。クソ女のために自分の人生終わらすというのは、・・・いや、それも人生か。
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本来京都の北山というと結構広い範囲を指すのだという話を聞いたことがある。岩倉から鞍馬、花脊、雲ケ畑もそうだ、と、誰かが言ってたような気がするが、まぁ、バブルの頃はそんな山奥まで行かない、植物園の北っ側の、京都にしてみれば割と新しめの区画整理がされたあたりを指していた。景気がよかったころだから、京都中心地の若旦那が金に物を言わせて、なんか変な建物建てたりスカしたブティック何かが結構立っている地域だった。今はどうなんだろ? 最初の成り立ちから言うとそうじゃない気もするし、案外そのまま今まで来ているような気もする。
建築中の鉄骨3階建ての1階、半地下みたいになってるスペースにコンクリートブロックを何百個かオレと50手前のおっちゃん2人の人力でトラックから運び込むというのがその日の仕事で。
初夏であったから、そこそこ暑かったはずだ。で、汗かきのオレであるから真夏のように汗をかき、その日の相棒のおっちゃんや元請けの監督に揶揄われていたはずだ。今もそんな感じだから多分そうだったのだろうという程度の記憶。晴れてはいた、快晴だった。それは間違いない。
それにしても前夜、オレはテレビを持っていなかったが、隣室の男の部屋から聴こえる、F1中継の音である。いつもにもまして大騒ぎだったけど、何を言っているかわからなかったけど、イマミヤさん、泣き叫ぶような声だったのは聴こえた。何かあったらしい、尋常ならざること。コンクリートブロックを手で運びながら、ずっとそれが気になっていた。
とはいえ、夕方になるまでそれが何だったか知るすべもなく、夕方帰りのコンビニで売れ残りのスポーツ新聞を買ったか何かして、漸く前の晩のイモラ、タンブレロでの大事故を知る。この時点では情報はまだ錯綜しており、希望的観測もなくはなかったが、しかし、レスキューが駆けつけた時には黄色の「彼」のヘルメットからは脳漿があふれ出しており即死であったらしい。2,3日の内にそれは明らかになる。
彼のFW16は、流行りの吊り下げ式ウィングのハイノーズではなかった。そうであったならもっと象徴的だったかもしれないが、雄々しいファルスがへし折られたのだ、と、何が時代の大きな潮目を感じてしまった。
彼の死について、間違いなくショックではあったけれど不思議と悲しいという感情は大きくなかった。ただ、大きな挫折も停滞すらも良しとせず、何よりも前進を第一とした意志の結末に出会ったような気がした。これから人類の何かは坂道を、場合によっては転がり落ちるようにして降りていくのだ、そのように感じた。オレにとってのその時の日付は1994年5月2日。現地時間では5月1日のことだ。
2024年4月29日月曜日
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2024年4月27日土曜日
NT0057 ノート「裏道を行け ディストピア世界をHACKする」橘玲
岡田斗司夫氏に教えられるまでもなく、橘玲氏の書くものには、一定の共感というか、目から鱗というか、うん、尤もだ、がありまくりで、こういう物書きを知るというのも、20年に1回ぐらいじゃないかしら、と思うが、あまり持ち上げてもしょうがないか。
最初に意識の中に入ってきたのは、彼のリベラルに対する深い失望を書いた文章だったように思う。決して、ネトウヨ的保守主義者ではなく、寧ろの反対の立ち位置に居たいのに、どうにもダメ~な奴しか、その界隈には見当たらない、的な文章だったように思う。オレは誠にそうだと膝を叩いた。ぽ~ん!と。
さて不摂生でこの身にまとわりついた脂肪はいろいろ不都合を引き起こし、可及的速やかに、しかし無理をせず、取り除かねばならないわけで、GW初日だ。しゃこしゃこと部屋でエアロバイクを漕いでるわけなんだが、そのお供として、講談社現代新書の橘氏の「裏道を行け ディストピア世界をHACKする」。
うん。ディストピア。社会としてこの絶望的な状況を何とか出来る処方なんてないのだ、というのが橘氏の主張。だから何をしてもいい、というわけではなく、完全に諦めたわけではなく、現状認識としてそれはそれ、何か出来ることはないだろうか? 方向を探すために思考して、その中で生まれ出てくる、氏の著作群と捉えている。
ならば、この状況で個は如何に動くか?、動くべきか? そういうことなのだろうか? タイトルだけを見て、そのように想像した。
しゃこしゃこしゃこ。
第1章は、非モテが如何に超絶ナンパ師になるか?という話。これはオレが何十年前から思っていたことだが、要するにだ。女性が男性をパートナーとして選ぶ基準というのは、自分という個体と子孫=遺伝子の保存のために最も有利そうな相手、ということなんじゃないか? ということだが、これは、この分中にも書いてある通り、生物は遺伝子の乗り物である、という何十年前に聞いた説のオレなりの解釈以上のものではない。
偶にこの基準が壊れた女の人の話も聞く。ダメンズとか。でも、まぁ、それは、次善に次善を重ねるうちに、基準が歪んでいったということで、そういうことで、少なくとも自分の当座の精神の安定は得られる、そういう選択と考えられないこともない。
或いは、お眼鏡に叶う相手がいなければ、おひとりさまという選択もある。これは遺伝子の保存というよりは、個の安定が優越してしまった結果なんだろう。何はともあれ遺伝子の保存、という事ではないらしい。
そういう基準、その為の行動原理を突いてやれば、ナンパもし放題、そういう男の話であるらしい、第一章。
ちょっと思うことが増えたので、本はそこで閉じた。物思いに深けながら、汗かきつつペダルを動かすのであった。
しゃこしゃこしゃこ。
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小学校の時の学校の帰り道だ。
まさか、大人になって仕事の付き合いが出来るとは思わなかったアラタ鉄工、小学生の時はまだ田んぼだった、でも、今から書くことがあった、割とすぐあと、田んぼは埋め立てられ保育園になった。角を曲がれば同級生のスイモンの家の前に行く道を曲がらずにまっすぐ行けばまた田んぼ。で、その次がナカオ製作所。そこから嫁に出た娘さんがピアノの先生で、妹やオレはそのピアノ教室に通った。まぁ、おれは、5年生の秋口から中1の夏までの2年弱だったけど、妹は結構長く通ったかもしれない。そのナカオ製作所は今は無く、工場は無くなり造成されてこじんまりとした戸建てが並んでいる。このあたりでナカオと言えば、今じゃ中心市街地を挟んで西の方にある和菓子屋さんの支店であって、ナカオ製作所をググっても、三重の方とか他所のナカオ製作所は出てくるが、当地にあったナカオ製作所は、どこにも影も形もない。あの工場で何を作っていたのか? 当地の事だから金属関係かな、とは思うが、それも全くわからない。
ある学校帰りのことだ。あ、そうそう、アラタ鉄工やナカオ製作所に行く手前、この時はスーパーだったオタルヤは今でも惣菜屋さんの「おたるや」として営業されているのかどうなのか、看板はかかっている。その前に差し掛かった時だ。
ナカオ製作所の前は、南側から来ればゆるい右カーブ、学校から南に向かえば左カーブになっている。そこを、普段には見かけないクルマが曲がってきた。
折しもお子様たち、特に男の子たちの間ではスーパーカーブーム。自分達の父親の退屈なクルマではなく、なんか、もう現実離れしたクルマにあこがれたものだ。
まぁ、今から思えば、ウチの父の510SSSもなかなかシブいクルマではあったんだがね。
学区内では、もっとウチからは学校を挟んでずっといったあたり、何とかという喫茶店の前、やら、隣の学区、市場の方、やらに、ポルシェの924がとまってるとか何とか。田舎だからその方面のクルマの話はそれっきり。
で、だ、ナカオ製作所の前を曲がってきた、ちょっとこの変じゃ見かけないような、白いクルマだ。遠目に、ポルシェ911かな?とか思った。901ボディの所謂ナローポルシェって呼ばれてるなんて、大人になって知ったけど、この時は、ターボの太いバンパーではなくて、ライトの下に、下瞼のようにウインカーがついていて、細いメッキのバンパーがついてるやつ。それかと思った。
近づいてくる。違った。フェアレディ―Zだった。外車のスーパーカーよりは随分普通で、ちょっとがっかりしたが、反面、この存在感は何なのだろう? すれ違って、学校の前を通り過ぎ走り去っていく所を、振り返って呆けた態で見ながら、そんなことを思っていた。
日本車が、販売数では、ほぼほぼ勝つことできて、性能面でそういう車を凌駕する、ちょっと前の話だ。
2024年4月26日金曜日
NT0052~0055 次の大地震1 わが身に起こったことから始める
何も元旦から来なくていいだろ、大地震、というようなこと、これで2度目?3度目? 文章にして打っている。そんな、何もこの日じゃなくたって、というやつが、よりによってわが身を掠って行った。
自覚的に180度方向転換する、なんていうこともないのだけれど、この地震が、ひとつ、変る節目になるんじゃないかという予感がある。自分自身も、この社会も、だ。
いろいろもやもやッと浮かんでは、消えずに何か堆積していってて、わが思考ながらウザい。でも、なぜ消えないかと言うと、それなりに大事なことなんじゃないかと、何処かで考えているからだ。
いきなり、な、突拍子もなく政治、社会、経済、天下国家の転換を説いても、我ながら、あ~、はいはい、だし、かと言って今後一切そんなことを表に出さないつもりもまたなく、っていうか今じゃないが近いうちになんか言うつもり満々なんだが、綺麗に論理だてて申し上げることはひょっとしたら、っていうか、多分出来ない。せめて、自分の中の或る思考から、関連ある形で連ねるように考えていきたい。
まずは、これ1月4日にもこの内容の事を書いたんだが、起点はやはりというか、我が身、という事にしたい。
2024年、令和6年の元旦の夕方、オレは何をしていたかと言えば、中途半端に増えて壁に陳列しきれなくなったミニカーのコレクションを並べる棚の増設の工作をやっていた。
今更、正月が特別めでたく感じるようなことも、正直言って無く。これで、子供や孫がいればかなり違っていたのかもしれない。老いた両親にはついに孫を抱かせてあげられなかった。毎度忸怩たる思いが胸を衝くが、まぁ、今更何を言っても仕方ない。そろそろ相当弱った両親を気遣い、西宮の妹が月一で帰ってきている。正月は正月だが、正月の帰省という感じは少々薄い。
テレビも、昔、子供の頃は正月は特別感を感じられるものだったが、そんな感じも今や全くない。そもそも、食事の時にニュースを見る以外、テレビ何か観ない。あ、そうそう昨晩の紅白歌合戦、あとでYOUTUBEでyoasobiの「アイドル」の分だけ視聴したが、まぁ、日本のアイドル、韓国のアイドルがそろって、にぎにぎしく踊るという演出で、うん、最後の結果発表だけ見たんだけど、紅組勝利、ここまで昔の紅白の終盤を思わせるような盛り上がりがあれば、紅組勝つよな、と、まぁ、アンチ韓流からの批判はあったものの、よかったんじゃね?という感じで。
閑話休題
4時過ぎだ。確かサッカーの日本代表がタイと親善試合をしているはずで、1階の居間で両親と妹がぼーっとそれを見ているはずだ。子供部屋おじさんたるオレはそんなわけ2階の自室でネット覗きながら工作なんぞ。
揺れた。まぁ、珍しいことではないが、少々いつもよりは大きかった。ネットで地震速報を確認し、ネットからツイッターに書き込もうとした瞬間、
超デカいの来ました。今までにないくらい。机の下なんかに潜れない。本棚が倒れてきたら詰む。本当はやっちゃいけない対処だが、立ち上がり近くの本棚を抑えた。そんなわけで抑えた本棚からはそうでもなかったが、その他の本棚から、雪崩のように本が落ちる。たちまち膝上まで本に埋まった。
東日本大震災の時に撮影された映像で、物に埋まりドアが開けられなくなり逃げられなくなって途方に暮れた、という内容の物があった。それを思い出し恐怖もしたが、やがて揺れは収まる。
そのころには、うわぁ、これの片づけめんどくせぇ~、なんて思うようになっていた。
そうこうしていると、これだけ揺れて1階に降りてこないオレの様子を見に妹が上がってきた。「あ、今行くから」と、言って、オレは脚を本の山から引き抜き、下に降りて、テレビを見た。さすがに地震速報をやっていた。これだけの揺れだものな。珠洲なんだそうだ、街並みと海岸を交互に映していたが、女性のアナウンサーが「津波警報です!」と絶叫した。
当地、富山県で事前に想定されていた津波というのは、砺波平野頭部~呉羽断層の北東側の延長線上、日方江沖5キロが波の起点の物で、波高が最大5m。海岸線より8キロ以上離れている我が家にまで津波は来ることはないと、ハザードマップには書いてある。
と、
「大津波警報です!!」アナウンサーの声がひっくり返るくらいに更に切迫した声が更に切り替わる。津波警報で3m、大津波で5m。ハザードマップを信じるなら慌てることはない。のだが、のほほんとしてちゃダメなんじゃないかと考えたりもする。それくらいアナウンサー氏の声は切迫したものだった。
車を止めてある場所の隣りがボロ屋で、倒壊したらオレの車も廃車である。外に出てそんなことはなかったことを確かめて、テレビではアナウンサー氏のほかに解説委員の人もしゃべっていて、「津波タワーに避難して・・・」なんて言ってるが、この辺、そういうものはないんだよ、と思いながら、二階に戻る。
さ、オレはどうしよ? 途方に暮れる。PCもケータイも本に埋まっているのだが、会社からBCPの所在確認メールが来るはずで、それに答えなきゃいけない。まずはケータイの発掘かぁ・・・、気が遠くなるような気がした。まぁ、ね、家が倒壊した、その下敷きになった、津波で家が流された、という方々から比べたら、屁みたいなものだが。
この地震で建物が壊れてしまった、全壊、半壊、様々なんだろうが、印象として、直接的に揺れによって破壊した家屋と、液状化によって地盤が変位したために壊れてしまった家屋に大きく分けられるような気がする。あと、津波によって、というものもあるか。
とくに強い揺れに見舞われた地域、輪島市、珠洲市、能登町、志賀町、穴水町。完全に倒壊、倒壊しなくても全壊認定の家屋と、水道などのインフラが破壊されて不便はあるもののこのまま住み続けられるであろう家屋の違い。
誤謬があれば正していくとして、これはこの期間、主にネットではあるが得た知識から言わせていただく。
建物の耐震基準というものがあり、制定された年度により、3種に分けられるようだ。
〇1981年度以前
〇1982年から1999年まで
〇2000年以降
この3種で今回の地震、明らかに倒壊率に差が出たようでである。これから新築する分には自動的問答無用に2000年以降の基準が適用されるから良いとして、それ以前の家屋、我が家など竣工が1971年であるから、震度6の地震があったら一発だ。
何が違うか。どうするか。この辺ちゃんと構造計算のできる建築士に確かめた方がいいが、ネットで得た知識として
〇柱と梁の接続が切れないようにする。
〇水平方向の力がかかってもゆがんだりたわんだりしないようにする
こういったことが、2000年基準に盛り込まれているらしい。梁と柱、ほぞのみでつないでいるならば接続金具で補強するとか、可能な場、柱と柱の間に筋交いを入れるとか、そういう補強だ。
あと、壁量。窓、開口部が多いとそこが弱くなる、という事らしい。
阪神淡路大震災、東日本大震災、まだある、中越地震、熊本地震、胆振地震。度あるごとに耐震補強の重要性は説かれてきたが、特にこの地方、耐震化はなかなか進まなかった。
土砂災害について。直接的に家屋が巻き込まれたというものもあった。発災直後、輪島市一ノ瀬で撮影された土石流のごとき地すべりの動画が広まった。幸いこの画像で土砂に巻き込まれた家屋の住人は避難していたようであるが、穴水では奥さんの実家に帰省していたまだ若い警察官の方、奥さんと3人の子供が裏の土砂が崩れたものに家屋が倒され家族を一瞬で亡くしてしまった悲劇とか他にもいろいろあったようだ。
地震じゃなくても豪雨災害の土石流で同様のことが何やらこの何年か毎年起きている。
家屋倒壊も人命に直接的に危険に晒すけれど、今回道路損壊も深刻であるという印象を持った。もともと奥能登の道路事情に対し道路の本数、舗装強度ともに貧弱なのではないかと感じていた。のと里山海道という高規格道路に区分されているようだが、地震や台風豪雨のたびにどこか崩れているような印象があるのだ。